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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第1章「遥かなる旅路」
3/302

Lv3「誠意を見せてください」





 王女マリアンヌに呼び出された勇者である古泉功太郎は完全なる者の証としての三つの紋章を備えていないにしても、すぐれた能力を持つ逸材だった。

 勇者としては不完全ながらも、知恵(タクティカル・ワン)の能力を駆使して、彼は王国の疲弊しきった財政を健全化して、国難に立ち向かおうと日々努力していた。新規的な農産物の作成工程改善や農作業効率の是正などにより、王家の国庫はかつてなく潤った。

 王家に逆らう貴族を討伐するため、ときには軍司令官として剣を振るい、マリアンヌと古泉の仲は急速に深まっていく。二十五の古泉と、十五のマリアンヌではひとまわりは歳は違ったが、愛し合うこと睦まじく、いずれは夫婦となることは明白であった。

 若く精気あふれる古泉は以外に考えが古風であり、婚姻するまではマリアンヌに指一本触れないと固く心に誓っていたが、神の悪戯か、このときばかりは裏目に出た。

 ここでクローズアップされてくるのは、マリアンヌの従兄弟であるファビアン・フォン・ロムレスという男であった。

 王国一の放蕩貴族で知られるファビアンは、百九十近い背丈と、がっしりした鷲鼻、頬から顎にまで伸ばした髭が雄々しい、わかりやすいタイプの豪傑だった。

 このとき、歳は四十の坂を超えたばかりだが、七度妻帯して七度死に別れている。

 一説によると、あまりのファビアンの精力の凄さに、妻が耐え切れなく早死にしてしまうとまでの噂まであった男だった。たいした能力もないが、女をコマすことにかけては天下一だったファビアンの動きは機を見るに敏だった。

 彼は、勇者召喚が成功するまで、むしろ落ち目だった本家を忌避していたにも関わらず、国力が盛り返したところを見ると、ツテを使ってマリアンヌを無理やり手篭めにして自分のモノにしてしまったのだった。

 無論、勇者として実績を積み重ねていた古泉にも手を貸す貴族は多かった。絶対に成功するであろう反攻作戦開始の前夜、古泉はひとつの情報を入手した。

 愛する彼女が、その身に子を宿しているということであった。

 マリアンヌを奪還する直前に彼女が赤子を孕んでいることを知ると、古泉は悄然と剣を投げ捨てファビアンに降るのだった。

 旗頭が、戦意をなくせば担ぎ手はもはやどうにもならない。

 愛する王女を奪われ、勇者の能力を剥奪された古泉は適当な罪状を付けられると、点々と各地の獄をたらい回しにされるのだった。

「そして、現在に至ると。当然のところ、契約も解消され、英雄もただの人だ。これで、まだしも日本に帰る方法があるのなら、ひとつ気張って獄のひとつやふたつ破って見せようと思うんだろうが、残念ながら王族の召喚魔術は呼び出すだけの一方通行らしい。悪いな、ショックだったか」

「いや、まあな」

 蔵人は古泉に言葉を返しながらそれほど動揺していない自分に戸惑っていた。なにしろ、二度と日本に帰れないという事実に直面したのに、まるで心は波立たない。疑問を持つという能力が脳の一部から欠如したようだった。自分の心の変化に気づき当惑した。

「クランド。いまのおまえは、契約者である王女とリンクしている。それはつまりのところ、脳の一部を支配されているようなもんだ。王女が飼い主なら、勇者おれたちはさしずめ訓練の行き届いた犬のようなものだ。主の命に従うよう、里心がつかぬように抑制されている。おまえは、たぶん日本では普通の生活をしていたようだが、ここではどんな事態にあっても、きっと自分の命を守るためには躊躇しないだろうよ」

「ジイさん。あんたにゃ、もう、その特別な能力ってのはないのかね」

 横で聞いていたゴロンゾがつまらなそうに聞いた。

「ああ。いまの俺は、ただの抜け殻さ」





 古泉の告白を聞いた翌日、蔵人は胸に燻った悪いものを消化しきれていなかった。

(わざわざ呼び出された上、文句ひとついわずに、国に対して献身を尽くした結果がこれかよ。おまけに、愛する王女までを寝取られた悲運の英雄の結末が、この有様なのか)

