【11】水泳とミサンガと(★)
水泳の日当日。昼休みにマシロと学園の隠し通路で落ち合い、入れ替わる。
中等部の制服を着たマシロは、まだ中学生でも通じそうだ。
けれどどうみたって、私には見えない。
「本当に、皆には今のマシロが私に見えるの?」
何度目かになるかわからない確認に、マシロはちょっと呆れ顔だった。
「そんなにぼくが信じられないか?」
「いやそういうわけじゃないけど。私にはマシロはマシロにしか見えないから、不安なんだよ」
マシロに不思議な力があるのは知っているし、一度目の前で見たこともある。
私を迎えにきた宗介に、マシロは力を使った。
そしたら、宗介は様子がおかしくなって、私を連れずに一人で家に帰ってしまった。
その後確認してみたら、宗介はマシロにも会った記憶も、私を迎えに行った事もすっかりと忘れていたのだ。
「ぼくにアユムの力が効かないように、アユムにもぼくの力が効かないからな。信じ辛いのもわかるが、大丈夫だから大人しく待ってろ」
ドンと請け負うマシロに、うんと頷く。
その姿を見送ってから、私は急いで隠し通路内を移動した。
まだ休み時間で授業が始まるには早すぎる時間だ。
更衣室に行けば誰もいなかった。
プールへ繋がるドアのすぐ横、更衣室の入り口のドアが見える位置に、使用禁止と張り紙のされたロッカーが一つあるのを確認する。
事前に下調べした時に、鍵が掛からない事はチェックしてあった。
使用禁止と書いてあるロッカーなら、誰も開けない。
この位置ならマシロが入ってきたのを見逃すことはないだろう。
ちょっと気は引けたけれど、私はそのロッカーの中に身を隠した。
マシロを信頼してないわけじゃないけれど、少し不安だったのだ。
待っていれば、お昼を終えてクラスメイトたちが入ってきた。
ちなみに中学生になった今も、私は男子に混じって着替えをしている。
制服の下にはランニングシャツを着て、パンツの上にトランクスを重ね履き。
周りを見ることなく、誰よりも早く着替えを済ませる術を身に付けていた。
目の前でクラスメイトたちが着替えを始める。
水着だから下まで脱ぐってことを忘れていた私は、隣のクラスの子がおもむろにパンツを下ろしたあたりで、慌てて目を閉じた。
やばいコレ、今の私って覗き魔というか、変態みたいじゃない?
今更そんな事に気づく。
心配で見にきてしまったけれど、見つかったら色んな意味でアウトだ。
結構早まったことをしたかもしれないと後悔していたら、マシロが更衣室に入ってきた。
マシロは吉岡くんと一緒に、喋りながら更衣室に入ってくる。
「それにしても、アユムがプール入るなんて初めてだよな。いつもは背中の傷見られたくないって言ってたのに」
吉岡くんのマシロに対する態度は、普段私に対するものと変わらない、フレンドリーなものだ。
不思議そうに尋ねる吉岡くんの声には、楽しそうな響きが混じっている。
初等部のころから、傷なんて気にしないで泳ごうと吉岡くんは私を誘っていた。
「昔の傷をいつまでも引きずっているのも男らしくないからな」
「よく言ったアユム。今日は思いっきり泳ごうぜ! 勝負だ勝負!」
吉岡くんはマシロの隣で、上機嫌で着替え始める。
ちゃんとマシロを私だと思い込んでいるようだ。
白髪に赤い瞳。
こんな目立つ容姿をしているマシロなのに、皆普段通りでマシロに特別注目する子もいなかった。
ここまで誰も気づかないと、逆に怖いな。
そんなことを思っていたら、目の前でするりとマシロが上着を脱いだ。
「結構凄いな。これ痛くないのか?」
マシロの背を見た吉岡くんが、少し心配そうに口にする。
「もう傷は塞がってるからな。平気だ」
そうマシロは答えたけれど、私の目に映るマシロの背には傷一つない。
白くて細くて、少し不健康そうな背中が見えるだけだ。
周りの子たちもマシロの背を見て話しかけてくる。
吉岡くんだけじゃなく皆にも、その背中に傷が見えているんだろう。
「なぁ触ってみてもいいか?」
「それは遠慮してくれ。古傷が疼く」
尋ねた吉岡くんに、マシロは首を横に振る。
他の子たちも遠慮してくれたのでほっとしたけれど、気のせいかマシロの口調はあまり私っぽくないように感じた。
ばれないか心配だなぁ。
動作が芝居がかっている気もするし。
