月代抜宗
「俺の本当の主は……江戸幕府」
「ば……馬鹿な…」
黒川は眼を見開き、そのまま息絶えた。
月代抜宗は、冷たい眼を陸郎たちに向けた。
「――次はお前たちの番だ」
「一体……何が狙いで――_」
陸郎は戦慄を感じながらも、月代に言った。
月代は、微かに笑ったようだった。
「まだ判らないか? 江戸と尾張の徳川の争い――という勢力争いに諸大名家を巻き込んで、内部分裂を起こさせ、お家騒動で取り潰したり、諸国の力を弱めてるのさ。お前たち弱小大名家も、その標的になったというわけだ。まあ、目的自体は……俺には興味がないがな」
陸郎は憤然として、達彦の元から立ち上がった。
「そんな裏工作を……ずっとやってきたと?」
「各大名の力を削ぐ。それが天下泰平ということだろう? ――そこの春日だって、似たような仕事をしていたはずだ」
月代は明確に笑った。
「違う――わしは…お前たちとは……」
「お前が知らないだけさ。端役だからな、所詮俺たちは。俺はただ、命じられた相手を斬るだけよ。『影廻』のお前がその中にいると聞いた時は、少しぞっとしたがね」
月代は冷たい笑みを見せた。
「お前が怪我をしている時を狙えてよかったよ、春日達彦」
「貴様……」
達彦が口惜しそうに歯ぎしりした。
陸郎は無言の怒りのなかで、達彦の元から立ち上がった。
「貴方が――達兄と…左近を――――」
「そして、お前もな」
陸郎の心に、激しい怒りが沸いた。
「お前だけは――絶対に許さんっ!」
陸郎は一瞬で間を詰めると、目にも止まらない抜刀で月代に抜きつけた。
が、月代はそれを大刀と逆手に持った小太刀の十字受けで防いでいた。
月代が飛び退く。
「――なんて速さだ」
月代に呟く暇も与えないように、陸郎はさらに立て続けに追い打ちをかける。
しかし月代は大刀と小太刀の二刀で、巧みにそれを防御した。
「逆手二刀流――」
美木が、驚きの声を洩らす。
「――月代抜宗の二刀流は、単なる奇手じゃない。守りに固く、攻めに瞬時に変化する恐ろしい技だ……」
その片鱗を既に味わったことのある美木は、決死の形相で戦いに目を凝らした。
陸郎は怒りに我を忘れたように、月代を攻め続けていた。
しかしその猛攻を、月代はぎりぎりのところで防いでいる。
「――いかん、攻め疲れが出てきた」
美木は陸郎の攻めの速さが落ち、月代の守りに余裕が出てきたのを見て取った。
しかし陸郎は、まだ相手に攻める間を与えない。
その時、声が飛んだ。
「陸郎、怒りを捨てろ!」
必死で振り絞った、達彦の声だった。
陸郎は我に返り、月代から距離をとって、荒くなった息を整えた。
そよに身体を支えられながら、達彦は陸郎に向かって言った。
「……怒りを捨てろ、陸郎。わしのこと、左近のことは、己がしたことの報いじゃ。我らに気持ちを入れ込むな、陸郎。怒りを静め、水月の位をとれ」
達彦のいう水月が、空斎の教えの明鏡止水であると陸郎はすぐに悟った。
「達兄……」
陸郎は呼吸を深くし、気持ちを静めた。
雲間から、月明りが射し込んだ。
陸郎は澄んだ水のように、辺り一帯の空気と一つになり、鏡のようにその光を照らし出した。
陸郎は、静かに中段に構えた。
月代抜宗が不気味に笑った。
月代は大刀と逆手に持った小太刀の双方を、山のように前に構える。
そこから月代は敏速な動きで間合いを詰め、大刀を片手だけで廻し陸郎の側面を襲ってきた。
陸郎がその側面を剣で受け止める。と、同時に月代は左の小太刀を突きたてるように陸郎の胸を襲った。
瞬間。
――残雪。
二人の動きが交錯し、そして陸郎は動きを止めた。
「……オオオォォッッ!」
月代が失った左腕の痛みに、咆哮をあげた。
突きたてる動きの左腕に対し、陸郎は初めての右手に抜ける残雪を使った。
右手に大刀を持った月代が、よろめくように後ずさる。
「貴様が……いつの間にこんな――_」
左腕を切断されその場に崩れ落ちる月代をしり目に、陸郎は刀を納め、息絶えようとしている達彦のもとへと駆け寄った。
「達兄――達兄のおかげで…自分を取り戻せました」
「うむ……よかった…」
達彦は、霞む目に焼き付けるように、そよと陸郎を見やった。
「そよ……幸せにな――」
「お兄様……」
そよが涙声を出す。達彦は陸郎をゆっくりと見た。
「陸郎……そよを…守ってくれ………」
達彦はそう言うと、寂しげな笑みを浮かべて息を引き取った。
「お兄様っ! お兄様ぁっ!」
そよが号泣した。
陸郎も涙をこぼした。
傍らの美木は、苦渋に満ちた顔で、その場に立ち尽くしていた。
