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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第2章「迷宮都市シルバーヴィラゴ」
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Lv40「唄声を闇に溶かした」




 

 蔵人はバーンハードと合流すると、ペラダンの指定した屋敷へと向かった。

 バーンハードは、革鎧を身につけて大ぶりのロングソードを腰に差していた。とりひきや話しあいなど感じさせない、つま先から頭のてっぺんまで殺しあいをするぞと、意気ごんでいる様子である。交渉などはない、と最初から決めかかっている。今夜は血を見なければとうていおさまらない雰囲気だった。

「クランド。ペラダンとは私が話をつける。君は手を出さないでくれ」

 蔵人は路上に目を落としたまま無言だった。随分と意気込んでいるが、こっちが手を出さずとも、向こうから手を出してきたときはその限りではない。

 そもそも、レイシーの身柄をおさえているのは向こう側なのである。バーンハードの瞳は、夜目にもわかるほど充血して、白目の部分に毛細血管が万遍なく浮き上がっていた。返答をしかねて躊躇していると、バーンハードは妙に力強い声で話を続けた。

「もし敗れることになっても絶対に相討ちに持っていく。そのときは、レイシーを頼む。あの子は、とてもさびしがりやなんだよ」

 バーンハードはもはやレイシーを取り戻すことよりも、ペラダンと決着をつけることを最優先にしている。胸の内が、ぞわりぞわりと妙に落ち着かない気分で騒ぎ出した。

「ペラダンのやつ。なにが花嫁だ。そんなこと出来るはずがないとわかっていながら」

 バーンハードのくぐもったつぶやきがこぼれて闇に消えた。

 連れ立って歩いているうちに、指定された屋敷の全景が見えてきた。

 かつては、貴族や大商人のものだったのだろうか、相当な資材や金をかけた豪奢な邸宅であった。

 邸内には庭園のなごりらしきものが見えた。

 もっとも、長い間手入れを行っていなかったのか、丈の長い雑草が伸びきっていた。

 壊れて動かなくなった門扉の片方が開け放たれていた。

 門から館の玄関まで目測で三十メートルほど真っ直ぐな白砂利を撒いた道が伸びていた。

 二メートル間隔にかがり火が焚かれており、辺りは昼間のように明るかった。

 蔵人たちが玄関まで一息の距離まで近づくと、乾いた石階段を、ゆったりとした歩調で刻む足音が聞こえた。

 足音の主。

 白い仮面をかぶった魔術師、ペラダンであった。

「久しぶりだね、バーンハード。また、こうして会えるなんて、夢にも思わなかったよ」

「レイシーはどこだ」

水精霊(セイレーン)水精霊(セイレーン)水精霊(セイレーン)。まったくもって君はあのモンスターにこころを奪われてしまったようだ。そら、オールディ、ヤングディ! 花嫁のご所望だ!」

「父さん! クランド!」

「レイシー!」

 レイシーは、金壷眼の男ふたりにつき添われながら、姿を現わした。

 薄い水色の服を着ている。

 見たところ、特になにかをされたという様子はない。

 蔵人は、安堵のため息をついた。

「金は用意したぞ、ペラダン」

 バーンハードが貨幣の詰まった革袋を突き出すと、ペラダンは仮面をカタカタ揺らしながら低い笑い声をもらした。バーンハードの噛み締めた奥歯がぎりりと鳴った。

「ああ、そういえばそんなことも書いたかもね、バーンハード。いや、君に会えた喜びのあまり、なにもかも忘れてしまっていたよ」

「おまえが復讐したいのはこの私だろう。いっておくが、レイシーを傷つけてチクチクなぶろうったって無駄だ。私は、おまえが娘に指一本でもふれただけでも、目の前で自分の喉を掻っ切ってやる」