もしかして、あれは男らしくというのを意識してたりするんだろうか。
疼くなんて普段使わないんだけど。
ふいに、更衣室に宗介が入ってくるのが目に入った。
宗介はマシロを見て、ぎょっとしたような顔で固まった。
「宗介、今日はアユムも一緒に泳ぐってさ!」
「……アユム? 何を言ってるの、吉岡くん?」
ははっと笑う吉岡くんの声に、宗介は困惑顔で私の名前を呟く。
その顔は何を言ってるのか、よくわからないといった様子だった。
宗介にはマシロが私に見えてない。
そう思わせる態度だった。
マシロは見抜かれることはないと言っていたけれど、こっちの世界で私と一番過ごした期間が長いのは宗介だ。
バレたとしても、不思議じゃない。
『どうした宗介。まるで知らない人でも見たような顔をして。幼馴染のアユムであるぼくは、いつも通り何も変わらないだろう?』
宗介の方を見て、マシロがそんな事を言う。
声の響きと、そこに込められる力が変わった。
宗介の様子が変なのに気づいて、暗示をつかったんだろう。
「……アユムが水泳の授業に出るなんて思ってなかったから、驚いただけだよ」
すると宗介ははっとした顔になり、次の瞬間にはいつも私に接している時のように、マシロに話しかけた。
うまく暗示がかかったようでほっとする。
宗介は私の入っているロッカーのすぐ隣を使うことにしたようで、こっちに近づいてきた。
時折私の視界に、宗介のドアップがあって、ばれてしまわないかと心配になる。
緊張していた私だけど、宗介は別のことに気を取られてるみたいで、こっちを見ることはなかった。
宗介は、マシロの方ばかり気にしていた。
初めて水泳の授業を受ける『アユム』を心配してくれている。
そう思えたらよかったのだけれど、宗介の顔は険しくて。マシロに気づかれないように送る視線は鋭かった。
宗介から感じ取れるのは、マシロに対する敵意。
それを見て、宗介に暗示が効いていないのだと、私は気づいてしまった。
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宗介は、あれが私でなくマシロだと気づいていた。
どうしようと気持ちが焦る。
何て宗介に言い訳したらいいのか。
とりあえず、ロッカーから出て考えよう。
皆がいなくなったのを確認して、ドアを開けようとしたけれど、開かない。
さっと血の気が引いた。
前に確かめにきたときは、すんなり内側からも開いたのに。
このロッカー、どうやら鍵が掛からないんじゃなくて、鍵が勝手に掛かったり掛からなかったりするから、使用禁止になってたようだ。
マシロと連絡を取ろうにも、携帯電話は教室の鞄の中。
ぐるぐると考え込んでいるうちに水泳の授業が終わって、皆が戻ってきた。
助けてもらうチャンスは、人がいる今くらいかもしれない。
けれど、私という事になっているマシロがそこにいるから、それもできなかった。
気づいてもらわなきゃ困るけど、気づかれたら困る。
そんな気持ちでいたら、皆の会話が聞こえてきた。
水泳の授業では、どうやら宗介とマシロが泳ぎの対決をしたらしい。
皆の話から、どうやら宗介と『アユム』が対決して、『アユム』が勝利したらしいとわかる。
宗介は皆から惜しかったなとかと声をかけられながら、ロッカーに戻ってきた。
いつも通りの爽やかに対応してたのに、ロッカーの方を向いた宗介の顔は、誰も見てないからか、かなり悔しそうだった。
宗介は私と違って、勝負事にこだわるタイプじゃない。
負けて悔しがっているという事が、マシロに対する敵対心の現れのような気がした。
結局私は何もできずに、マシロたちを見送って。
五時間目どころか六時間目の授業もロッカーの中で過ごした。
私と入れ替われずに、マシロは今頃どうしてるかなと考える。
授業を受けてくれているか、捜してくれているか。
でもまさかこんな所にいるとは予想してないだろう。
お手洗いに行きたくなってきて、もう恥とかどうでもいいから、人がきたら出るのを手伝って貰おうと私は思った。
放課後更衣室のドアが開いてよかったとほっとしたら、入ってきたのは宗介だった。
宗介は隣のロッカーを開く。
右手には水中眼鏡が握られていて、どうやら忘れ物をしたらしいと分かる。
「くそっ!」
