【82】ウサギと劇
「ん……」
光がまぶしくて目をぎゅっと閉じる。
ぬくもりを近くに感じて、なんとなしに抱きつく。
肌から伝わる温かさにそっと顔をよせれば、トクトクと規則正しい音がして。
落ち着きを感じながらも、少し目覚め始めた頭が、普段と何か違うと訴えてきたのでそこでゆっくり目蓋を開いた。
「おはよう、アユム」
柔らかな声。
すぐ目と鼻の先にマシロの端正な顔があった。
「なっ……」
思わず固まっていたら、マシロが上半身を起こす。
色も白く、線も細いけれどちゃんと筋肉がついている体。
寝る時、マシロは大体裸だ。
初等部のころにそれは知っていたのだけれど、現在の私には目の毒すぎる。
「何今更照れてるんだ?」
ふっとマシロが悪戯っぽく笑って、私の手をとって自らの胸に導いた。
「昨日はぼくの胸にすがりついてきたのに」
「!」
驚いた私の顔を見て、マシロがおかしそうに噴出す。
「真っ赤だなアユム」
「マシロがからかうからいけないんでしょ!」
叫べば、本当に先に寝てしまうアユムが悪いと、拗ねたような口調で言われてしまった。
「待ってろって言ったのに、眠るなんて少し薄情じゃないか? 今日は先に寝かせたりしないからな」
どういう意味にとっていいのかわからない私にそう言って、マシロは今日も一日楽しもうなと笑いかけてきた。
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「今日は晴れてよかったな」
「うん!」
マシロの言葉に頷いて、誰もいない海に二人して降りていく。
そろそろ泳ぐぞという時になって、タオルを取ればマシロが目を細めた。
「似合ってる。昨日からそれしか言ってない気がするけどな」
「ありがと、マシロ。でも恥ずかしいからジロジロみないで」
褒められて嬉しいけれど、あまり見られると偽胸がばれそうだ。
心配なのはこの通販で買った偽胸が、耐水性かどうかというところだ。
買うときにチェックし忘れた。
けどビニール素材で包まれているし、多分大丈夫だろう。
「アユム、あの岩場まで競争しないか?」
「体力自慢の私に敵うと思ってるの?」
マシロの誘いに全力で望めば、当然のように私が勝った。
「やった! 勝った!」
「クロールだとやっぱり勝てないか。じゃあ、次は平泳ぎで……これなんだ?」
マシロが近くに浮いていた物体を手にとる。
「これは……ぼくがつけてるのと同じパットだな。持ってきた覚えはないんだが」
やばいと取り返す前に、一目でパットだと見抜かれてしまう。
さすが日ごろ愛用しているだけはあるなと感心する暇もなく、マシロの目が私に向けられる。
「このパット水に浮くんだな。今日初めて知った。ぼくとおそろいだな?」
にっとマシロが意地悪く笑いながら口にする。
「……すいません。Cだなんて見得はりました」
「胸の大きさなんてどうでもいいだろうに。重いよりは軽いほうがいい。肩が凝るだけだ」
素直に言えば、マシロは何でそんな事をしたのかわからないというように肩をすくめる。
「それ、胸がある人の発言みたいだよマシロ」
「実際に重みを日々体感してるからこその証言だ」
妙に実感のこもった言葉に、思わず噴出す。
「ようやく緊張が解けたみたいだな。折角元の姿で羽を伸ばして貰おうと旅行を計画したのに、そんなんじゃ意味がないからな」
良かったというようにマシロは微笑んでくる。
「アユムとこうやってまた泳ぎたかったんだ。覚えてるか、初めて会った日にプールで遊んだこと」
「当たり前でしょ。悪い事してる気分なのと、女だってばれないかなって、物凄くドキドキしてたんだから」
懐かしむようなマシロの言葉に答えれば、水を掛けられた。
「ちょっとマシロ!」
「ドキドキしてたわりには、あの時楽しそうだったけどな」
互いに水を掛け合う。
そうやって遊べば、海から上がるころには疲れきっていた。
