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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第1章「遥かなる旅路」
24/302

Lv24「金色の橋をかけろ」


 




 獅子族(ライオス)の血塗れギリーの腕前は昨日たっぷりと見せつけられた。

 一対一で勝負したとしても、まず蔵人に勝ち目はないだろう。

 腕力、スピード、経験。すべてにおいて敵が上なのである。シズカには逃げるといっておいたが、蔵人はその気はまるでなかった。

 命の恩人であるアルフレッドが虫けらのように殺されたのである。ここで逃げるということは、人間としての最低限の誇りも捨て去ることになる。蔵人は、そこまでして長生きをしたいと思わないし、なによりもこの男たちが許せなかった。

「おまえたちの狙いはやっぱり白鷺っていう剣のことか」

「おうよ。その名剣よ。昔、オレさまが王都でブイブイいわせてたころにな、ある貴族の屋敷にあるとは聞いていたが、ついぞ手に入れることができなかったシロモノよ。まさか、回りまわってこんなド田舎にあるとはよ。これも、天の配剤ってやつか。しばらくの休養期間も飽きてきたことだしな、その名剣とやらを売り払って、今後の活動資金にしようと思いついたわけよ。さっさと差し出せば、苦しまずにこのオレ直々に斬り殺してやるが、どうだ?」

「はい、そうですかというわけないだろうが」

「いいいねえ、やっぱりおまえは。昨日見かけた時から違うと思っていたんだ。他の百姓たちやオレの子分と違ってまったく、このオレさまにビビった様子がないっていうのが気に入ったね。昨日斬り殺した腐れ貴族なんかとはわけが違う」

 蔵人とギリーが対話を続けているうちに、小屋の中の様子を見ていた子分が青白い顔でギリーに耳打ちをした。

 ギリーは、大きな牙をむき出しにすると、野卑な笑みを浮かべて舌なめずりをした。

「いいねえ、オレの子分を四人もヤっちまうなんて。やっぱりさ、こういうヤツもいなきゃ世の中つまんねえよなぁ。ま、本当のところはそんなガラクタもどうでもいいのさ。楽しく遊べればな」

「おまえみたいな畜生風情と遊んでやる暇はないね」

「この野郎!」

「乞食野郎がっ」

「大将が出るまでもねえ! 俺たちがたたっ斬ってやるんだ!」

 仲間をやられたと聞いた男たちが勢いづいて雄叫びを上げる。それぞれが、剣や槍で武装しており、蔵人を膾にしようと目が血走っていた。

「おい、ギリーとかいったか。どうして、アルフレッドが白鷺の剣を持っていると知ったんだ」

「そいつはな、おまえが死ぬ直前になったら教えてやるよ。さて、殺す前に名前だけでも聞いてやろうじゃないか」

 燃え尽きた背後の家屋が崩れ落ちる。残響が頭の中にじんと響いた。三十一人も男が対峙しているというのに、しわぶきひとつ聞こえなかった。

 煤の匂いと灰があたりにうっすらと漂っている。

 静寂を破って声が発せられた。

「クランドだ」

「よおおおぉし! てめえらぁ、クランドのやつをぶっ殺せ!」

 ギリーの怒声に、決戦の火蓋は切って落とされた。

 これだけの人数をいかなる剣客だとしても、物理的に防げるはずもない。蔵人は、長剣を抜き取ると振り回しながら、集団に突っ込んだ。

 男たちも、まさか真っ直ぐに突っ込んでくるとは思わず、反射的に及び腰になった。

 それが隙だった。

 蔵人の長剣の一撃が男たちの刃物と噛みあった。

 甲高い金属音が鳴り響く。

「うおおっ」

 蔵人は目の前の男に肩から強烈な体当たりを喰らわせると、囲みを破って山の斜面を駆け上っていく。集団に囲まれたときはとにかく走って、包囲線を破る。

 例え剣の達人といえど、前後左右から攻撃を受けて長時間立ってはいられないものだ。わずかな経験の中から蔵人はその解を導き出していた。

 蔵人の特殊能力不死の紋章イモータリティ・レッドといえど、首を撥ねられたり、あるいは致命的な重傷を負えば、助からないことも十二分にありえる。走り続けるうちに、男たちの中で差が付きはじめた。

