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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第3章「ステップエルフ戦役」
100/302

Lv100「暗殺教団ゴドラム」


 

 闇の中でぴちゃぴちゃと粘液質な音が淫靡に響いていた。

 ジョスラン準男爵(バロネット)は上等な革で覆った椅子に腰かけながら、己の足指を懸命に頬張る少女を凝然と眺めていた。

「エイミー。おまえ、今年でいくつになった」

「うんっ……んんっ……んはぁ……十二ですわ、準男爵(バロネット)さまぁ」

 ジョスランは無言のまま、奉仕するエイミーの白い背中に指を置いた。少女を脱して大人の女性に片足をかけている肉づきである。毛むくじゃらの太い指が背骨に沿って、すっと流れるように動く。エイミーは口腔にジョスランの足指を収めたまま、動きへと敏感に反応した。それは、長らく主人の愛撫に慣れた反射的な動きだった。エイミーは主の膝下に這いつくばって、犬のように男の足を舐め尽くしていた。

 ジョスランはシルバーヴィラゴ城内の屋敷で先ほどの会議をゆっくりと思い返していた。

 脳裏には、いまにも泣きだしそうに、口を真一文字に引き結ぶヴィクトリアの可憐な顔がハッキリと残っている。はちみつ色に輝く髪。黄金を溶かしたような美しい瞳。

 そして、いつまで経っても変わることのない、余計なぜい肉を削ぎ落とした慎ましやかなあるかないかの、美しい胸。

 ごくりと、唾を嚥下する。目蓋が小刻みに蠕動した。奉仕を続けていたエイミーが、己の愛撫が功を奏したのかと勘違いし、自慢気に上目遣いで媚びるような視線を送ってきた。ジョスランの太い眉が、ピクリと震えた。

 ほぼ、同時に部屋の片隅に人影が立った。

 面貌を黒い布で覆っている。全身黒ずくめの人物は、闇から浮き上がるかのように突如として出現した。覆いから覗く、ギラついた病的な瞳だけが冷たく輝いていた。

「グリエルか」

「お呼びで」

 突如として現れた謎の男の存在にようやくエイミーが気づき、奉仕を中断して膝にすがりついてくる。

 ジョスランはいらだたし気に奴隷を蹴りつけると壁際まで弾き飛ばした。エイミーは鼻血を流しながら再び足にむしゃぶりついてくる。足を動かすのも面倒だ。喉を鳴らして痰を呼び出すと、エイミーの可憐な横顔に吐きつけた。黄味がかった痰がドロリと頬を伝って流れ落ちる。彼女の瞳は怯えの色が濃くなった。エイミーは主の足指を吐き出すと、片手で痰を残らずすくい取り、舌を鳴らして口腔に収めていく。子猫がミルクを舐めるような音が間断なく続いた。

「続けろ。大丈夫だ」

準男爵(バロネット)さまぁ」

 エイミーは泣き笑いの表情で再び奉仕に没頭し出す。ジョスランのツボを知り尽くした動きは甘美であったが、彼にとってはもはや飽きが来ていた。

「話というのはほかでもない。あのエルフの姫、カレンに関してのことだ。なぜしくじったのだ」

「予想のほか手ごわい護衛がついておりまして。ダドラム、コニー、エンリコ、アドラバ、グレンの五名が殺られました」

「ほお! あの、五人をかっ。ヴィクトリアも中々の手駒を付けたと見える。もしや、五英傑のメンバーか?」

 ジョスランは驚きを隠さず呻くと、エイミーの顔を踏んづけた。裸足のままグイグイと可憐な少女の顔を踏みつけにする。ジョスランの瞳には倒錯的な炎が宿っていた。少女は苦しそうにえづきながらも、リズムよく舌を使って主の快感を引き出しはじめた。

