Lv32「冒険者の街」
シルバーヴィラゴはロムレス第四の人口を誇る大都市である。人口は、優に百万を越えて、“深淵の迷宮”に接しており、冒険者組合に所属する冒険者だけでも一万人は下らなかった。
いわゆる城壁都市である。街の周囲を高い壁でぐるりと覆ってあり、城門は西と東のふたつに限られていた。主に物資は、東のクリスタルレイクから運ばれ、西からは冒険者たちが迷宮攻略に向けて定期便の馬車に乗って出発する。
都市には、常時治安維持の為にアンドリュー伯の誇る鳳凰騎士団が詰めており、それなりに秩序は維持されていた。
とかく、この街で落ちる金は並大抵ではなかった。
冒険者の為の、武器・防具など装備品を商う店、怪我を治療するための病院、稼いだ金を扱う銀行や、飲食店、王国公認の賭博場もあれば、それを見越して併設された巨大な娼館、国教ともいえるロムレス教の大聖堂といった宗教施設、月に一度盛大に行われる奴隷市場や、闘技場や芝居小屋まで揃っていた。
迷宮に挑んで一山当てようとする若者たち、それを当てこんで大儲けしようとする商人たちなど、とにかくシルバーヴィラゴにさえ行けば、食っていけるというのがこの国の共通認識になっていた。
だが、それはならず者が無限に集まっていることも意味していた。
基本、この世界では戸籍調査など行わない。一定の商売を行ったり、銀行で大金を借りたり、公営の事業を行ったりする際には、等級に応じた“市民資格”が必要だったりするが、庶民にとっては、日常生活において、まず関係のないものであった。
つまり、栄えた都市には必然的に起こる、絶え間のない人口流動における事件率の増加は避けられないものだった。
(やだな、さっきからなんだかつけられてるみたい。どうしよう)
少女の名は、レイシーといって、今年一七になったばかりの銀馬車亭という酒場で働く酌婦だった。
もっとも、酌婦といっても、実家が酒場なだけで特に男たちに対して性的サービスを行ったりするわけではない。料理を運んだり、お酒をついで回ったり、唄を歌ったりするのがメインであり、極めて家庭的な店であった。砂色の髪と黒々とした瞳が特徴的な彼女は、かなりお節介焼きな性格も相まってか、男に対して気があると誤解されがちな行動を取るため、今までに何度か付け回された経験がなかったわけではないが、それらの男たちはみな店で会った人間ばかりで、危険を感じることはなかった。
だが、今日のストーキングはいつものようなやり方とは違い、ひしひしと獲物を追い詰めるような圧迫感が強かった。
時間にしては、昼を回ってすぐであり、レイシーは夜に備えてお店の追加食材を馴染みの店で購入したあとのことだった。近道をしようと思い、いつもは通らない路地裏を通っったのが悪かったのだろうか、ふたりの男の影が徐々に距離を詰めて迫る。
(やだ、やだ。そういえば、最近おかしな人間が街に増えたって、お店のひともいってたし。あー、なんでこういう日に限って、わたしったら、もおお)
レイシーは頭をかきむしりたい衝動に駆られながら、思い切って振り返ると、背後をつけ回す男たちを睨みつけた。
四十年配のふたりは兄弟なのか、非常に似通った顔つきをしていた。
いわゆる、悪相である。額が突き出すように出っ張っており、金壷眼だった。
ギョロギョロした瞳が、狡猾そうに忙しなく動いている。それは、小心そうな鼠を思わせるものだった。
(うっ、ちょっと、こわいかも。ううん、はっきりいってやんなきゃ。こういうやつらは、わかんないのよ)
「あの、あなたたち、あたしになにかご用ですか! ひとの後をずっとつけまわしたりして。気分悪いです。いいたいことがあったら、はっきりいってください」
