エージェント:ダイアモンド 01
指示された部屋に入ると、すでに他の諜報員達は集まっていました。
グラス片手に談笑していましたが、私が入ってきたことで話を止め、皆が私を物珍しそうに見てきます。
一見同年代らしいので、顔見知りなのでしょう。どうやら面識がないのは私だけのようです。
よく見ると、部屋には4人しかいません。見回して確認しても彼らだけです。もう1人は遅れているのでしょうか?取りあえず、私は挨拶しに彼らの元まで歩んでいき、にっこりと微笑みました。
「クリスティーナです。よろしくお願いします」
彼らが私の全身を見てきます。観察しているのでしょうけど、年上の男の人に舐めるように見られるのは正直気持ち悪いです。とは言え、皆キャリアも実力も私より上です。本音を言って嫌われても何も得はありません。やり過ごすのが適当でしょう。
「新人、いや見習いだっけ?俺はサファイアだ。よろしくな」
青髪の男が挨拶してきました。
それを皮切りに、他の方達も名乗ってきます。
緑髪の男“エメラルド”、紫髪の男“アメジスト”、赤髪の女“ルビー”。
驚きました。王国きっての諜報員ばかりです。
高難度の任務をいくつもこなし、10年以上も諜報活動を続けている一流ばかりです。
今回の任務の重要性が伝わってきます。
それにしても、エージェント名が、髪色と宝石色の組み合わせなのは昔からなのですね。
「おい。いい加減隠れてないで、お前もこっち来て挨拶しろよ」
青髪――サファイアが私の後ろの方に声をかけました。釣られるように振り返ると、黒髪の男が壁にもたれるように立っていました。
どういうことでしょう?部屋を見回した時、あそこには誰もいなかったはずです。それに私の後には誰も入って来ていないはず。どこから現れたのでしょうか?
私が困惑していると、先程挨拶した4人が、ニヤニヤと楽しそうに私を見て笑っていました。どうやらからかわれたようです。前にオードリーから気配の消し方を教わりましたけど、おそらくそれでしょう。それにしても、照明の真下で視界に入っていたはずですのに、全く関知させないなんて。
驚きを越して、怖さすら感じます。
黒髪の男がゆっくりとこちらに近づいてきました。
その姿に、今度は違う驚きを覚えます。信じられないほどの美形です。漂う色気が目に見えるようです。
話には聞いてましたけど、もしかしてこの男性が?
「今回、君のパートナーを務めるダイアモンドだ」
やはりです。養成所時代に、何度も王国最高のエージェント“ダイアモンド”の噂を聞きました。しかし、想像以上です。実力も容姿も。まさか噂の方が控えめだったなんて。
ジェームズ=ハント
コードネームは最高の諜報員に与えられるダイアモンド。魔法に長け、武器の扱いも一流。頭も切れる。
王族派復興のために再編した諜報局を大きくした立役者。国内外で様々な任務をこなし、ほぼ100%の達成率を誇る王国史上最高の諜報員。
まさか彼と組むことになるなんて。
「将来有望と聞いている。よろしく」
「クリスティーナです。よろしくお願いします、ジェームズ」
「今回の任務には君の教育も指示されているから、そのつもりで」
「わかりました」
「早速だけど、任務ではコードネームを使うように」
突然のことで動くことが出来ませんでした。
身体が密着するほど近づいて耳元で囁かれました。悪寒が走り、全身に鳥肌が立ちます。
思わず耳を押さえて後退ってしまいました。
「おや?君にはまだ早かったかな?」
「ダイアモンド、若い子をからかうのは止めなさい」
「そういうつもりはないのだけど。私は1人の女性として接したつもりだ。まぁ、確かにまだ若かったようだけど」
ルビーの注意をダイアモンドは全く気にしていない様子です。ルビーも呆れた様子を見せながらも、それ以上何か言うこともありませんでした。この様子から察するに、先程のダイアモンドの振る舞いはいつもの事なのでしょう。どうやら相当の女たらしのようです。まぁ、あれ程の美形と色気です。大抵の女性が落ちるでしょうね。私が受け付けなかったのは、おそらくダイアモンドの言う通り私が若かったからでしょう。
これ以上この話題を続けたくなく、私は気になったことを尋ねて話を逸らすことにしました。
「コードネームで呼び合うのですか?」
「あぁ。素性を知られるわけにはいかないからね。良いね?クリスタル」
周りを見ると、他の人達も頷いています。
素性がバレるのが嫌なのなら偽名でも良いのでは?ティーナとかクリスとか。それに、そもそも私のクリスティーナ自体偽名なのですけど。
とは言っても、この場の雰囲気から、そのような指摘はしない方が良さそうです。どうやら彼らの中ではそれが当然のようです。これが第一線の現場と見習いの違いなのでしょうか?