「いえ。まるでノーマークの男ですが。次は私が直接片付けます」

「うむ。陽炎の二つ名を持つおまえなら万が一も仕損じはないだろうが。それにしても、まったく愚かなやつらよ。いやいやおまえのことではない。おれとエルフのやつらよ」

「それは、どういった意味で」

「隠さんでもいい。話は耳に入っておる。カレン姫の仕物をステップエルフどもに頼まれたのだろう」

 グリエルと呼ばれた覆面の暗殺者は影に同化するように存在を薄めた。

 ジョスランの含み笑いが長く尾を引いて流れた。

「なになに。欲に釣られて同じ標的を撃つのに、おまえたち殺し屋にまんまと金を二重取りされたことよ。とにかく殺し合いがしたいエルフどもは和睦などいい迷惑だ。だが、信義を重んずるおかげで己からいいだした契約はそう簡単に破れない。もっとも、使者であるカレンが殺されれば攻め寄せるいい口実になる。このおれとしても、敵であるはずのエルフどもに、軍需物資を横流し出来なくなれば、言い値で得られる金塊が瞬く間にフイになる。困るのだよ、おれとしてもエルフとしてもいくさが早々と片付いてしまうのは。この殺し合いが長引けば長引くほど、莫大な利益が転がりこんでくる。ふふ、そしていつか、あのお方も。おい、もういいぞ。やめよ」

 ジョスランは足指奉仕の終わりを告げると、少女に向かって首をしゃくった。

 エイミーが立ち上がると、自然に彼女の裸身が視界に入った。

 白くなめらかな陶器のような肌である。にも関わらず、ジョスランの視線は遊び飽きた玩具を見るようにひどく冷淡なものだった。

「確か、おまえを買い取ったのは八つのときだったか。それはもう、幼く儚げだったな」

「ええ。私、はじめてを準男爵(バロネット)に奪われたとき、はじめて殿方の凄さを思い知りましたの。あれから、四年。たっぷりとかわいがられたおかげでほら。このように」

 エイミーはくすくす笑いを漏らしながら、胸から両手を離した。それはもはや少女という域を脱し、女という概念に足を踏み入れかけている確かな象徴だった。

「私、あと少しでしっかりしたレディになれますわ。そうなれば、これまで以上に準男爵(バロネット)さまを気持ちよくさせてあげられます――の!?」

「醜い」

 ジョスランは、両手を頭の後ろ手に組んだまま無防備なエイミーの膨らんだ胸元の中央へと短剣を突き入れていた。

 刃はツバ元まで深く吸い込まれていた。

 鮮やかな赤が勢いよく雪のような肌を彩っていく。

 美しい対比だった。

「なん――で?」

「醜いのだよ。なあ、グリエル。どうして、天使はいつまでも天使でいられぬのだ!? どうして、このように醜く乳房を腫れ上がらせるのだああああっ!?」

 エイミーは涙を浮かべながらのけぞるように後方へと倒れこんだ。赤黒い血が絨毯一面へとじくじく染み込み、大きな池を作っていった。

「エイミー。おまえに、おれがいったいどれだけ金をつぎこんだと思うのだ。都の園遊会で伯爵が連れていたおまえを見初めてようやく巡り合えたと思ったんだ。おれの! おれだけの天使に!! それ以来、おまえの父を破滅させるために湯水のように金を使った! 合法的なオークションでおまえを競り落としたときの喜びを知っているのか!! ゆくゆくは天使のままおれの子を産ませる予定だったのにいいいっ。それが、それがあっ!! ああっ、おれはバトルシークと繋がっているさっ。あいつはおれを利用しているつもりだが、それは勘違いだ。首尾よくこの城を落としたとしても、王都が呼び寄せた援軍にはかなわないだろう。そのとき、おれがどうするかって? 決まっている。おれのヴィクトリアを守って守り抜いて、あいつの心を手に入れる。なあに、仕掛けはできているのさ!! しくじりはないっ。蛮族が撃退されたあと、あいつの婿になって合法的にアンドリュー州を頂戴するのさあああっ。そのための布石は着実に打ちつつあるのだぁ。天使を手に入れるためには、是が非でも金を稼がねばっ。もっと、もっと殺し合いを長引かせて、混沌の渦を大きくせねばならないっ。そのためには、暗殺教団ゴドラムの力が必要なのだよおおっ!! わかるかああっ!!」

