Lv38「水精霊」
戦士のバーンハード、重騎士のアラン、盗賊のクレメンテ、魔術師のペラダンは即席ながらも中々バランスの取れたよいクランだった。
剣技に優れ統率の要となるバーンハード。下級貴族の生まれで重装甲を武器にパーティーの盾となる無口だが信頼できるアラン。盗賊上がりでなんでも小器用にこなすクレメンテ。そして、冒険者組合登録者の中でも数少ない貴重職種の魔術師であるペラダン。四人の中で元々の知り合いだったのは、バーンハードとペラダンのみだった。
知り合ったきっかけは、酒場でクレメンテが手に入れた一枚の古地図を肴に声高に話していることからはじまった。たまたま、テーブルが隣りあっていたのも縁だったのだろう。最初はその古地図に記されたダンジョンの場所に、命の秘宝と呼ばれるアイテムがあるかどうかの真偽を話しあっていたのだが、酒が入っていたせいか四人の議論はエスカレートして、最後には実際にこの目で確かめてみようという話になった。
当時、いまから十七年前、バーンハードを除いた残りの三人は、全員まだ二十代であり冒険者としてもっとも脂の乗り切った時期であった。ある程度ダンジョンにも潜り、冒険者組合内でも中核的な存在になりつつあった。
こうなってくると、誰しもがひとより際立った功績を上げたい、自分の名前を冒険者組合内で轟かせたいという気持ちになってくるのは自然のことであった。古地図の指し示す階層の場所も、それほど深くなく、メンバーは四人と少ないが、彼らにはそれらを補ってあまりある実力と自信があった。
中でも、目を引いたのはバーンハードの戦士としての実力だった。魔術師であったペラダンの攻撃は出力と派手さこそあったが、コントロールと限られた回数しか使用できないというデメリットもあった。
だが、この時期のバーンハードは戦士としてもっとも脂の乗り切った時期であり、モンスターを恐れぬ勇気と大胆な決断力はわずかな時間で皆の信頼を勝ち取るのに充分だった。バーンハードの親友であるペラダンは、普段は物静かなタイプであった。
ただし、親友の活躍を目にするたびに、ペラダンは大げさなくらいに喜び、アランやクレメンテを苦笑させることもしばしだった。
実際問題、荷運びや壁役、つまりは就寝時の見張り番を専用に置くことのできないクランはそれだけで余計な労力を必要とする。それほど、大掛かりではない迷宮探索であっても、往復十日を超える距離や階層となると、水と食料だけでも大変な重さになるのだ。現在では、王立迷宮探索研究所が開発した、荷物を圧縮する魔術道具も開発されているが、かつてはそんなものは存在しなかった。すべてを人的労力に頼らざるを得なく、その代わり鍛え上げられた肉体の強固さは確かなものだった。
公式攻略層をはるかに超えた階層にあった古地図の場所にたどり着いたとき、四人が目にした命の秘宝と呼ばれる存在。
それは、一体の水精霊と呼ばれる、超特殊貴種モンスターだった。
ダンジョンの奥深く、地底湖の底の底にいた水精霊は見た目こそ、普通の人間種の女性となんら変わりはない。
それどころか、男なら目を奪われるほどの極まった美しさを兼ね備えていた。足元まで長く伸ばされた淡い金髪に、大きなアイスブルーの瞳。陶磁器で精巧に造られたような顔立ちに、白い肌が強制的に禁欲を迫られた男たちの獣欲を刺激した。
最初に気づいたのはその美しい唄声だった。
群がるモンスターとの格闘で、綿のように疲れきった彼らの身体に心からその歌は染み入った。
彼女の存在に最初に気づいたのは目ざといクレメンテだった。仲間たちは、彼の指し示す岩陰でのんびり腰掛けている水精霊を見て、美しさに心を奪われた。
「あら、どなたかしら。こんにちは。って、確か人間の言葉ってこれであってるわよね」
童女のように警戒心なく近寄ってくる彼女を拘束するのは泳いでいる魚を捕らえるより簡単だった。
「なあ、バーンハード。この水精霊が、伝説の命の秘宝ってやつか。なにかの間違いじゃねえか」
クレメンテがつば広の帽子を傾けながら、戸惑った様子でバーンハードに尋ねた。
一方、水精霊の方はアランに状態封じの魔術道具である、禁魔縛縄でしばられながらも、いったーいっなにすんのよ、とか、これきゅうくつぅ、などと、ぶつくさ文句をいうにとどまっていた。