 蔵人は、壁に寄りかかったまま、いまだ起床しない古泉のシワの刻まれた横顔を見ながら口中に苦いものを感じた。昨晩の話からすれば、古泉は五十半ばであろうが、傍から見れば七十過ぎの老人にしか見えないほど疲れきっていた。顔には、無数の老人班が浮き出て、肌着の中に見える肋骨はやせ細った肉を纏わせかろうじて身体を支えているだけだ。

(どうやら、のんびりした気持ちでいると瞬く間に俺もああなっちまうかもしれねえな)

 かといって、突如としてアメリカンヒーロー並に、この牢獄を脱出する方法が閃くはずもない。

「んががが」

「すぴぴぴ」

 ゴロンゾとマーサから愉快な寝息が聞こえてくる。軽くイラッとした。蔵人は、背筋を伸ばして肩の骨を鳴らすと、ヤルミルが毛布をかぶったままいった。

「どうせ早起きしてもやることはありませんよ」

「おうっ。びっくりしたなあ。おはよう、ヤルミル」

「おはようございます。でも、失礼ながら僕は朝食まで、このスタンスでいかせてもらいますよ。極力、体力の低減は防ぎたい」

「なあ、普通は囚人って強制労働とかさせられるんじゃねえのか? ホラ、無意味に穴を掘らされたり埋め戻されたり」

「それ、なんの意味があるんですか?」

「知らん。でも、俺の国じゃポピュラーな作業だ。ソースは、サブカルチャー」

「ふむ。確かに、無意味な肉体的懲罰は人の精神を荒廃させそうですが、ここにはそんな気の利いた方法はまず行いません。刑罰は単純な肉体的苦痛を与えるものか、あるいはいまの僕たちのように徹底的な放置ですね。人間、やることがまるでないというものも苦痛なんですよ」

「まあ、確かに。ヒマだな」

「僕にとっては、思索に耽ることができ、結構助かっていますがね」

 蔵人は再び動かなくなったヤルミルの背中を見ながら、しばし放心していた。

 どのくらいそうしていたのか、格子の前に影が差した。

「おい、新入り」

「あん」

 壁にもたれかかったまま、船を漕いでいた蔵人に、ヒラメ顔の牢番が声をかけた。

「出ろ、客だ」

「俺に客だって?」

「いいからさっさとしろ、オラ」

 蔵人が牢の小口から出ると、ヒラメ野郎が鋳鉄製で出来た四角い手枷と足枷をがっちりと嵌めた。あまりの重さによろめくと、腰のあたりを軽く蹴られる。理不尽さに叫びだしたくなるのを我慢するのに努力が必要だった。

「なに、睨んでんだボケ。歩けや、クソ罪人が」

 ヒラメ獄卒は蔵人の心の中の処刑リストにノミネートされた。

 後方では、牢内の古泉たちが無言のエールを送っている。

 蔵人は、目で合図をすると、粘ついた石畳の廊下をゆっくりと進んでいった。

 しばらく歩くと、角を曲がって地肌がむき出しの石段を登る。

 その先はもう牢の区画ではないのだろう、開けた大広間があり、いくつかの古びたテーブルの周りでは獄卒たちが屯していた。

 壁際には、いままで一度も手入れをしたことがないと推測されるほど赤く黒く汚れた槍や刺つきの刺叉が、これみよがしに数え切れないほど立てかけられている。不潔極まりなく、かつ凶悪だった。