準男爵(バロネット)よ。われわれをそれほど盲信していいのか?」

「ふっ。このような秘事はおまえらのようなものでなければ逆に話せん。それに、ものいわば腹ふくるるというだろうて。それに、我らは一蓮托生よ。どうして、王都で弾圧されたおまえたちをかくまってやったと思うのだ? 今日という日のためなのだっ。なあに、おまえにも悪いようにはせん。おれがアンドリュー伯になれば、合法的にゴドラムの布教を許可してやってもいい。なにせ、ロムレス教はのさばりすぎて鬱陶しいことこの上ないからなああっ。おれは、おれだけの天使の王国を作り上げるっ。絶対になっ!!」

「もしそれが事実ならば、われらは忠節を惜しみませぬぞ」

「うむ。そのためには、おれを満足させる結果が必要だ。わかるな」

「もうひとつ、報告が」

「なんだ、いってみろ」

「五英傑、“勇者”が、目標の護衛に加わりました」

「なんだとおっ。マズイ、それはいかんせんマズイぞ!! あいつの剣の腕はとびきりだ。いくらおまえでも荷が重いのではないか?」

「いえ、“聖騎士”ではないだけ、マシかと。あの男、オツムはいかんせん弱いので。搦手からいけば。なにも、“勇者”と正面切ってやりあう必要はございません。目標のみを消せばよいのですが。ただし、潰えはたこうございますぞ」

 ジョスランは金貨のたっぷり詰まった袋をグリエルに向けて放った。

 それから、鼻歌を口ずさみながらエイミーの身体を蹴り上げた。

 窓に近づき、カーテンを開く。

 まばゆい光がエイミーの悲しげな横顔へ真っ直ぐ降りそそぐ。

 殺し屋グリエルの姿は、元々いなかったようにその場から掻き消えていた。






「姫さま、どうしてかようなことを」

 貴賓室に戻ったカレンを前に、侍女のルールーははらはらと涙を白い頬へ流していた。

 時刻はすでに夕方を過ぎていた。不用意な発言をして、エルフ側を窮地に陥れたカレンもろとも蔵人とルールーは室内へと軟禁状態にされていたのであった。

「うるさいわね」

「うるさいっ。な、なんということを。姫さまはっ、姫さまはあああっ!!」

 ルールーは悲劇のヒロインよろしく、その場に泣き崩れると身をよじって甲高い声を上げた。蔵人は両耳に指を突っこみながら、あきらかに行き過ぎである彼女の感情表現に顔をしかめた。

「あーあー、完全にヒスってるぜこりゃあ。どうすんの」

「ねえ、ニンゲン。あんたも、あたしが間違っていると思うの」

「別に。それに俺が同意しようがしまいが、おまえの決断は変わらなかっただろう」

「ん。わかってればいいのよ」

「ばかっ、ばかっ。なんという愚かな。これだから男というものはっ。姫さまは、姫さまは死を覚悟しているのだぞっ!! それを、そんな安々と結論づけてっ!! なんという恩知らずな上に薄情なのだっ!!」

 もちろん蔵人もカレンの発言が、その程度のことは織りこみ済みで発せられたことは理解していた。一国の浮沈を占ういくさである。それは、ロムレスにとってもステップエルフたちにしても同じだろう。

 特に、勇猛さが存在意義であるエルフたちにとって、己から仕掛けたいくさをなんの戦果も得られずに矛を引くなどありえないことであった。王であるクライアッド・カンも多大な戦費を消費して出師を起こした結果が相手の大将の首を取らずにすごすごと引き返すなど己の存在意義に関わる所業である。

