刺客・羽生修平
陸郎は悲痛な思いに囚われ、片手で顔を覆った。
「しかし……そんな事が――――」
「久澄どの」
五郎太は陸郎の眼を凝視した。
「拙者が来たは、久澄どのたちが既に我らに知られたがため。拙者はここで討たれたが、追手はまだ来まする。
本当にあの娘ごを守ろうと思うなら――迷うてはなりませぬ。刀を抜くとはそういうこと。迷えば、斬られるのは久澄どのでござる」
「鳥山さん……」
「さ、拙者の介錯をして下され。無用に苦しませぬは、武士の情けにござる」
鳥山五郎太はそう言うと、沁みわたるような微笑を見せた。
陸郎は喉元まで出かかった嗚咽を殺した。
そして静かに刀を抜くと、陸郎は座した五郎太の背後にまわった。
剣を八相にかぶる。
「御免」
一刀のもとに、陸郎は鳥山五郎太の首を斬り落した。
微笑を浮かべたままの鳥山五郎太の首が、ころりと地面に転がった。
「う…う、ううぅ……」
陸郎は左手で顔を覆うと、流れてくる涙と嗚咽を隠した。
陸郎の脳裏に、以前に見かけた鳥山親子の幸せそうな様子が浮かんだ。
寂寞の情が、陸郎の胸を激しく襲った。
「――勝負がつきましたか」
不意に寺の方から老齢の僧侶が一人現れた。
陸郎は涙に濡れた目で、僧侶を見た。
僧は陸郎に一礼すると、口を開いた。
「この寺の坊主です。鳥山どのから仔細を聞き、弔いを引き受けております」
「そう……でしたか」
僧は静かに膝を落とすと、鳥山五郎太の首をいたわるように拾い上げた。
「いい人でしたがな……」
僧が呟く。
「はい。――いい人でした……」
陸郎は涙声でそれに頷いた。
後のことを僧侶に任せ、陸郎はそよの待つ茶店へと戻っていった。
そよはすぐに、遠目から陸郎の姿を見つけると、歩いてくる陸郎の方に駆け寄ってきた。
「陸郎さま!」
駆け寄ったそよは、思わず陸郎の腕に身を寄せた。
「ご無事だったのですね……よかった………」
細い指で、そよが陸郎の着物を強くつまんでいた。
陸郎は悲しみを堪えながら、そよの顔を見る。
そよが安堵の表情で、陸郎を見上げていた。
(迷ってはならぬ――)
陸郎は鳥山五郎太、そして空斎に告げられたことを噛みしめた。
「――勝負の後、鳥山さんは自害なされた」
そよは息を呑んだ。
「立派な武士だった……。私はあの人の死に恥じないためにも――必ず、ぞなたを江戸に連れていく」
陸郎は固い決意で、そよの顔を見た。
二人は甲州街道を通り、甲斐の国を抜け江戸へと向かった。
街道を行く旅では、嘘のように何事も起らなかった。
だが陸郎は常に警戒を怠らなかった。
その静けさが必ず打ち破られる時が来ると、陸郎は知っていた。
「この小仏峠を越えれば、甲斐から武蔵の国へ入れる。そうしたら江戸まで、あと一息だ」
甲州街道の小原を越え、山道にさしかかると、陸郎はそよにそう言った。
小仏峠には関所がある。
当時、『入鉄炮出女』と言われるように、幕府は江戸の治安警護に神経を尖らせていた。
入鉄砲は無論、幕府の本拠である江戸に鉄砲を入れさせないため。
一方、出女は従わせている各大名の江戸住まいの家族が、密かに江戸を出ないための警戒であった。
国境に関所を設け、幕府は交通の流れを監視することで幕府の体制を守ろうとしていたのである。
その目をくぐって国を越えようとする者は、厳しく処罰された。
つまり、江戸に向かうには必ず関所を通らなければならない。
関所を通るには手形がいるが、二人は幸い川に落ちた際にも、胴巻きに手形を持っていたがため無くさずに済んだのだった。
小仏峠に向かう山道は、常緑樹に囲まれうっそうとして薄暗かった。
通行人もあまりなく、二人は関所で手形を見せ、幾分かの金を払い、無事に関所を抜け武蔵の国へと入った。
下りの道はしばらくすると小川にあたり、それからはその小川沿いに道がつくられている。
二人は少し喉を潤すと、木々に囲まれた薄暗い道を黙々と下った。
下から、山男らしき者が背負子に薪を背負って登ってくる。
すれ違う広さは充分にあり、陸郎はそよを背後に促すと、そのまま歩き続けた。
山男とすれ違いになる。
と、その瞬間、山男は懐刀を取り出し、陸郎を襲ってきた。
陸郎は円転の動きでそれをかわしながら、懐刀を捌く。
空を切った相手の小手を捉えると、陸郎はさらに廻し崩した後、小手を返して投げ倒した。
『柔』の技であった。
倒れた相手の小手をそのまま極め、足で肘を圧しながら相手をうつぶせに廻し抑えると、陸郎はその手から懐刀を取り上げた。
そのまま相手の右肩を刺す。
「ぎゃっ」
男が悲鳴を上げた。
陸郎はそよを背後に隠しながら、前方へと目を光らせた。
前一帯の山林から、侍たちがわらわらと現れてくる。
その中で、槍を持った男が一人。
三羽烏の一人、羽生修平であった。
(槍一、薙刀が二本、太刀が三人――)
陸郎は相手の人数と得物を確認した。
その中には、あの松田玄太の太刀を持つ姿もあった。