「なんだ、怖いのか。ここにあるのは、おまえらクソどもが逃げ出したときに、思うさまいたぶるオレたちの商売道具よ、へへ」

 ヒラメ男の口から腐った生ゴミのような匂いが漂い、蔵人は顔をそむけた。

「なあ、早く悪さとかしてくれよぉ。オレたちゃおまえらを、ぶんなぐって、目玉飛び出せて、グチャグチャにしたくてたまんねんだよぉ、でひひ」

「口を開くな」

「あ?」

「糞を食った口で俺に話しかけるな、汚物野郎が」

 蔵人の言葉を理解できなかったのか、ヒラメ男はぽかんと口を開けたまま数秒停止し、それから温度計の水銀メモリが上がるように、あっという間に顔面を紅潮させた。

「むろおおおっ、おまっ、くそっ、くそがあああっ」

 ヒラメ男は、蔵人を突き倒すと馬乗りになり、両腕を風車のように回転させ、切れ間なく拳の雨を降らせた。

 突如としての暴走に、周りの獄卒が強引に引き離す。

「落ち着け!」

「なに発狂してんだよ、ドニ!」

「おまっ、あい、あいつ、しゅ、しゅうじんふぜいがあああっ」

 ドニと呼ばれたヒラメ男は、蔵人の言葉がよっぽど許せなかったのか、半泣きになりながらも口から泡を吐き出して猛り狂う。

「んー、んびゅっ」

 べちゃっと血の混じった唾が蔵人の口から飛んだ。

 ヒラメ男は自分の顔を呆然としたままゆっくり拭うと、再び殴りかかろうとするが、周りに静止され足をばたつかせた。

「んぐおおおおおおっ! 殺すっ殺すっ」

 蔵人は、他の獄卒に引きずられながらも、舌を伸ばして全力で小馬鹿にした。

「あばよ、ドニちゃん」

「にええええええっ!」

 蔵人は狂った猿のような雄叫びを聞きながら、ようやく溜飲を下げた。


 木製の扉を開けて室内に入ると、ひんやりした空気が蔵人の頬の傷を刺した。

 顔を上げる。驚きに、口が思わずぽっかりと開いた。

「私を待たせるな。いったい、なにをしていたんだ」

 女性にしてはやや低めの声に険が混じっている。

 澄んだ緑の瞳に、端正な鼻梁。

 蔵人が注意して見ると、右の目もとに小さな泣きボクロがあった。

 たっぷりとした腰までありそうな金髪を後ろに流している。

 前回会った時は、甲冑を着ていたが、いまは上品な薄い水色のサーコートを纏っていた。

 女性の胸はかなり大きめなのだろう。

 衣服の上からでもツンと張り出しているのがわかった。後ろには小柄な従騎士が控えているが、こちらは完全軍装のまま槍を持ったまま佇立していた。

「名乗る必要もないと思うが、私はロムレス王家に仕えるアンドリュー伯の娘で、王家近衛騎士団団長ヴィクトワール・ド・バルテルミーだ。おまえが姫が召喚した今代の勇者である、クランド・シモンだな」

「なんで、名乗ってない俺の名前を」

 ヴィクトワールが背後の騎士に目線をやると、両者の間に置かれた机の上にそっと小さなカードが置かれた。

「これは、俺の学生証」

「王家の召喚では、今までにおまえと同じ世界の人間が呼ばれている。ああ、確か三十年前の召喚でもそうだったか。とにかく、ある程度は文字の解析も進んでいるので名前程度なら割り出せないこともないのだよ」

 ヴィクトワールは高い鼻を鳴らすと、ふふんと笑ってみせた。ロケットおっぱいが、無謀に晒される。無意識に、両の腕が鷲掴みの構えを取った。

(やべぇ。メチャメチャいい女だ。おっぱい、揉みてぇ……!)