 カレンが王に与えられた指名はアンドリュー伯軍の降伏である。勝手に本営の指事を百八十度展開させるなどとあってはならないことだった。

「ルールーのいうとおり。あたしは王から承った命令に背き己の独断で和睦に変更したわ。よくて死刑、悪くすれば全身の皮を引き剥がされた上に晒しでしょうね」

「おまえ、なら。なんで」

「聞く必要あるかしら。それに、あたしは使者に選ばれたときからこうするつもりだったの。テア姉さまならきっとこうすることを望んだはずだわ」

 カレンは膝を折り曲げ、座りこんでいるルールーの頭を撫でた。美貌の侍女は普段の冷徹さをかなぐり捨ててカレンへと抱きついた。幼児退行したように、蔵人の目を気にすることなく思う存分声を上げている。それは城外の陣へと戻ればカレンの死が確定していると裏付けるのに充分だった。

「私は、私は、かようなことにならぬよう、おそばにおりましたのにっ。姫さまの、ばかっばかっ」

「ごめんね。あは、ねえニンゲン。これじゃ、いつもと立場が逆みたいね」

 蔵人は静かに顔を天井に向けて視線をそらした。確定した死が恐ろしくないはずがない。

 カレンの表情は真っ白な紙切れのように透き通り、瞳は不安げにゆれていた。

「あたしたちは、少なくともあたしだけは、明日にもこの城を出るわ。和睦の条件はフレーザーたちが詰めるだろうけど、きっとくつがえりはしないから安心して頂戴ね。だって、エルフはきちんと約束を守るんだもん」

「そう願ってるよ」

 ルールーはもはや声を上げずに、鼻をすすっている。彼女はカレンの肩に顔をくっつけたままその場を動こうともしなかった。

「これであんたも明日の朝にはお役御免ね。……その色々と悪かったわね。あんたにも、待ってる人がいるんでしょう」

「ああ」

「そ、そう。ははっ。そう、そうよねっ! まっ、このカレンさまの最後のお役に立てたことをせいぜい後世まで伝えなさいよっ! 大いくさを防いだ伝説のエルフに仕えられるなんてこれから先もきっと経験できないはずなんだからっ。光栄に思いなさいよねっ!!」

 カレンは泣き笑いのような表情で顔を歪めると、あきらかに取り繕った明るい声で笑い飛ばした。かすれた語尾が、いっそう哀れであった。

「ねえ、思いなさいよ。ねえ、ねえったら。ね、もしかしたら、迷惑だった? あたしのこと」

 蔵人はカレンの言葉に答えず寝台から腰を浮かせると、いつでも剣を抜けるように鯉口を切った。それを見て、カレンも状況を察したのか表情をこわばらせる。ルールーのみはいまだ状況を把握しておらず、涙をにじませながら呆然としていた。