「いや、ペラダンの解読に間違いない。穢れ無き水精霊の生肝を食すといちじるしく寿命が伸び、免疫力が上がって滅多に病気にかからないっていう事例があったってことは王立研究所の文献で読んだことがある。少しでも長生きしたいって貴族のジジイどもなら、数千万、いや数億Pだって言い値で買うだろうよ」
「……マジかよ。うおっしゃあっ!!」
クレメンテの脳は徐々に事態を把握したのか、やがて喜びを爆発させた。日頃物静かなアランもペラダンの肩を抱きかかえながら大声を上げている。迷惑そうに眉をしかめながらも、ペラダンの口元もしっかりゆるんでいた。おそらく状況を把握していないのだろう、水精霊の女も、やったーっと声を上げて喜悦の表情を作っていた。
バーンハードは、皆から離れて水精霊に近づくと声をかけた。
「おい、おまえ」
「え、あたし? あたしは、おまえじゃないよ。ロマナっていうの」
水精霊のロマナは縛られたまま屈託なく笑うと白い歯を見せた。どうやら、知能はあまり高くない様子だ。
「おまえ状況がわかってよろこんでるのか」
「え、え? うーん、なんだかわかんないけどさ、みんなが楽しそうならあたしもなんだか楽しいんだっ」
「おまえ、仲間とかはいないのか」
「お母さんがいたよ。でも、ずっとまえに、あたしが小さい頃に死んじゃった。だからさ、たくさんのたくさんが喜んでるとうれしいよ。ここにいる怖いモンスターたちは笑ったりしないし、言葉も通じないから」
「おまえ縛られてるんだぞ。やっぱなにも理解してないじゃないか」
「だから、あたしはおまえじゃなくて、ロマナだって。あんた、もしかして、アタマ弱いの?」
こころの底から心配するような善意百パーセントの目つきでロマナがいった。バーンハードは口元を引きつらせながら言葉を返した。
「……俺はバーンハードだ。それから、人のことをアタマ弱いとか平気でいうんじゃない。傷つくだろうが」
「え、あ。ごめんなさい。本当、ごめんね。泣かないでね、バーンハード」
冗談交じりの指摘を本気で信じこんだのか、ロマナは大きな瞳に涙をにじませながら、幼児をあやすような口調で慰める。甘くなめらかな声質は聞いているだけで、頭の中がクラクラする。一旦顔をはなすと、ロマナは寂しそうにくちびるをゆがめた。
「泣かねえよ。にしても、なんで捕まったままで平気な顔してるんだよ」
「ふっふーん。よっくぞ聞いてくれました。あたしってば、水の近くなら身体をちゃぷちゃぷにすることができるのだっ。だっから、バーンハードたちがかけた縄なんてあっという間に、ほほいのほいで、ほほい、ほい?」
ロマナは水精霊の特殊能力、身体液状化を行おうと、顔を真っ赤にして力をこめるが、わざわざ状態封じの魔術道具、禁魔縛縄で身体をぐるぐる巻きにしてあるのだ。ロマナがどう頑張ろうと、身体を液状化にすることはできなかった。
「あっれー、おかしいなぁ。ねえ、バーンハード、これどうなってんの?」
「……おまえに逃げられないように、魔術道具でしばってあるんだ」
「あーっ、そっかー。なるほどなるほど」
「おまえ、やっぱアホの子だろ」
お目当ての命の秘宝を確保したバーンハード一行に残された仕事は、地上に戻って冒険者組合に報告して栄誉を得て、水精霊を競りにかけて大金を得るだけであった。鍾乳洞があちこちに連なる、気が滅入りそうな真っ暗なダンジョンの中も、成功の約束された四人にとっては輝かしい光に満ちたものに見えた。たっぷり時間をかけて距離を稼いだあとは、テントを張って宴会を行った。行程のほとんどはすでに消化している。あと数日で、地上に戻れるならば、買い集めた食料も酒も残しておく必要はない。
バーンハード率いる一行のクランは、その都度目の前にある栄光に酔いしれ、肉を喰らい酒を浴びるように飲んだ。
クレメンテが焚き火を前にして冗談をいい、アランが上半身を脱いで踊りだし、ペラダンも斜に構えながらも毒舌を飛ばし、バーンハードが荒れそうになる場を収めた。
ロマナも囚われの身であると理解しているのか、宴もたけなわになると得意の歌で場を盛り上げた。ときには勇壮に、ときにはしんみりと、即興で人語を使用した歌と声は仲間たちを聴き入らせるのに充分な美しさだった。