 かなり切実だった。

「で、なんの用だよ。まだ、殴り足りないってのかよ」

 蔵人は努めて興味のないフリをすると、片目で乳房を視姦した。よほどの鈍いのかヴィクトワールはまるで気づかずに胸の前で腕を組む。大きな胸がますます強調される。蔵人は気づかれないように、ちょっと腰を引いた。引くのが、マナーであると確信していた。

「話は変わるが、姫との契約の力はすごいな。ほとんど傷が全快しているじゃないか。一部醜いままだが」

 蔵人は、自分の頬を触ってみると、確かに先ほど獄卒から受けた傷がふさがっていることに驚愕した。

 そもそもが、完全武装した騎士団の十数人にリンチにあって、一日足らずで動き回れるようになるのが異常なのだ。

(異常さに慣れている。そもそも、俺は異常が異常だってことを感じ取れなくなっているんじゃないか)

「わざわざ騎士団長様が、イヤミをいいにきたのかよ」

 考えてみれば、ほとんど初対面の、しかもセレブ的な白人の美女と向かい合ってこうした無礼な口をきいていることが、現実から乖離していた。

 蔵人は、ごく平均的な日本人で、どちらかといえば社交的なタイプではなかった。女と話しているうちに、だいたい身体に触っているのが常だった。よって、言葉によるコミュニケーションの取り方が得意ではないのだ。

「そうではない、姫さまのいいつけで、そのお」

 途端に、彼女の言葉の歯切れが悪くなる。反して、蔵人の語気は強まった。

「はっきりいってくれよ!」

「おまえを釈放しに来た」

 ヴィクトワールが横を向く。

 長い髪が目元を隠しているので、いまいち表情が読み取れないが、バツが悪いんだろうなくらいは蔵人でも理解できた。

「あれだけしこたま、ひとさまのことをぶん殴っておいて、油断したところをブスリじゃねえだろうな」

「それは」

 ヴィクトワールは不意に口をもごもごさせると、うつむく。

 叱られている幼子のように、見えた。

 蔵人は、いままで彼女の中にあった理性的で冷たいイメージに合わない行動に拍子抜けしながらも彼女の慌てように驚きを隠せなかった。

「後から姫さまに聞いて、お前が襲ったんじゃないという事実が判明したのだ」

「そういや、あのバケモノは」

「ベヒモスは死んだ。それが運命だったのだろう。姫さまの勇者召喚は不完全だった。もっとも歴史によれば、初代を除いて勇者召喚に成功した例は、一度もないそうだ。城で暴れまわった異形の怪物も、召喚失敗の余波を受けていたのだろう。死骸からは宮廷魔道士の検死により、異常な魔力の残滓が認められた。というわけで、消去法で、おまえが勇者だ。クランド」

「よーするに勘違いで俺のことをボコったわけね」

 蔵人が憤怒のあまり机を両手で叩く。

 同時に、ヴィクトワールが机を挟んで顔を寄せてきた。

「すまなかった」

「は?」

「私は騎士の誇りにかけて謝罪をしなければならない。ヴィクトワール・ド・バルテルミーは、貴殿クランド・シモンの疑義をただすことなく侮辱し、あまつさえ貶めたことをここに詫びよう」

 ヴィクトワールが身体をふたつ折りにして頭を下げる。

 蔵人はこの展開は想像していなかった。

 異世界とはいえ、貴族だのなんだの、そういった類の人間は例え己の間違いに気づいても知らぬ顔の半兵衛を決め込み、あまつさえその過ちごと消し去ろうとするのが当たり前だと思い込んでいたのだった。

(こいつはおもしろいことになってきやがったぜ。おもに俺が) 

