Lv29「比翼連理の瑕疵」
(悪く思うな。命には別状はないはずだ。妹のことは、済まなかった)
ゴードンは、倒れ伏した少年を見下ろしながら、ムカつく嘔吐感を必死に飲み込んだ。
それは無抵抗な者をいたぶった罪悪感があまりにも大きすぎたからだ。
「お兄ちゃん!」
クレアが両目を覆ってその場で顔を伏せた。吐き気のする光景だった。
「げははっはっ、さすがオークだぜ! 思いっきりのいいやつだ。気に入った。俺は気に入ったぜ。さあ、望み通り、女房は返してやる。ただ、その前に、約束は果たしてもらおうか」
「やく、そく、だと?」
ゴードンは肩であえぐと、腫れ上がった目蓋をなんとか開いてバルバロスの残忍な顔をにらみつける。隻眼の湖賊はそれさえも楽しそうに受け流すと、野太い笑みを髭だらけの口元に刻んだ。
「ああ、男同士の約束だ。さ、このクレアお嬢ちゃんをおまえの立派なモノでよがらしてやんな。それができたら返してやるさ」
バルバロスの隣にいたクレアの幼い表情が凍りついた。
「そんな、約束が!」
ゴードンは、正面のミリアムの顔を注視して激しく狼狽した。愛する妻の前で、他の女性を抱くなど、オークにしては異常なほど貞操感の強いゴードンからしてみれば噴飯ものだった。ミリアムの顔色が紙のように真っ白になっている。そのような行為は、いままで夫婦の間に築き上げてきた信頼感を真っ二つにするようなものだった。ゴードンの突き出した鼻が凶暴に歪んでいく。バルバロスはさも楽しそうに、手をひらひらさせると、侮りながらいった。
「あああーん。いったよな、最初に。この勝負は勝った方が総取りだとよ。おいおい、約束を破るような豚には、女房は返さんぞぉ。ほらほら」
「や、やめてください」
バルバロスは、腰かけた酒樽の自分の股の間にミリアムを座らせながら、片手で身体を撫で回した。ゴードンは自分の感情が制御できなくなって、目の前の男に飛びかからないようにするのが精一杯だった。
「わかった。だから、ミリアムにふれるな」
「やだね、さっさと突っこめよ、豚」
バルバロスは、隻腕の鉤爪をミリアムの胸元に引っかけると、一息に裂いた。
真っ白な胸の谷間が輝いている。周囲の湖賊たちが歓声を上げた。
「やあん!」
バルバロスは粘っこい舌を伸ばしてミリアムの耳に這わせた。
妻の鼻にかかるような声を聞いて、ゴードンはますます脳みそを煮えたぎらせた。
いままで築き上げてきた思い出が木っ端微塵に壊れていく。できることならば、もはやすべての理性をかなぐり捨てて、目の前の男を引き裂いてやりたい。この位置なら、飛びかかれば絶対に逃すことはない。だが、目前の湖賊はそんなことができないと確信しながら、徹底的にゴードンをいたぶりにかかっているのだった。屈辱と怒りで目の前が真っ赤に燃え上がり、瞳には悔し涙が滲んだ。
「わかった。おまえのいうとおりにする。だから、もう妻には触れないでくれ」
握り締めた両拳の爪が手のひらに食いこんで血をほとばしらせる。
噛み締めた奥歯がぎりぎりと鈍い擦過音を立てた。
「わかりゃいいいんだよ。そらっ、おまえら豚公の大好きな雌犬だ」
「きゃっ」
バルバロスに背中を押され、クレアはゴードンの前に突き出されると、恐怖のあまり涙をぼろぼろとこぼした。大きな瞳が、男の庇護欲をそそる。
深窓の令嬢、という言葉がいかにも似合いそうな、はかなげさだった。
金色の艶のよい髪に、青い瞳が潤んでいる。
知らず、生唾を飲み込んだ。
(ちょっと、待てよ! いま、僕はなにを思った!? もしかし、この少女のことを)
若く、年頃の娘を見れば発情するのはオークの本能である。