 蔵人は雑木林に飛び込むと、一番近くに迫っていた男に向かって反転し、逆擊を加えた。

 長剣が閃いた。

 男は顔面を両断されると、両手を万歳の格好で突き上げながら背後に倒れ込んだ。

 傾斜のついた場所である。男の身体はそのまま斜面に転がると、背後の三人を巻きこんで崩れ落ちた。続けざま、外套を大きく翻しながら、男たちの中に舞い降りた。

 蔵人は、得物を取り落とした男の顎を蹴上げる一方、槍を持った男の腹を存分に引き裂いた。真っ赤な流血が飛散し、辺りの木々が刷毛を動かしたように朱に染まった。

 ようやく身体を起こしかけた男の喉に向かって垂直に剣を叩きこむ。

 男は、ぐりんと白目を剥いて絶命した。

「このぉおおおっ」

 残ったひとりが慣れない手つきで剣を突き出してくる。蔵人は、長剣を水平に動かして迎え撃つと、脇腹をざっくりと薙いだ。ほとばしった血液が蔵人の顔全体を叩いた。

 斜面の下に続々と七人ほどの男が集結し始める。

 蔵人は、落とした槍を拾い上げるとその一群に向かって放り投げた。

 投げつけた槍は真ん中の男の革鎧を貫通して串刺しにした。狼狽する男たちを尻目に、再び駆けた。獲物を見つけた猟犬のように、男たちが猛追をはじめる。

 蔵人は吊り橋を目指して猛烈に足を動かした。瞬間、左肩に灼けた痛みを覚える。振り返ると、半弓を構えた男が、次の矢を取り出して狙いを定めていた。走りながら呼吸を整えるわけにもいかい。

 痛みなど必要ない。

 苦痛はすべて削除する。

 胸の紋章が淡く輝き出す。右手で矢羽根をへし折ると、後ろも見ずに駆けに駆けた。

 地の利があったのは蔵人に対してだった。細い農道に入ると、多数の男たちは連れ立って進むことができなくなった。多数の人間を通すことを前提として造られていない道は、大人ひとりが走るのが精一杯だった。それにしても、もっとも危惧するのは飛び道具であった。 ある程度距離が開けば活路も見いだせるが、顔の判別可能な十メートルほどの距離では、危険極まりなかった。

 蔵人はあえぎながら、痛みを懸命に思考の枠外へ追いやった。

 移動を続けるうちに、やや広い道に出た。

 この先の丘を超えれば吊り橋までもう一息である。

 ひとり、異常に素早い速度で追ってくる男がいた。

 蔵人は、再度足をとめて反転すると、左手に鞘を持って前方に突き出した。

 男の剣は鋭く、蔵人の鞘をやすやすと跳ね上げる。

 自然、男の剣は天を突き上げる形になり、身体の前面がガラ空きになった。

 蔵人の長剣が弧を描くと、男の乳房の下を水平に銀線が走った。男は泣き声を上げながら、大地に顔面から突っ込んだ。不意に、脇腹に激痛。弓使いの男が正確に蔵人を射抜いたのだ。たまらずその場に膝を突く。五人ほどの男が殺到した。