「おいおーい、命の恩人に対してよってたかって殴り殺そうとしておいて、詫びがそれだけってのは調子がいいんでないかーい」

「ごめんなさいしたじゃないかぁ」

「あぁ?」

 ぼそりと、蔵人には聞き取れない程度の声がしたが、敢えて聞き返しもせずに口元が野太い笑を刻む。

 さあ、白人美女を全方位で公開調教だ。

 蔵人は調子に乗っていた。グイと顔を近づける。ふんわりと甘ったるいいい匂いがした。

 大事な部分が硬化した。

「じゃあ、どうすればよいのだ。私はおまえを姫さまの前につれて行かないと困るのだ」

「ああん? 知らんがな」

 蔵人は、どんな気持ち、ねえ今どんな気持ちなの立場が逆転しちゃって、と歌うように問いかけながら、両手のひらを身体の左右でひらひらさせ、狭い室内を踊りまわった。

 ヴィクトワールの整った顔が、困惑と焦りで静かに歪んでいる。

 いいようのない恍惚感が蔵人を襲った。

「その、これは詫びの気持ちなのだが」

「んん」

 ヴィクトワールがずしりと重みのある革袋を手渡してくる。蔵人が、中身をひっくり返して机の上にぶちまけると、ざらざらとロムレス金貨が澄んだ音を立てて響いた。

「おう、銭か。こんなものでカタをつけようってのか。……とりあえず頂いておくわ」

「騎士団の皆と出しあったのだ。現在のロムレスでは、国力の低下により俸給の遅配も珍しくない」

 それって、かなりマズイんじゃねえの。と思ったが、顔には出さない。

 クソ、そんな話、聞いた後では受け取りにくいじゃねえか。普通ならな。

 でも貰うモンはもらいますけどね、ゲヒヒ。

 蔵人はいかにも仕方ない、という渋面でズッシリと重い袋を受け取った。

「とにかく、王宮にまで来てくれ。続きは姫に会った後いくらでも聞く」

 ヴィクトワールは立ち上がると、細いあご先をクイとそらし、従騎士に扉を開けさせるために促した。

 なんで私がこんなこと、とブツブツ呟く声が聞こえたが、蔵人は金貨を弄びながらこの先のことを考えた。

 どうやら、あのお姫様はナイスな自分の男前さに一目惚れしたらしい。

(ここからは、俺のグッドなトーキングと箱入り娘の気持ちをやわらげるナイスユーモアで、ぬちょぬちょのウハウハな異世界ハーレムを構築してやる)

 皆には悪いが、この臭くて汚らしい場所からおさらばできるのは単純にうれしかった。

「それにしても、間に合って良かったなクランド。もう少し遅かったら、マズイことになっていたぞ」

 ん。

「なんだ、知らないのか。おまえの入っていた溜りは極刑判決を受けた罪人ばかりが集められていたそうだ」

 んんん?