より多くの子孫を残し栄えていくのを目指すのは生物として正しい道筋である。
ゴードンは己の中に秘められていた途方もない欲望に、躊躇し、半ば、恐れた。
「やべろぉお、おでのおお、いぼうとにいぃい」
アベルが泣きながら痛む腹を抱えて立ち上がる。倒れこんだときに前歯を折ったのか、その言語は不明瞭だった。
「へっ、クソガキが。こうなると男前も台無しだな。さあ、豚公、こいつはオイラたちがつかまえてるから、しっかり男ってもんを教えこんでやんなよ」
湖賊の男たちは、床を這いずりながらも妹に近づこうとしているアベルの背中から馬乗りになると押さえつけた。よく見れば、積極的にこの陵辱へと手を貸しているのは、バルバロスの腹心の男たちのみである。子飼いではない、グレイス配下だった男たちは、激しく舌打ちをすると、その場からゾロゾロと引き上げていく。バルバロスも無理に引きとめようとはしないが、その顔には自分の命に公然とそむく男たちに対し、苛立ちが隠せなかった。
「うそ、うそよね、そんな。いやあああっ」
ゴードンは無言のままクレアのドレスを引き千切ると、少女の身体を荒々しく床板に転がした。
「やめて、やめてください」
息も絶え絶えにクレアは許しを乞う。少女のほっそりとした身体は青白くちょっとした力を入れても折れてしまいそうだった。周囲の湖賊たちが手を叩いて歓声を上げた。
(すまない。でも、こうしないと、僕のミリアムがっ)
ゴードンは心の中で謝罪しながらも、この異様な状況によって興奮している自分を激しく嫌悪した。
「ほぉーう、さすがオークだ! すっげえ、モノを見せつけなさる。おめぇは、旦那にあんなスゲエやつで毎日かわいがられてるのかい? これじゃあ、並の男じゃ物足りなくて話にならねえだろぉ!」
「知りません……んんっ、変なところさわらないでくださいっ」
「ひひひ。いやいや、ついついさわり心地が良くてよ」
バルバロスはミリアムを弄びながら、汚れた前歯を剥き出しにした。
「んんっ、やだぁ! やだよぅ、お兄ちゃん!」
「ごめん、ごめんね。クレア、せめて痛くないようにするから」
ゴードンは、少女に対して慰めにもならぬ言葉で気遣った。
少女はぽろぽろと宝石のような涙を頬に伝わせながら身をよじった。鈴の鳴るような可憐な声を耳元でささやかれ、ゴードンの理性の糸が一本一本ちぎれていく。
床に押さえつけられたアベルが、妹の叫びを聞きながら激しく慟哭した。
だが、男たちにとって彼の嘆きも、この陵辱を盛り上げるひとつのエッセンスにしか過ぎなかった。
暴虐はゴードンの手によって速やかに行われた。
バルバロス以下、外道たちはそれを息を詰めて、見守りながら手にした酒瓶の中身をあおった。煮えたぎったギラついた瞳が、ひとかたまりになった肉塊に浴びせられた。
もはや言葉を発する気力を失ったアベルが顔を伏せて現実から目をそらそうとするが、馬乗りになっていた男が、髪をつかんで床板から無理やり引っペがした。
「ほらぁ、ダメでしょう、お兄ちゃん。大切な妹さんが大人になっていく時間をちゃんと見届けないとぉお」
「くであ、くであぁあ! ぼぐのぐでああがああっ」
アベルは妹の名を腫れ上がった唇で呼びかける。
同時に、床板へじわっと生暖かい液体が漏れ出した。少年が失禁したのだった。
「……ちっ、クセーぜこいつ漏らしやがった。あとで、てめーの妹に舌でペロペロ舐めさせて掃除させてやるからなぁ! なあ、みんなっ」
「バカいうなっ、クレアちゃんのペロペロはオレさまって予約してあるんだからなぁ! クソ兄貴のしょんべんなんて舐めさせてたまるかっての!」
