史実編 31話
このころの信澄は甲斐国・甲府城に居を構えていた。
これまで高島25万石を得ていたのだが秀吉の甥の三好信吉改め豊臣秀次が失脚し切腹するとそれに連座した浅野幸長が若狭へ減封されたのをきっかけに甲斐及び信濃伊那郡の合計で30万石を与えられたのだ。
とはいえ大方の大名は大坂の屋敷におり信澄も甲斐の経営はもっぱら弟の信兼や堀田秀勝らに任せていた。
「もっぱらの噂では太閤殿下はお亡くなりになられたようですぞ」
そう報告するのは織田秀澄。
信澄の嫡子でありどこか祖父の明智光秀の面影を感じさせる。
「徳川様は御嫡男の江戸中納言様を江戸に帰らせたようですぞ」
山口重政が続けて報告する。彼のように織田信雄の失脚後に信澄に仕えている者は多い。
「流石は内府殿。かつて伯父上と奇妙殿が同時に討たれたような事態を避ける為に倅を逃がしたか。これは何か動きがあるかもしれんなぁ」
その信澄の予想通り、毛利輝元と浅野長政を除く四奉行が結託し対家康同盟を形成。
対する家康も伊達政宗,福島正則,細川忠興らを抱き込み両者の対立は鮮明になっていた。
「はぁ……このところは大坂も物騒になりました。頼りになるのはあなただけですよ、七兵衛殿」
そう呟くのは秀吉の側室として大坂城に住んでいる茶々。
もちろんの事だが豊臣秀頼は信澄の子ではない。
しかし信澄とはかつての事もあり重用していた。
「茶々様の身に何かあればこの甲府少将、直ぐに飛んで参りまする」
「有楽斎叔父上は頼りなく三十郎伯父上は失脚……信雄殿は何処にいるかも分かりませぬ。織田家はどうしてこんなことに……」
「岐阜中納言(秀信)様も大野宰相(秀雄)殿もおられまする。まだまだ織田家にも未来はございます。それに秀頼君も織田の血筋ではございませぬか」
そう言う信澄だが内心では秀頼のことを織田家の人間とは認めていなかった。
そもそもが信長に対して逆上して反乱を起こし森可成ら多くの織田家臣を殺戮した憎き浅井長政の孫である。
信澄だけではなく池田輝政も森忠政も丹羽長重も内心では秀頼の事を認めていなかった。
「そうだと良いのじゃがのう……」
不安な茶々を横目に屋敷に戻ると見慣れない僧が屋敷の中に通されていた。
「誰だお前?なぜ通した?」
「こちら徳川様の御家中の天海殿と申される御方にござる。徳川様からの贈り物があるとの事で」
下人から出たその名前を聞いて信澄は16年前に謀反人の子供を匿い逃したことを思い出した。
「ああ!十五郎か!!なんとまだ生きておったか!」
「伯父上!お会いできて嬉しゅうございます!十五郎にございます!!」
信澄は43歳、十五郎も31歳になっていたが2人は子供のように再会を喜ぶ。
脇に控える秀澄はなんの事か分からずにポカンと口を開けて座っている。
「おお、お主は会うのは初めてだな庄九郎。この者は我が義弟の明智十五郎じゃ」
「義弟……明智……?という事はよもや祖父上の!!」
「お初にお目にかかる。明智十五郎……今は天海と名乗っておりまする。山崎の戦いの折に貴殿の御父上に命を救われこのように今も生きながらえておりまする。今後ともよしなに」
てっきり明智一族は全滅したものだと思っていたのだから秀澄は驚きを隠せないようだ。
「で天海。お前、徳川殿の使者と申したが徳川殿が俺に用あるという事は東国のことで何かあったか?」
元々の甲斐の領主である浅野長政は徳川家康とともに東国鎮守の役目を担い伊達政宗ら諸将を統制していた。
信澄もその役目を引き継ぎ下野宇都宮氏の改易や蒲生騒動の調停では家康と共に主体的な役目を担っていた。
「いえ……もうお分かりでしょう。私が来た意味を……」
そう言って天海はニヤニヤしながら書状を取り出すのだった。