 バーンハードは自分の喉笛に刃を当てると軽く引いてみせた。薄明かりの中、飛び出た喉仏の上にうっすらと赤い線が走った。

「喉を掻っ切る? おやおや、そんな安易な結末では私の胸は晴れない。こまる、非常にこまるよ、バーンハード」

「だったらサシで決着をつけようじゃないか、ペラダン。おまえがどうしても許せないのは俺だけだろうが!」

「ふふ。そうですね、やはりそうではなくては。あなた自身の無力さを娘の目の前で完全に露呈させる。その上で娘の身体をたっぷりと辱めて、おまえに地獄の痛苦を味あわせねば、あの苦しみは癒えないんだよ、バーンハードォオ!!」

 バーンハードはロングソードを引き抜くと年齢を感じさせない動きで走り出した。

 ネコ科の猛獣を思わせるような見事な疾走だ。

 上段に構えた長剣の切っ先が、闇夜を貫く一筋の矢のように流れていく。

氷の矢(アイスショット)!」

 ペラダンがすかさず魔術を詠唱すると、杖の先から氷柱が幾重にも打ち出された。

 銀色の光る氷の結晶が風を巻いて走った。

「おおおおおっ!」

 バーンハードは身体を左右に振って氷の矢を充分に引きつける。力をこめた一撃が狙いたがわず氷柱の真横を叩く。硬質な音と共に氷の矢が残らず叩き落とされた。息を飲むほど洗練された見事な剣さばきだった。

「なっ、氷の矢(アイスショット)!」

 見事に術を破られたペラダンは、一瞬の硬直の後再び杖を振りかざして詠唱を行う。

「バカの一つ覚えだなっ!」

 バーンハードは、ペラダンの目線と杖の先で射線を見切っていた。巨体が見事なサイドステップを刻む。反転したバーンハードは余裕すら残した身のこなしで、つま先で地を蹴った。

 続けざま、繰り返し放たれる魔術攻撃を見事にかわしていく。

 ペラダンとの距離を一気に詰めた。

影の拘束(シャドウバインド)!」

「戦う時間を間違えたな。いまは夜だぜっ!」

 バーンハードは急角度に反転して進行方向を変えた。

 肩をぶつけて周囲のかがり火を片っ端から引き倒す。たちまち、赤々とした灯火が消え失せ、対峙するふたりの周辺が濃い闇に包まれた。

 ペラダンの操作する黒のサークルが、夜の闇に溶け込んでいく。

 瞬間、サークルの位置を見失ったペラダンの動きが硬直化した。

 勝利を確信したバーンハードが大きく跳躍する。ペラダンの白い仮面がカタカタと小刻みに震えだした。銀線が真っ直ぐ魔術師に向かって伸びた。

「が、はっ」

 次の瞬間、苦悶の声を上げたのはバーンハードだった。

 ペラダンは、杖を逆手に持ち替えると、隠していた刃を引きだしてバーンハードの肩口から腰まで見事に革鎧ごと切り裂いたのだった。

 かたずを飲んで見守っていたレイシーの叫び声が鋭く響いた。駆け出そうと前に出た彼女の身体を、ペラダンの下僕のオールディとヤングディが太い腕でぐいと元の位置に引き戻した。

 あお向けに倒れたバーンハードへとペラダンが歩み寄っていく。かがり火の光に招かれて辺りを舞っている蛾の一群が、銀色の鱗粉を撒きながらゆらめいている。夜風が、時折、炎をなぶって形を変化させている。パチっと、弾けた燃えさしが火の粉を飛ばした。