「おれ、二番予約ぅー!」
男たちは下卑た言葉で徹底的に負け犬を嘲笑すると、股間に両手を添えてしごく真似をしてみせた。
「ふふ、見ろよ。あの小娘のツラぁ。まったくもってあの女は生まれつきの淫売だよなぁ!」
バルバロスの声に全員が再び、目の前のショーに集中する。
ゴードンがクレアの桜の蕾のような唇を、分厚い口で覆う。
もはや、一度捧げてしまった後は、クレアはゴードンに対して従順になっていた。
種を超えて愛し合う恋人同士のように、ふたりはもつれ合ったままである。
少女は夢見るような瞳で、オークの頭に自分の両手をまわして、まるで恋人のように濃厚なキスを返した。
「ぞ、ぞんんなああああっ! ぐでああああっ!!」
アベルは自分の顔面を床板に、ごんごんと何度も打ち据えて苦悶の声を上げるが、少女はすでに兄のことなど一顧だにしなかった。
「なんだあぁ、もしかしておまえ、妹が好きだったとかいうオチじゃねえよなぁ?」
「あああああああっ!!」
アベルは折れた両手で頭を抱え込むと絶叫した。図星だったのだ。秘められた少年の禁断の思いが、もっとも下卑た行為で露わにされた瞬間だった。
「図星かっ! はっ、この腐れ近親相姦野郎がっ。ま、初体験は相手がオークだろうと血の繋がった兄妹じゃないだけずっとマシだろうよ。この果報者が。見ろよ、いまおまえのたーいせつなぁ、妹ちゃんのはじめてはあの豚公が食い破っちまったからなぁ。ひひひ」
「おでのぐであぁ、だいじゅぎなぐであがぁああ、えべ、えべえべべっ」
アベルは泣きながら笑い出すと、白目を剥いてひっくり返った。
「なんだ、こいつ笑ってやがる。発狂したのか。ったく近頃の若モンはこらえ性がなくって困るぜ」
「おい、そんなのほっといて、ちゃんと見ろよ。ほら、へへへ。滅多に見れねーぜ、こんなん」
男の言葉通り、そこには既に理性を失った獣しか存在し得なかった。
「あ、あがっ、あががっ」
アベルの瞳から、真っ赤な涙がこぼれて、滲んだ。
「……なんだぁ、このロリガキ。ついにブッ壊れたかぁ」
少女を眺めていた男が呆れたようにつぶやく。
アベルは、現実に耐え切れず、自己逃避をすることによって自分を守りだしたのだろう。
「あひっ、あひひっ。オレのクレアぁああっ。オレのクレアあああっ。永遠に、永遠にオレのものだああっ。えひひっ」
アベルは白目を剥いて、涎を垂れ流しながら、こてんと横倒しになって判別できない言葉を繰り返しだした。
それは、完全に壊れた世界をさまよう人間だけが放つ、黒いオーラを纏っていた。
「やっべ、このクソガキ、マジ壊れかあ? あーあ、最近のガキはこらえ性がなくってつまんねえなあぁ」
ゴードンの聞くものを畏怖させるような、凶暴な雄叫びが船室に轟き渡った。
ゴードンは湖賊たちの上げたほとんど賞賛に近い歓声を聞きながら、かすんだ意識の中、自分がなにをしているかを呆然と考えていた。
気づけばどれほどの時間が経ったのだろうか。ゴードンは、気を失ったクレアが毛布に身をつつんで目の前に座り込んでいるのを見て、正気に戻った。
「ゴードンさま」
目をこすりながら顔を上げたクレアがそっと寄り添ってくる。
「君は、なんで」
「だって、こうなってしまったら、クレアはゴードンさましかおすがりする方がございませんもの」
クレアは、キラキラとした純真無垢な瞳で熱っぽくゴードンの顔を見上げてきた。
「と、とにかく君はここにいて」
「どちらに行かれますの?」
「いいからっ!!」
ゴードンはクレアを置き捨てると、部屋を飛び出した。
(どうして、こんな大事なことをっ! ミリアムっ、僕はっ!!)