心地よい疲労感のままお風呂に入り、そのまま二人してベットに倒れこむ。
仲良くお昼寝をして気づいたら日が沈みかけていた。
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夕飯はピザを注文して食べて、マシロが夜風に当たろうと言ったのでバルコニーに出る。
「海水って思ってたより、辛いんだな。今日初めて知った」
「マシロ海入ったことなかったの?」
「ぼくは学園からあまり離れたことがないからな」
長い間生きているのに、マシロは学園の周辺しか知らないようだった。
「それって扉の番人だからだよね。扉から離れて大丈夫なの?」
今更かなと思いながら聞いてみる。
髪をさらう風が心地よくて、手すりに腕を乗せながらそれを感じる。
「ぼくの役目は扉を開ける資格を持った者が、どういう選択をするのか見届けることだ。つまりはアユムの側にいれば問題ない」
心配して尋ねれば、マシロはきっぱりと言い切った。
「大体、この別荘を貸してくれたのは学園長だ。駄目なら貸したりなんてしないだろ。まぁずいぶんとからかわれたけどな」
横を見れば、マシロがちょっと疲れたような顔をしてそんなことを言う。
女装をマシロに薦めたりするような学園長だ。
きっと散々遊ばれたんだろう。
この星鳴学園の学園長は女性だ。
けど正直、あまり顔は覚えてなかった。
「前から思ってたんだけど学園長も扉の関係者なんだ?」
なんとなくそうかなとは思っていたので尋ねれば、マシロは一瞬しまったというような顔をした。
けれど、まぁいいかとすぐに思ったようで頷く。
「星降祭で行われる劇があるだろう? 学園長の星野一族は、あれの主役である人間の子孫なんだ。あの劇が全て事実というわけではないんだが、昔から扉の管理を任されてる」
マシロはそう言って、劇の内容を復習するように教えてくれた。
主人公の青年が『扉』の向こうから現れた『ツキ』と呼ばれる人物と仲良くなり、二人は親友になる。
『ツキ』は友情の証として主人公に心を読む力を与え、主人公はその代わりに大切なものを差し出した。
けど、色々あって勘違いから仲たがいしてしまい、ツキは『扉』の向こうに帰って『扉』を閉ざしてしまう。
主人公は『ツキ』が悪くないと気づいて謝りに行くがもう手遅れで。
開かない『扉』の前で友情の証を手に、ずっと待ち続ける。
私が知っている内容と、マシロが話してくれた内容はそう大差なかった。
「星の降る夜にこの扉は開く。けれど扉の向こうへ行ってツキに会えるのは、資格を持つ者とそれに選ばれた者だけ。そういうルールを『ツキ』が決めて、選ぶための土台を星野一族が用意したんだ」
それがこの学園を舞台にした『ゲーム』なのだとマシロは呟く。
「ちなみにぼくは劇にでてきてないようで、実は出てるんだ。知ってたか?」
クイズだというように、マシロは口にする。
学園に伝わる怪談の『ウサギ』が、マシロの正体だということは知っていた。
『ツキ』と一緒に扉の向こうからやってきた『ウサギ』は、扉が閉ざされて帰れなくなってしまい、ずっと学園を彷徨っている。そんな怪談話。
けど劇の中に、実は『ウサギ』という役は出てこない。
出てくるのは主人公の『セイ』と、扉の向こうからやってきた『ツキ』。
それと主人公が想いを寄せる『ソラ』の三人だ。
後は味付けで適当に登場人物が加えられたりする。
「ぼくはツキが主人公に与えた『心を読む力』だ」
わからない様子の私に、笑いながらマシロが答えた。
言われてみれば、マシロには人の心を読むことができるという力があった。
「劇だと友情の悲劇みたいになっているけどな、実際はそんな綺麗な話じゃない」
少し悲しい顔をして、マシロは語って聞かせてくれる。
星野の祖先であるセイは、ツキの力を利用してのし上がり、この辺りの国を手中に収めたらしい。