レイシーは、腰に手を当てながら、男たちの顔から視線を離さずにいった。
コツは、目を逸らさないこと。
このやりかたで怒鳴りつければ、たいていの男はお茶を濁してその場を去っていった。
そもそも、人になにかしようと企んでいる人間ならば、目を合わせるようになる前に、直接的な行動に出ているはずである。それが出来ずにうじうじ後をつけ回すような輩は。
(ま、根性なしと決まってるわ。気迫で相手を退散させるべし)
レイシーは、自分でできる限りの怖い顔を作ると、じっと男たちを睨む。
傍から見れば、かわいげのある動作にしか見えなかったが。
「おまえが、銀馬車亭のレイシーか」
「……そうだけど、なによ」
男たちは、顔を見合わせ、お互いに頷き合うと、ごつごつした手を伸ばしてレイシーの腕を取った。
「ちょっと、やめてよ。はなしてっ」
「お、お俺たちと、き、来てもらうんだな」
「や、やだ。だいたい、なんで見も知らないひとたちといっしょに行かなきゃいけないわけっ? はなしてっ」
レイシーが掴まれた腕を振り払うと、男たちはもう一度お互いの顔を見合わせ、困ったように眉間に皺を寄せた。
「俺は、オールディ」
「俺は、ヤングディ」
「は?」
男たちは自分の名前を名乗ると、子どものように、うんうんと首を満足そうに縦に振って、ふたたびレイシーを引き寄せようと手を伸ばした。
レイシーは、男の手をひっぱたくと、後ずさって警戒を露わにする。
オールディとヤングディの顔に、怪訝なものが生じた。
「いやいやいや。名乗ったからって、ついていかないからね、普通に」
「どうしてだ」
「どうしてもよ」
レイシーが身をこわばらせていると、男たちが一歩前に出た。どうやら、問答はやめて力づくでもという態度だった。レイシーの表情が、恐怖で彩られた。
「き、来てもらうぞ。レイシー、俺たちのところへ」
「やだー、ばかっ! こっち来んなっ、変態っ! 人さらいー!」
レイシーは買い物かごを振り回して抵抗するが、ふたりは表情を変えずに、距離を詰めだしていく。大通りまで走るには、少し距離がある。
レイシーが、男たちの隙を縫って飛び出せるかなと、おなかの奥をきゅっとさせたとき、ひとりの男が近づいてくるのを見た。
「助けてっ」
レイシーは無意識に叫んでいた。
背の高い男だった。歳の頃は二十前後だろうか、長い黒髪が肩にかかるほど伸びきっていた。浅黒い肌をしている。頬から顎にかけて密生した髭が顔全体を覆っていた。頬は削いだように痩けていたが、瞳だけが力強く爛々と輝いている。黒い外套が全身をすっぽりと覆っていた。薄汚れた麻の上下は、長旅を続けたのか風雨で汚れきっていた。腰に落としこんだ長剣だけが、やけに立派だった。白金造りの鞘の美しさが、ひときわ目立って異彩を放っていた。
「このひとたち、あたしをつけまわすんですっ」
レイシーは、咄嗟にふたりから離れると、突如として現れた男の背後に隠れた。男の外套の裾を握り締めて視線を合わせる。黒髪の男は瞳が合うと、いたずらそうに口元をゆるめた。レイシーは、なんの根拠もなく、この男を信じていいような気がした。
男が一歩前に出ると、ふたりの悪漢が気圧されたように後ろ足を引いた。
オールディとヤングディは、いくらか逡巡した後、困ったような顔をしてから、ゆっくりとその場を離れていった。
レイシーは、ほーっとため息をつくと、へなへなとその場に座り込んだ。ふと見れば、黒髪の男は買い物かごから散らばった食材を拾い集めてくれていた。なんとなく、じんわりと胸の内にあたたかいものが広がっていった。
この人は、いい人だ。
「あの、あたしレイシーっていいます。危ないところを、ありがとうございました。その、よければお名前をお聞かせ願えませんか?」