 蔵人は転げ回りながら、数箇所に手傷を負い、それでも下方からひとりの心臓を突き刺して倒した。立ち上がろうと足に力を込める。 

 瞬間、背中を深々と割られた。

 痛みを完全に無視するのは不可能だ。一瞬、呼吸が止まった。

「どうだ!」

 自慢げに叫ぶ男の声が耳朶を打つ。

 痛みと、血の熱さで全身に火が付いたようにカッカしている。

 蔵人は、引き裂かれた外套を振り回すと、背後の男の面体をしたたかに打ち据えた。

 逆手に持ったまま、長剣を上体を崩した男の下腹に刃を深々と埋め込んだ。

 長く尾を引いた絶叫が流れた。

 だが、男たちも蔵人の隙を見逃さなかった。

 ひとりは抱えた槍を突き出して蔵人の腹に深々と穂先を埋め込み、もうひとりは刃を斜めに打ち下ろして胸元を袈裟懸けに割った。

 視界が真っ赤に染まって、思考が停止する。剣を取り落としかけた時、はるかかなたから、力強い馬蹄の音が轟いてきた。

「クランド!」

 男の一群を引き裂くようにして、シズカが栗毛の馬を駆って走り抜けてきた。

 背後には目をつぶったまま腰にしがみついているドミニクの姿が見えた。

「げええっ!」

「うげあっ!」

「ごおおおああっ」

 シズカが馬上で曲刀を左右に降ると、あっという間に辺りに血煙が舞った。

 瞬く間に、五人ほどを切り伏せ、蔵人の目の前で手綱を引いて停止した。

 栗毛の馬は前足立になると、大きくいなないた。

「逃げろっていったじゃねえか」

「夫を置いて逃げ出す妻がどこにいる。シャルパンチエの家名と誇りにかけて、かような真似ができようか」

 蔵人は剣を杖代わりにして立ち上がると、背後を見やった。ひとりの男が半弓を構えている。

「弓を」

 落ち着いた声で、シズカが前方に落ちている弓と矢壷を指差した。蔵人が、転がりながら得物を拾って馬上に向かって放ったのと、男の半弓から矢が放たれたのは同時だった。

 シズカは身体をうしろに反らして矢をかわすと、弓をつがえて斜めになりながらも不利な体勢で射た。

 放った矢は寸分違わず男の喉笛を射止めて、そのうしろで剣を構えていた男ごと縫いとめた。

「見たか、我が弓の手並みを」

 シズカは得意げに鼻を鳴らすと、蔵人の手を取って馬上に引き上げた。

「すまねえ」

「気にするな。おまえを殺すのはこの私だといったろう」

「馬はおいらが見つけたんだ」

 ドミニクが空元気を出して吠えた。

「とにかく吊り橋を先に渡ってしまえば、もう追いかけてこないだろう」

 シズカは、馬を操って丘陵を駆け下りた。目指す吊り橋はもう直前にまで迫っていた。

 ドミニクを挟むようにして馬上に腰掛けていた蔵人が、ドミニクの頭上の耳がせわしなく小刻みに動くのを見て違和感を覚えた。

 なんだ、妙だな。

 吊り橋の手前まで馬を進めた時、それは起こった。あらかじめ、備えていた蔵人の動きは素早かった。シズカとドミニクを両脇に抱えこむと、後先考えずに飛び降りた。

 ほぼ同時に、林の中から大振りの戦斧が飛来した。巨大な斧は、栗毛の馬体ごと真っ二つにすると、鈍い音を立てて大地に突き刺さった。

「ったく、いまのをよけるとは、クランド。おまえはどこまでオレさまを楽しませてくれるんだよ」

 ギリーはあらかじめ迂回しながらゆっくりと蔵人が来るのを雑木林で待ち受けていたのか、その表情にはいまだ自信が満ち溢れていた。

「もう半分もやられちまったか。特にそっちの小娘の方が危険のような気がするなァ」

 馬上から降りたシズカはもう動き回ることはできない。ドミニクに半身を支えられながら、ゆっくりと吊り橋に向かって移動するが、入口はふたりの男が槍を持って固めていた。

 ギリーは落ち着いた足運びで巨大な戦斧を拾い上げると、片手を上げて子分たちを散開させた。男たちは扇状に蔵人たちを取り囲むと、じわじわと輪を縮めていく。

 蔵人は周囲に意識を飛ばしながらも、茂みの奥に隠れている人物に声をかけた。

「そろそろ隠れてないで出てきたらどうなんだい、奥さん」

 茂みに隠れていた人物は一瞬、逡巡したが意を決したように藪をこぐと、蒼白な顔色で姿をあらわした。

 アルフレッドの妻、ヘレンと名主のフェデリコだった。

「やっぱり、あんただったんだな。その盗賊野郎に聖剣の情報を流したのは」

「それが、どこがいけないっていうのよ」

 ヘレンは開き直ったように叫ぶと、ギリーに駆け寄って身を寄せた。

 名主のフェデリコはヘレンの行為を信じられないという風に見ると、嫉妬を滲ませた声で罵倒した。

「ちょっと待て、これはどういうことなんだ、ヘレン。さあ、こっちへ!」

 ヘレンは、良妻賢母の仮面を脱ぎ捨てると、くすくす忍び笑いを漏らしながら、ギリーの巨躯にしなだれかかった。

「いやですよ、誰があんたなんかに」

「ヘレン!!」

「と、いうわけだ。悪いなフェデリコ。この女はおまえの留守に頂いちまったぜ。いや、最初は無理やりだったんだがな、一度抱いちまうとこの女はよ、オレさまのイチモツが気にいっちまったみたいでな。それからは毎日腰が抜けるほど楽しませてもらったぜ」

「そんな、そんな馬鹿な話があるはず無いだろう! ギリー、わたしはおまえを半年近くもかくまってあげたじゃないか! その恩を仇で返そうっていうのかい! あんまりじゃないか!」

