史実編 5話
京都 小栗栖
勝竜寺城を抜け出し坂本城に落ち延びようとする明智光秀は僅かな供回りを連れてここを通っていた。
「やはりここに来られましたな、明智殿。」
そう言って茂みの中から信澄と多数の兵が姿を現した。
「婿殿ですか……。私の娘を幽閉されてまで織田家への忠義を尽くされましたか。」
「元より俺は伯父上の物。生きるも死ぬも伯父上次第です。ならば最後まで伯父上に忠節を尽くすのは当たり前でしょう。」
「左様ですね。あなたは理解……いや分かっていただけないでしょうがこれらは全て日ノ本のためにございます。」
「日ノ本の為……。それは明智殿にとっての日ノ本であり我らが望む日ノ本とは違うものでしょうな。」
「ええ、しかしそれが戦国の世。各々がそれぞれの志を抱きそれを果たすために命を賭ける事こそ花形。ならば私は己の手で麒麟を呼んでみたかった……そしてその後はあなたや細川殿に天下を任せ上様の元に参るつもりだったのですが訪れたのは麒麟ではなく羽柴殿だったとは……。」
「俺は間違いなく、どうなろうと伯父上に刃を向けたあなたを許さなかったでしょう。未だに父を許せぬようにあなたも……。」
「そうですね……。あなたには2度も裏切り者の息子の烙印を押させてしまいました。誠に申し訳ない。しかしそれでも私は麒麟を……ッ!」
「明智殿、既に麒麟を呼ぶ男は決まっているのです。その男の名は羽柴筑前守。あの男の志は戦の無い皆が笑って暮らせる世。明智殿と変わらぬではありませぬか。」
「笑って暮らせる世……上様の天下布武でも私の大きな国でもなく民の心までお考えでしたか……。どうやら私では適わなかったようですね。いや、むしろあなたがいれば結果は変わっていたやもしれませんなぁ。」
「明智殿……もしも叶うならばあなたにもその世を見せたかった……しかしそれは出来ませぬ。私は伯父上を討ったあなたを許せない。」
信澄は刀を構える。
「お待ちくだされ、ここで明智様を討つのは誠に惜しい限りにございます。」
堀田秀勝が口を挟む。
「何を申すか。何のために我らがここで待ち伏せしたか分からぬか。功を上げ、裏切り者の婿という汚名を晴らすために来たのだぞ。それにいくら明智殿が優れたお方であろうとッッ!」
「左様、さあ早く私をお斬りくだされ!」
光秀が刀を捨ててその場に座する。
「津田様!どうか十兵衛様……いやご嫡男の十五郎様だけでもお命をッッ!」
と、光秀の隣にいた溝尾庄兵衛が膝まづく。
「十五郎は……十五郎は関与されているのか?」
「いえ……息子はただ私に従っただけで変にも同行しておりませんが……。」
「伯父上は謀反を起こした父を斬ったが俺はは許してくださった……ならば俺も許すべきか……。」
「殿、ここは殿も亡き上様を見習い十五郎殿だけでもお助けすべきでしょう!」
秀勝がさらに信澄に迫る。
光秀の家臣たちも必死に額を地面に擦り付ける。
「…………。明智殿、俺はあなたから様々なことを教わった。気性が荒くオヤジに似た俺をここまで変えてくれたのはあなただ……。十五郎とはその縁で実の弟のように可愛がっていた。ならば……。」
「お構いなく。十五郎とて死ぬ覚悟は出来ております。」
「否、一族皆殺しというのはもはや古き考え。十五郎は必ずや俺が保護しよう。明智殿はあの世からそれを見守っていてくだされ。」
「婿殿……娘のことは……。」
「なに、ほとぼりが冷めたら呼び戻しますよ。明智殿の一族の方々は俺が守り抜きます。」
信澄の心変わりに光秀は若干戸惑いながらも満足そうな表情を浮かべた。
「忝ない。それでは私の首を取り手柄とされよ。最後に……羽柴殿にお伝えくだされ、皆が笑って暮らせる世を……楽しみにしておりますぞとッ!」
「はっ。さらばでございます、義父上!」
静かに目を閉じた光秀の首を信澄の刀が斬り落とした。
それを見届けると光秀の家臣たちも皆見事に腹を斬り果てた。
その後、羽柴本軍と合流した信澄は光秀の首を秀吉に差し出しそのまま堀秀政、中川清秀、高山右近ら一万を率いて近江坂本城を包囲した。
そして包囲中のことである。
「殿、敵将の明智左馬助殿が話があると。」
「分かった。直ぐに会おう。」
信澄は自ら明智秀満と話すために天守に入った。
「七兵衛様、ご無沙汰しております。」
「そちらも元気そうじゃ。それで話とは?というか俺も話したいことがあるのだが……。」
「そちらからお話くださいませ。」
「うむ、そちらの十五郎を預かる。明智殿とそう約束した。」
「若様を……。忝のうございます。であればちょうど良い。この城の財宝を全て開け渡そうと考えておりました。その箱の中に十五郎様を入れてお連れ出し致しましょう。」
「うむ、そなたはどうするのだ?」
「腹を斬り十兵衛様のところへ……。どうか十兵衛様の志を……。」
「うむ、俺と羽柴殿で成し遂げる。しばしお別れだな、左馬助。」
「左様ですな。おさらばにございます。」
明智秀満は十五郎と城の財宝を明け渡すと妻子を斬り果てた。
こうして坂本城は落城、明智家は滅亡したのだった。
「ああ、父上ッ!左馬助ッッ!」
焼け落ちる城を見た明智十五郎は涙した。
自分が生まれた頃から慣れ親しんだ城だ。
辛いに決まっているのだろう。
信澄はそう思いながら口を開いた。
「十五郎よ、そなたはこれより出家し天海と名乗り旅に出よ。東国ならそなたを召抱えてくれよう。そしていずれ、天下が一つに……明智殿の志が叶った時に俺のところに戻って来い。良いな!」
「ううっっ……。必ずや、必ずや、父上の無念をッッ!」
「ああ、俺とサルで必ず天下をとる!それまでお前は生きろ!生きて生きて生き抜くのだ!それこそが明智殿への唯一の供養だ!」
「ははっ!!」
こうして明智十五郎光慶は出家し天海と名乗り旅に出ることになった。
この後、信澄と天海が再開するのは18年後の事である。