覚悟を決めて声をかけようとしたら、宗介が悪態をついてロッカーを拳で叩いた。
驚いて、思わずかけようとしていた声を引っ込める。
水泳の勝負のことがそんなに悔しかったのか、私と見てないところでマシロと何かあったのか。
こんな風に感情を荒立てる宗介なんて、珍しい。
思わず呆けていたら、宗介が立ち去ろうとしたので焦る。
「待って宗介!」
「アユム?」
声をかければ、驚いた顔で宗介があたりを見回す。
「ここ! 宗介が使ってたロッカーの隣! 出られなくなっちゃったんだ!」
「……なんでそんなとこにいるの?」
ロッカーに近づいてきた宗介と視線があう。
その顔はとても戸惑っていた。
「びっくりさせようと思って隠れたら出られなくなっちゃって。ごめん、助けて!」
「ほんと、何やってるんだよ!」
宗介が外側からロッカーを開けようと力を込めたけれど、引っかかりがあって開かない。
けれど、二人がかりで力を込めれば、強引にこじ開けられそうだった。
「アユムは中から押して。俺が外から引っ張るから」
「うん、わかった。いくよ!」
壁側に足を突っ張って、ドアに体重をのっける。
しばらく粘って、思い切り力を込めていたら、急に支えがなくなった。
「うわぁっ!」
勢いよくロッカーから飛び出した私は、宗介の胸に飛び込む。
そのまま宗介は私をかばうように、下敷きになった。
「ごめんね宗介、助かった」
「いいよ別に」
私の下にいる宗介は、全力を出したせいかちょっぴり息が上がっていた。
少し落ち着いてから、この状況にはっとする。
背中に手が回され、宗介のぬくもりが伝わってくる。こんなに密着したのは久しぶりだ。
昔はなんとなしに抱きついたりしてたけど、宗介の肩幅ってこんなに広かっただろうか。
どちらのものか分からない心臓の音に焦って、宗介の上から退こうと身じろぎしたら、頭をそっと抑えられて髪に顔をうずめられた。
「そ、宗介!?」
「アユムから……シャンプーの匂いがする」
耳元でする宗介の声は、どこか艶を含んでいてぞくぞくとする。
「俺と同じ匂い。使ってるシャンプー一緒だし、当たり前だよね。今気づいた」
一瞬、プールに入ってないのがばれたのかと思ったけれど、そういうわけではなさそうだった。
どう反応したものかわからなくて顔を上げたら、宗介と目が合う。
息が掛かりそうな距離。
「アユム」
躊躇うように、切ない声で名前を呼ばれた。
私の名前を呼ぶことが、本当はいけないことであるかのように、宗介は苦しそうだった。
そっと伸ばされた宗介の手が、私の頬に触れて。
その瞬間、更衣室のドアが開いた。
「アユムー、いないか?」
宗介と二人して視線だけそちらに向ける。
私を見つけたマシロが、固まった。
誰もいない更衣室で二人きり。
互いに乱れた衣服。
息を切らしてぐったりしている宗介の上に、ロッカーに入ってたせいで汗だくの私が乗っかっている。
……どう見たってこれ、私が宗介を押し倒してる図ですよね。
「えっと、あーいるならそれでいいんだ。邪魔したな」
「待ってよマシロっ! せめて説明させて!」
そそくさと出て行こうとするマシロを、全力で引き止める。
「忘れ物をして取りに来たら宗介がいて、脅かそうと隠れたら出られなくなって、助けてもらったと。そういう事なんだな、アユム」
「……うん」
状況をまとめてくれたマシロの顔は、明らかに呆れていた。
マシロを信頼しきれず、ロッカーの中で隠れて見張っていたことにも気づいているだろう。
「まったく何をしてるんだお前は」
「ごめんなさい」
素直に謝ると、まったくしかたないなというように、マシロが服や髪の乱れを直してくれた。
「行くぞアユム」
さっさとこの場を立ち去りたいのか、マシロが私の手を引く。
「助けてくれてありがとう宗介。ちょっとマシロと話しがあるから、行くね! 夕飯までには帰るから!」
宗介を振り返って、叫ぶ。
一瞬、宗介の瞳に暗い光が宿ったような気がしたけれど。
トイレを我慢していた私はそれどころではなくて、その場を立ち去った。
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家に帰って宗介に何か聞かれるだろうと、私は覚悟を決めていた。
しかし、予想に反して宗介は何も私に言ってこなかった。