「わかりました、ダイアモンド」
私の言葉に満足したようで、ダイアモンドが優しく微笑む。微笑んだ顔も凄まじかった。ただ私には圧が強すぎます。大人の女性なら目を奪われたのでしょうけど、私には目を覆いたくなるくらいの眩しさです。
他の人達が呆れた溜息を漏らしていますけど、ダイアモンドはごく自然で、特に気にしている様子はなさそうです。もしかして、いつもこのような感じなのでしょうか?なんか、酷く疲れそうな気がします。
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帝国との国境付近にある山の上から、川の向こうにある帝国の地に目を向けます。
私だけ碌な説明もないまま出発させられて、2日後、ようやく目的地に到着しました。運良く空は雲に覆われて、どこまでも闇が広がっています。これでしたら、警備の目を掻い潜って密入国出来そうです。
ですけど、山の上からどのように入り込むのでしょうか?ここに来るまで、空から行くとしか教えてくれませんでした。ここに着くや否や、荷物を取り出して何やら組み立てていますけど何でしょうか?
私以外の5人が協力しながら組み立てていくと、少しずつ出来上がっていきます。初めて見ますけど、その形状は紙飛行機を想像させます。「空から」という意味がわかりました。
ただ、本当にこれで空を飛べるのでしょうか?
「クリスタル、こっちに」
「はい」
ダイアモンドに呼ばれて、私は彼の元に近づきます。彼の後ろには、組み終わった紙飛行機のような物がありますが、かなり大きいです。とは言え、このような物で本当に空を飛べるのでしょうか?重くて落ちてしまうのでは?
「ハングライダーに乗った経験は?」
「ありません」
「ここからこれを使って飛んで行くわけだが、操縦は私がする。クリスタルは捕まっているだけで良い。怖がって暴れると危険だ。墜落して死にたくなければ、大人しくしていなさい。わかったね?」
「わかりました」
「よし。皆も準備できたな?
それでは予定通り、100キロ先のアルバイトの街まで飛んで行く。街の近くで降りたら、ハングライダーを処分して街で馬を調達する。その後は、途中の街に寄ることなく帝都まで駆け抜ける」
「「おう」」
「体力回復薬は持ってるな?」
腰のベルトに差し込んだ回復薬を確認すると、支給された5本全てありました。ただ、自分に許されたのは1本だけです。4本は馬の為の物です。僅かな休憩は入るでしょうけど、アルバイトから帝都カルテまで一気に駆け抜ける予定ですから、馬を潰さないように気をつける必要があります。今回の作戦は、帝国に私達の動きが悟られないように、迅速に成す必要がありますからね。あれ程の魔道具です。警戒も尋常ではないでしょう。
こうして準備を整えた私達は、ハングライダーで山の上から飛び立った。
もっとも、私はダイアモンドの前に、ロープで括り付けられているだけですけど。ただ、初めて見る空の景色、空を飛ぶ感覚は、表現するのが難しい素晴らしいものでした。これが明るい青空の下でしたら、より最高の気分だったでしょう。それが残念です。
「大丈夫かい?」
ダイアモンドが私を心配して耳元で囁いてきました。正直気持ち悪いです。耳元で囁かれる度、悪寒が走り、鳥肌が立ちます。最初はわざとやっているのかと思いましたけど、ルビーに相談したら、女性と話す時はいつもそうと言われました。どうも無意識らしく、諦めて我慢しなさいと言われるだけでした。
「はい、大丈夫です」
せっかくの良い気分が台無しですけど、私を心配してくれたことですし、任務を円滑に進めるためです。平静を装って答えます。
3機の黒いハングライダーが明かりのない夜空を飛んでいきます。真っ暗なため地面は見えませんけど、それは下から私達が見えないということでもあります。今夜は密入国するのに絶好の状況と言えるでしょう。
それにしても、まさかこのような方法で入り込むとは思いもしませんでした。
帝国と接している領地の貴族は、漏れなく帝国と繋がっています。もし川や森を越えて潜り込もうとしていたら、間違いなく途中で誰かに見られて、帝国に私達の情報が流れていたでしょう。
過去に王族の失態があったとは言え、己が利だけを求め、王国を裏切る続ける貴族など殺してしまいたいです。シャーリーン様の平穏を脅かす者など、存在して良いはずがありません。
それにしても、帰りはどうするのでしょうか?ハングライダーは着陸したら処分すると言ってましたから、空を飛んでということではないですよね?ただ、帰りは見つかっても王国に辿り着けば良いわけですから、強引に突破でも問題ないと言えば問題ないのでしょう。帝国からの攻撃を避けながらという危険がついてきますけど。まぁ、何か良い方法があるのでしょう。
ここで私が考えても作戦はすでに決まっているわけですから、考えるだけ無駄ですね。今はこの楽しい時間を楽しむことにしましょう。