「しかたがないんですぅ、名主さま。ヘレンは、男らしい方には逆らえないんです。ギリーさまにはじめて無理やり抱かれた時は悲しかったけど、でもそれが間違いだって気づいたの。ギリーさまは一晩に少なくとも十回は注ぎ込んでくれるのに、名主さまはたった一回、しかもふにゃふにゃ。これでは、男として愛するのが不可能だってわかったんです。それに、この村にいるのはもう限界。あの、アルフレッドについてきたのだって、屋敷から抜け出せばなにか面白いことがあると思ったのに。来る日も来る日も、不能野郎とガキの世話で頭がおかしくなりそうっ。こんな村にもう一瞬たりともいたくないのよっ。もううんざりなのっ。アルフレッドの剣を売ったお金でギリーさまと都に出ておもしろおかしく暮らしてみたいのっ。まだ、私は二十五なんだからっ。人生を楽しんだっていいじゃないのっ」

「ヘレン、それじゃあドミニクはどうするんだい」

「もう、あんなのいらない。欲しいなら誰でも持って行ってちょうだい」

「なんてことをいうんだっ!」

「あら、いまさら善人ぶるのはやめてよ。名主さまだって、さんざん人妻の私をもてあそんでこの期に及んでお説教。そもそも、あんな混血がいるからこの村でも散々いやな思いしたんじゃないのっ。馬鹿馬鹿しいっ」

 母親の言葉の意味をすべて正確に理解していないだろうが、それでもひどいことをいわれていると理解したのだろう。

 ドミニクの表情が紙のように真っ白になり、小さな両の拳が強く握り締められた。

「混血だとかそうじゃないとか、ドミニクには関係ないだろうがっ。例え私が正しくなくても彼は、ドミニクはこの村で産まれたこの村の人間だ! 絶対に傷つけさせないぞっ!」

 フェデリコは、ヘレンとギリーから離れると、ドミニクをかばうようにして蔵人たちの前に立って両手を広げた。ギリーはいままでのふざけた態度を一変させ、背筋を伸ばすとしわがれた声を出した。