バーンハードは燃え盛る焚き火の炎を見つめながら、ロマナの姿をじっと見つめていた。いつの間にか、座る位置を変えたのか、ペラダンが隣に居た。
「なんだよ、音も立てずに気味わりいな」
「そいつは失礼。しかし、バーンハード。まさかありえないとは思うが、あの水精霊を売りさばきたくない、とでも思っているのかな」
「……それこそ余計な心配だ。ペラダン、俺は骨の髄まで冒険者だぜ。あいつの顔を見てたのは、分配した金でなにを買おうか考えていたのさ。ふん、確かに美しい女だが、あいつを売った銭で、何十人って若い奴隷がいくらでも買えるさ」
「なら、いいんだが。ところで、バーンハード。君は、この先も危険な冒険者を続けるつもりかい?」
「いや、あの水精霊を売り払ってしまえば、栄誉も金も手に入る。いつまでも若くいられるわけじゃない。そろそろこの稼業も潮時かな」
「ならば、一つ提案がある。この金で、酒場を開かないか? 君と私でだ。今回の冒険もあの酒場で出会った、アランとクレメンテが持っていた古地図が元だった。君は、確か見かけによらず料理が上手だったよね」
「見かけによらずは、余計だ」
「またまた失礼。君は食事を統括し料理人を差配してくれ。僕はマネジメント一切を引き受けよう。店に合った調度品、一流の楽士や、美しい給仕を揃えよう。若い冒険者たちをサポートするそんな希望にあふれた店を作れたらいいなと思うんだ。なに、利益は度外視さ。夢を売るんだよ、若者たちに。どうだい、最高じゃないか!」
ペラダンは元々街を歩くだけで娘たちに騒がれるほどの整った容姿をしていたが、焚き火の前で夢を語る彼の顔は、この世で一番美しかった。
だが、迷宮に潜む悪魔はバーンハードたちを見逃しはしなかった。
気を抜いて、酒も入っていたのが災いしたのだろう。この夜、幕営地を襲ったモンスターは、大鬼蜘蛛という稀に見る大物だった。
最初に、敵に気づいたのは重騎士のアランだった。彼は、上半身裸のまま飛び出すと、大槍を振るって皆が距離をとって態勢を立て直すまで充分な時間を稼いでくれた。ペラダンの氷魔術が大鬼蜘蛛の土手っ腹に風穴を開けて止めを刺したとき、すでにアランはこの世の者ではなかった。悲嘆に暮れる皆を励まそうと、ロマナが鎮魂歌を切々と歌い上げる。彼女の中では、すでにアランは他人ではなかったのだ。
だが、彼女の誠意も極限まで追い詰められたクレメンテのこころを癒すことは出来なかった。
「てめええっ! 化物のくせによおおおっ! 一丁前にアランを悼んでんじゃねえよっ!」
クレメンテはいつもの剽げた表情を一変させると、狂ったように無抵抗のロマナを蹴り続けた。咄嗟に飛び出そうと躊躇したバーンハードだったが、ペラダンの目を妙に意識して飛び出すことが出来ない。アランが欠けたことによって、いままでの奇妙な仲間意識は完全に霧散し、ロマナは一体の獲物へと完全にシフトチェンジした。
しばらく、苦虫を噛み潰したようにクレメンテの悲憤の行動を見ていたバーンハードであったが、ロマナが妙に腹ばかり守っているのを見て、不自然さを感じた。アイコンタクトでペラダンと意思疎通を行いクレメンテの暴行を静止する。事実は、パーティーにとって最悪のものだった。
ロマナは妊娠していたのだった。
「どうすんだよ、処女の生肝じゃなきゃ効果はねえんだろうが」
幕営地のテントを張った焚き火の前で、虚ろな瞳をしてクレメンテがつぶやいた。
「王立研究所の資料によれば、確か処女性を失った水精霊の肝臓は特質性が変化し、人体に有害なものへと変化するらしい」
バーンハートが答えると、ペラダンは枝先で焚き火の灰を突きまわしながらいった。
「長い目で見れば、あの水精霊が生んだ子を育ててから肝を取るか。もっとも、成体になるまで十年以上はかかるらしい。ハーフであっても、ある程度は高値はつくだろう」
「そんなもん待ってられっかよおおお!」
クレメンテは怒声を上げながら立ち上がると、ロマナのいる方向へとゆっくり歩き出した。
「待て、どこへ行くつもりだよ」