「いつかあなたがいっていましたね。魔術師の唯一の弱点は、接近戦だと。私はこの一七年間のうのうと暮らしていたわけではないのだ」

「はは、そしておまえは俺の忠告を忠実に守ったってわけだ」

「この瞬間を十七年間待ち望んでいたんだ!」

 ペラダンは、仕込み杖の刃を上段に構えると、獣のように吠えた。

 闇を引き裂くような怒声が、蔵人にはひどく物悲しく聞こえた。

「やめてえええっ!」

 レイシーの悲鳴がかぶるように飛んだ。

 バーンハードは微動だにせず、そのままの姿勢でペラダンを見上げ続ける。

 かがり火の炎だけが、ジリジリと音を立てて燃え盛っていた。

「どうして、そんな目で私を見るんだ」

「やれ、ペラダン。おまえにはその資格がある」

 奇妙な沈黙が降りた。ペラダンに残されたことといえば、刃を振り下ろして恨みを晴らすだけである。刀身は冴え冴えと真っ赤に照らされたまま硬直したままだ。

「危ないっ!」

 事態を見守っていた蔵人が叫ぶと同時に、ペラダンに向かって一本の槍が投げ込まれた。

 あお向けに倒れたままだったバーンハードは弾かれたように飛び上がってペラダンを抱き寄せると位置を入れ替えた。

 バーンハードは胸の中心部を貫かれながら、野太い笑みを頬に刻んだ。

 後悔を感じさせない、男らしい清々しさがにじんでいた。

「なに、を」

 ペラダンが辺りを見回すと、それぞれに長剣や槍で武装した二十人ほどの男が、草むらや植えこみから姿をあらわした。ふたりがやりあっている間に忍び寄っていたのだろうか、全員がすでに抜き身のまま刃をひらめかせて凶暴な闘志をむき出しにしていた。

 集団の中から、やぶにらみの真っ赤な髪をした男が一歩前に進み出た。

 中肉中背でこれといった威圧感はないが、陰険そうな瞳が誰よりも貪欲にギラギラと脂ぎった光を発していた。

「貴様、コルネリオ。いったい、なんのつもりだ」

 ペラダンがコルネリオと呼びかけると、男は薄く笑った。

 赤毛の若者は、チェチーリオ一家の代貸、コルネリオであった。

「いや、ペラダンの旦那。アンタがウチの若いもん使ってコソコソなにやってるんだろうな、と。影で動かれちゃ、気になるじゃないですか。だが、金の匂いにゃこちとら敏感なんでさ。調べてみたら案の定、そこの小娘は滅多にお目にかかれない水精霊(セイレーン)の混血だそうで。水精霊(セイレーン)の処女の生肝はエラく高い値で売ることが出来る。そうでなくても、一度まじわれば長生きできるとかなんとか、付加価値を付けて奴隷として売り払っても相当なもんだ。お宝のひとり占めはいけねえよ。なあ、みんな!」

 コルネリオが、そう叫ぶと、男たちが追従するように哄笑した。下卑た響きの笑いだった。

「貴様、そんなくだらないことで、首を突っ込んできたのか!」

「いや、旦那。銭は重要だぜ。それだけの大金が手に入れば、武器や人員も充分に揃えることができる。いいからさっさとその娘を寄越しねえ。そいつを手に入れれば、俺の野望が達成できる。つまり、チェチーリオをぶっ倒して、やつの縄張り(シマ)を手に入れることができるんだ。やつのやりかたは、甘ぇ。あの肥えた縄張り(シマ)はやりかた次第でいくらでも金を搾り取れるんだ。だが、残念なことに銭をつかめるやつってのは、どこの世界にもたったひとりだけなんだ。他のやつらは、いつも指を咥えて見ているだけだ。俺は、お宝を前にして指をしゃぶるだけのうすのろになりたくねえ。おとなしくその娘っこを寄こさないってんなら、消えてもらうしかねえな」

 ペラダンは、もはやコルネリオのことは黙殺して、バーンハードを抱き起こした。

「なんで、なんで今更私をかばうんだっ! どうして、いまになって!」

 バーンハードの受けた槍は致命傷だったのだろう。彼の顔には死相が浮かんでいた。駆け寄ってきたレイシーが、すぐそばでひざまずく。続けて、蔵人が歩み寄ったが、ペラダンは警戒すらしなかった。

