アーノルド王子
アーノルド王子からの呼び出しを受け、私はシャーリーン様と共に王城に訪れていた。
「それでお兄様、今日はどのようなご用件ですか?」
「なんだい?私は可愛い妹に会えて嬉しいのに、お前は違うのかい?」
「食事中に連れてこられたのですよ。どうして機嫌良くいられます」
「それは済まなかった。
デニス!どうして食事が終わるまで待たなかった」
部屋の扉前に立つ武官に、王子様が注意する。
この方、突然館に現れて、半ば拉致するようにここまで連れて来たのですけど・・・。
王子様から叱責を受けたにもかかわらず、デニスは悪びれる様子も見せません。それどころか大きな溜息を吐いて見せています。どういうことでしょうか?
「アーノルド様。貴方、私に「至急、妹を連れて来い。最優先だ」と命じたはず。私はアーノルド様の命令通り、シャーリーン様をここにお連れしたのですが」
「そうだったか?」
「お兄様」
「そう怖い顔をするな。可愛い顔が台無しだぞ。お前は兄に会えて、嬉しくはないのか?」
「このような形でなければ歓迎したのですけど・・・。
それで、今日はどのようなご用件なのです?至急なのですよね?」
「久しぶりに会えた妹と語らいたかったのだが・・・。
サロモン、資料を」
王子様の文官を務めるサロモン様が私に目配せをしました。私はサロモン様から資料を受け取ると、シャーリーン様にお渡ししました。
「これは何ですか?」
「先日の『闘技大会』で、問題となった武官見習いについての報告だ」
王子様の言葉で、それまで緩んでいた空気の私達に緊張感が走る。
1ヶ月前までD評価だったユージーン=オレゴンが、強大な力で『闘技大会』で優勝しました。転生者のように人並み外れた力を、どのように手にしたのか私とリラで接触したところ、突然倒れて意識不明になってしまいます。ユージーンの身柄は諜報局本部が引き取って行きましたけど、あれから7日、ようやく理由がわかったということですか。
シャーリーン様が真剣な様子で資料に目を通していきます。ですが、次第に眉をひそめた表情へと変わっていきました。どうしたのでしょう?
「お兄様、こちらに書かれていることは本当ですか?」
「ああ」
「にわかには信じられません」
「認めるしかあるまい。実際、その者の身体能力は転生者並だったのだろう?
ブレスレット、アンクレット、ネックレスを装着することで、転生者並みの力を発揮したというのが研究班の推測だ」
「そうですか・・・。
でも術式に精霊印を5つも刻むなんてこと・・・」
「もっとも、術式の大半が焼け焦げてしまって、確認できたのは3つだけなんだが。ただ、術式の構図を考えると全部で5つ刻まれていただろうとのことだ」
信じ難い話が目の前でされていた。
魔道具には精霊印が刻まれることで、その精霊の力、効果を得ることが出来る。王国で作られている魔道具は、普通1つしか刻まれていない。2つになると術式が複雑化して、単純に大きくなってしまう。それ故、アクセサリーのように小さな物は精霊印は1つで、術式も簡単な物しかない。いえ、ないと思っていた。それが当たり前のことだと思ってました。
「研究班曰く、あり得ない代物だそうだ。とは言え、実物があるわけだ。認めるしかない。この魔道具を作った人物、国は、我が王国の遙か先の技術を持っていることを。
それでこの魔道具だが、おそらく帝国で作られた物だろう。これ程の魔道具を作れるとしたら、帝国くらいだ。あそこは昔から魔道具の技術に、国を挙げて注力していたからな」
「えぇ。そのくらいでしたら私にも想像はつきます
ただ、確かに驚くべき技術ですけど、未完成なのですよね。こちらの報告書に『長時間の使用もしくは過剰な使用は、装着者の生命力を削って効果を生み出していると推測される」と書かれています。
安全に使えないようでしたら、あくまで試作品なのでは?もちろん帝国の技術力が優れているのは事実ですけど、完成に至らなければ、無駄な努力に終わるのではないでしょうか。さすがに5つは無理なのでは?」
「研究班もお前と同じ意見だった」
「それでしたら」
「だが、私はそうは思わない」
「何故ですか?いくら帝国の技術が優れていても、精霊印を5つも刻むのは非常識ですよ」
「確かに王国の常識では非常識だな。だが、この国はマリア王妃の件で国力を大きく落とし、全てが停滞してしまった。ざっと100年だ。他国が我々の想像を超える力を手にしていてもおかしくはない。
そしてもう1つ理由がある」
「なんですか?