「それって、どういうことだよ」

「私に聞くな。なんでも、内密な情報だが、王直々に法務官に執行書の判を押させたとかなんとか」

 蔵人は、獄卒が手足から枷を外すのを、夢見心地で見ながら、ヴィクトワールの言葉が心のどこかをジクジクと抉っているのを感じた。

「あの部屋には、誰か重要人物でも居たのだろうか、なあ――」

 ヴィクトワールが振り返ろうと顔を曲げる。

 蔵人の首筋を白刃が襲った。

 研ぎ澄まされた殺意が猛然と襲いかかってくる。

 ヴィクトワールの従騎士が白刃の曲刀を抜いて、宙を舞った。

「シズカ!?」

 ヴィクトワールの声を無視して、従騎士は上段から刀を振り下ろす。

 蔵人は、咄嗟に身体を半回転させながら隣の獄卒と入れ替わった。

 刃が真正面から獄卒の顔面を叩き切った。

「んぐえ!」

 シズカと呼ばれた従騎士は兜ごと獄卒を両断すると、蔵人へと一気に距離を詰める。

 深く下ろした目庇から、殺意を放つ眼光が蔵人を射すくめた。

「貴様!」

「やめろや、コラッ」

 ふたりの獄卒が小鳥のような痩身を捕らえようと両手を突き出して飛びかかる。

 曲刀が弧を描いた。

「ぬるっ」

「おぶえっ!」

 従騎士の振るう刀は無駄のない動きで流れると、ふたりの男の首を跳ね飛ばした。

 蔵人は、獄卒の集団の中を縫うようにして走る。

 あちこちで、怒号や悲鳴、調度品や飲みかけのグラス、博打に使うカードが散乱した。

 従騎士は砂糖にたかる蟻のように集まる獄卒たちを片っ端からなで斬りにして、ただひたすら蔵人の後を追う。

 激しい恐怖と絶望が、蔵人の胃の腑を握りつぶしたように縮ませた。

 クッソ、あの女調子のいいことばっか吹きやがって。

 最初から密殺するつもりだったじゃないか。

 蔵人は壁際に張りつくと、呆然と立ったまま、口元に手を当てているヴィクトワールを見て違和感を感じた。

 それは、本当にかすかな拭いきれない齟齬だった。

「おめーら、まとめていけぇ! おぶうっ」

 ヒラメ顔の獄卒が、袈裟懸けに切られ膝をガクンと折った。

 流れた血が、だくだくと溜まって池を作る。

 従騎士を囲むようにして八人の男がそれぞれ、槍や刺叉を構える。

 従騎士は紅のマントをひらめかすと、一番近くの男に向け猛進した。

 男が槍を一気に繰り出した。

 従騎士は身を沈めてかわすと片手で刀を突き出し男の胃の腑を深々と抉った。

 続けざま横の男が槍を叩きつけるようにして上段から打ち下ろす。

 従騎士は落ち着いた動きで、槍の穂首をすっぱりと両断した。

 あっけに取られた男の喉元。まるで無防備だ。

 従騎士は飛び上がって、宙に舞った穂首の刃先を掴むと、投げつけて絶命させた。

「よくもおおおおっ」

 背後から横薙ぎに襲う刺叉を、軽々と飛んでよけ逆手に持った刀を後方へと突き出す。

 従騎士の刀は、男の右目から大脳へと到達し楽々と破壊した。

 そのまま、動きを止めずに床を転がりながら、並んで立っていたふたりの男の脛を、まるで大根を切るようにして続けざまに切りつける。

 足を切られれば人間は直立できない。

 従騎士は寝転んだまま、ひとりは崩れ落ちてきたあご先から顔の内部を、もうひとりは串を通すようにして心臓へと刀を交互に突き入れた。

 ほとばしる鮮血が、従騎士のかぶっていた兜を赤々と染める。

「うおおおおっ」

 恐怖に駆られた男が、足元を踏み鳴らし剣を構えて走り出す。

 従騎士は片膝をついたまま完全に立ち上がらない状態で、やすやすと男の剣を跳ね上げると、喉仏を払うようにして抉った。

「ひいいいっ」

「ば、バケモノだあああっ」

 残りのふたりは槍を放り投げて従騎士から少しでも距離を取ろうと飛びすさる。

「やべえ、こっちくんな」

 多数の獄卒をものともせずに、従騎士は蔵人に向かってゆっくりと近づいていく。

 さながら、その足取りは死神そのものだ。

「来るなああっ」

 蔵人のストレスは最高潮に達し、反射的に持っていた金貨の詰まった袋を投げつけた。

 放った袋がいい角度で当たったのか、がつん、と音を立てて従騎士の兜が床に転がった。

「んなっ」

 外れた兜の中の顔は、まだ幼さを残した少女のものだった。

 黒々とした髪は返り血にまみれているが長く美しいものだった。

 切れ長の目に、通った小鼻。

 肌は雪のように白く、異様に艶めいていた。

「日本人か?」

 その顔は、どこからどう見ても蔵人が駅前で眺めていた女子高生にしか見えなかった。