レイシーは意識的に声音を気持ち高く造って話しかけた。
「名乗るほどのもんじゃねえんだ」
思ったよりも、渋く、いい声をしている。少なくとも、レイシーの好きな音階だった。
男は、物憂く天を見上げている。なんとなくではあるが、街の男たちにはない野性味を感じる。座りこんでいたレイシーを気遣い、手を差し伸べてきた。おそるおそる、握る。ぐい、と力強く一息で引き上げられた。分厚く、傷だらけの手のひらだった。
レイシーは、自分の胸が、まるで男にはじめて話しかけられた小娘のように、とくとくと、強く脈打つのを感じて、ひどく動揺した。
ほわーん、とした気持ちでレイシーがくらくらしていると、男は落ち着かない様子で、そわそわと背後を気にしだした。
遠くから、怒声と多数の人間の足音が近づいてくる。地鳴りのような轟音が、徐々に近づいてきた。
「やっべ。じゃ、気ぃつけて帰れよ」
「あ、待って」
男は、そう言い残すと、真っ黒な外套をなびかせながら、路地裏の小道を駆け出していった。
男が駆け出すと同時に、多数の男たちが狭い小道に血相を変えて殺到する。
どの顔もレイシーにとっては顔馴染みの、食いもの屋の店主と店員たちだった。
「こらーっ、待てーっ、逃げるなっ!」
「この食い逃げ野郎がっ!」
「金払えやああっ!! この文無しがっ!」
レイシーが呆然と立ちすくんでいると、肉屋の親父が肉切り包丁を振りかざしながら、疾走している。中年男の肥満した腹の肉が見事に波打っていた。
「あ、レイシー。あの、乞食野郎におかしなことされなかったか!」
「え、えええ?」
銀馬車亭によく飲みに来る見習いコックが、いまいましそうに舌打ちをした。実に不快げな顔つきだった。
「髭モジャのあの男、支払いの段になって、ちょっと足りないかも、とかいいだしたんでさ。巾着の中をあらためたら、なんのことはねぇ。石ころしか入ってなかったんだ! 最初っから払うつもりがなかったんだ。いま、通りのみんなに声かけて追い詰めてるところなんだ」
「えええええっ!!」
「常習に違いねえな、ありゃ!」
レイシーは、目玉をぐるぐるさせながら、男の走り去った方向とコックの顔を交互に見比べていた。
どうしてこうなったんだ。ちきしょうめ!
むしろ食いすぎて気持ち悪い。
蔵人は、子供のころから食い物屋に行くと、必要以上に注文してしまう癖があった。港から城門をくぐってウロウロしていたら、飲食街に到達していた。
神だ、食欲の神に導かれたのだ。
ちょうど、昼どきだったせいもあり、隣のテーブルに着いた中年オヤジが食っていた肉の煮物らしきものが、ものすごく香ばしい匂いを発していたので、気づけば無意識の内に同じものを注文していた。しかも、五皿もだ。
食いはじめは、だいたい餓鬼のように空腹のなので、いくらでも食べられる錯覚、すなわち“俺の胃袋は宇宙だ! 症候群”にかかっているので、かなりのハイスペースではらわたに詰めこむことが可能なのだが、ある程度時間が経過すると満腹になってしまう。
威勢良く注文した時に背後におわす不動明王のような存在がかき消えてしまうのが常だった。腹の皮が突っ張ってくると、食事中は気にもとめなかった肉の種類がなんだったのか無性に気になってしかたなくなる。
おまけに、お代を払おうとしたら銭袋の中身が石ころに変化していた。
まさに、ファンタジーである。
だが、ファンタジー世界の住人たちはこの不思議事象に寛容ではなかった。
不条理である。
蔵人は、小商いの中年たちから逃げ続けながら、シルバーヴィラゴに着いてから、いままでの経緯をゆっくりと思い出していた。
司教マルコとは城門の前で別れた。彼は彼なりに蔵人との別れを惜しみ、自分が起居している大聖堂に寄らないかと誘いを受けたが断った。