「父さん!」

「レイシー、すまない。それから、ペラダン」

「どうしてだっ、なんでだああっ!!」

 ペラダンの取り乱しようは、娘以上のものだった。レイシーは、流れる涙を拭うこともせずに、膝立ちのまま呆然としている。

「今度は間にあったな、ペラダン」

 バーンハードは苦悶の表情でそう述べると、四肢を痙攣させて動かなくなった。

 響き渡るレイシーの声は、哀しいまでの調べを奏でて闇夜に溶けていった。

 ペラダンが杖を握ってコルネリオの一団に飛びこむのと、蔵人がレイシーの手を引いて駆け出すのは同時だった。

 チェチーリオを倒すという、代貸コルネリオの指揮は豪語するだけあって中々見事だった。遠巻きに長槍を使用して、波状攻撃をかける。負傷した部下を適宜交代させるなど、理に叶ったものだった。ペラダンの放つ魔術攻撃に関しては、全員に魔法防御効果のある大盾を用意し、密集陣形を組ませて、巨大な防御壁を作るなど徹底していた。

 ペラダンと死闘をまじえている男たち以外の数人は、レイシーを守る蔵人に殺到した。

 蔵人は、退路を塞がれないように片手で鞘ごと剣を振り回すが、レイシーをかばうあまり思い切った攻勢に出れない。鞘から刃を抜く暇すらなかった。

「死ねやあああっ!」

 男の一人が大身の槍の穂先を、蔵人の剣に勢いよく叩きつけた。ガッ、と鋼の砕けた音がして、根元から鞘ごと刀身が転げ落ちた。全身からサッと血の気が引いていく。

 以前、シズカから聞いた訓戒が脳裏をよぎった。

 いいか、蔵人。常に闘争に身を置く騎士たるもの、武具には費えを惜しんではいけない。

 最後に頼れるのは鍛え上げた鋼の強度と刃の鋭さだ。

 金貨を惜しんでなまくらをつかまされ、切り刻まれる瞬間に悔やむほど間抜けな死に様はないぞ、と。

「あのオッサン、なにがそれなりのもんだよっ」

 刀身の消えた鍔元を間近に見て、つくづく思った。

 今度生まれ変わったら、刀鍛冶になろう、と。

「クランドっ!」

 怯えるレイシーが袖を引く。いきなり現実に引き戻された。

 クランドの周りには、五人ほどの男が集まっていた。コルネリオは勝利を完全に確信したのか、ペラダンたちの始末を部下に任せて、頬をゆるめながら近づいてくる。

 絶体絶命だった。

 周囲に武器になりそうなものを探してみるが、小砂利程度しか見つからない。

 焦りで胸の鼓動が早まり、考えが上手くまとまらない。

 落ち着け、まずは落ち着くんだっ!

 握り締める柄に巻きつけた汗止めの紐が手汗でぐっしょりと濡れていくのがわかった。

「よう、この間は世話になったな」

「今日はたっぷりお返しをしてやるからなぁ、覚悟しろよ」

 そういったふたりの男は、何日か前に蔵人に叩きのめされた使いっぱしりであった。

「くくく、そこの娘も売り飛ばす前に、たっぷり楽しんでやるからなぁ」

 男が剣を振り上げると、白刃がやけに眩しく目に映った。

 刀身の消えた剣では受けられない。

 死が目の前にあった。

 イチかバチか飛びついて武器を奪おうと、全身に力を込めた。

 男の身体が前のめりになった。

 同時に、草むらから小柄な影が飛びついて男を引き倒す。誰だか知らないが見事なタックルだった。怯えた男の振るった剣が影を打った。

 ちらりと見えた純白の僧衣に目を疑った。

 蔵人は男の腰を蹴りつけると、影を抱き起こした。先ほど別れたはずのヒルダであった。どうして手に入れたか、彼女はひとふりの長剣を抱きかかえるようにしていた。百二十センチを超える異様な長さだった。