「そいつは本気でいってるのかよ、なあ」

「ああっ! 本当だとも。これ以上この村では誰もおまえたちのような無法者に傷つけさせたりはしない。この村の人間は、名主の私が守ってみせる」

 フェデリコは、頭の頭巾を深くかぶり直すと、再度強く断言した。

 ヘレンは、ギリーの首元に両手を回すと蠱惑的な声でそっと囁いた。

「ねえ、ギリーさま。あいつら、早く殺してよ」

 ギリーは瞳をすうっと細めると、首を小さく振って大きくため息をついた。

「殺れ」

 蔵人は目前に迫る殺気を無視して、ドミニクの顔を覗き込んだ。

 だが、彼の瞳はじっと深い悲しみをたたえたまま微動だにしなかった。ドミニクは、両手で大事そうに抱えていた白鞘の聖剣を蔵人に渡すと、唇を噛み締めた。

「いいのか」

 ドミニクはなんのためらいもなく大きくうなずいた。

「その剣は、兄ちゃんにあげる。父ちゃんの仇を討っておくれよ!」

 甲高い泣き声にも似た叫びが反響した。

 ヘレンの表情が、くしゃくしゃの紙のように歪んだ。

 蔵人は、鞘を払って剣を抜き放った。輝くような白い刀身が、陽の光を浴びて真っ白に染まっている。白鷺の銘に恥じない美しさだった。

 蔵人たちに向かって、男たちが殺到する。

 長剣がぐるりと真円を描いた。

「ぐうおっ」

「ぎあああっ」

「がひっ」

 手応えをほとんど感じず、相手の身体をまるで溶けたバターのように容易に切断した。

 三人の男たちは、それぞれ喉笛、脇腹、顔面を引き裂かれ、熟した柿のような断面を見せながら絶命した。

「これが、白鷺。確かに名剣だ」

 蔵人は、外套を羽ばたかせながら、橋の前で陣取る男たちに飛びかかった。

「うおっ、このオレを誰だと思っている。疾風の――」

 口上をいい終わる前に、蔵人の長剣がすっぱりと腰の辺りを両断した。

 男は、自分の腹から噴き出す臓物を抑えようと手を伸ばすが、口元からせり上がる血糊を吐き出すとその場に倒れて動かなくなった。

「名主さん。ドミニクとシズカを連れて吊り橋を渡るんだ!」

「お、お頼み申します」

 フェデリコは、シズカを背負うとドミニクを連れて老朽の激しい吊り橋を渡り始めた。

 ここを突破されると思っていなかったのか、村から反対側の入口には人員がさかれていない。蔵人にツキはわずかばかり残っていた。

「おいおい、クランド。聖剣をなんてぇ乱暴に扱うんだい。そいつの価値が落ちちまうだろうが」

 ギリーはヘレンを従えたまま、口元を歪めた。

 酷薄な顔つきだった。

「どっちにしろ、おまえの手には入らねえ」

「減らず口を叩きやがる。やれっ」

 ギリーは太い指で吊り橋を指し示すと、七人の子分を追わせた。ちょうど、蔵人とシズカたちは敵に分断された格好になった。

 大柄なフェデリコがシズカを背負ったまま、所々羽目板の朽ちた橋を後ろ向きにゆっくり下がっているのが見えた。蔵人はギリーを含めた六人の男に囲まれている。早々に撃破して、助けには行けなかった。

 蔵人はギリーと戦う前に、仲間の安否を気遣うはめに陥った。戦闘においてそれのみに専念できないのは、精神の集中を欠き、大きな痛手である。

 幾つか幸運だったのは、植物のツルで造られた原始的な釣り橋は大人がひとり通るのがやっとという細さである。これなら、男たちは一度に襲いかかることができない。フェデリコの体格からいって、シズカを橋の出口で下ろしてしまえば、そう簡単に男たちが組み伏せることは不可能であろう。

 もうひとつは、蔵人が隠しておいた曲刀をどうにか探し当てて、シズカが手にしているということだけだった。

 フェデリコがシズカとドミニクを上手く橋の出口側に避難させている間に、ギリーと残りの盗賊たちを倒すしかない。

 不可能に近い。それでも、命をかけて成し遂げねばならなかった。

 剣を握る拳に力がこもる。きらめくような青空には、東から荒くれ馬のような速度で黒雲が押し寄せて光を遮断した。日本とは違い、ほとんど夏であっても、異様に湿度が低い。

 乾ききった風で喉が激しく痛んだ。唇が乾ききっている。緊張のために流れた汗で、前髪が額にへばりついた。

「よそ見している暇があるのかよぉお」

 蔵人は、ギリーの言葉に応じず、まず一番近くの男へと踊りかかった。長剣が、白く輝きながら曲線を構成した。男は一合目をなんとか受け止める。高い金属音が響いた。男は後方にのけぞり、たたらを踏んでバランスを崩した。

 敵を倒すには、最初から一撃で決める必要もない。

 蔵人は、頭から飛び込むようにして低く身をかがめると、低い位置で剣を小刻みに動かした。剣は男の膝頭を割って血飛沫を上げた。

 隣の男が、大声を上げて剣を振り下ろす。

 蔵人は地面を転がりながら、左手に剣を持ち替えると鋭い突きを放った。銀線は真っ直ぐ伸びると男の脇腹に深々と差し込まれた。

 ぐいと力を入れて引き抜く。抵抗は微塵もない。

 以前の長剣なら引き抜くたびに血や脂がまとわりつくのだが、白鷺は清流に刃を泳がせたように、曇りひとつない刀身をきらめかせていた。

「どけえっ!」

 我慢の限界が来たのだろう。ギリーは、獅子頭から鋭い牙を突き出し、獣のそのもののように低い唸り声を上げながら、長さは三メートルもあろうかという長大な戦斧を水車のように頭上で旋回させた。谷を渡るような烈風に似た轟音が響き渡る。凡夫ならばこの音だけで身がすくんで戦意を喪失させるだろう。ギリーは獰猛な笑みを刻みながら、一歩づつ前に進んでいく。

 蔵人は剣を片手で水平に構えたまま、徐々に後退していった。羽目板を擦る音がギッと鳴った。谷を渡る風が突如として後方から勢いよく吹きつけてくる。背筋から汗が伝って流れ、知らずうめき声をもらした。

