第174話 公爵の祝辞
たくさんの馬車が校門の中へと吸い込まれていく。
家族とともに、そして馬車を使って入学式にやって来た学生は少なくない。
さすがは名門というだけはある。学費もそこそこするから、ほとんどが貴族なのだろう。
「学生のほとんどが有力な貴族なのですね」
「いや、そうでもないぞ」
クラヴィス父上は首を振った。
僕は制服姿だが、父上もまた余所行きの恰好だ。白を基調としたコートは決まっていて、いつもより格好良く見える。
「前にも少し言ったが、爵位の序列が高い貴族などは、屋敷に家庭教師を招いて、教育することもある。学校に行くことは義務ではないからな」
「クラヴィス父上は僕に友人を作れと言われました。そういう子どもの場合、どうやって友人を作るのでしょうか?」
「人脈という意味では社交界だろうな。序列が高い場合、向こうから寄ってくることも多い」
「それは友人と言えるのでしょうか?」
「半々だな。それがきっかけで親友として友情を育むこともあれば、主従、あるいはビジネスだけの関係になることもある。他にも――――」
クラヴィス父上は何か言いかけて、口を噤んだ。
何故か頬が赤い。何を言おうとしていたのだろう。
そんな父上に代わって、ソフィーニ母上が僕たちに微笑みかけた。
「ルーシェルも、リーリスも、ユランも……。爵位を気にせず、同級生を見るんですよ。大事なのは心なのですから」
クラヴィス父上の側で手を繋いだソフィーニ母上も美しい。紫色の基調としたドレスに白のレースがあしらわれている。帽子が華やかでワンポイントの薔薇がとても美しい。
他の貴族の当主が振り返るほどにだ。
「はい。わかりました」
「しかしだ。ルーシェル」
クラヴィス父上は僕の肩に手を置いた。
膝を折って、目線を合わせると、やや切迫した感じで僕を睨んだ。
「くれぐれもリーリスに悪い虫が付かないようにしてくれよ」
「お、お父様ったら……」
「あは……。あはははは……。が、頑張ります」
僕は苦笑で返すので精一杯だった。
◆◇◆◇◆
入学式会場に入れば、さすがに家族とは別行動だ。
僕、リーリス、ユランの3人は新入生の椅子に座る。中には心細くなって泣き出す子どももいたけど、入学式は概ね厳かに始まった。
「ご入学おめでとうございます」
和やかな表情で祝辞を述べたのは、学校司祭長と紹介されたアルテンさんだった。
ジーマ初等学校は聖霊リアマイン様を敬う聖霊教団の中にある学校だ。その歴史は古く、僕が生まれる前にはもうあったらしい。
リアマイン教は300年前にもあって、ある程度のことは知っている。
でも、学校を運営していると聞いたのは、ごく最近のことだ。
次に王国代表として祝辞を述べたのは、今の国王陛下の弟――エイリック・グランナ・ミルデガード王弟陛下だった。
「すごい……。学校の入学式に王弟陛下が来るなんて」
それだけジーマ初等学校が国の教育機関として重要視されているってことかな。
いずれにしても、すごいところに入学したな、僕。
「……であるからして。君たちにはミルデガード王国の更なる発展のため粉骨砕……」
しかし、それにしても……。
「なあ、ルーシェル。あのおっさん、話が長くないか」
不平不満を口にしたのはユランだった。
ユランはジッとしていられない性格だ。
ただそれにしたって、ミルデガード王国王弟陛下の話は長かった。
不満を口にしたのは、ユランだけじゃない。
他の学生たちもムズムズと身体を動かして、せわしない。
王弟陛下の話は結局、1時間以上も及んだ。
一応お話は聞いていたけど、ほとんど同じ話の繰り返しだ。まとめようと思ったら、多分5分もないんじゃないかな。
一方、王弟陛下はご満悦といった感じで、壇上の椅子に座った。
会場の空気が重くなる。
「次に……」という進行役の人の声を聞いて、「まだ祝辞があるの?」とげっそりする子どもがほとんどだった。
「保護者代表クラヴィス・グラン・レティヴィア公爵様よろしくお願いします」
「え?」
「お父様?」
「あやつが祝辞を?」
僕、リーリス、ユランは思わず声を上げる。
クラヴィス父上が祝辞を依頼されているなんて、初めて聞いた。
たぶん、僕たちを驚かせるためずっと黙ってたのだろう。
すると、父上は席についた僕たちを見つけると、軽くウィンクした。
こんな空気の重い中でも、クラヴィス父上は決して茶目っ気を忘れていない。
「でも、父上……。こんな空気の中で大丈夫でしょうか?」
リーリスは心配する。
さっきの王弟陛下の話のおかげで、すっかり新入生の緊張感は途切れていた。
登壇した人間が、公爵と聞いても反応すらしていない。
最悪の空気の中、父上は声を発した。
「みんな、まず少し立とうか」
クラヴィス父上の第一声は「おめでとう」でも「お喜び申し上げます」でもない。
いきなり新入生の僕たちに立つように促したのだ。
場内がひんやりした緊張感に包まれる。
新入生をいきなり立たせようというのだ。学生たちの態度に何か含むところがあるのではないか。特に教職員たちが、いきなり「立て」と言い始めた公爵閣下を見て、おろおろし始める。
けれど、クラヴィス父上は終始笑顔だ。
「では、次に大きく伸びをしよう」
手を組み、腕を天井に向かって伸ばし始める。
僕たちは戸惑いながら、クラヴィス父上の真似をする。僕たちだけじゃない。大半の新入生が、公爵閣下の言う通りに従った。
「続いて、大きく深呼吸をしよう。はい。吸って……、吐いて……」
伸びが終わったら、今度は深呼吸だ。
それが終わって、ようやく座るように言った。
久しぶりに腰と足を伸ばせたことで、身体がスッキリしたような気がする。
ユランも「はー」と落ち着いた様子だった。
新入生が落ち着いたところで、クラヴィス父上はようやく口を開く
「みなさま、ご入学おめでとうございます」
月並みな挨拶から始まり、学業を熱心にして、たくさんの仲間を作ってほしいと続けた。
さらに保護者である他の貴族に対しては、教職員ばかりに頼らず、日頃の家庭内においても子どもの成長に注視し、ともに成長していく家庭を作ってほしいと促した。
そうして、わずか5分のスピーチは終わり、クラヴィス父上は頭を下げた。
「え? それだけ?」
ユランは思わず口にする。
本当に短い祝辞だった。最初の体操も合わせても、10分あるかどうかだ。
さらに最後に告げた名前を聞いて、新入生が驚く。
「今、公爵って言わなかったか?」
「公爵閣下が保護者?」
「すごいな。さすが公爵閣下だ」
ちょっと遅れて、拍手がやってくる。
公爵閣下という爵位ではなく、空気を読んで和ませた手腕に、皆が驚いているようだった。
「すごいな、父上」
「ええ。空気を一変させてしまいました」
リーリスにとっても、先ほどのクラヴィスさんを見るのは初めてだったらしい。
目を丸くして、実の父親に向かって手を叩いていた。
僕はすごい人に助けられたのかもしれない。
壇上の椅子に座るクラヴィス父上を見て、その息子であることを、僕は改めて誇りに思うのだった。