 ヒルダは蔵人と目があうと、口元から一筋の赤い血を流しながら薄く口元をゆるめた。

 一点の曇りもない、聖女のような微笑みだった。

 蔵人は差し出された剣を握り締めると、うめいた。

 柄の部分に、教会の白十字が刻まれている。僧兵のものを持ち出したのだ。

 ヒルダの切り下げられた背中から血が流れている。

 たちまちに真っ白の僧衣が朱に染まっていった。

「ほらね、ちゃんとクランドさんのお役に立てたでしょ。うれしいな」

 ヒルダは、汗の滲んだ顔を伏せると荒く息を吐いた。

 蔵人は、レイシーにヒルダを抱きかかえさせると、鞘を払って直刀を抜いた。

 燃えるような憎悪が全身を駆け抜けていく。焼けつくように胸が熱いのに、頭の芯は不思議なほど冷え切っていた。許せるものではない。すべて切り伏せるまでだった。

「てめえら、今夜はもう峰を返さねえぜ!」

 長剣が風を巻いて走った。

 白刃をふたりの男たちの顔へと交互に銀線を走らせた。男たちの顔面に走った赤い線がみるみるうちに太くなり、鮮血が盛り上がり、吹き出した。

 ふたりを切り伏せると、残った三人に向かって猛然と駆け出した。怯えた男が目をつぶって槍を繰り出した。身をそらしてかわすと、脇腹に向かって刃を突き刺した。

「ぼぐええっ」

 男が赤黒い血を吐いてのけぞった。

 蔵人は、男の胸を蹴りつけて剣を抜き取ると、隣の呆然とした男に狙いを定めた。長剣を男の顔面へと横殴りに叩きつけた。すさまじい剣速に反応できないまま、男は目鼻を完全に破壊されて、腐った臓物のような断面をさらし、半回転してかがり火にぶつかった。

 かがり火は、轟音を立てて地面に倒れると、火の粉を辺りに撒いた。ごうごうと音を立てて、転がった燃えさしが枯れ草に燃え移った。

「てめえら、ペラダンより先に、さっさとそいつを冥土に送っちまえ!」

 コルネリオの指示を受けて、七人が加勢に駆けつけた。

 蔵人は転がった燃えさしのたきぎを拾い上げると、片っ端から向かってくる男たちに投げつけた。

「やめろや!」

「よせい、畜生め!」

 蔵人は敵のひるんだ隙を見て、加勢を待っていた一番近くの男へと跳躍した。抱えるようにして男の首に腕をまわすと、逆手に持った剣を胸元に叩き込んだ。

 男の腰を蹴って長剣を抜き取ると、雄叫びを上げて七人に向かって猛然と飛びこんでいく。身を低くして長剣を振り回すと、脇腹を切り裂かれた男があお向けに倒れた。怯えた男たちが怯えて蔵人から距離をとった。

 いともたやすく包囲網を破りきったのだ。

 蔵人は、真正面の男に飛び上がって長剣を振り下ろした。男の顔面に銀線が見事に刻まれた。男は断末魔を上げながら両手を突き上げて硬直した。

 背後からふたりの男が迫ってきた。

 蔵人は背後を見ないまま逆手に持った長剣を繰り出した。刀身は男の腹へと半分以上埋まった。男の身体を盾にして、瞬時に反転すると向かい来る男の顔面に鞘を叩きつけた。鉄ごしらえの鞘はそれ自体が鉄の棒みたいなものである。ぐしゃり、と鈍い音を立て、顔面を砕かれた男は地面に膝をついて悶絶した。