なんだか、嫌な予感がするからである。
理由はそれだけではなかった。マルコは、あの船で孤児になったクレアという少女を引き取って教会で尼僧にするらしい。
蔵人は、不幸な運命に翻弄されて傷ついた少女の姿をこれ以上見続けるのは出来れば勘弁してもらいたかった。
基本的に、この世界の人間ではない蔵人にとって頼れるのは自分だけである。現状、まるで守れていないが、いちいち他人の難儀に関わっていたのでは命がいくつあっても足りはしないのは身をもって痛感した。仮に、なにかしらの事件に巻きこまれても、在地もない知り人もいないこの世界で蔵人を善良であると証し立ててかばう人間はどこにもいないのだ。
マルコのような男でも、いまの蔵人にとっては心強い一本の枝であった。司教、という地位がどこまで本当かは怪しいものであったが、浮浪者同然の蔵人よりかは遥かに人々の信用を得やすいだろう。
だが、このシルバーヴィラゴという新しい土地に来てからいきなり人さまに頼りきりというのも情けない話ではないか。
志門蔵人は男でござる。
幼子のように手を引いてもらって上から下まで揃えてもらうような甘っちょろい生き方をこの旅の中でして来たつもりはない。
「ま、本当に困ったら頼らせてもらうけどね」
ほとんどそんな心配は必要ないほどの繁栄がこの街にはあった。行き交う人々の数は、いままで通ってきた街々と比べようもないほど多く、通りの石畳は手が隅々まで行き届いており、整然としていた。当然のごとく、字の読めない人間にもわかるように、軒を連ねた店先の看板には、それぞれのシンボルマークが掲げられており、なにがどのような品を扱っているかすぐに理解できた。
武器屋なら、剣のマーク。
衣服ならば、反物を丸めたマーク、などなど。種類は無限と思われるほどだ。
だが、蔵人が最初に向かったのは冒険者組合の建物であった。
ダンジョンとゲーム世代である蔵人が聞けば、荒野に放置された場所に各々勝手に突入して、宝物や獲物を狩るというイメージであったが、聞くところによると、深淵の迷宮自体が国有財産であり、許可なしで入ること自体が法に照らして罪に当たるらしい。
「ここか、冒険者組合ってとこは」
人づてに聞いて、建物はすぐに見つけることができた。
シルバーヴィラゴの中央部、大通りに面した一等地にそれはあった。
一見して城を思わせる巨大さであった。イメージ的には裁判所のような厳粛さを醸し出している。全体は、赤レンガをぎっしり組み上げて出来ており、入口部分には甲冑を着込んだ番兵が重々しい雰囲気で佇立している。ロールプレイングゲームの冒険者の酒場的なライトな感じをイメージしていた蔵人は、若干気圧された。
兜の眉庇から、番兵の瞳がよく見えないのもかなりの恐怖である。
構えている槍から、近寄るとぶっ刺すぞオーラがビンビン放出されていた。
「おいおい、もうちょっと入りやすい雰囲気を心がけたらどうなのよ。ウチの地元のしんきんを見習え、しんきんを」
蔵人は、ともすれば回れ右をしそうになりながらも、挙動不審気味に、入口の階段を登っていく。若干視線は伏せ気味だった。
「おい、きみ」
「は、はいいいっ?」
フランク永井ばりの低音が響いた。
蔵人の身体がエビのように跳ねる。
「ブーツのひもがゆるんでいるよ。転ばないように気をつけてね」
「あ、はい。ありがとうございます」
すっごく、親切な人だった。
「くっそ、びびらせやがって。だが、第一関門は突破した。俺の勝ちだ」
いったい何と戦っているのかわからないが、蔵人はこころの中で鯨波をつくりながら入口から大扉を開いて広間に入る。
「おお、なんか豪華だ」