 ギリーの後方に視線を送る。隠れるようにしていたヘレンの顔がこわばっていた。蔵人は忘れていたことを思い出すと同時に、ひとつの思案が脳裏に浮かんだ。

「奥さん、アルフレッドからの頼まれごと、ひとつだけ思い出した」

「え」

 ヘレンは当惑しながら一歩後ずさる。怯えの色がいっそう濃くなった。

 蔵人は左手で胸元の懐紙から、いまわの際にことづかったアルフレッドの遺髪を掴み出した。

「こいつを、愛した妻に渡してくれと。けどな! 誇り高き騎士が求めた貴婦人は、もうどこにもいやしねえぜ!」

 握った手のひらを大きく開く。

 アルフレッドのたてがみは、烈風に煽られて曲線を描くようにギリーとヘレンに降りかかった。不意に、黒雲の切れ間から差した陽光が、ひとすじの道をかたちづくった。

 たてがみは、まるで金色(こんじき)の橋をかけたようにきらめきながら、天の(きざはし)を駆け上がった。

「うおおおっ」

 ギリーは不意に顔面に叩きつけられた金色のたてがみが目に入り、視界を失った。

 持っていた戦斧のバランスが崩れる。方向を見失った斧は、そばのヘレンの胸元を叩き割ると血飛沫を飛散させた。怒号と悲鳴が耳を聾するほど響き渡った。

 それを見逃す蔵人ではない。外套を蝙蝠のように羽ばたかせると、狙いを定めた一撃が流星のように走った。

「がああああっ」

 蔵人の長剣は深々とギリーの右目を抉り取ると、続けざま垂直に振り下ろされ、そのまま右の胸元から左の腰まで斜めに銀線を描いた。

 ギリーは巨体を崩して片膝を突いた。多量の鮮血が右半身を赤々と濡らしている。

「血塗れギリーってふたつ名は、てめぇの死にざまのことかよ! 笑わせるぜ!!」

「くそがあああっ!!」

 蔵人の罵倒は覿面に効果を発した。

 ギリーは怒りに全身を燃え上がらせて戦斧を盲滅法に振り回すが、その凶刃は付近の男たちをことごとく傷つけることに終始した。

「ぶんぶん唸るだけで、てめぇはカトンボ以下だ!」

 もはや、ギリーの頭の中に戦況をどうこう考えるゆとりも理性も存在しなかった。

 橋へ向かって後ろ飛びに跳ねる蔵人を両断することしか脳裏にない。

 それは、完全に思考停止であるとともに、ギリーが死地へ誘い込まれているという事実にほかならなかった。

 村の唯一の吊り橋は、朽ちた橋板が渡してあるだけで補修などはここ何年もしていない。

 シズカたちを追い詰めていた七人の男たちは、橋の中央部で蔵人が後ろ向きに移動してくるのに気づくと、仕留めんがために反転した。

 自然、蔵人は男たちとギリーに挟まれて攻撃を受ける形になった。

 腹背に剣を受ける形になった蔵人を見て、シズカは顔面を蒼白にした。

「名主、フェデリコといったか! ドミニクだけ出口側に逃せ! このままではクランドが危うい! 助けるぞ!」

「え、助けるってどうやってですか」

 ようやく橋の出口まで差し掛かっていたフェデリコは、シズカの言葉に激しく動揺した。

 骨折が完治したとはいえ、シズカは背負われなければ一歩も動けない状況である。

 フェデリコは力比べならば、並の男には負けない自信があったが、武器を取って戦ったことはただの一度もなかった。

「おまえが私の馬になればいい。この橋の上なら、ひとりずつしかかかってこれない。このままクランドがやられれば勝機はない! 残らずあの化物にやられる! ドミニクを守るといったのは嘘なのか!」

