42話
九州征伐なんてそんな書くこともありません。
天正11年の冬、上様が天下惣無事令を発布。
これにより大名が私戦を行うことは禁じられこれに違反したとして島津家と龍造寺家の討伐が翌年の正月に諸大名に命じられた。
これは九州の大友家からの救援要請もあっての事で豊前から毛利勢八千を先鋒としてサルと五郎左を大将とし、何故か平八郎と勝蔵を含めた6万、豊後から長宗我部勢を先鋒一万五千を先鋒とし明智殿と俺が大将を務める畿内・四国勢の5万が侵攻する。
毛利勢にはサルの家臣の黒田官兵衛、長宗我部勢には斎藤利三が軍監として着けられた。
史実のように長宗我部勢が壊滅ということもなく両軍は大友軍と合流し島津、龍造寺を北九州から追い払うことに成功した。
「このまま行けばすんなりと龍造寺も島津も下せそうですな。」
先日家督を譲られた俺の義弟の細川忠興が言う。
今回豊後方面軍は何故か明智殿の婿ばっかりだ。
「確かに思ったより抵抗はありませなんだな。まさか本当に伏兵戦術に我らが引っかかると思ったのでしょうか。」
これまた義弟の長宗我部信親が言う。
お前の親父は虚報に騙されただろというツッコミはまあいらないか……。
「で、上様はいつ来るのだ?」
俺が福富に聞く。
「もう間もなく大宰府に到着されます。我らは日向を落としたところで待機するようにと。」
「承知した。」
その頃、肥前方面で龍造寺軍とサルの軍勢が衝突しサルの巧みな戦術に龍造寺家当主隆信が討死。
これは適わないと考えた龍造寺政家は降伏を申し出て肥前方面は織田側の勝利に終わった。
そしてそれに負けじと俺たちの軍勢は日向の高城を包囲した。
「申し上げます!島津が大軍を南に集結させております!」
その報告を受けた時、明智殿はニヤリと笑った。
「かかったか。」
ん、何か策があるのかと思って地図を見るとすぐわかった。
島津軍がこちらに来るためには根城坂を通らならければ行けなかった。
ここがまた難所なのでここで殲滅する気なのだろう。
「私が出向いて攻撃しましょうか?」
「いえ、既に私の家臣を派遣しております。我らは交戦が開始してから救援に向かえば良いのです。」
そして予想通り島津軍は根城坂を通り明智殿の配下の藤田伝吾と溝尾重朝に足止めされた。
そこを長宗我部信親と細川忠興が一気に強襲し2万近い島津軍は壊滅、大半が討ち取られた。
これを見て抵抗しても勝てないと気づいた島津家の当主、島津義久は降伏し九州征伐がここに終了した。
今回の論功行賞は上様自身が考えられたようだ。多分俺も明智殿も加増はないと思うので適当に聞いていた。
「まずは十兵衛、前に出よ。そなたは根城坂にて見事な策を披露した。これにより日向一国を与える。家臣の誰かを入れるが良い。」
適当に聞いていたら加増があって明智殿はかなり驚いていた。
うん、まあ誰でも驚きますわ。
「次に五郎左、そなたはこれまでの功績も含め筑前一国を与える。博多、大宰府などの重要拠点の多い地域だ。任されてくれるか?」
「ははっ!」
これも文句はない。
五郎左しか適任は居ないだろう。
「次は平八郎と勝蔵。平八郎と勝蔵にはそれぞれ隈本と宇土に26万石を与える。」
は?なんで?
2人とも上様の直轄軍の配下なのに九州軍に組み込むの?
理由がわからん。
「次にサル。そなたには与力の黒田官兵衛に豊前10万石を与える。」
サルはまた加増か。
与力込みなら100万石行くんじゃないか?
「大友宗麟はかねてより織田家に交を通じ今回の戦でもよう働いてくれた。その功績を称え豊後、筑後半国を安堵する。」
「そして問題は龍造寺政家、島津義久。前に出よ。」
上様の目付きが変わる。
相当お怒りだなこれは。
「まずは龍造寺政家だが今回の戦の原因の隆信が討死した故、肥前の所領は安堵する。しかし家臣の鍋島直茂を独立させ筑後半国を与える。」
まあ元々龍造寺は織田家に敵対してた訳じゃないし龍造寺政家は開戦に反対派だったらしいからね。
鍋島直茂の独立はサルの進言らしい。
優秀な人材を失うのは所領の削減よりも辛いことだろう。
「そして島津義久。キサマの罪は特に重い。本来なら一族郎党斬首の上晒し首にしてやりたいが薩摩を治められる適任はお前しかおらん。それゆえ兄弟で薩摩・大隅を四等分して治めよ。そなたらはそれぞれ独立した大名として扱うゆえ、苗字も変えておけ。」
朝倉家臣と同じ手法だな。
石高はそれぞれ10万石程度になるのかな。
この後、薩摩を与えられた島津義久はそのまま義弘は阿久根、大隅を与えられた歳久は肝付、家久は北原を名乗りそれぞれ独立した。
本人たちはどう思っているか知らないが島津家としては最悪の結果だろう。
「これを持って九州征伐を終了とする!」
上様の力強い言葉に皆が頭を下げ九州征伐が終了した。