その隙を伺い、月代はじりじりと後ずさり、その場から立ち去ろうとしていた。
と、その背後から不意に澄んだ声が上がる。
「――父上、こやつ、斬ってもよろしいですか?」
「なに!?」
月代は驚きに飛びのいた。
振り返ると、闇の中から人影が現れる。
「待て。少し話を聞いてからだ」
その声には、陸郎も聞き覚えがあった。
月明りの下に現れたのは、陸郎も以前に見た人物だった。
「……柳生但馬守様」
陸郎は驚きを抑えて呟いた。
その前に澄んだ声を上げた人影が姿を見せる。
そこに現れたのは、女と見紛うばかりの美形の剣士であった。
さらにもう二人、眼帯をつけた偉丈夫ないでたちの侍と、背筋が妙に丸くて背の低いあばた面の男が現れる。
月代抜宗が、初めて恐ろしそうな声を出した。
「十兵衛三厳……左門友矩…伊賀の蝦蟇鬼……やはり、柳生の子息が影廻の元締めだったのか………」
その中のひときわ美しい剣士――左門友矩が、再び澄んだ美しい声で但馬守に口を開く。
「こやつ――春日を斬ったようです。あそこに死んでます」
言われた但馬守は、倒れている春日達彦の方を見た。
陸郎に視線を移す。
「月代抜宗に敗れたわけではあるまい? 久澄陸郎」
「――私と戦い、腕を怪我しておりました」
なんと…と、眼帯の十兵衛が少し驚きの声を洩らした。
「そうか、やはりな…。春日が並の相手に敗れるはずはないと思ったが……少し来るのが遅かったようじゃ――」
但馬守は思案気に言葉を洩らした。
と、その時、伊賀の蝦蟇鬼と呼ばれた男が、さっと月代の前に立ちはだかった。
両手には二丁の鎌を持っている。
「逃げるんじゃないぜ、甲賀の蒼月」
「くっ……俺を、どうするつもりだ」
月代は柳生但馬守を睨んだ。
但馬守は月代に向かって口を開いた。
「お前に訊くことがある。素直に答えればよし。――お前の真の雇主は誰だ?」
月代は恐怖に目を見開いた。
それを冷然と但馬守は見つめている。
冷や汗を流しながら、月代は覚悟を決めた。
「老中……土井利勝…様」
月代は苦しげにそう答えた。
但馬守は納得したように頷いた。
「そうか……それならよし。何処へでも行け」
「な――本当だな?」
月代は訝しげに但馬守を見た。
但馬守は悠然とした口調で月代に応えた。
「ああ、何処へでも行くがよい。忍びとしてもう役に立たず、また主の名を明かした裏切り者として――時には元の味方に狙われながらな」
「俺は……逃げ延びてやる」
月代はそれだけ吐き捨てるように言うと、猛然とその場を走り去った。
「父上、よかったのですか?」
左門が不満げに但馬守に言った。
「何もできん。構う事はない。それに、春日の剣を破ったのは、そこにいる久澄陸郎よ。蒼月は単に機に恵まれたにすぎん」
但馬守は、ゆっくりと達彦の遺骸へと歩み寄って行った。
「春日……惜しい者を亡くしたのう……」
「但馬守様……お伺いしたいことがございます」
陸郎は、但馬守に口を開いた。
但馬守は陸郎を見た。
「なんだ?」
「――今回の件……そよの輿入れは但馬守様からのお話と聞いております。それも我が国を分裂させるために、老中様と惣目付様とで仕組まれた罠だったのですか?」
「……そうとしたら――なんとする?」
但馬守は、ゆっくりと陸郎に訊いた。
陸郎は静かに応えた。
「貴方を…斬ります」
但馬守の傍に、十兵衛が素早く現れる。
「父上、自分が相手をします」
「いや……よかろう。お前たちは下がっておれ」
但馬守は気色ばんだ左門も下がらせ、陸郎と少し離れて間合いをとった。
陸郎は但馬守を見つめた。
「今回の一件で、多くの人が傷つき、死にました。――これが幕府のやり方ですか?」
「そうじゃ」
陸郎は沈鬱な表情で俯いた。
やがて陸郎は顔を上げると、静かに剣を抜いた。
柳生但馬守が、同じように剣を抜く。
陸郎は静かに明鏡止水となり、同時に但馬守もまた鏡と化した。
「――あやつ、新陰流を!?」
左門が驚きの声をあげる。
二人は合わせ鏡のように、互いを映し合っていた。
その鏡の中には――無限の遠点に消える鏡の道。
終わりのないその反響が、夜闇のなかで静かに響いていた。
左門と十兵衛は、息を呑んでいた。
その二人の対峙のなかにある凄絶な精神的圧力を、二人は見てとれたためだった。
(――遠い………)
無限に続く合わせ鏡の先の、その終わりが見えない。
だが陸郎は、動を保ちつつ静を、静を保ちつつ動であることを守り続けた。
二人の身体は微動だにしない。
まるで時を忘れたかのように、二人の対峙は長い時をかけて続いていた。
月が、不意に流れる雲にその姿を、隠される。