「今更、それを聞きますかぁ、役立たずのリーダーさんよお。決まってるだろうがあぁ、あの水精霊を肉便器がわりに使わせてもらうのよお。ったく、処女のまんまが金になるからって、こっちはモノをおっ勃ってても我慢してきたのによぉ。せいぜい溜まった鬱憤を晴らさにゃ、気がすまねえよ。ああん、それに性欲処理以外に、いまのあの水精霊になんの価値があるっていうんだい。なあああっ!」
「待て、これはリーダーとしての命令だ。彼女に手を出すな」
「あああん、あんな使用済み穴ぼこにリーダーさまはご執心ですかあっ。マスかいて寝てろっ、ボケ!」
バーンハードはテントの中へと向かって千鳥足で歩いていくクレメンテを見ながらじっと立ち尽くしていた。
ペラダンは無言のまま焚き火の中の灰を、細長い枝でつつき回している。
しばらくして、テントの中で、女の悲鳴とモノが崩れ落ちる大きな音が響きだした。
「私は、君がどういう行動を取ってもついていくよ。バーンハード」
ペラダンがぼそりとつぶやくと、バーンハードの身体が飛ぶようにしてテントの中に向かって走り出した。
怒声と罵声が交互に炸裂した後、ダンジョンの闇に静けさが戻っていく。
どれだけの時間が経ったのだろうか。
ペラダンの隣に、完全に表情を失ったバーンハードの姿があった。
先刻と違うのはただひとつ。
彼の右手には血でぐっしょり濡れたロングソードが握られていた。
ぐったりしたバーンハードがテントに戻ると、縛られたままのロマナが擦り寄ってきた。
「ねえ、泣いてるのバーンハード」
「いいや、泣いちゃいねえや」
「ごめんね、あたしがきっと余計なことをしたからクレメンテも怒ってしまったのね」
「おまえは悪いことなんかなにもしていねえ。ひとつだけ教えてくれ、おまえの腹の中の子は誰が父親なんだい」
「ううん。名前も知らないおじさんだよ」
ロマナの話を総合すると、一年ほど前に一度だけ水精霊の場所にまでたどり着いた冒険者がいたらしい。その男がロマナを見つけたときは半死半生の状態でもはや息を引き取る寸前だったそうだ。哀れに思ったロマナは男に訊ねた。最後になにかやり残したことはあるの、と。
男の願いは、切なく哀しいものだった。彼は、貧農に生まれ苦労して髪に白いものが見えるまで生きてきた。血のにじむ思いをして冒険者組合に登録し、それから功績を上げられないまま長い間ダンジョンと地上だけを行き来してきた。男にとっては、迷宮探索がすべてだった。身を削るような思いをして冒険費用をひねり出し、いつかは、いつかはと思いながら今日まで成功の日を夢見て生きてきた。せめてこの世の名残に、ロマナのような天使のように美しい女を一度でいいから抱いてみたい。冒険者は、この世界では老夫に分類される年まで童貞だったのである。冒険者はなんとか、ロマナとひとつになった瞬間に、命の炎を潰えていた。
「なんで、なんでそんな愚かなことを」
「うーん、愚か? よくわかんないけど、あたし、そのおじさんがあたしをどうしても必要だったってことはわかったよ」
そのたった一度。
そのたった一度だけで妊娠したのだった。
バーンハードはロマナの人を疑うことの知らない純真な瞳を見て、自分という人間が果てしなく汚らわしい生き物に思えてならなかった。
完全に気を抜いていた。
責はすべてバーンハードにあった。
マップには記載されていたはずの、底なしの泥沼の位置を読み間違えた。気づいたときにはもう遅かったのだった。目の前で、ペラダンとロマナがずぶずぶと腰まで嵌りかけている。唯一、沼から這い出すことができたバーンハードの全身を無力感が浸していった。
「っ! いま助けるぞ、ペラダーン!!」
「バーンハードぉおおおっ!!」
ペラダンは美貌を歪ませながら胸元まで飲み込んでいる泥沼の恐怖に怯えきっていた。
いつもの冷静な仮面はそこにはなく、二十代の若者らしい直情的な生への欲望が吐き出されていた。一方、水精霊のロマナは全身を拘束されたまま、悲鳴一つ上げない。湖のように澄み切った青い瞳と視線が交錯した。
バーンハードからふたりの位置は等距離だが、体重がロマナより重いせいかペラダンの沈み方の方が早かった。
「早くしてくれええええっ!!」
「いま、いまザイルを投げるっ! 受け取るんだ、ペラダンっ」
バーンハードが保持していたザイルは一本だけ。文字通り、命綱で引き上げられるのは、どちらかひとりのみだった。
(許してくれ、ロマナ。俺は、ペラダンを救わないと!)