「これほどの技術、仮に国家機密ならば王国に流れてくるはずはない。まして学校の『闘技大会』で使われることはないはず。
私は、今回の魔道具は不要品であり、他国に流出しても問題ないと帝国は考えたと思っている」
「お兄様の言っていることはわかりますけど」
「まぁ、あくまで推論に過ぎない。ただそれを調べるのが私の仕事だ」
「危険を排除すること、もですよね?」
「あぁ、そうだ」
王子様の話は驚くべきものでした。転生者ほどの力を持った兵士や騎士に攻め込まれでもしたら、王国はひとたまりもないでしょう。転生者は自分の力を過信して練度が低いので、1対1で戦えば大抵勝てます。けれど、相手が同じように訓練を積んだ者でしたら、力量の差が勝敗を分けます。
さらに王国は王族派と貴族派でまとまりがありませんから、戦争になってもそれぞれが勝手に戦って負けることでしょう。
王子様の推測がもし事実でしたら、確かに早急に手を打つ必要がありますね。
「それで、食事を中断させてまで私を呼び出した本当の理由は何ですか?」
「?今説明しただろう?」
「お兄様の仰る通り、危機的状況と言えます。ですが、私に説明するだけでしたら、明日でも明後日でも、何でしたら全て終わった後でもよろしいですよね?
まさか、本当に私に会いたかっただけなんてことありませんよね?」
「いけないかい?」
「そういうのは恋人に言ってくださいませ」
「私に恋人がいないことは知っているだろう」
「お兄様!もう良い年なのですから、恋人ではなく、いい加減婚約者を決めてください。
ほら、側近の方達も頷いているではないですか」
「お前達・・・。
フッ。こればかりは仕方ないのだよ。何しろ、可愛くて賢い妹が側にいるのだ。どうしても見比べてしまう。お前くらい魅力的な女性がいないのが悪いのだよ」
「ハァ~。そう言うことをお兄様から言われても嬉しくありません。そういった言葉は、愛しい人に言われてこそときめくものです。そうでない人に言われては、返って興ざめです」
「グッ。そ、そうか。気をつけよう」
「話を元に戻します。それで、私を今日ここに呼んだ理由は何です?」
「そうだな」
咳払いすると、王子様の様子が豹変した。これまでの暖かく柔らかい感じから、冷たく鋭い目つきになった。王子としての姿を初めて見ましたけど、シャーリーン様にはない鋭利な感じがします。
ただ不思議なのが、何故私を見ているのでしょう。
シャーリーン様も、王子様が自分を見ていないことを不思議に思ったようです。
「お兄様?」
「今日呼んだ理由だが、お前の側近、クリスティーナを貸して欲しい」
「それは、どういうことですか?」
どういうことでしょうか?
勿論、王子様は諜報局のトップですから命令には従いますけど、まずは説明をお願いします。
「目的は、先程話した帝国の魔道具の件だ。
今夜さっそく帝国に潜入チームを向かわせる。しかし人数が足りない。帝国の魔道具開発施設は3カ所ある。それに対して、派遣できる諜報員が現在5人しかいない。2人1組で活動するには、1人足りないというわけだ」
「それでクリスティーナをというわけですか。
わかりました。ですが、何故クリスティーナなのですか?」
「ふむ。彼女は優秀と報告を受けている。カロリング語が話せるし、格闘術もそれなりだ。最近は、そちらのオードリーから隠密行動も学んでいるのだろう?