一見すると一流ホテルのラウンジ的な造りだった。正面には幾つもの大きな丸テーブルが置かれて多数の冒険者らしき人たちが談笑している。周囲の壁には、ダンジョンを示すような地図が描かれあちこちに貼られていた。奥の向こうに扉が見える。蔵人のワクワク感は今にも張り裂けんばかりに膨れ上がった。入口から左の部分に、受付らしきカウンターが見えた。上等な布地を使った袖無しシュルコを着た、二十くらいの女性が澄まして立っている。おそらく受付嬢だろうと見当をつけ歩み寄った。
「いらっしゃいませ、冒険者組合シルバーヴィラゴ本部にようこそ。本日は、どのようなご用件でしょうか」
「あの、はじめてなんですが、いいっすか」
「初回の方ですか。恐れ入りますが、お約束は頂いておりますでしょうか」
「いんや」
「どなたかのご紹介でしょうか? 紹介状などはお持ちでしょうか」
「ぜーんぜん、ナッシング!」
蔵人が、右手の親指を立ててウインクをすると、受付の女性はあからさまに嫌な顔をした。
「この冒険者組合どちらでお聞きになりましたか」
「風が、俺を呼んだのさ」
蔵人が遠くを見るように渋くキメると、受付嬢はカウンターの外の男を手招きした。
「おい、その態度はないだろーが。普通に、冒険者組合に登録に来たんだよ」
「ああ、一般の新規登録者ですか。それでは、こちらの用紙に記入をお願いします」
「俺、字が読めないし書けないんだよね」
「……ちっ。それでは、どなたか読み書きの出来る方をお連れになって再度ご来訪くださいませ。こころよりお待ちしております」
「おい! いま、舌打ちしたよな、舌打ちしやがったよな! なんて、態度の変わり方。ひどくない? ねーちゃん、いやねーちゃんじゃ呼びにくいから名前教えてくれよ」
受付嬢は怯えるように、カウンターから一歩下がると口元をひきつらせた。
「やだ、私の身元探ろうとしてる……」
「いやいやいや、普通に名前聞いてるだけだから、俺の名前は蔵人だよ」
「冗談ですよ、あなたみたいな変態は慣れてますから。わたしは当冒険者組合の受付を担当しておりますネリーと申します。すぐ忘れてもらってもかまいませんよ。というか忘れて」
「ねえ、なんか俺がしたかな」
「いいえ。……寄るなバカ」
「おーい! いま完全に聞こえたぞぉおっ、バカっつったな、客にバカっていったよな、暴言吐いたよな」
「いえ、そんなことはありません。……客かどうかもわからないし」
ネリーは、黒髪を短めに切りそろえた、一見理知的な美人といった風貌だが、一種異様な冷たさが漂っていた。蔵人は、悔しさでくちびるを噛み締めた。
「客だっての。あのさ、ここがどういったところか説明してくれるかな」
「はい。……若干イヤですが。ざっくりした感じでよろしいですか、ふしんしゃ……お客さま」
「もう、突っこまねぇからな」
「それでは、当冒険者組合は王国から認可を受けた完全独立団体であります。現在、全加入者数は一万百十七名を数え、王国の管理する深淵の迷宮に入るために所属することが法律で義務付けられており、禁を破った者には厳しい罰則が設けられております。冒険者組合に加入して冒険者の資格を得ると、いくつかの特典が与えられます。第一に、迷宮探索の許可。第二に、クラン設立の権利、第三に、冒険者組合加盟店における割引購入の権利、第四に、冒険者組合保険組合への加入の許可です」
「ちょっと聞いていいかい。冒険者組合に入るってのはやっぱり、そのお金がかかるのかな」
ネリーは鼻で、はん、とせせら笑うと持っていた説明用の用紙をカウンターで音を立ててこれみよがしに揃えた。
「冒険者組合加入料金は、十万Pと非常にリーズナブルになっております。また、加入するためには最低限一等市民権以上を持つ三人以上の推薦者が必要になります」
「ふんふん、十万P(※日本円で約百万)ね。って、十万P!?