見捨てたと罵ってくれ。
呪ってくれ、恨んでくれ。
人間なんぞ、このように薄情だと、骨の髄まで蔑んでくれ。
――そうでなければ、俺は。
その声はなんの迷いもなく澄み切った不思議な歌声だった。
奇妙にこころが落ち着いてくる。ペラダンを見ると、彼もいくらか落ち着きを取り戻し、叫ぶのをやめていた。
奇妙な音程だった。当然、歌詞の意味も理解できない。
だが、聞いているだけで母の愛に包まれているような、あたたかいものが胸いっぱいに広がっていく。
そう、バーンハードはこの唄を誰が歌っているかなんて最初から知っていた。
あの水精霊は、己が無限の泥中に沈みゆく最後の瞬間まで、慈愛をこめて歌っていたのだった。
許してくれ。
最後に一度だけ祈った。
もう、この先は祈ることなど許されないだろう。
この罪深い俺には。
「どうしてだあああっ、バーンハード! オレじゃなくて、どうしてその女を助けるううっ!!」
「家族じゃないのかっ、オレたちは家族だとっ、血が繋がっていなくてもずっといっしょに生きていくと誓ったではないかああっ!!」
「そうか、おまえのことを家族だと思っていたのはオレだけだったのかぁ!」
「その水精霊腹の子が、十七になったら、必ずオレはおまえの前に現れて、生きたままその娘の肝を喰らってやる! いいか! 必ずだ!」
バーンハードの頭の中には、底なしの泥中に沈んでいくペラダンの絶叫だけがこびりついて離れなかった。目の前に残ったのは、ザイルをつかんで引き上げられたロマナひとりの姿だけが残った。
「どうして」
「どうしてって、俺にもわからねえんだよおっ! それより、なんでだあっ。俺たちは、おまえのことなんか、戦利品のアイテムくらいにしか思っていなかったんだ。どうして、あの状況で笑いながらのんきに唄なんか歌えるんだよ! 教えてくれ、ロマナ!」
「っ! ……えへへ」
ロマナは寂しげな表情のまま控えめに微笑んだ。彼女が身につけていた薄青色の衣服は泥土で焦げ茶色に塗りたくられている。
けれどもバーンハードには、彼女の微笑みを美しといった冒険者の心がはじめて理解できたような気がしたのだ。
「やっと、あたしの名前呼んでくれたね。バーンハード」
どっと涙が溢れ出て視界が真っ青に染まった。気づけば目の前の女を抱きしめていた。
バーンハードは子どものように泣きじゃくる。
そうして、この女だけは死ぬまで守り続けようと魂に誓ったのだった。
バーンハードの長い話を聞き終えて蔵人は深くため息を吐いた。
確かにそれが真実ならば、ペラダンにとってバーンハードは肉を切り裂いて骨まで噛じり尽くしても飽き足らない不倶戴天の仇であろう。
ロマナやそのとき腹にいたレイシーを恨む気持ちもわからないでもない。ペラダンはこの世でもっとも信じていた男に裏切られたのだ。
そして、地獄の底から這い上がってきて、いまバーンハードに復讐をしようとしている。動機がいままでの敵とは並々ならない。使う魔術も未知数なら、契約の力ですら治せないどんな武器を揃えているかもわからない。
だが、レイシーを救うと決めた。幸か不幸か、再戦の期限まで残り四日と切ってくれたのだった。まず、第一に百万Pを用意しなければならない。下手に見せ金など小細工をしない方が良いだろう。
「バーンハードひとつだけいっておく。どんなに言辞を弄してもあんたがペラダンを裏切ったことは変わらない。レイシーを助けるにはあんたが命をかけるしかねえんだ」
「私の、命を」
バーンハードの瞳からは完全に生気を失っている。ここにいるのは過去にいた凄腕の戦士ではなく、ただ娘のことで胸を痛めるありふれた中年男性でしかないのだろうか。
ならば、レイシーを救えるのは俺だけってことか。
「さっすがファンタジー世界。難易度がベリーハードだぜ。ところでマスター、この辺りで百万Pをポンと都合してくれそうな男ってのは誰かいねえか」