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王国の山の上から飛び立って2時間後、私達は平野に着陸しました。遠くにはアルバイトの街が見えます。ここまでは予定通り進んでいます。
ただ、大きな誤算がありました。
空の上があんなに寒いとは思いませんでした。
ダイアモンドに身体を繋いでいるロープを切ってもらうと、私は自分の体を抱え込み蹲りました。あまりの寒さに全身が震え、動くことも話すことも出来ません。
「大丈夫かい?何だったら温めてあげようか?」
「お前、そんな子供にまで・・・」
「節操なさ過ぎだろ」
「冗談でも笑えないぞ。冗談――だよな?」
周りが何か言っているようですけど、耳鳴りでよく聞こえませんし、目もチカチカします。
身体に温めようと必死に腕や足をさすっていると、突然目の前が真っ暗になりました。しかし今はそれどころではありません。この身体の震えを、寒さを何とかしませんと・・・。私は真っ暗な中、必死に手足をさすり続けました。
「落ち着いた?」
気づくとルビーが後ろから私の身体をさすってくれていました。身体がようやく温まり、思考が戻ります。
「はい。大丈夫です。え~と、ありがとうございました」
「気にしないで。初めてであの長距離飛行だったんだし。もう少し休んでなさい」
そう言うと、ルビーはハングライダーの片付けに加わってしまいました。
1人取り残された私は、思考が戻ったので状況確認することにしました。
ルビーが加わったことで、5人がハングライダーを片付けています。布はすでに取り外され、今は骨組みを分解しています。ダイアモンドは処分と言っていましたけど、わざわざ分解していることから、持っていくということでしょうか?まぁ、ここに捨てて行ったら、どのように密入国したのか知られてしまうのですから当然ですね。
そこでようやく自分がハングライダーの布を被っていることに気づきました。切れ込みから頭を出していて、まるでカーテンを被っているようです。
指の感覚も大分戻って来ましたので、立ち上がると皆に声をかけました。
「何を手伝えば良いでしょう?」
「まだ休んでなさい。こっちは気にしなくて良いから」
「その通り。これくらい私達だけで十分だから」
「もうすぐ終わるから、大丈夫だ」
「でも、私だけ休んでるなんて。役に立っていないどころか、迷惑をかけていますし。皆さんも寒いでしょうに、我慢していらっしゃいますよね?」
「大丈夫。君をフォローするのも私の役割なのだから」
「なに格好つけてるの。私達も初めて飛んだ後は凍えていたでしょ」
ルビーに非難の声が浴びせられる。しかしルビーは意に関せず、私に話し続ける。
「私達は何度も訓練で飛んでいるから、寒いのも慣れてるの。クリスタルは今日初めて飛んだのでしょ?それも長時間。そうなって当然よ。だから気にしないで休みなさい。わかった?」
「わかりました。ありがとうございます」
私はルビーの言葉に甘えて休むことにしました。しかしこのまま何もしないのも、やはり申し訳ない。せめてと思い、辺りに気を配ることにしました。街までは距離がありますし、夜中なので出歩く人もいません。平原ですけど、真っ暗なので見つかることもないでしょう。
とは言っても、万が一と言うこともあります。今回の任務は王国の存続にも関わるものです。失敗は許されません。たった1つの失敗、油断が命取りになるかもしれません。彼らに比べればまだまだ未熟ですけど、私に出来ることはやるべきでしょう。私は街の方を向きながら、周囲に耳を澄ましました。
「お前ッ、せっかく先輩らしいトコ見せようとしたのに、あんなこと言うなよ」
「ちょっとくらい格好つけたって良いだろ」
「少しは空気を読めよな」
「もしかして、私が彼女と組んでいるのが気に入らないとか?彼女はまだ子供じゃないか。私が愛するのは、ルビー、君のような魅力的な大人の女性だけだよ」
「みんなうるさいわよ。黙って片付けなさい。もしかして貴方達少女愛好家なの?
それとダイアモンド。死にたいの?また巫山戯たこと言ったら殺すわよ」
「君の愛に包まれて死ぬのなら、私は本望だよ」
「「「ルビー、止めろッ!」」」
「危ないなぁ。でも、殺意溢れる冷たい目、獣のような獰猛さ、それこそがルビーの魅力だよね」
「死ねッ!!」
「ルビー、ナイフをしまえッ」
「ダイアモンドッ、馬鹿なこと言ってルビーを怒らすんじゃないッ!」
「ルビー、ダイアモンドの戯言にムキになるんじゃない。落ち着け」
「何を言ってるんだ。私はいつでも本気だよ。ルビーへの愛は昔から変わらず、今もここに」
「ヒュッ」
「本気でナイフを振るうなよ!」
「だから止めろって。2人ともいい加減にしろよな」
後ろから理解しがたい言葉とナイフを振るう音が聞こえてきましたけど、それに気づく人は幸い近くにはいないようです。帝国の人間に私達の存在が気づかれて任務が失敗しないように、全身全霊で私は見張りの役目を務めました。
養成所で皆が抱いた憧れと理想が、後ろで音を立てて崩れていきます。
身体は大分温まりましたけど、心の中が寒いです。