「そよ殿、こっちだ」
陸郎はそよの手を引き連れ、左山手の端にいる、薙刀の男の方へと走って行った。
空斎の教えがあった。
“戦うにおいて間合いが遠くもてるということは、それだけで優位である――”
陸郎は一瞬で脳裏において、空斎の言葉を反芻した。
「――ただし、その長物を扱うことに長けている場合にのみじゃ」
「その扱いに慣れていない時は?」
陸郎の問いに空斎は答えた。
「長物の長さ、重さに逆に振り回され、居つくことになるじゃろう。一人で扱うのに最も優位な得物は、わしの考えでは薙刀である」
空斎は木薙刀をその場で自在に振ってみせた。
「間合いが剣より遠く、また思わぬ処から薙刀の刃は振ってくる。面を狙う軌道で脛に変化するなどの扱いも多元であり、長くも短くも使える自在さを持つ。ただし、それを自在に扱うは至難じゃ」
「それが扱えれば、剣に優位となりますか?」
「なる。――が、すぐに取り出せる速さに欠け、また旅に持ち歩くには不向きじゃ。もし敵に持ち手がいたなら、叶うならば相手より奪うのがよい――」
陸郎はそれを実行しようとしていたのだった。
途中でそよの手を離し、陸郎は懐刀一つだけで薙刀の男へと進んでいった。
逃げるかと思われていた陸郎の接近に、相手は動揺していた。
しかし陸郎が手にしているのは、短い懐刀一つ。
薙刀を持った男は、安易に右構えから中段目がけて、陸郎に突きを繰り込んできた。
陸郎は入り身でかわすと、その薙刀を左手で掴む。
「何!?」
驚きに居ついている相手の前手を懐刀で斬りつけると、陸郎は懐刀を捨て相手の前手を取る。
斬られた前手は薙刀を離し、陸郎はくるりと円転すると、相手が薙刀を腹に抱え込むように導いて、取った手を薙刀の下からすくい上げた。
自ら脇に抱え込んだ薙刀で肘を極められる形になり、相手は苦痛の声をあげて前のめりになる。
陸郎はさらに出した足に相手をひっかけるように相手を前に転がすと、その薙刀を奪い取った。これも『柔』の技であった。
「な――」
陸郎に詰め寄ろうとしていた男たちが、驚きの声を洩らした。
陸郎は左構えに薙刀を構えながら、そよに声をかけた。
「そよ殿、上れ!」
「はい!」
高き処と低き処なら、高き処が有利――これも空斎の教えの一つだった。
通常、薙刀を持つ際には、柄の先の石突が、ちょうど肘あたりになるくらいに後手から柄を残す。
これを『前膊』という。
陸郎は前膊を残して、下手に集まった太刀の三人に構えをとった。
その左端に、松田玄太がいる。
松田は陸郎を睨みつけ、すぐにでも斜面を登り襲いかかってくる気配を見せていた。
が、仕掛けたのは陸郎だった。
陸郎は手の内で前膊を無くすように、後ろ手を石突ぎりぎりまで下げ、そこから手のなかでしごき(・・・)を入れて、薙刀を松田の小手に伸ばした。その動きは眼にも止まらぬほどの俊敏さであった。
つまり、前膊の分だけ間合いが伸びる。
そうでなくとも間合いが遠く、慣れない薙刀との立ち合いで、松田がそれを見切れるはずもない。
「わぁっ」
小手を瞬時に斬られて、松田が悲鳴を上げる。その様子をよそに、陸郎は薙刀を八相に構えると、隣の男の側面に斬りつけた。
男が太刀でそれを防ごうとする。
が、その太刀に触れるより速く、薙刀は軌道を変えて、相手の脛を斬った。
男は悲鳴をあげながら、足を抑えて転がった。
「ヌオオオォッ」
最後の太刀の男が怒声をあげながら、陸郎の背後から斬りつけてくる。
陸郎は身体はそのままで頭の向きだけを変え、柄の方を手の内で長くしながら、相手の斬りつけを受けると同時に払い落とした。男の太刀が払い落とされ、胴ががら空きとなった。
すっと後ろ手で薙刀を滑らせるように引き込み、陸郎はそれを繰り込みつつ踏み込んで、男のみぞおちに石突で突きを入れる。
「ぐぇ……」
短い呻きとともに、男が倒れる。
ほぼ一瞬にして、太刀を持つ三人が倒された。
「貴様、薙刀を使うか!?」
もう一人の薙刀を持つ男が、陸郎に怒声を浴びせた。
陸郎はさっと山手を下り、少し離れて見ている羽生修平を警戒しながらも、薙刀を持つ者と対峙した。
「ダァッ」
男が薙刀の突きを入れてくる。
が、これは浅い。本当に深くまで踏み込んだ攻撃ではなく、散らし(・・・)の攻めだった。
男の薙刀が、すぐさま脛に変化する。
陸郎は半身を入れ替えて下がりながら、それを柄で受ける。男はすぐに、安全な間合いへと戻った。
明らかに、他の使い手とは違った。
陸郎は八相に構えて横面に斬りつける。
男がそれを払い落とす。
その力を利用して、陸郎は振り返しで振りかぶり、逆側の脛に斬りつけた。
が、薙刀使いはそれを防いだ。
二人は再び距離を取る。
その一瞬の攻撃は、陸郎の『布石』である。
陸郎は中段から、僅かに脛を狙う『気配』だけを見せた。
と、男がすぐさま反応する。その瞬間、陸郎は八相に構えを転じて横面を打った。