「ねえ、なにか居るの?」

「わからん。けど、俺の直感がピピっと来やがった。濃ゆーい毒電波をな」

「でんぱ?」

「けど、表にはまだアレクセイや護衛たちがわんさか警戒中のはずだ。こうまで狙われる理由ってのがいくらでも思いつくから始末に悪いぜ」

 カレンに生きていてもらって都合が悪いのは、エルフ側と人間側の両者であろう。

 議場の中には濃い殺気がプンプンと立ち篭めていた。

 彼らはたいした力もないくせにやたらと争うことを好む。

 それが個人レベルならともかく、ことは一国にまで及ぶ可能性がある。

 その害は、万余を越えて飛び火し、多くの罪なき民が傷つくのである。

 蔵人は別段平和主義派でもなければ先鋭的なジンゴイストでもない。

 ひとりの持つ剣が斬れる相手などたかが知れている。

 カレンの独断は使者としては失格どころの騒ぎではないが、異常を通り越した彼女の無茶苦茶さはいっそ爽快であった。

 外庭に面した窓には鎧戸が降ろされており、異様な分厚さからハンドガン程度はもちろん人為的な力では破壊するのは不可能と思われた。

「迫撃砲でもありゃ話は別だが。あとは、お得意のファンタジー魔術ってか」

「あんた、さっきからなにいってんのよ」

 蔵人が激しく思考を回転させていると、部屋の四隅の灯りが残らず消えた。

 世界は当然のことながら闇に塗りつぶされた。ようやく正気を取り戻したルールーが立ち上がり、両手に短剣を構えてカレンの前に立った。

 蔵人は長剣を引き抜くと椅子に叩きつけて破壊する。行為を理解したのか、ルールーが寝台のシーツを引っペがして足にくくりつけ燭台の油を浸して火をつけた。簡易的なたいまつの出来上がりである。上方の空間が波打ったような気がした。天井に近い嵌め殺しのガラスが妙に澄んだ音を響かせ、前触れもなく砕け散った。

「来たぞ! 気をつけろ!!」

「おまえにいわれなくてもわかっているわっ!!」

 砕け散った窓の隙間から黒々とした液体のようなものがすべり込むようにして室内に侵入してくる。

 それは、中央部に到達すると渦を巻いて盛り上がり、たちまちひとりの男と化した。

「化生が!! 死ねっ!!」

 ルールーが有無をいわさず短剣を投擲した。

 放られた刃は男の頭部と喉元へと狙いたがわず突き刺さった。

 だが、変化といえば男が低い声でくくっと笑みをもらしただけにとどまった。

 刃は泥を抉ったような不確かさで盛り上がると、音も立てずに空へと落下していった。

 男の頭と喉はわずかにヘコミを生じたが、周りを流動する粘液物質がすぐさま欠けた部分を修復していく。まるで、泥の河を棒で突き刺したような空虚さだけが残った。

「手厚い歓迎痛み入る。そこにおわすは、偉大なる王クライアッド・カンのご息女カレン姫と見たが相違はありませんかな?」

「そうよ。あんたはどーせ、あたしの命を取りに来た安い殺し屋ってところかしら」

「これは慧眼。我こそは、黒影のロートシルト。故あって参上つかまつった。潔くお命を差し出して頂ければ、そちらのおふた方には、苦しまず地獄へ行って頂けますが。いかが」

「――そんなもん、いやに決まってるでしょう!! 風力斬撃魔術(エアロカッター)!」

 カレンは腕を振り上げて風属性の魔術を解き放った。二メートルを超える旋風が凄まじい速度でうなりを上げて疾駆する。風の刃は、ロートシルトへとまともに直撃すると背後の窓へと突き刺さり、頑丈な鉄製の鎧戸を大きくヘコませた。

 だが、それだけである。

「こいつ、あたしの魔術が効かないっ!?」

 風の刃は確かにロートシルトの身体を袈裟懸けに両断したのである。

 しかし、現実にはふたつに両断された男の身体はまるで磁石が引かれあうようにして再び接着し、なんのダメージも受けた様子がなくその場に残っていた。

「まるで千切った粘土をくっつけたみてーだ」

「キリがないな、これは」

 ルールーは額の汗を拭くと、腰のレイピアを引き抜いた。蔵人は、彼女を押しのけるとかばうようにして背中に隠す。途端、罵声が飛んだ。

「なんのつもりだっ!! 私はおまえなんかよりもはるかに腕が――」

「カレンを逃がすことだけ考えろ。いいな」

 ルールーは悔しそうに歯噛みすると、ジリジリと背後に下がっていく。それを見逃すロートシルトではない。粘ついた声が早口になった。

「おやおや、これはいきなり乱暴な。ならば、こちらもお返しせねばなりませぬなぁ」

 ロートシルトは右腕を持ち上げると溢れ出るような黒い物質を投げつけてきた。

 蔵人が長剣を振るってそれを両断すると、左右に切り裂かれた闇の塊は激しく壁に叩きつけられた。途端、塊は煙を上げながら漆喰を侵食していく。鼻を横殴りするような悪臭と共に煤がたちまち昇っていく。蔵人は咳きこみながら、口元を外套で覆った。