そして敵国の姫であるソラに一目ぼれして無理やり嫁にした。
ソラは自分の身を守るためにセイに愛を囁いたけれど、セイはそれを信じきれずマシロに『心を読め』と命じたらしい。
「ソラはセイを愛してなんかいない。むしろ憎んでいる。そう素直に答えたところで、信じてはもらえなかった。セイは元々はいい青年だったんだが、ツキがセイが望むようになんでも力を貸したせいで、どんどんおかしくなっていった」
苦しそうにマシロは口にする。
「セイが望む嘘をぼくが言えればよかったんだが、それはツキが決めたルールでできなくて。セイはツキが自分を貶めようとしていると、思うようになった。そして、ツキから贈られた友情の証であるぼくを殺そうとしたんだ」
「殺そうとした?」
さらりと言うから聞き間違いかと思ったけれど、マシロはそうだと頷いた。
「ただぼくは死ななかった。人間じゃないからな。ぼくを殺せるのは、『ツキ』の力だけだ」
殺せるのはツキだけ。
その口調は、それが救いであるかのような響きを持っていて、心の奥底がひやりとした。
初めて出会った日、マシロのことを儚げだと思った。
それ以上に今のマシロがすぐに消えてしまいそうで怖くなる。
「ツキは扉の向こうに帰り、セイは力が無くなることを恐れ、やめてくれと懇願した。ツキはぼくだけをセイに残して、条件として扉を守ることと、ゲームを取り仕切ることを約束させたんだ」
それが今学園で行われているゲームの、はじまりということのようだった。
「劇の最後は友情の証を手に、ずっと扉の前で主人公は待ち続けるっていうシナリオになっているんだけどな。つまりアレは、ぼくと一緒に扉の前でツキを待ち続けるって意味なんだよ」
いい話のようでただの皮肉の効いた罰なのだと、マシロは笑った。
けど私は笑えなかった。
「マシロは自分を殺そうとした人と、ずっと一緒にいたの?」
硬い声を出した私に、マシロは驚いたように目を開ける。
「ツキもツキだよ。なんでそんな人のところにマシロを置いていったの? まるでマシロが道具か何かみたいじゃない!」
この場にいたら、絶対に二人とも殴ってやるところだ。
腹が立ってしかたなくて、何よりもそれをなんとも思ってない様子のマシロに苛立った。
「……ぼくのために怒ってくれてるのか」
「当たり前でしょ! なんでマシロは怒らないの!」
呆然としながら呟いたマシロにつっかかる。
この怒りをどこへ持っていっていいのかわからなかった。
ふい腕を強く引き寄せられて、抱きしめられる。
「ありがとう、アユム」
感謝の念が籠もった言葉をマシロが私の耳もとで囁く。痛いほどに抱きしめられて、戸惑った。
「なんでお礼なんていうの? 私怒ってるんだよ」
「あぁそうだな。ぼくのために怒ってくれてる。それが何より嬉しい。誰かにそうやって怒ってもらえることが、こんなに幸せだって今初めて知った。今までぼくのために怒ってくれる人なんていなかったからな」
柔らかな声色は、満たされたように甘い。
誰だって大切な人が道具のように扱われたら怒る。
それを当たり前だと知らないマシロが悲しくて、その背に手をまわしてぎゅっと抱きしめ返した。
「そりゃ怒るよ。誰だって好きな人には幸せでいて欲しいって思うでしょ」
「アユムの言う通りだな。ぼくもアユムには幸せでいてほしい。たとえ――でも」
私の言葉にマシロがそう返す。
悲しげで、今にも泣いてしまうのではないかと心配になる顔で。
けれどその言葉の途中は、海の向こうから響いてきた大きな音にかき消されてしまった。
「花火?」
「あぁ。今日は遠くで祭りがあるらしくて、穴場だって聞いてたんだ」
思わず呟いた私に、耳元でマシロが囁く。
これを見せたくて夜風に当たろうと外へ誘い出したようだった。
マシロはもう泣きそうな顔をしていなくて、
どうしてそんな顔をしたのか尋ねたかったのに、そのタイミングを失ってしまった。




