第五十八話 歌の翼に
長らくお休みいたしました。申し訳ございません。
理由を並べ立てても意味はないので、弁解は致しません。
休んでいる間にも評価が随分と上がっていて、感謝します。感謝を物語を書き綴ることでにこたえられればと思います。これからも、よろしくお願いします。
帰路、俺を堺で待っていた船は、鎌倉丸ではなく、さらに新造の伊豆丸だった。三本マストの大型帆船である。親父が、新造の船を送り、鎌倉丸を関東に戻したのである。伊豆丸は、鎌倉丸と異なり、竜骨を使った新設計の船で、流線型の船であった。僅かだが鎌倉丸に比べ船足が早い。それは、期待したほどではないのだが、舵の効きが良く、今後戦船に採用するか検討することになっている。
船員は、下田の関戸家、土肥の富永家から選ばれている。この二家は俺への忠誠心が特に強い。というのも、新開発の羅針盤を搭載しているのである。
風磨の里である足柄には磁鉄鉱の鉱山がある。そこで、特に強い磁力を示した欠片を加工して作らせたのである。
伊豆丸の速度は追い風で凡そ3ノット程である。だが、西から東への航路の場合、海流に上手く乗ると、2ノットの上乗せが見込める。
1ノットは時速1.852キロであるから、5ノットでほぼ時速9キロである。例えば夜明け6時頃に大湊を出航したとすると、日暮れには相良湊で宿をとれる。
逆に、東から西への航行となると、3-2で1ノットになるかというと、そうはならない。
東から西への数が吹き続けることは滅多にないし、海流に乗るのを外して、上手回しをつかって、逆風をついての航行となるからだ。
通常黒潮は、ほぼ西から東に流れ、この海流に乗っていけば、陸上で無風であっても海流に乗っている以上、逆風が吹き、つまりは上手回しにより、海流よりは幾分か早く進むことができる。
帆船は今までの手御漕ぎ船と異なり、乗員の数が少なくて済む分、多くの貨物を載せることができる。また乗員が少なくて済む分、水、食料が少なくて済む。だが、上手回しを使う以上、船体の剛性がより必要になる。そのための竜骨構造だが、直進性が必要になるため、帆柱による重心の上昇を抑えるため、喫水の下を深くする必要がある。接岸できる湊を選ぶようになるのだ。また、高剛性の船体を求められることと相まって、何層かの甲板を設け、甲板下が小部屋の集合体のような構造となる。大部屋が作りにくいため、貨物船としては使い勝手は悪くなる。
俺は、堺を出帆してから紀之湊で醤油、味噌を買い付け、安宅、尾鷲、大湊、そして熱田で、織田大和守あての手紙を託した。もう一度大湊に戻って、鰹節を手に入れて、相良、焼津、内浦と帰ってきた。
焼津では、長谷川法栄に伊勢新九郎への手紙を託した。
都合十日ほどの航路であった。
「お帰りなさいませ。旦那様」
調理場で何やら大鍋に向かっていた、お松が振り返って笑いかけた。
「ただいま。何をやっている?」
「ほら、見て」
菜箸で鍋の中のものをつまみあげて見せる。
「あーん」
「な、何?」
「ほら、あーんだよ。旦那様」
あーん、と口を開ける。菜箸に挟まれているのは小海老?
覚悟を決めて、口を開ける。
口の中に菜箸が押し込まれる。これは!?
