夕食支度
バタバタしていたからと天音が祐子を連れて帰ってきた。小学生未満が三人もいると手が回るのか少し不安になる。
祐子武蔵娘では娘が一番お姉さんだねと天音と義母がにこにこしている。
「パパ、リーナ、おねえさま?」
「そうだね」
嬉しそうに笑う娘を末の弟が不思議そうに見つめている。
「むさしさんユーコさんおねえさまと思って仲良くしてくださいね。リーナ、あたらしいファミリーがうれしいです」
そして真顔で「パパ、おねえさまってなにをしたらよろしいのでしょう?」と首を傾げた。
娘のまわりにいるのはいつだって少なくとも十歳を過ぎた人間しかいなかった。それですらまれだったなと思い返す。
十歳以上というのは最低限の礼儀作法を仕込まれた相手で娘はそれしか知らない。
「特になにかをしなくてはいけないということはないよ。そうだね。優しくしてあげればいいんじゃないかな」
「よく、わかりません」
ふくりと拗ねて頬をふくらませる。
「むさしと、ぼくと仲良くしてくださいね。アンジェリーナねえさま」
「リーナねえさまと呼んで。ムサシさん」
くるりと弟の手のひらで娘が転がされた。まぁ弟ならうまく誘導するだろう。
「リーナねえさま、ぼくおなまえかけるようになったんですよ。リーナねえさまのおなまえもちゃんとかいてみたいです」
そっと末の弟が照れたようにねだっている。
ローテーブルに置いた紙に娘は自分の名前を書く。書いてから困ったようにペンを差し出してくる。
カタカナとひらがなでアンジェリーナと見本を書いてみせる。多少の会話はできるが日本語は娘にとって第二言語だしな。読み書きはまだできない。
「ありがとう。パパ」
義母が祐子を抱きながら二人を見守っている。
もう一人の弟もその側で参考書をめくっている。
だから、天音を台所に引き込んだ。
「今の状況がしたいことじゃないなら一旦、離れることも考えるべきだと思うが?」
ゆるっと視線が泳ぐ。
「他にしたいことがある訳でもないし、兄さんの役に立つならいいかなぁと」
役に立つねぇ。
人脈に関しては恭と蘇芳と公が必要だと判断できる部分はもう抑えてるんじゃないかなぁ。
「本家はたてた方が良いだろうし」
んん?
「いや、じじは家が気にいらないって家出しているし、じじの実家も分家のひとつだけど、機会があれば潰そうとしてたくらいに気にしなくていいぞ?」
「叔父さん、それ、実行するなら不意打ち推奨だから、やっぱり今はたててないとダメじゃないかしら?」
ああ、ちゃんと考えることができるんだな。
「私ね、自分がなにをしたいのかわからない。家族は好きだし、お友だちも好き。満翔さんはどーでもいいけど、あの人たちは可愛くて嫌いじゃないわ。でもね、兄弟を切り捨ててでも大事にしたいと思えない。あの人は好きよ。私ね、兄妹が羨ましい。欲しいもののために突っ走っていくみんなが羨ましい。髪を切ってみても愛想を振りまくことをやめてみても私ね、私が見つけられない。叔父さん、私役に立たない子だね」
「天音はいい子だよ。それでいい。恭か宗が役割りを振ってくれないのが不安?」
気質も能力の方向性もある程度パターン性はあるけれど、かみ合わせが天音はあまり良くないのだろう。
父ならある程度察しているだろうけど女児の行く末については基本的に無関心だ。舌打ちはしても息子や孫の判断を優先する。その孫は妹への関心は薄いし。
「そんなことはないの。羨ましいだけ」
顔色が悪い。
随分と言葉数が多い。
「天音、座ってなさい」
時々、全部父が何か企んでいるんじゃないかと思う。自由になろうと足掻くことすら。その企みの内のようで嫌になる。
調子の悪そうな天音を休ませて夕食の支度を進める。
天音には外側に対する反発より自身への反発が強いのか、叔父か、兄に相談すべきか悩ましい。数兄の子供たちはそれぞれに難しい子達だなぁ。
「パパ!」
一枚の紙を手に娘が駆けてくる。
「ちゃんとアンジェリーナって書けたの」
少しむきやサイズの不揃いなひらがなを得意げに見てと差し出してくる。
「上手に書けたね」
撫でれば嬉しそうに笑う。
「じょうず?」
「もちろん。それにもっと上手になるよ。ダンスもお歌も最初より上手になっただろう?」
「ちゃんとレッスンする!」
ぱぁっと明るく笑って「ムサシさん、ムサシさんのもじもを教えてくださいな」と駆け戻っていく。
「あんな風にしてみたいって思えたことがない気がするな」
小さく笑う姪の昔を思い出す。できて当たり前で失敗すれば眉間に皺を寄せてなにも言われない環境だったろうなと思う。
一人は褒めてくれる誰かがいるのだけど、恭は宗だけだし、宗は褒めるけれどわからない……。恭のせいだな。
公は本人に告げるの恥ずかしがるしなぁ。
「期待もされないからがっかりもさせないんだろうけど」
「天音はちゃんとしている。天音はイマイチな保護者にがっかりしてるのか?」
「なんで?」
わからない表情で問い返されて頷いてみせる。
「わからないからさ。おまえはいい子だよ」
「……ん。少しだけ、疲れちゃった。嫌いじゃないんだけどなぁ」
「私、なにしたいんだろ」
答えをよそに求めない姪の声がぽつりと聞こえた。