高すぎじゃねえ! 国家予算並だよっ! それと、推薦者ってなに? 自己推薦はオッケー?」
「どこの破産国家ですか。それと、自己推薦などといいだした人間はあなたがはじめてです。他に、なにか質問がありましたら、とりあえず加入料金を納めていただいてからのお話になりますが」
蔵人は、咳払いをすると、ネリーの両手をカウンターの上で握り締め、杉良太郎ばりの流し目を送った。
「ね、ねえ。ネリーちゃんて、いい女だよね。すっごくセクシーだし、寛容そうな部分が素敵だ。……俺と結婚してくれ、そして上手く加入料をなんとかしてくれないかな」
「……この世に生を受けて初めてですよ。出会ってすぐの殿方に求婚されたあげく不正を持ちかけられたのは」
ネリーが無言のまま蔵人の手を払い落とすと、待ち構えていたように屈強な番兵が四人ほど現れた。彼らは、美しいほどの連携で蔵人の四肢をそれぞれがっちりホールドすると、胴上げをするように担ぎ上げた。
「なあ、聞いてくれ。悪気はなかった。ただ、俺はネリーを愛しすぎてしまったんだ」
「うそつくな、ボケ」
寒々しいいいわけだった。
男たちは、蔵人を広間から搬送すると入口の階段からゴミでも捨てるように放り投げた。
「なにが愛してるだ、オレらのネリーちゃんに向かって馴れ馴れしい」
「死ねや腐れチンカスもどきが」
「自分の玉袋の裏筋でも舐めてろっ、ボケ!」
蔵人は、罵倒の嵐を丸まったまま過ぎ去るのを待ち、番兵たちが建物の中に戻っていくのを見ると、立ち上がって叫んだ。
「おまえらのネリーは、そのうち俺の肉奴隷にしてやるうううううっ!!」
冒険者組合の入口から続けざま完全武装した男たちが吐き出されるのを確認する前に、蔵人は脱兎のごとくその場を逃げ出した。
もちろん、後の事など考えていなかった。
「んんん、どうしよかっなぁ、ってかどうしようもねぇなあ」
蔵人は、銅貨が入った巾着を見ながら、道端で思案した。
残金は五百P(※日本円にして約五千円以下)を切っていた。この金額では冒険者組合加入など夢のまた夢である。というか、ちょっと飲み食いしたら今夜の宿代を払って終わりそうである。
ふらふら夢遊病者のように歩いていると、けばけばしい色合いの建物にたどり着いた。
字の読めない蔵人が看板を眺めると、雄々しい四頭立て馬車の絵が毒々しい色合いで描かれている。付近には血相を変えた中年オヤジたちが、紙切れを握りしめてブツブツつぶやいている。独特の空気と匂い。懐かしいものを覚え、血走った男の肩をつついた。
「ああん? ここが、どこだってか! ここは、泣く子も黙る、シルバーヴィラゴ名物戦車レース場じゃい!」
戦車の歴史は古い。
古代中国では、黄帝が涿鹿の野で蚩尤を討った時代から書物に見られ、洋の東西を問わず合戦の場に用いられた。
戦車レースも賭博としては至極原始的なものだ。赤、青、黄、黒、白、緑の計六台の四頭立て戦車から、どれが一等になるかを当てる単純極まりないものである。
御者と馬の戦歴からオッズが決められており、現代の競馬と違う点は券の購入方法が単勝しか存在しない点だろう。
だが、単純ゆえに他にたいして娯楽のないこの世界では人々は狂ったように熱中した。
飲む、打つ、買うの三拍子が男の甲斐性なら、文字通り戦車レースは、打つに関しては王者であった。
だが、幸か不幸か、蔵人は三拍子の内、酒と女には目がなかったが、比較的賭けごとに関してはドライな部分があった。
元の世界では大学生の本分としてパチンコ、スロット、競馬、競輪、競艇など一通り手を出していたが、どれも彼の血を熱くさせることはなかった。どれも、女の肉を貪って射精することにくらべればひどくつまらなく思えたのだ。
「それに、銭がないからって賭け事で勝って増やした人間など聞いたことないしぁ」
蔵人は、戦車レース場の窓口で、戦車券を購入する人々を覚めた目で見ながら首をひねった。どうやら目の前の大きなドーム状の建物の中で競技は行われているらしい。入って様子だけ見ようか迷っていると、賭け事で脳が茹だっているであろう人ごみの中から、若い女の声が飛び出した。
「にゃあああああああっ! ぜんぶ、スっちゃったあああああっ」
見れば、ウィンプルをかぶった年若いシスターが頭を抱えて座りこんでいた。