「サクラエビか!?」
懐かしい風味。
「そう、今朝の網でとれたのよ。サクラエビの釜揚げよ」
「そういえば、今が旬か」
「内浦の漁師頭に、目の細かい網で深いところから取って貰ったものなの。最初の一窯が旦那様に味見してもらえて、グッドタイミングね」
菜箸を持ったままガッツポーズである。
「ぐっどたいみではありませぬ! お方様」
俺の真下からいきなり声が聞こえた。
女中頭が松をねめつけている。白髪交じりの女中頭は、背が俺の胸辺りまでしかなく、すぐそばにいると目に入らないことが多い。
「あら、おせん。武家の女房が旦那様の食事を差配するのは当然のことよ」
「自ら、包丁を使い、煮炊きをするなど奥方様がすることではございません」
「こんなに、美味しくできたのよ? おせんも食べてみて」
「それが、はしたないというのです!」
長くなりそうだと、俺は退散することにした。あ、そうだ。伝えておかないと。
「松、湯浅の醤油と味噌を買ってきた。鰹節もな」
「え、本当? やったー」
その場で万歳する松。義母がいないせいか随分とはっちゃけているもんだ。
「お方様!」
案の定、おせんに怒られていた。
自室に足を向けたときに、その音が聞こえた。
ボロンボロン・・・
何だろう?
その音色に向かって歩き出す。
縁側で、ギターを抱えたお勝がいた。
形状は琵琶と言った方が良いのだろうか?
しかし、糸巻きの数は六。拳が入りそうなサウンドホールがあるので、ギターだと思う。
音も、ガットギターの音だ。
俺は、呆然と立ち尽くした。
一心不乱に、たどたどしい指使いで、どこか懐かしい音色を奏でている。
その曲は・・・
思わず、不用意に足を踏み出して、床がみしりと鳴った。
はっとした風で、お勝が振り返る。
「旦那様!」
抱えていたギターらしきものを、脇へ置いて立ち上がる。
「帰っていらしたのですか!」
たたっと走り寄る。
「お帰りなさいませ」
お勝はそう言って、深々と頭を下げた。
「ああ、先ほどな」
そう返しながら、目はお勝からギター擬きへと移ろう。
「松姉さまが職人に作らせたものです。なんでも、儀居太というものだそうです」
「さっきの曲、もう一度弾いてみてはくれないか?」
「えっ?」
「頼むよ」
「はい」
お勝は、口元を引き締めてうなずいた。
先ほどの位置に戻って儀居太を抱え直す。俺は、お勝の隣に腰かけた。
やがて奏でられる曲。
思わず、口ずさんでしまう。懐かしい曲。
うさぎ追いしかの山
こぶな釣りしかの川
・・・・
二番を歌い終わって、三番というところで、歌詞が怪しくなった。
一瞬言い淀んだ時に、俺の後ろから歌声が加わった。
こころざしを果たして
いつの日か帰らん
山はあおきふるさと
水は清きふるさと
松は歌い終わると、にこにこと指の先で拍手をした。
「勝子ちゃん、上手になったわねぇ」
お勝は、照れたように顔を赤くしてはにかんだ。
「まだまだだと思いますけど、上達したのなら、姉さまの教え方が上手いからです」
「じゃあ、今度は勝子ちゃんも歌ってみようか」
松が儀居太を受け取ると、弾き始めた。スリーフィンガーのアルペジオ奏法の伴奏つきである。お勝は、わあと、その音に心を奪われたようだ。
「さん、はい」
三人で歌った。
お勝の声は、良く通る澄んだソプラノで、読経で鍛えられていると感心するものだった。
松は豊かなアルトで、その声にとても惹かれるのを感じた。普段の声とは全く違う歌声。
「あら、あら」
歌い終わった松が袂から白い綿布を出して、俺の眼もとを拭っている。
我知らず俺は頬を涙で濡らしていた。
「そんなに、懐かしかったですか?」
「あら、狩野川ではいつでも小鮒くらい釣れますのに」
お勝は不思議そうに小首をかしげた。
はは、そうだな。俺は、半笑いで、二人を抱きしめた。
『人に翼がなくても、歌には翼があるだろう』
そんな言葉がふっと浮かんだ。
誰の言葉だったろうか? 歌の翼、歌の力。そんなものがこの戦乱の世を動かしてくれるなら、俺は・・・