ゴードンは、見張りがわりに立っていた湖賊たちの許可を受けてバルバロスの船室に向かった。
どうやらクレアを抱くことに夢中になっていたせいで、バルバロスとミリアムが部屋を出ていったことも気づかなかったのだ。あまつさえ、その前後の時間もかなり飛んでいた。
(僕は、ミリアムの気持ちも考えないで。いくら強要されたからって、あんなことまでっ)
揺れる甲板を転がるように駆けた。
バルバロスは分捕った客船の中で、一番いい部屋を根城にしているらしかった。
鹵獲されたレッドファランクス号は、どこかの島に向かっているのだろうか、ゆっくりと波を切って帆走している。空の鋭いまでの青さが目に染みた。
(いわれたとおりに、あの娘まで無理やり抱いたんだ。妻に指一本でも触れていたら、その時はっ)
ゴードンは、黒いペンキで髑髏を殴り書きした部屋に立つと、佇立していた番兵代わりの湖賊に訪いを告げた。船長を警護する男たちの体格は、オークであるゴードンと遜色なくでっぷりと太って見るからに腕の立ちそうな気配が漂っていた。
「おう、豚公かっ。いいぜ、へえんなよ」
なにか、悶着をつけられ後回しにされるかと危惧していたが、そんなことはなかった。
あっさり、入室の許可を受けてゴードンが扉を開けると、そこに逢いたかった彼女はいた。
それは、極めてゴードンにとって不本意な状態で。
「あ、ああ、あ」
喉の奥からひゅうひゅうと意味をなさない言語が、ただの風となって吹き抜ける。
目の前の現実を、脳内で処理できない。
ゴードンは、さきほどまでみなぎっていた力が、みるみるうちに自分の全身から抜けきっていくのを感じた。
「おおおぅ、悪いな。いま、とりこんでてよう」
「な、にを」
ゴードンは目を見開いたまま、その場で石像のように動けなくなった。
バルバロスは椅子に座ったまま、ズボンの前を急いで引き上げた。
ゴードンが立った位置から、ミリアムの横顔が見える。
彼女は、眉間にしわを寄せたままゴードンの存在に気づくと、目を合わせずに伏せた。
ミリアムは上半身裸のまま、抜け殻のように壁へともたれかかっていた。
意味するところはひとつしかない。ゴードンは、悪夢だと自分に強くいい聞かせた。
ミリアムの白く美しいうなじから、汗が珠のように光って浮いている。
切りとられた絵画のように、美しく淫靡だった。
「おう。そういえば、おまえの女房の件だったな。……っ、おいミリアム。てめぇの亭主が会いに来てるんだぜ。少しは、挨拶くらいしたらどうなんだいっ」
ミリアムは、髪を片手でかきあげながら、両目を開いた。
彼女の、ゴードンを見る目は、氷のように冷たく、なんの感情もなかった。
「なぜだ、なんでだ。僕は約束を守ったのに。さ、こっちへおいでよ」
「と、いってるが、ミリアム。おまえはどうしたいんだ」
ミリアムは、返答せずに背後を向いた。それは、明確な拒絶だった。
「なんで、だ」
「……というわけだ。おまえの女房は、もう戻りたくないってよ。豚公。こいつは、この女の意思さ。聞くところによると、おまえはミリアムに女のよろこびを教えてやらなかったらしいじゃねえか。それを、あんな小娘に対しては熱心にかわいがりなさる。要するに、おまえは、女房から三行半を突きつけられたわけだ。俺も鬼じゃねえから、この上おまえをどうこうしようとは思わねえ。あの小娘はくれてやるから、どこへでも好きな場所に行きなっ。小舟の一艘くらいは好きなのをくれてやる」
バルバロスは、ミリアムの髪を撫でながら、座ったままカッカと豪快に笑い、小刻みに全身を揺らした。バルバロスが鉤爪を伸ばすと、ミリアムは見せつけるように口づけた。
それは、見事なまでの完全な従属だった。
怒りと絶望がゴードンの胸中を一瞬で満たしきる。
あまりのむごさに、酷いたちくらみを覚えた。
ここで船を降りるということは、完全に妻を諦めるということだ。
その選択肢だけは、ありえなかった。
一瞬、やぶれかぶれで大暴れをしてやろうと思うが、背後の男たちから殺気を感じ、取りやめる。それに、ミリアムの冷徹な瞳が、ゴードンの意気をくじいた。
「なんのつもりだ」
バルバロスのいぶかしげな問いが大きく耳に響く。
ゴードンは、その場に土下座すると、苦渋に満ちた言葉を述べた。
「なんでもします。僕を、湖賊の仲間に加えてください」
瞑った瞳の奥には、愛する妻の笑顔だけが宝物のように輝いていた。
絶対に、ミリアムを取り戻す。そのためには、どんな恥辱にも耐えようと誓った。