今回の任務に打って付けと言えるだろう」
養成所での成績は知っていて当然ですが、まさかオードリーに教わったことまで知っているとは思いませんでした。
「そういうことでしたら構いません」
シャーリーン様の声が少し弾んでいるようです。もしかして私が評価されたことを嬉しく思ってくださっているのでしょうか?もしそうだとしたら、これ以上嬉しいことはありません。
全力を持って事に当たらないと。
「助かる。
この後すぐに出発してもらう。詳しい説明は移動中に他の者から聞くように。道具は全てこちらで用意しているから、そのまま向かってくれ。良いな」
「わかりました」
どうやら帝国に潜入することになったようです。久しぶりの潜入ミッションです。おそらく、魔道具現物か設計図の入手、もしくは破壊といったところでしょう。
今回はチームを組んでということですから、楽しみです。養成所では教わらなかった現場の技術はどのようなものでしょう。
「クリスティーナ、気をつけて行ってらっしゃい」
「はい」
「お兄様、用件は以上ですか?」
「いや、まだある。
スコット=ランドという転生者を覚えているか?」
「誰です?」
スコット=ランド。ノーザン=アイルランドの元婚約者。神様に『幼馴染みと仲良くなりたい』と、よくわからない望みを叶えてもらった人物でしたね。リラと一緒に事に当たりましたけど、最後は有耶無耶に終わったはず。その後、本部が直接接触したはずですけど、何かあったのでしょうか?
それはともかく、私はシャーリーン様にスコット=ランドのことを耳打ちをします。
「思い出しました。幼馴染みの令嬢に付きまとっていた方ですね。
たしか、協力者になったと」
「その通りだ。それでいくつか新しい情報を得たのだが、試してもらいたいことがあってだな」
「私にですか?」
「いや、別にお前にというわけではないんだ」
「では、誰です?」
「待て。順を追って説明をする」
王子様の様子が少しおかしい。緊張しているのでしょうか?これまででしたらスラスラと話されていたのに、考えながら話されているようです。
側近の方達も、皆目を伏せてしまいました。
シャーリーン様もいつもと違う感じに気づかれたようで、緊張された面持ちで王子様の言葉を待っています。
「スコット=ランドから得た情報の中に、転生者に有効な色仕掛けがあった。ただ、それが本当に効果があるのか確証が持てなくてな。それをお前の側近に試して欲しいのだ」
「え~と、お兄様?もう一度言ってくださいませんか」
「ま、待て。そのような目で見ないでくれ。説明はまだ終わってない」
「そうなのですか?それでは続きをどうぞ」
シャーリーン様の声に抑揚がなく、重く淡々としています。身内相手だからでしょう。機嫌の悪さを隠そうとせず、王子様にぶつけています。
大丈夫でしょうか?王子様はしっかり挽回してくださるのでしょうか?
「そ、それで、その色仕掛けのないようなのだが・・・。女性が一人称を『僕』をすると心に響くというのだ」
王子様が何を言っているのか理解出来なかった。
何故女性が『僕』と言うのでしょう?何の為に?何故それで心に響くのですか?
「シャーリーン、聞いてるか?」
「え、ええ。聞いてました。聞いてましたけど・・・。その、お兄様の仰ったことがよくわからなくて」
「そう――だろうな。その、私も報告を受けた時はお前と同じだった。意味がわからなくて」
「つまり、それは本当の事なんですの?」
「ああ。他の協力者に確認したところ、男の転生者には有効――らしい」
「そう――ですか。その、でも、何故女性が男性の一人称である『僕』と言うのですか?」
「それが、スコット=ランドは色々熱心に説明したらしいのだが、研究班も何度聞いても理解出来なかったそうだ。それで、異世界独自の文化であろうと一応の結論にしたそうだ」
「そう――ですか」
「いや、話はまだ終わっていなくてだな。それが、どうも『僕』と言う女性は、未成年であることが望ましいらしいのだ」
「何故です?」
「わからぬ。ただ、そうだとしか・・・」
おそらくシャーリーン様も私と同じ気持ちなのでしょう?
