七月一日
「起きたかー?」
逸美の部屋で雑魚寝ってた俺たちに声がふってくる。
「……千秋……」
昨夜は一番先に抜けたのはこいつだ。
イライラしつつカーテンの揺れる隙間からのぞき見える窓の外は薄ら白い。
時計を見たら四時半だった。
「早いんだよ!」
「いーから着替えてついてこいよ」
耳をすませばパタパタと周囲は静かに騒がしかった。
連れて行かれたのは厨房で「ん」と差し出されたのは野菜のカゴと空のバケツ。
「剥くぞ」
「はい!?」
状況を理解していない俺に千秋がにやにやと笑う。
「手伝えば朝食の賄いが提供される」
「逸美に、俺を雇えってことも頼みやがったのかよ」
千秋の視線が揺れた。
「余計な事かも知れないけど、真面目に人生やっていきたいって健が考えているのなら是非にって言うのは木野江のおじさんの望みだよ」
なんで?
よっぽど不思議そうに見えたのか、千秋が笑う。
「だって逸美さ、周りとコミュニケーションうまくとれないだろ?」
確かに逸美は下手どころじゃなくダメだ。コミュニケーション可能な相手にはかなりキッツイコトも言ってくるけどな。それでなおさら他人との距離が開く。そういう奴だと割り切らないと面倒なヤツだ。
「だから会話コミュニケーション取れる人間を抱え込んでおきたいって考えがおじさんたちの希望な」
納得できなくもないけど、それってさ。
「お前でもいいわけだろ?」
「だって、俺はしたい事あるしさ」
暗に健にはないだろと言われて黙り込む。
確かに俺は何をしたいのか、何がやっていけるのかがわからないからな。
「別に卒業するのにまだ二年半あるんだろ?」
仕方なく頷く。高卒も条件だ。通信制部分は捨ててたから四年かかる。
「一年はいろんな仕事してみるのがいいんじゃね? ちゃんと仕事が一箇所でできてたらさ、自信になるだろ?」
睨むと笑われた。
「旅館裏方体験、悪くないと思うよ。夏の間もてば継続仕事ができないわけじゃないって自信になるだろ? それに実務経験は取れるトコでとっといた方がいいんだってさ」
野菜皮剥きうまいなと視線を送られる。
「宗が飯作れないからな」
ぽつッと答えれば納得の表情。
「宗くんは包丁を持ってはいけない。むしろ」
「キッチンにはいんな」
途中で言葉を奪って続ける。
「だよなー」
「千秋ー」
「んー?」
「まだ鎮に会ってないだろ?」
視線が揺らぐ。
「んー。幸せ満喫してんだろうなぁって思うとムカつくだろ?」
「千秋が、ちゃんと認めてはじめて安心できんじゃね?」
きっかけなんかどーでもいいって言うのは千秋の持論だろ?
「会話がさ、基本平行線というか、結構ズレてんだよな。届かねぇんだよなぁ」
「千秋の勘違いもあるんじゃね?」
「かもな。でも、俺が言っても届かなくてさ、他の誰かの言葉なら届くんだ。……健もそう?」
不安そうな視線がイラつく。
こういう目は嫌いだ。
「千秋、言葉は蓄積するよ」
ひょっこりと顔を出した逸美はのほほんと笑いながら横にしゃがみこむ。
「蓄積?」
「届いてても表面化に時間がかかるんだよ。僕の言葉は届いてる? 僕は千秋が友達になってくれたから高校だって出れたし、紬ちゃんにも会えたんだ」
逸美は適切な言葉を探るためか、千秋の意識に届くのを待つためかひとつ息を吐く。
「千秋に会ってなかったら、きっと、僕は気紛れに死んでいいかなって普通に考えてたと思う」
おいおいおいおいおい。
まっとうな家庭ぽいとこに生まれといてその発言かよ!?
「逸美は極端だろ!?」
千秋もビビッたらしい。
「だってさ、なんで生きてなきゃいけないのかわからないんだよ?」
「だよ? ……じゃねーよ!」
ぎゃんぎゃん言う千秋に逸美がにんまりと笑う。
「だからね。今千秋が心配。鎮捨ててもいいからさ。僕は捨てないで?」
本音はそこかーーー!?
「はぁ?」
千秋にはうまく届いてないのか疑問符を飛ばしている。逸美はニコニコと胡散臭く見える表情で千秋を見てる。
「千秋がいたら大丈夫だって、進んでいけるって思えるんだ」
「いや、待て。逸美。それを紬ちゃんに求めるべき、告げるべき発言だろうが!」
「千秋と紬ちゃんは別枠」
「あのなぁ」
「今、紬ちゃんも遠いしさ。依存してるんだと思う。千秋がそばにずっといてくれたらって思うのは甘えだってわかってる。千秋が不安だと、僕も不安でしかたないんだ」
「あ、愛の告白?」
「……友愛かな」
「健もいるだろ?」
「健は、千秋が接点だからね。ねぇ、苦しいんなら兄弟に縛られる必要はないと思うよ。期待するから苦しくなるんだよ?」
「……でもさ。気になるし、切り離しては考えられねーよ」
どこか拗ねて聞こえる言葉。
「千秋はさ。同一視が強いよね。違う肉体がある以上千秋と鎮は違う人間で違う価値基準と違う人生なんだよ?」
「あたりまえだろ?」
千秋が何を言ってるんだという表情で逸美を見てる。
「でも、千秋は多分鎮に自分の半分としての存在を求めてるよ。千秋にとって鎮を好きなのも、嫌いなのも、自分を好きで嫌いなコトの延長だから、理解できなくてイヤなんだよ」
「半分でもなければ鏡でもないから納得できないんだ」
「隆維くんや涼維くんはお互いが別存在だという理解のある共依存。千秋は自分はどうだと思う?」
小さな声で、それでも聞きなれた俺たちには聞き取れるくらいの声でゆっくり告げる逸美に千秋が黙り込む。
調理場のオッちゃんが無言でカウンターに料理を置く音。
「卓袱台にいこ」
卓袱台に朝飯を運ぶ。
「おいタケ」
「あ?」
「食ったら皿洗いしろ」
ただ飯ただ泊まりもどうかと思うから、オッちゃんの指示に「おう」とだけ返した。