 蔵人は絶え間無い恐怖に震えながらも、どこか懐かしい気持ちになっていた。

 この世界に来て初めて見たアジア系の女性である。

 制服を着せて歩かせてみれば、なんの区別もつかないだろう。

 だが、彼女の黒曜石のような瞳にはなんの感情も見出すことはできない。

 それは冷え切った深い底なしの湖面を思わせた。

 彼女は数分で十数人を斬り殺した。剣の冴えは、達人の域を超えている。

 蔵人は、少女の目を見つめながら確実な死を意識していた。

 少女が上段に構えた刃をふり下ろそうと、筋肉に強張りを見せたとき、一陣の風のごとく、横合いから槍が繰り出された。

「やめよ!」

 ヴィクトワールは凄惨な美貌をひきつらせながら、蔵人と従騎士の間に割って入った。

 猛然とした怒気がヴィクトワールから立ちのぼっていく。

 蔵人は、腰砕けのまま床に座り込むと、それでも落ちていた酒瓶の破片を握った。

「貴様。これはなんのつもりだ、答えよ」

 ヴィクトワールの声かけを無視したまま、従騎士は周りを見渡すと、遠巻きながら自分の包囲が厚くなっているのを確認している。

「あ、待て」

 従騎士の判断は迅速だった。ヴィクトワールを振りかえりもせず、出口に向けて駆け出していく。遮る数人が次々と斬り殺され血風が舞った。

「なんなんだよ、ヴィクトワール。おまえたちは結局ていのいいことをいって俺を殺そうとしてたんじゃねえか」

「ちがう、私はそんなこと命じてはいない」

「うるせーっ、こんなクソみたいなところでやられてたまるかっ。俺にはまだやらなきゃいけないことがあるんだ」

「やらなければならないこと?」

 槍を掴んだままヴィクトワールが眉を八の字にする。

 おまえみたいないい女とヤりまくって腹上死することだ。

 そう伝えようと、身を乗り出し目を見開く。

 部屋のあちこちで、四肢を欠損した獄卒たちがもがいている。

 その虫けらの群れを蹴飛ばしながら移動する巨体が見えた。ゲイの獄卒長である。

 カマロヴィチが大きな木槌を振りかざしながら疾駆していた。

 ヤバイ、なにがヤバイっていうと、いままでにないくらいすべてがヤバイ。

 身をのけぞって駆け出そうとした身体を捻る。

 後頭部に強烈な衝撃を感じ、感覚のスイッチがパチッと切れる音がした。

 視界が上下同時に中央に向かって閉じていく。

 蔵人の視界にはいやらしい笑みを浮かべるモリーノの二重アゴが霞んで消えていった。

 目が覚めると、薄汚れた石壁が間近に迫ってきた。

 もちろん、そこは自由な外界ではなく、澱んだ空気と負け犬臭漂う牢内だった。

「ああ、畜生。またやり直しかよぉ」

 蔵人が目を閉じたまま身体のあちこちをさすっていると、周りから死人のうめき声のような陰鬱な音が反響していた。

「どおしたんだよ、おまえら!」 

 蔵人が周りを見ると、古泉、ゴロンゾ、ヤルミル、マーサの四人が仲良くボロ切れのように転がっていた。

 擦り切れた毛布の所々に黒ずんだ血や嘔吐物が付着している。

 あまりの酷さに、蔵人の眉間と鼻にシワが寄った。

「あのゲイ野郎に、やられた」

「ううう、クソ。あのカマ野郎、天秤棒みたいなので散々にひっぱたきやがって」

「ちくしょお、ちくしょお。絶対、革命だ。革命をおこしてやるんだあああ」

「ケツが、ケツがぁああ」

 マーサは白目を向いたまま、肛門を抑えて海老反りになっている。彼の純潔が失われたことを知った蔵人は憐れみながらも、無意識の内に自分の肛門を両手でガードしていた。

「とくに、マーサが重症だ。あいつはもしかしたら、もう立ち直れんかもしれん」

「アタシの極楽コース楽しんでいただけたかしらん」

 格子の外に反射的に目をやる。

 そこには、巨大な木槌を肩に担いだカマロヴィチの姿があった。

「なにを不思議そうにみているのかしら、今代勇者さま、いやシモン・クランド。そうそう、あんたの釈放は無しになったから」

「ヴィクトワールは。彼女はどうした」

「あの、お貴族さま? さんざんゴネてたけどお引き取り願ったわ。また明日来るって息巻いていたけど、それも不可能な話ね」

「どういうことだ、それは」

「あんたは、あのドサクサに紛れて逃げ出したってことになったからよ。シモン・クランド。さあ、アタシの城を滅茶苦茶にしたお礼はどうしましょうかね」

 カマロヴィチはニチャッとしたいやらしい笑みを浮かべると、長い舌で己の唇を舐め回した。





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