 蔵人は、悠々と剣を抜きとると、座りこんだ男の後頭部をやすやすと叩き割った。砕けた頭蓋から、真っ赤な脳漿がびたびたと音を立てて地面を叩いた。

「ひいいっ!」

 おびえながら後ろを見せた男の背中に激しい一撃を浴びせた。真一文字に深々と切り下げられた男は、泳ぐように両手で空をかきながらうつ伏せに倒れた。

 蔵人は駆け寄って長剣を両手で持つと心臓に向かって垂直に突き下ろした。男はピンでとめられた標本の虫のように、四肢を動かしてしばらくもがいたが、やがて力尽きた。

 最後のひとりは、剣を捨てて逃げようとするが、恐怖のあまり足をもつれさせてひとりでに転んだ。蔵人は、そばのかがり火を男に向かって蹴倒した。

「わひいいいっ!!」

 男は一抱えもあるかがり火の炎に全身をつつまれながら、踊るように転がりまわる。

 蔵人は、炎に包まれた男の胸もとへと片手打ちで長剣を叩き込む。男は、全身から黒い煙を上げながら、やがて動かなくなった。

 瞬きの間に十一人の手下を殺されたコルネリオは、幽鬼のような顔つきで呆然とその場に立ち尽くしていた。残った手下もペラダンたちに倒されたのか、コルネリオを守る護衛はもうひとりもいなかった。

 蔵人は全身で息をしながらじりじりとコルネリオに近づいていく。

「待った、待った! 話をしようじゃねえか。そうだ、その水精霊(セイレーン)の娘はアンタにやるよ。だからさ、ここはお互いに大人になって……」

 蔵人はコルネリオがすべて言葉を吐き終わる前に、石段を蹴って跳躍した。

「レイシーは元々俺のもんだぜ!」

 長剣が斜めに鋭い銀線を描いた。コルネリオは両手を突き出したまま、首の根元を断ち割られて、鮮血を撒き散らしながら絶息した。






「これが人間の本質だ。金や色のためならなんでもやる。冒険者などその最たるものだ。夢を追って迷宮に潜るなど聞こえはいいが、暗闇の中で戦い続けるうちに魂まで黒く染まっていく。その汚れやシミは二度と落ちることはない。クランド、貴方の目指す最期は、ここに転がる骸たちだ。さあ、剣を構えろ。君は、私を斬らねば納得がいかないだろう」

 ペラダンは蔵人を指差してそういうと、杖を構えた。背後には、コルネリオとの闘争で命を落とした下僕のオールディとヤングディの死体が目を見開きながらあお向けに転がっていた。

 蔵人が駆け出すと同時にペラダンが氷の矢(アイスショット)を放った。

 空気を引き裂く音を耳元で聞きながら身をそらしてかわした。

 バーンハードがやったように、目線とかざした杖先の射線を見極めれば氷柱をかわすのは難しくなかった。蔵人の全身は水を浴びたように汗で濡れそぼっていた。だが、ペラダンの精神力も尽きかけている。

 勝負の潮合が満ちた。

 蔵人は吠えながら剣を水平に構えて疾走する。

 応えるようにして、ペラダンの呪文が放たれた。

氷の嵐(アイストルネード)!!」

 杖先にこめられた魔力が氷の吹雪を巻き起こし、蔵人に向かって冷気の嵐を叩きつけた。

 周囲の気温が一気に下がると、蔵人に向かって渦巻いた氷点下の風に乗って無数の氷柱が降りそそいだ。

 人為的に発生させた氷点下の霧が辺りを覆う。

 氷の矢が肉を打つ鈍い音だけが絶え間なく響き渡った。

 レイシーの悲鳴が引き裂くように冴え渡った。

 勝利を確信したペラダンががくりと膝を突く。最後に放った魔術で消耗しきったのだった。白い霧が吹き付けてきた夜風に流れて辺りの視界がクリアになっていく。

 そこに佇立していたのは、二体の骸を盾にして氷柱の矢を防いでいた蔵人だった。

「馬鹿な」

 蔵人は骸を放り捨てると突進した。

「くっ、影の拘束(シャドウバインド)!」

 ペラダンは対象の動きを封じる拘束魔術を唱えた。

 蔵人の動きを封じるため、黒のサークルが地面を真っ直ぐにすべっていく。

「同じ手は通用しねえぜ!」

 蔵人はそう叫ぶと足元に迫った黒のサークルに向かって鞘を地面に突き立てると真横に転がった。サークルは鞘を拘束対象と認識すると、真っ黒な触手を無数に伸ばして鞘を大地に縛り付けた。一旦、魔術効果が現れると解除するのに時間が必要になる。