人々は紺色のローブを纏った彼女のことをチラ見するが、次のレースのことのほうがはるかに重要なのか、足早に駆け去っていく。しまった、と思った瞬間にはもう遅かった。
やっば、またおかしなのと目が合っちまったよ。
歳の頃は、十五、六だろうか、童顔で瞳がくりくりと大きなシスターだった。
美少女といっていい顔立ちである。鼻筋は美しく整っており、背丈は百五十にみたないほど小柄だが、ローブの上から隆起がわかるほどスタイルは良かった。
「うううう、ぜんぶスってしまいましたあぁ、大事なお金なのにぃ。えへんえへん。……なぜ目を逸らすのです」
シスターは嘘泣きを止めると、じっと蔵人を上目遣いでにらんだ。
「いや、なにも見てないから」
「こーんな美少女が泣いて困っているのですよっ、紳士として、お困りですねお嬢さん。さ、これで涙をぬぐいなさいとかいって、ハンカチに財布を潜ませて握らせたりはしないのですかっ」
シスターは開き直って、両腰に手をあてると蔵人を叱責した。
「しねーよ。あんた、初対面の人間によくそこまで要求できるよな」
自分のことを棚に置いて諭す。どうやら、両者とも同じたぐいの人間のようだった。
「おかしいですねぇ、あなたのように女性に縁のない人間は、私のロリボイスを聞いただけで股間を突っ張らかしてなんでもハイハイいうことを聞くのが世界の理なのに」
「なんちゅう下品な女だ」
シスターは、形の良い眉をしかめると、ちいさなくちびるを尖らして、ううむと唸る。
「あ、わかったー。照れてますねぇ、このぉ。うりうり」
「いや、本当にそういうの、まにあってるんで、勘弁してください」
「あ、わかりました。じゃあ、もう行っていいんで、とりあえず財布は置いていってください。喜捨ってことで。はい、私ロムレス教会のヒルダっていいます。だから、ね」
ヒルダと名乗ったシスターは、聞き分けのない子を諭すような口調で手を伸ばした。すかさず、蔵人が手を払う。
「なんで」
「いやいや、そこで傷ついたような表情されても意味わかんねーから」
「もう、わがままですねぇ。今日は、次のレース絶対来るんですっ! お小遣いぜんぶ、スっちゃったのは計算外でしたがっ。ほら、次は絶対赤が来ますって。私の、勝負ぱんつも赤ですしっ」
ヒルダは、独自のロジックを並べ立てると、蔵人に丸く引き締まった尻を突き出すと、平手でパンと叩いてみせた。
ああ、そうか。俺、たかられてるのかぁ。
はじめての街の往来で、身も知らぬシスターから、賭け金をせびられる。
とことん、ついてない経験だった。
そのあと、なぜかむしゃぶりついてきたシスターを振り払って、食堂に入って、現在に至る。
「まあ、つまりはすり替えられた瞬間はそこしか考えられないよな」
蔵人は、一瞬のうちに銅貨をすべて石ころにすり替えたシスターの指さばきに戦慄を覚えながらも、その技術の高さに驚嘆していた。
「いまのいままで気づかないとは。アホすぎだろ、俺は」
あまりにバカバカしくなって、走る気力を失い始めた。
「おっ、観念したかっ!」
「気をつけろよっ、けっこうデカいぞっ」
蔵人が、真っ赤な顔をしたオヤジ達に包囲されながら、どの程度で解放してもらえるかと天を仰いでいると、息を切らせて駆けてきた少女が人垣の輪を崩して飛びこんできた。
「わっ、わわ」
「っとと」
砂色の髪をした少女が勢い余ってバランスを崩した。蔵人は、咄嗟に手を伸ばすと少女の身体を正面から抱きとめた。やわらかな感触が胸板に押しつけられた。少女の、長いまつ毛が震えているのが見えた。
蔵人が少女を抱きとめると、男たちの顔が怒気で染まった。
「待ってください、このひとのお勘定は、あたしが払いますっ」
「おい、レイシーちゃん! そんなやつかばう必要ねーぜ!」
「だいたい、誰なんだ、おまえは!」
「レイシーちゃん、はなれてっ」
「関係ないだろっ、そいつとはっ」
そうだ、そうだと男たちは一斉に鯨波をつくって、蔵人からレイシーを引き離そうとする。レイシーは、困ったように、蔵人と男たちの顔を交互に見比べると意を決したように告げた。
「関係なくないですっ、この人は、あたしのいいひとですからっ」
男たちの声は、一旦ぴたっと静まると、それから天地がひっくり返ったような大きさで再びどよめいた。