「ニンゲン、気をつけなさい! そいつは無属性の魔術を使うわっ!!」

「知っているのか雷電! ってか」

 通常、この世界の魔術には地・水・火・風の四つに加え、それらにあてはまらないものを残らずひとくくりにして無属性と定義していたのだ。

「わが、状態変化トランスフォーメーションの魔術は一族が代々工夫に工夫を凝らした創意の結晶。冥土の土産にとくと味あわれよ」

 ロートシルトは全身を粘液状に変質させると、絨毯を這うように近づいてきた。

 蔵人は跳躍しながら真正面から剣を振り下ろす。

 泥の塊は一撃を受けて四散したが、飛び散ったあとに再び再結集をはじめる。

 それから、なにごともなかったように身体を縄状にして襲いかかってきた。

 蔵人は身体を素早く開いて伸び来る触手の一撃をかわした。

 じゅう、と音を立てて絨毯が焼け焦げる。

 強い腐敗臭といっしょにポッカリとした大穴が開いた。

 蔵人が見るに、ロートシルトの身体は泥状ではあるがそれ自体が毒そのものだというわけではない。攻撃のときのみ、一部分が強い熱を持ち、そのために接触した部分が焼け焦げるのだ。策は決まった。

「おまえらっ逃げろっ!!」

「逃がしませぬよ」

 ロートシルトは泥の触手を吐き出すように繰り出した。

 細長く伸びた泥の槍が、蔵人の背後を駆け抜けてカレンに迫る。

 咄嗟にルールーが身を投げ出してカレンを突き飛ばした。

 ほぼ同時に、苦悶の声が響き渡る。

 ロートシルトの尖った触手がルールーの右足首を深く抉ったのだった。

「おおおおおっ!!」

 蔵人は満身の力を込めて寝台を持ち上げると、絨毯を蹴ってまっしぐらに化生の暗殺者へと押しつけた。人知を超えた怪力である。

 胸元の紋章が青白く発光をはじめた。

 鉄の鎧戸に挟まれたロートシルトはくぐもった声を上げるとたちまち全身を沸騰させはじめた。木材と布にたちまち火がつき、熱で戸がたわみはじめる。

「あああああああっ!!」

 ミシミシと鈍い音を出して鎧戸が軋んでいく。蔵人は背後に一歩下がると、右足をおもいきり寝台の浮き上がった中央部分に叩き込んだ。凄まじい衝撃音が室内に響き渡る。

「こいつでダメ押しだあああっ!!」

 蔵人は肩を寝台の腹に押しつけながら加重をかけた。

 ミシミシと、細かい音が鳴り、壁際に亀裂が走った。

「くっ、ふざけた真似を……!」

 ロートシルトはたまらず全身を液状化し、その場から脱しようとするが、蔵人の押しつける圧力の方が早かった。寝台は窓枠ごとロートシルトを押し切るとついに虚空へと身を躍らせ落下をはじめたのだった。

 蔵人は寝台にしがみついたまま同じく降下を開始する。深淵が正面に開けていた。その中にポツポツとオレンジ色の灯りが点っている。護衛たちのかがり火だろう。浮遊感と共に視界が白濁する。全身に衝撃が走った。身体はゴムまりのように外へ投げ出されると、呼吸が止まった。目蓋の裏が激しく明滅した。意識を途切れさせるな。まだ、戦いは始まってもいない。

 蔵人は素早く立ち上がると、握った長剣を構えて庭木の潅木から這い出した。辺りには四肢を投げ出して倒れている幾人もの男たちがいた。パッと見は外傷は見受けられない。一様に、口元から血を吐き出しながら絶命しているのが印象的だった。