意味がわかりません。
王子様が説明をしてくださったはずなのに、何1つ理解が及びません。
ただ私はこの感覚が2度目ですので、シャーリーン様達より早く混乱から抜け出すことが出来ました。そう言えば、1度目もスコット=ランドでしたね。
「それで、お兄様の頼み事とはなんでしょう?」
「混させてしまって何だが、あまり真剣に考えない方が良いぞ。文化の違いで常識と非常識は異なるからな」
「は、はい。そうですね」
「それで、本当に効果があるのか、お前の側近で試して欲しいのだ。
試そうとしたのだが、王城には成人しかいなくてな。頼める者がいなかった」
「頼まなくて正解です。突然王子がそのような意味不明なこと言いでもしたら、人格どころか正気を疑われますよ
とにかく、お兄様の頼み事はわかりました。ではクリスティーナ、言ってみてください」
「私ですかッ?」
「ええ、貴女が1番演技が上手いのでしょう?」
シャーリーン様の言葉に反論することが出来なかった。オードリーとアリスを見るも、目を逸らされてしまう。リラは・・・。無理。リラに自然な演技なんて期待できない。
シャーリーン様から指名されたとはいえ、何とか断れないかと考えましたけど無理でした。
「わかりました。
では・・・。僕」
微妙な空気が流れる。
シャーリーン様と王子様は深く考えているようですけど、その他の皆は居たたまれない様子で、遠い目で明後日の方を見ています。
大事な任務前なのに、どうして私は意気込みを削がれることをさせられているのでしょうか?
「単語だけでは効果がないのではないでしょうか?」
「確かにそうかもしれぬ。では何か文章で言わせてみるか。何が良い?」
「それでしたら、私、素敵な文章を知っています。お兄様、紙とペンを貸してください」
シャーリーン様が紙に何か書き始めました。何でしょう?先程までとは打って変わって、とても愉しそうです。嫌な予感がします。
シャーリーン様が「これを言ってみて」と紙を渡してきました。
思った通りです。気が進みませんが、主の望みです。
私は呼吸を整えると、セリフの情景を思い浮かべました。
「それでは。
『忘れないで。僕だって男の子の前に立って愛してほしいと言ってるだけのただの女の子よ』」
部屋の中が沈黙に包まれます。当然でしょう。言った私でも違和感しか感じません。
「シャーリーン?今のは?」
「え~と。この前呼んだ物語の一文で、とても良かったので・・・」
「そうか。それでどうだった?」
「やはり、わかりませんね。言ってもらってなんですけど、良さが全くわかりません」
「そうだな。私もそう思う。
一応聞いておくが、この中に心に響いた者はいるか?」
王子様の問いに、沈黙という形で皆が答えます。
なんでしょう。私が悪いわけではないのに、この居たたまれない気持ちは。相手が王子様でなければ抗議しているところです。
「そ、そうか。わかった。
シャーリーン、クリスティーナも協力してくれて助かった。
うむ。これは異世界独自の文化ということで、私達が使うには難しいようだ。参考になった。
え~~。話は以上だな。
そうだ。クリスティーナはこの後本部に行くように。サロモン、馬車を手配してやれ」
「かしこまりました」
「それでは手間をかけさせたな、シャーリーン。いつでも会いに来なさい」
「はい。お兄様もお仕事頑張ってください」
最後の挨拶は、事務的で形式的なものでした。
おそらく全員が思っていたのでしょう。この状況を終わらせたいと。
私達は思い残すことなく、脇目も振らず部屋を出ました。




