誰のこと
「サツキサンってダレ?」
目の前でレシートや領収書を整理する千秋の動きが停止する。
触れちゃいけないコトだった?
「……ナニ、いきなり」
ぎこちない声。視線は外されていて気持ちが見えない。
「寝言で……」
何度か呼んでいたから気になっただけ。
ボフッと腹に頭突きを喰らう。
グリグリとおされてもさほど力があるわけではなく、好きにさせてられる。
不明瞭な呻きが漏れている。
赤い髪から覗く耳が赤かった。
「千秋?」
「っさい、言うなよ。誰かに言ったりしたらハトが好きな栗きんとん作ってやらないからなっ」
「わかった。言わない。好きな人?」
真っ赤になって言ってくる様子が可愛くて、どんな相手か気になった。
「うん。特別な人……」
答えはすんなり返った。がさりと何かが欠落した甘い声。
「好きだってちゃんと伝えることもできなかった。でも、同じ場所を共有していたことに変わりはなくて嬉しいんだ」
ああ、いないんだとわかった。
「欲しいなら自分のにすればよかっただろ?」
開きっぱなしのドアからレシートの束を持ってミツルが寄ってくる。
「引き込める場所はあった。協力くらいしてやったろうに」
笑いながら言うミツルを千秋は睨む。
「一部が有れば再生だって可能だろ?」
「それはサツキさんじゃない。あの時期なら自分を誤魔化さない自信なんてない。でもね、もし、そんな真似が実行されたら僕は許せないよ。それを手引きするのがミツルなら何をしてもミツルは潰すよ」
まぁ、できることなんてたいしてないけどねと言いながらミツルからレシート受け取って分類していく。
「はい。これの分は受理できません」
返却されたレシートを確認して不満げなミツル。千秋は受け取ったレシートを項目別に選り分けていく。
「項目外費はちゃんと月々入れてるだろう?」
そこから使えと千秋は笑う。
「少しオーバーしたんだよ」
「ウチでバイトでもしたら?」
千秋の言う『ウチ』は千秋が育った家で経理相談を引き受けているじーさんのこと。
清掃ボランティアやら何やらをボツボツやっていて条件を満たせば経費を払ってくれる。定時制に通いながら活動協力で生活費補助とかいろいろらしい。
千秋が育った家で運営事務をしてるらしい。だから『ウチ』
「でなきゃ経費を抑えろよ」
「好き勝手言いやがる」
「お互いさまだよねー」
最近は千秋も丸め込まれるのを良しとはしない。
計算すべきレシートをフォルダにしまいこんで、スッと立ち上がる。
「まかない作ってくる。ハト、リクエストある?」
ないと首を横に振れば、ひとつ頷いてキッチンに千秋は向かう。
フォルダは預かっている。
「混ぜさせろ」
ミツルの発言に首を横に振って断る。混ぜてもちゃんと見つけて省かれるだけだから二度手間、というか、怒られたいのかと思う。
「随分、懐かれたな」
ミツルは随分と「嫌われてる」表面上は。
「ひっでぇな」
見守ってやってるのにとミツルは笑う。きっと千秋はいじるなって思ってると思うな。
「今、楽しい」
この時間が心地いい。
「良かったな」
「良かったのか」
本当に?
良い思いをしていいんだろうか?
「しあわせならいいんだろ」
吐き棄てられるような『しあわせ』という言葉。
それでもこの穏やかな時間は確かにしあわせな時間な気がして納得する。
「そうだな」
千秋は楽しそうに笑えてるし、美味しいごはんも食べられる。
人の体温は心地いいと知った。
千秋も寂しがり屋なんだろうけれど、甘えるようにそばにいる熱源はほっとした。
しあわせを求めてもいいと望んでいいと告げられても長くわからなかった。
きっと理解しがたいなりにこのぬくもりがしあわせなんだと思えた。
「ミツル」
「あん?」
「こわいんだ」
今が、失われるのが。
「そいつは良かった」
ミツルが覗き込んできてレシートの束で頬を叩く。
よかったってなんだ?
「失いたくないものができたなら生存率も上がるだろ」
「死ぬつもりは」
ないのに。
無意味な死は望まれないのだから。
「死んでも別にいいと生きたいは違うだろ。死んでも不満ねーだろハトはさ」
無意味でないなら。
望まれるなら本望だろう。
ただ、
「惜しいんだ」
ぬくもりが失われるのが。
「ああ。それでいーんじゃね?」
「千秋が望まないことを」
ああ、うまくまとまらない。言葉を選ぶのは苦手だ。
「やったら俺をつぶすって?」
ミツルがそう言ってくれて、そこに納得する。
頭を使うことはそれを担当するものがする。駒は駒として従う。
「ま、俺は一応中立でーす」
ミツルが笑いながら仮眠室のドアに手を掛ける。
「まかない、食いに行こうぜ?」
『人間どもに不幸を!』
http://book1.adouzi.eu.org/n7950bq/
より鍋島サツキ嬢お借りしました。