「どういうことだ」

「一服盛られたんじゃぁ」

「んなっ! おまえっ、アレクセイ!!」

 聞き覚えのある声に反応して振り向くと、背後の茂みにしゃがみこんでいるアレクセイの姿があった。青白い顔のまま、尻を丸出しにして唸っている。額には細かな汗がポツポツと浮き上がり、いかにも辛そうであった。

「差し入れじゃと……めんこい嬢ちゃんが……もらった酒に……毒が、毒があああっ……おおおおっ、キタあああああっ!!」

「おまえも毒入りの酒を飲んだのかよっ!?」

 ぶびびっ、と間抜けな濁った音と共にスカトール臭が鼻先を漂う。軽やかな水が流れる音がすると、アレクセイはせつなそうに眉間にしわを寄せた。

「わしもしこたま飲んどったじゃあ。ほかのモンは残らず……ううっ! くたばったが、わしはなんとかっ……おおおっ!! くるくるくるううっ!!」

 アレクセイは蔵人の冷たい視線に気づくと恥じ入ったようにうつむいた。命があるのは彼の特別性の胃袋のおかげであったが、もはや戦闘には期待できそうにもなかった。

「気の毒すぎる。もおいい。あいつは俺が片づける。おまえはここで好きなだけしゃがんでなさい」

「おおっ、感謝する……うおおおっ!! キタキタきたー!! 第二波がああっ!!」

 蔵人は腹の中で激戦を続けるアレクセイから視線を外すとゆっくりと前に進み出た。

 目の前には落下の衝撃で砕けた寝台の木材が散らばっている。

 赤々と燃え盛る炎に照らし出されながら、飛び散った黒い泥のような物質が寄り集まるようにして一点に固まっていく。

 瞬く間に、黒ずくめの男が形作られるとその手にはひと振りの剣が握られていた。

「一服盛るとはやってくれるじゃねえか」

「知らない人間からもらったっものをすぐ口にするのがいけないのでは。お里が知れる下層民ばかりですなあ」

 ロートシルトは鼻でせせら笑うと、剣を突き出すようにして右足を気持ち前方に動かし構えを取った。

「あんまそういってくれるなや。みんな純真なんだよ」

「純粋さはときとして大事なものを見失わせる。そう、エルフの姫君のようにね」

「和睦のことをいっているなら、おまえはなんもわかっちゃいねえ」

「おしゃべりが過ぎました。あなたを片づけて、さっさと仕事をすませることにします」

「そうはいかねえよ。カレンにゃ指一本触れさせねえ!!」

 蔵人は長剣を片手上段に構えたままジリジリとにじり寄っていく。

 先に仕掛けたのはロートシルトであった。

 彼は上半身のみを液状化させると、身体をゴムのように伸ばしながら剣を繰り出してきた。蔵人は上段から勢いよく長剣を振り下ろす。刃が打ち合う硬質な音が響き渡った。形勢不利と見たロートシルトが左腕の触手をなぎ払ってくる。