「ええ、わかったやります、馬でもなんでもやればいいでしょう!」

「男ならその意気だ。さあ、あとは私に任せろ。木っ端野党どもに、本物の騎士の剣を見せてやる」

 シズカはフェデリコに背負われたまま曲刀を抜くと、向かってくる男たちに逆擊を喰らわせた。フェデリコは忠実に馬に成りきると、目をつぶったまま再び吊り橋を渡り始めた。

 泡を食ったのは男たちだが、背負われた女ひとりを片付けるのが楽だと思ったのか、当初の狙い通りシズカに向かって殺到した。

「おらあああっ!」

「このアマぁああっ、切り刻んでやるぅううっ」

 シズカは呼吸を整えると前傾姿勢をとって曲刀を垂直に構えた。フェデリコは頭を下げたまま強く瞳を閉じたまま身体をかがめる。

 シズカの曲刀が半円を描いた。

「あいいいっ」

 一刀目。

 正面から打ち下ろされた銀線が男の顔を走って、真っ二つに両断した。

「ひぎいいっ」

 二刀目。

 水平に薙いだ刃は深々と男の喉笛を両断し、血飛沫を虚空に舞わせた。

 三刀目。

 狙いを定めて直線を走った刃が、男の右目から後方へと鋭く貫き、脳髄を破砕した。

 四刀目。

 吊り橋が揺れてバランスを崩した男の左胸から右腰までを深々と両断し、谷底に叩き落とした。

 五刀目。

 男がかろうじて突き出してきた剣を巻き打ちにして落とすと、返す刀で首級を跳ね上げた。

 六刀目。

 逃げようと身体を反転させた男の腰を両断し、上下と半身を分断させて宙に放った。

 七刀目。

 剣を捨てて頭を下げ命乞いする男の後頭部を、微塵の情けも残さず叩き割った。

「クランド、雑魚は片づけた。あとは任せたぞ!」

「ああ! 早く行け!」

 シズカは瞬く間に七人の男を片付けると、フェデリコに背負われながら出口側の崖に避難した。

 吊り橋の中央部に残ったのは、ついに蔵人とギリーのふたりだけになった。

 両者は、片手で吊り橋の綱を握りながらバランスを保っている。激しく動いたせいで、腐った羽目板のあちこちが外れ、足元の数十メートルを流れる大河に飲み込まれていった。 ここから落ちれば、まず生還は不可能だろう。