現在は夕飯を食べている最中。
向かいに座る宗介の機嫌は、かなり悪いように見える。
その表情は、初等部の時に私が宗介の知らない所へ行ったり、他の友達と遊んだ時に見せるあの表情と一緒だった。
「宗介、何か私に聞きたいことない?」
無言に耐え切れなくなって、勇気を出して自分から振ってみれば宗介は眉を寄せた。
「……アユムは、マシロ先輩を信頼してるんだね」
「えっ、うん。マシロは見た目変わってるかもしれないけど、いい人だよ」
思っていた問いと違って拍子抜けしながら答えれば、宗介はますます眉を寄せて不機嫌な顔になった。
「そう、それならいいんだ」
全くいいとは思っていない顔でそう言って、宗介はまた黙り込んでご飯を食べ始める。
「宗介はさ、水泳の時のボクをどう思った?」
宗介の反応を窺うため、遠まわしにそんなことを尋ねてみる。
口にするだけで、心拍数が跳ね上がった。
「……アユムらしくないって思った。ごちそうさま」
ご飯を途中で切り上げて、宗介は部屋へと行ってしまって。
残された私は、今の言葉をどういう意味に捉えたらいいのか混乱した。
宗介は水泳の時の『アユム』が私でないと見破ったわけじゃないのかな?
暗示にはかかっていたけれど、マシロだったから少し変に思っただけとか?
でも、あの様子は目の前の『アユム』が、私でないと気づいているように見えた。
――アユムやぼくと同類でもない限り、見た目や声だけで見抜くのは不可能だ。
ふいに、マシロがそんな事を言っていたことを思い出す。
初等部の頃の宗介は、マシロの暗示にかかっていた。
ただ単に私の勘違いで、気にしすぎただけなんだろう。
そう私は結論付けた。
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季節は夏から秋に変わり、どうにか私は水泳の授業を全て乗り切った。
水泳の授業のたびにマシロと入れ替わっていたのだけど、皆うまくマシロを『アユム』だと思ってくれたようだ。
てしまったのだけど。
ちなみに来年からは、中学の水泳は選択性の授業になるようだ。本来プール設備があるなら、水泳の授業はやる事になっていたのだけど、国レベルで方針が変わったらしい。
その事にほっとする。
十月になって。
いつものようにマシロの部屋に行ったら、机の上に手紙とミサンガが置かれていた。
マシロは十月から海外の学校に通うことになったらしい。
別れが苦手だから、直前まで言えなくて悪いなと書かれていた。
あっさりとしていてマシロらしい。
一人でしんみりしながら、ミサンガを腕につける。
眺めていたら、私の携帯電話が音を立てた。
誰かなと思ってメールを開いてみると、良太からだった。
良太はこのギャルゲーの主人公であるアユムが、公立の学校に通っていた時の知り合いだ。
私とは五年生の秋に知り合い、今では一緒にゲーセンにでかけたり、よく遊びに行く仲だ。
特に中学に入ってからは、良太と遊ぶ機会も増えた。
宗介が遊んでくれないので、自然と良太と遊ぶようになったのだ。
学園で一番仲のよい吉岡くんは、バスケばかりで遊んでくれないし、他の子たちも習い事などでなかなか都合が付かない。
良太と遊ぶときは、この学園の子があまり行かない場所に行ったりする。
あっちの学校で流行っているからと、前世ではやったことのなかった、カードバトルや、モンスターを戦わせるゲームなども教えてもらった。
学園の友達と遊ぶ時とは、また違った雰囲気で楽しい。
やっぱりというか、良太からのメールは遊びの誘いだった。
特に予定もなかったし、気分転換も兼ねて、私はその誘いに乗ることにした。
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★中等部1年 夏―秋
●原作ギャルゲーとの違い
1)マシロは主人公にここまで協力的ではないし、中等部時点で出会ってない。
●ルートA(マシロ編)との違い(41話―42話)
1)マシロがふんどし姿を披露していない。
2)マシロ編より宗介がマシロを警戒している。
3)宗介が暗示にかかっていないことに、アユムが一瞬気づいた。
4)マシロから貰ったものがブレスレットから、ミサンガになっている。
13話から分岐点に突入予定です。