 そのタイムラグが、勝敗を決した。

 地を蹴って跳躍した蔵人は最後の力を振り絞って長剣を振り抜いた。

 銀線が魔術師の肩口から腰までに斜めに走る。真っ赤な血潮が吹き出すように飛び散ると、ペラダンの腰はバランスを欠いて踊るように崩れた。地面に顔を打ちつけたのか、ピシッと、音を立てて白い仮面が真っ二つに割れて左右にすべり落ちる。

 自然、ペラダンの素顔が露わになった。

 流れるような金髪からのぞく素顔は、凄絶なまでに美しい女性のものだった。

 ならば、彼女の異常な執着心や怒りも理解できた。

 ペラダンは命をかけてバーンハードと迷宮に潜り続ける内に、いつしか自分でも制御出来ない感情を彼に抱いていたのであろう。

 可愛さ余って憎さ百倍、という言葉もある。

 最後の瞬間に、選ばれなかった彼女の怒りはいかばかりのものだっただろうか。

 ペラダンはうつ伏せに倒れると顔を伏せて途切れ途切れに言葉を発しているが、それは既に聞き取れないかすれたものだった。

 ペラダンは口元から血泡を吐きながら、這いずりながらバーンハードの元へとすり寄っていった。冷たくなった男の手に指先を伸ばす。

 蔵人はふるえるペラダンの瞳をはじめて直視した。

 それは、切ない気持ちを抱えたまま、恋うる男を慕う、ひとりの女のものだった。

 蔵人は無言のままペラダンの手を引くとバーンハードの冷たくなった手のひらに重ねあわせた。ペラダンは驚いたように顔を上げると、それからわずかに目を細めて唇をゆるめた。

 蔵人はひとつになった男女の影を見つめながら、手に持った長剣をようやく鞘に収めた。






 長かった夜が明けようとしていた。屋敷周辺の遺体は、知らせによって駆けつけた教会関係者の手によって運び出されていった。

 司教であるマルコの権威は思った以上のものだった。

 蔵人たちは、屋敷の入口で疲れきってひとかたまりになったまま、その作業を眺め続けていた。

「あたし、とうとうひとりぼっちになっちゃったよ」

 レイシーはそうつぶやくと、虚脱した顔で肩を震わせはじめた。蔵人は、無言のまま彼女の肩を抱くと、力強い声でいった。

「おまえには俺がいる。ずっと、そばにいるから」

 レイシーは、蔵人の胸にむしゃぶりつくと、子どもに返ったようにむせび泣いた。

 ヒルダはそっと立ち上がると、両手を組んで鈴の鳴るような声で歌いだした。

 鎮魂歌(レクイエム)だ。

 ヒルダはある程度まで歌い上げると、振り返ってやわらかく微笑んだ。

「やっぱり、本職のようには上手く歌えませんね。レイシー、お手本見せてくれませんか」

 レイシーがはっと、なって顔を上げた。蔵人は彼女の背にそっと手を置くと、優しく撫でた。

 レイシーは人差し指で目元を拭うと、石段に立った。

 鎮魂歌(レクイエム)が朗々と響き渡る。人々が作業を中断して、振り返った。

 大丈夫だ。

 大丈夫だよ、レイシー。

 切々と胸を打つ唄声は、これからも銀馬車亭を覆うやさしい闇に溶けながら、皆の心を潤すだろう。そう願ってやまない。

 蔵人は、レイシーの美しい横顔をじっと眺めながら、妙なる調べに耳を澄ませた。


 



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