 激流に運ばれて岸壁のあちこちにある大岩に叩きつけられれば身体中が挽肉になってもおかしくない。

 不死の力がそこまで及ぶとは思えなかった。

「動くんじゃねぇええぞおおぉおっ。絶対に、殺してやるううぅ」

 ギリーは片手で戦斧を振り上げると頭上にかざした。信じられない膂力である。

 だが、それが彼の限界だった。

 獅子族(ライオス)の戦士として生まれ、ここまで深手を受けた相手もいなかったのだろう。ずば抜けた膂力さえあれば小手先の技など通用しない。

 いいかえれば、それだけ自分の力と抜群の破壊力を持つ斧を信頼していたのである。

 ――いますぐそれを、ゼロにしてやる。

「シズカ! 橋を落とせ!!」

 蔵人の怒号。

 彼は、この声に幾つもの意味を込めたつもりだった。

 振り向きはしない。

 彼女なら、自分の意味を汲み取ってくれる。

 次の瞬間来るはずの衝撃に向かって、吊り橋のツルを握り締めた。

 身体が不意に宙に浮く感覚を感じたとき、勝敗は決した。

 村の出口側に到達していたシズカが橋を支えていたツルを切断したのだ。

 結果、限界を迎えていた吊り橋は、あっけなく崩落した。

 橋の胴体は村落側の崖に向かって叩きつけられる。

 振り落とされないかどうかは、賭けだった。

 橋の上に立っていた人物は否応もなく虚空に投げ出されるはずだった。

 すべてを理解していた蔵人以外は。

 橋桁を構成していた朽ち木が宙に舞う。

 ギリーの巨大な戦斧が木の葉のように吹き飛んだ。

 蔵人は全力を振り絞ってツルに抱きつくと落下してきたギリーとすれ違う。

 勝利の女神は蔵人に微笑んだのだ。

 長剣を全力で振り上げた。

 すくい上げるように弧を描いた名刀は、その名に恥じぬ切れ味でギリーの顔面を真っ二つに断ち割ると、柘榴を割ったような赤黒い断面を露出させた。

 脳漿が飛散した。

 ギリーは両手で虚空をつかむように差し出し、断末魔の叫びを上げながら、垂直に落下し、眼下の激流に消えていった。








 蔵人とその一行は、吊り橋を迂回して崖を登りきった村の出口で最後の別れをかわしていた。

「その、この度はいろいろとお世話になりました。自分の不行状は、恥じても恥じきれませぬ」

 両親の死と激闘を目にしたドミニクは、名主のフェデリコに抱きかかえられながら、静かな寝息を立てていた。蔵人は、フェデリコとドミニクの交互に視線を移しながら尋ねた。

「やっぱり気づいていたんだな、あんたは。ドミニクが自分の息子だってことに」

 シズカは目を見開くと蔵人をじっと見入った。

「そんな、馬鹿な、だいたいこの子は――」

「そうだぞ、クランド。ドミニクは、歷とした獅子族(ライオス)の混血で」

 蔵人は、名主のかぶっていた頭巾をそっと指差すと、彼は半ば観念したかのようにそれをとって見せた。

「耳が……」

 シズカのつぶやき。そこには、確かに獣人との混血、しかも獅子族(ライオス)のものを示すたてがみと獣人族固有の耳がそろっていた。

「だが、ヘレンの旦那のアルフレッドだって獅子族(ライオス)だ。このドミニクが、私の子であるという証拠には」

「あんた自分に覚えがなくはないのか? まったく?」

「しかし」

「それと、もうひとつ。名主さん、あんた随分変わった指をしてるね。小指がものすごく短い」

「これは、生まれつきで……」

「ドミニクの手を見てみろ」

 シズカは寝ているドミニクの手のひらを開くと、右の小指が極端に短く、薬指の第一関節くらの長さしかなかった。

「これは遺伝性短指症といって結構な確率で親から子に遺伝するんだ。ちなみに、いまわの際にアルフレッドの指も調べさせてもらったが、彼は普通だったよ」

「そんな、この子が……けれど」

「あんたが人の女房に手を出していたのは胸を張っていえるようなことじゃない。けど、ドミニクの気持ちが理解できて、この先もこの子の力になってやれるのはあんたしかないんじゃないかな。短指症うんぬんは可能性の問題だが、そう信じて面倒を見れば少しは情も湧くと思わないかな」

「例えドミニクに私の血が流れていなくても、この村の子は責任を持って私が育ててみせます。それで償いになるといえないないけれど。アルフレッドとヘレンが、いやこの子も大人になったとき、私を許すはずもないでしょうが」

「だったら、すべて受け入れるしかないだろう。その先どうなるかなんて、天に委ねるしかないよ。あんたが、あのギリーをかくまっていたって理由はだいたい予想はつくが」

 フェデリコの表情が悲しげに歪んだ。

 もはや、物語は筋を追わずとも残らず推察できた。

 フェデリコとギリーは切っても切れぬ深い縁に縛られていたのだろう。

 そして、それが悲劇のはじまりであり終わりであった。考える必要もなく、ドミニクにはこの先過酷な運命が待ち受けている。それは、彼自身がひとりで克服していかなければならない道のりであった。今日のように命の危機がなんども来るとも思えない。けれども、形の見えない過酷さのほうが恐ろしいのだ。

 蔵人は、フェデリコの顔を正面から見据えた。

 そこには、馬小屋で見た暗い陰はなく、なにか憑き物を落としたような晴れ晴れさを感じとった。

「ま、女遊びはほどほどにな。名主さん、こんどは顔立ちでじゃなくて、心根のやさしい女を後妻にもらうことだ」

「これは、また、手厳しい」

「あと、ついでといってはなんだが、あいつのことも頼みます」

「ええ。シズカさんのことは任せてください」

 蔵人はフェデリコへ、所用により妻のシズカを置いて先に行くという方便を伝えると別れを済ませた。

「さて」

 峠の入口へとゆっくりと進んでいく。

 所在なげに、小ぶりな石へ腰掛けているシズカが顔を上げた。

「行くんだな」

 弱々しげな口調がより寂しげに見えた。強く引き結ん薄い唇がわなないている。黒真珠のようにつぶらな瞳が熱っぽく潤んでいた。泣き出すのを無理やりこらえている。

 いや、目尻には既に涙の雫がキラキラと盛り上がっていた。

 悲しみが強く胸に迫った。

 蔵人は抱きしめてやりたい衝動にかられながら、身を翻した。

 無言のまま、峠路を目指して進んでいく。

 足取りは確かで、その背中にはなんの未練もなかった。






 シズカは、自分が満足に歩けないことも忘れ、立ち上がると前のめりに倒れた。

 土埃が舞い落ちると、蔵人の背中がどんどん小さくなっていく。 

「待って、待ってよぉ、ねぇ」

 知らず涙が滲んだ。顔全体が土埃でまみれる。

 シズカの胸はこわれそうに激しく痛んだ。

 黒のシルエットはやがて、吸い込まれるように深い緑の中に溶け込んでいった。

 もう、痕跡を探すこともできなかった。

 ひとりなってしまった。

 ひとりぼっちだ。

 次に会えば、必ず命のやり取りになる。

 それが、暗殺者の運命であり、背負った家名の重さだった。

 生まれてはじめて愛した男を殺す。なんという皮肉だろうか。

 自分の死を選ぶことすらできない。

 命すら自由にできない枷に、恐怖した。

 空虚さのあまり頭がどうになりそうだった。

「私がおまえを殺すんだ。だからそれまでは、ぜったいに死ぬな。死んじゃだめだ。……死なないで」

 シズカは、蔵人の姿が消えてもずっと峠路を見つめていた。

 いつまでも。

 ずっと。





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