「金なら、なんとかここにかき集めた五十万Pがあるだけなんだ。唯一、頼めそうな人は、貸元のチェチーリオ親分くらいだが、私はすでに金を借りすぎていて」
「ああ、俺が代わりに借りてくるから。あんたは、ここで待っててくれや。それと、もしヒルダが顔を出すようなことがあったら、気にするなっていっといてくれや」
「まだ夜中だよ、クランド」
「ああ、そうか。んん、じゃあ俺は一眠りするから。あんたも寝ときなよ。朝が来たら行動開始だ!」
「……はは。君だってペラダンにやられて散々だったんだろう。まったくタフというか、くじけないというか。なんだか、ひとりで悩んでいたのがバカらしくなってきたよ。私も、明日からもう一度借りれそうな場所をまわってみるよ」
「そうだ、その意気だ! なに、レイシーは傷ひとつつけずこの俺が取り戻してやるさ!」
「そうだね、もしそうなったら、レイシーのことはクランドに任せるよ。ロマナの血を引いているんだ。あの娘も並の男じゃ満足できないだろう。もっとも、私のことをパパって呼ぶのは勘弁だがな」
「その軽口が出るようになりゃ、あんたも大丈夫さ」
「まったく人の着替えをじろじろ見るだなんて、あいつってばやっぱサイテーね」
ペラダンがレイシーに目の前で服を脱げといったのは、無用な武器をどこかに隠していないかを調べるためだけのことに過ぎなかった。下着姿になったレイシーを検分して満足したのか、ペラダンは部屋に鍵をかけて去っていった。
「女の子の顔をぶつことないじゃない。まったく、いーっだ」
レイシーは誰もいない扉に向かって舌を出してみるが、じきに虚しくなってやめた。
手渡された衣服は、少々時代遅れともいえる型の薄い水色のドレスで身体にぴったりフィットするタイプのものだった。部屋の中央に大きな姿見が置いてある。自分の身体を映してみると、不思議なことにそれほど違和感を感じなかった。
「ふむ、色だけは合格」
特にやることもなく寝台に座ると、思い浮かぶのは最後に見た蔵人の倒れこんだ姿だった。レイシーは、はじめ蔵人のことを田舎から食い詰めて出てきた若者くらいにしか思っていなかった。だが、腰に差していた長剣は飾り物ではなかったのだ。相当な重みのある剣を振り回す姿は、普段のぼうっとした感じは微塵もなく歴戦の勇士を思わせた。
(なんでこんな時に、絵物語の騎士だのなんだのってもやもや考えてるの。夢見てる場合じゃないってのに)
頭を振って辺りを見回すと床の上に見慣れた黒い外套が落ちていた。
「これってクランドの。あの仮面男、戦利品だのなんだのっていって落としてちゃしょうがないでしょうに」
先ほどいたペラダンが無意識に落としたのか、それとも間抜けなだけななのか。
外套には切り裂かれた跡があちこちにあり、真っ赤な血糊が付着している。
紛れもなく蔵人のものだった。
(あるいは、わざと落としていってあたしを怖がらせようとか。本当に陰険なやつ)
レイシーは、外套を拾い上げてそっと顔を埋めた。
(ほんのりと蔵人の匂いがする。あと、血)
あちこちにかぎ裂きが出来ているが不器用な針運びで縫ってあるのを見て、蔵人が悪戦苦闘するのを想像し、レイシーはほっこりと微笑んだ。この部屋は女用に設えてある。いくらかドレッサーの引き出しを探ると、簡単に裁縫道具を見つけることができた。
「じゃーん。じゃ、ちゃちゃっと縫っちゃいますか。ふん、あの白仮面のやつ。どうせ、クランドや父さんが助けに来て、この外套は持ち主の元に戻るんだからね」
レイシーが隙のない針運びで切り裂かれた部分や、ほつれた場所を的確に縫っていく。
一通り補修が終わったところで広げてみると、あちこちに血糊がついているがいまは洗うことは出来ないのでなるべく見ないようにした。
ふと、一番の端にある縫い取りに気づくと愕然とした。
そこには明らかに女の針運びだと思われる刺繍によって、こう書かれていた。
我が最愛の夫の旅路に幸いのあらんことを、と。