 蔵人は身を折って投げ出すと地を転がってなんとか避けた。前髪をかすめていたのか焦げる臭いが鼻先を漂う。

「これじゃあ、千日手だぜ」

 斬っても突いてもダメージが与えられない。思考を根本からくつがえす必要性があった。

 たとえ不定形の魔術を使えるとはいえ相手も人間である。

 どこかに弱みがあるはずだった。

 もっとも実戦では悠長に考えながら戦えるはずもない。

 ギリギリの状態で隙を突き、一気に勝負を決めなければならい。

「どうしました? 動きが止まりましたよ? もうあきらめたのですか?」

「やかましいや!!」

 蔵人は悔し紛れに落ちていた寝台の木片を放り投げる。木材の破片は放物線を描いてロートシルトの身体に埋まるとズブズブと沈んでいった。

「くっそ、こいつならどうだっ!!」

 飲みかけの酒瓶を拾い上げて投擲する。

 夜のお楽しみに貴賓室の棚からガメておいた度数の高い一品だ。

 ロートシルトは、ため息をつくと腕から無数の細い触手を引き伸ばし、酒瓶もたちまち取りこんだ。黒い泥は細かな気泡を立ててたちまち瓶を飲み込んだ。

「困りますねえ、私の身体をこれ以上重くしてもらっては。もっとも、あなたもこの中に取りこんで差し上げますが」

 ロートシルトの触手は無限に伸びるように見えて、そうではなかった。彼の体積以上には全身を引き伸ばすことは出来ないのである。ゴムのように伸び縮みする腕の攻撃を気をつけるのは先端だけでよいのだが、それには奇妙な粘着力も加わっていた。不用意に斬撃を送ることに躊躇が生まれる。怯えはおもいきった攻撃を阻害し、蔵人を後手に回らせていた。

「そろそろ決着をつけさせてもらいますよ!! 後がつかえておりますのでねっ!!」

 蔵人は焦燥に駆られながら敵の繰り出す触手攻撃をかわし、大脳を沸騰させた。思考はやがてひとつにまとまって形作られた。

 蔵人は激しく左に移動すると剣を水平に構えた。

 同じ速度でロートシルトが移動する。互いは正面から向き合った格好になった。

「お死になさいっ」

 ロートシルトは両腕を後方にたわめると、一度にふたつの触手を撃ち出してきた。

 片手に握られた長剣が空気を裂いてうなった。刃風が耳元で凶暴に荒れ狂う。蔵人は前方へ倒れこむように身を投げ出すと細かく剣を振り回した。

 聖剣“黒獅子”が暗殺者の刃を上方へと打ち上げた。

 伸びきったふたつの触手。互いは当初の軌道をそれて絡み合うと、後方にあったかがり火の台を巻きこんで大きく燃え上がった。

「おおおおっ!? 腕がっ、私の腕がああっ!!」

 想像したとおりロートシルトの起源は泥であった。彼の状態変化トランスフォーメーションは玄妙であったが、その属性から一度取り込んだ物体を外へは容易に放出できないのであった。たいまつの木片がロートシルトの飲み込んだ酒瓶に触れたのか、炎はますます燃え盛った。

「許さねえぞおおおっ!!! カスがあああっ!!」

 ロートシルトは大口を開けると、喉奥から吐き出すように一本の触手を繰り出した。

 蔵人の反応が一歩遅れる。全身に汗が噴き出す。どうにか身をよじって攻撃を回避しようと努めた。流れた汗が左目に入り、視界がブレる。全身が総毛立った。

風王の槍(エアロジャベリン)!!」

 猛々しい詠唱の声と同時に激しく空を引き裂く轟音が流れた。

 びょう、と鋭い木枯しのような音を引き連れ、風を巻いた一本の矢が流星のように飛来した。風の魔術の加護を受けた矢は狙いたがわずロートシルトの触手を引き千切ると大地に風穴を開けた。上方を仰ぎ見る必要はない。四階にいるカレンが援護射撃を行ったのだ。

 蔵人は剣を深く握り直すと凄まじい速度でロートシルトの脇を駆け抜けた。

 刃は水平に銀色の軌跡を描いた。見事なまでに腰から上を両断されたロートシルトは、瞳を歪ませて崩れ落ちる胴体を修復させようと身をくねらせた。

 だが、本人は無意識のうちにかばうようにして腹の中心部へと視線を送っていた。部位でいえば下腹部よりやや上の中丹田。

 蔵人は長剣を両手で握りこむと身を投げ出すようにして繰り出していた。

 渾身の諸手突きである。

 長剣は男の背中から半ばで埋まると、すべるように腹の方へ突き出ていた。

 刃の先端はロートシルトの核を刺し貫き破壊した。確かな手応えだった。

「ゴドラム教に、栄光あれ」

 ロートシルトは覆面から染み出るほど激しく吐血し、崩れ落ちるように倒れた。

 蔵人はからくも暗殺教団の刺客を退けたのだった。






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