GWの一夜。 天音
お風呂上り。
タオルに髪の水分を吸わせながら部屋へと戻る途中、雨戸をまだとじていない縁側から庭をゆく人影が見えた。
からりと開けて風を浴びる。浴衣が風に揺れる。
紫陽花はまだ咲いてはいないけれど、落ちかけたツツジが夜気に甘さを放っている。
日差しは初夏を思わせる最近、それでも陽が落ちればどこか肌寒さを感じる。
湯上りのほてりがすぅっと引いて心地良い。
「宗兄さん?」
「ああ、天音? どうかした?」
返ってくる声は予想通り兄の声。
「……堂島に来てるのって珍しいかと思って」
「土蔵に用があってね」
宗兄さんは自分用にマンションを借りてから、あまり堂島の家に来ない。たぶん、距離感がわからないから。
宗兄さんが大事にしてるのは一人の時間とただ一人の相手。固執できる対象。
恭兄様の特殊な執着を一身に浴びて過した兄さんで。
記憶にある母は恭兄様の味方。だからどこか普通を知らない。だって、与えられた環境が普通で当たり前だから。
宗兄さんの普段の生活に私や、鈴音はいない。恭兄様だけ。うろなにきて『家族』とみてくれているのは知っている。
それでも、宗兄さんは一人を好む。一人を好むのはずっと恭兄様が取り上げ続けていたからと知っている。私たちはそれを見ないフリ。恭兄様は宗兄さんが『親しい』相手を作るのを好まない。宗兄さんを傷つけてでも阻害していた。それでも、宗兄さんは普通を学ぶ相手も、執着したい相手も見つけた。それは恭兄様と距離があるからかもしれない。それでも見つけた『特別』を宗兄さんは手放したくないように見えた。
その割には扱いが放置気味な気もするのだけど。視界内にいる時はいつだって動きを観察しているのは知っている。
「練習?」
「そんな感じ」
柔らかな笑顔。したいことのために努力は欠かさないのはどの兄もだ。
「宗」
三春叔父の呼びかけに宗兄さんは軽く笑ってから土蔵へ向かう。
足元にくすぐったいぬくもり。
夜の闇に琥珀のきらめきが瞬く。
「時雨くん」
抱き上げれば甘えるように喉を鳴らす黒猫。
土蔵はお爺さまや北大叔父さん、三春叔父さんが練習や宗兄さんの『引継ぎ授業』に使ってる。
女子の立ち入り禁止とか言われている。
だから、何をしてるかは知らない。
今時、家を優先するのはたぶん、珍しい。
恭兄様は「イヤなら断ればいいんですよ。軽いデートしてくるだけで」と言うのだけど。
本家の彼の言葉はそれを肯定できるものじゃなくて少し困る。
それに、私の行動で、兄さんのフォローができるのならそれは喜ばしいことだ。
私だって、ちゃんと家族のために役にたちたい。
からっとガラス戸を閉める。
きゃんっと情けない鳴き声とガラス戸越しに伝わる振動。
「紫電号、夜お外出たら朝までお外よ」
足元の真っ白わんこに忠告する。きゅーんなんて哀れっぽい声をあげてもダメ。
「お嬢さんも、早くお部屋で髪を乾かさないと風邪を引きますよ」
「本宮さん」
父と同年代であろう彼はゆっくりと促してくる。
「さぁ、早く」
「はい」
奥の部屋で赤ん坊の泣き声が聞こえた。
「お手伝い、いくんでしょう?」
強面がほのかに和らいだ。本宮さんは実に子供好きだ。出ともよく遊んでくれる。
「はい」
泣いている赤ん坊は新しい小さな叔父さん。
ゆえりおばあさまが冬に生んだ武蔵君。
出は新しい弟に喜んで、私たちも小さな叔父さんがとてもかわいい。
生まれる前から叔父さんという出と同じ立場でも!
父さんが、「この年で弟」とか頭を抱えていたけれど、武蔵君は可愛いからいいと思う。
朝、見かけたのは暗い赤毛。鎮さんや千秋さんのよりずっと長くなびいた赤のライン。
北大叔父さんが車を出しているのを見た。
「母親違いのおねえさんだっけ?」
鎮さんたちの。
「いいんですか? 叔父さん」
土蔵の方で宗兄さんの声。徹夜だったの?
ぎゅっと紫電号を抱きかかえる。
「……まぁ、兄貴からまわってきた話だしね。元々」
「ごめんなさい」
「ちゃんと頼まれたことはやってあげる」
叔父さんと宗兄さんの会話。多分、聞いてない方がいいと感じた。
「でも」
「でも?」
「ゆえりさん、いいの?」
三春叔父さんは沈黙する。
ドキドキする時間が続いて小さく、笑いが聞こえた。
「父さんの奥さんだね。義理の息子の結婚話に口を挟むとしたら嫁姑問題? それに利害面もあるわけだから割り切れるだろう? ……おはよう。天音」
「おはよう。兄さん、叔父さん、結婚するの?」




