マリージア
ミリセント様は自室で予習中。
学力は問題ないとは言え、日本語での学習は大変なのかも知れません。
ノール様はのんびりと雑誌を眺めてらっしゃいます。
「マリーも適当に自分時間作れよ」
本宅じゃないんだからとおっしゃいます。本宅じゃないからこそしっかりとミリセント様をお守りしなくてはならないのですが。
「私の時間は全てミリセント様に」
そう告げると困ったように雑誌を置かれます。
「じゃあ、もしかしたらミリセントが出歩くかもしれないし、町の地理を頭に入れるためも込みでデートにでも行くかい?」
それが一人で町に出た理由でした。
「直せるって。足大丈夫?」
彼は小さな靴工房の方らしく、踵が折れて困っているところを手を差し伸べてくださいました。ミリセント様と無関係な場所で負傷するなど不覚です。
「ありがとうございます」
もともとそれほどの高さもないヒールで少し驚いただけ。
「え? いや、怪我ないんならいいんだけど」
「ありません」
「観光? 靴早くなんとかなるか、聞いてくるよ」
「観光ではありませんし、職人の方を急かすような真似は良くありません」
スグルとの会話。
困ったような曖昧な微笑に苛立ちます。男性なら、そのようにおどおどしないでいただきたいと思います。
「一人で待てますので、お気になさらないでください」
それでも気遣ってくださいます。
日本人は外見年齢と実年齢に誤差があると聞きます。
年下ですわよね?
「お茶どうぞ〜。災難だったわねぇ」
のんびりとした口調で彼女はスグルを追い払うと私のスカートをぴらりとめくりあげます。自然な動きに意識が固まります。
「!?」
「怪我はないようねぇ。手は大丈夫かしら? 変な捻り方してない?」
そっと手首を撫でながら見られていると居心地が悪く困惑します。
ぽんぽんと軽く叩かれて「痛くない?」と確認されるなんていつぶりかと思うのです。
「日本語が大丈夫でよかったわぁ。英語は苦手なのよぉ」
「私も英語は不得意です」
そう? 奇遇ね。と彼女は朗らかに笑います。
「私はね、仁子というの。お嬢さんは?」
自分を指差しながら彼女は笑います。笑顔が優しい印象。
「おばさんでもいいけどね」
「マリージアといいます。キミコ、さん」
「母さん、父さんが呼んでる」
「あら。じゃあちょっと行くわね。マリージアさん」
言葉とスグルを残してキミコは部屋を出て行く。
工房を出るとき、「送れ」と工房主の言葉にスグルがついてきました。
ぽつりぽつりと雨だれのように交わした会話は他愛のないもの。
見出せない将来の夢。
間側にあるしなくてはならないこと。
ちょっとした対人関係。
天気のこと、日本の季節のこと。
「工房は継がないのですか?」
「収入が安定しないし、キツイかなぁ」
日本における職人の収入や待遇はいいとは言えないと笑う。
「したいことをおいて、目的も見えぬまま学習に資金をかけるのもどうかと思いますよ?」
「器用じゃないんだ。父さんみたいにできないし、何をしたいかなんかわからないな」
意識していることが父親なのだとわかる言葉で。
憧れてる姿が見てとれて、どこか羨ましかった。
「私は、両親のようになりたいのです」
今はもう見ることのないその姿に。
永遠に追いつかない理想に。
「父はあるお屋敷の警備員でした。それはもう格好良かったです。強く誰よりも頼りになるそんな父でした。母は同じお屋敷に勤めているメイドでした。そして完璧ではないとしても私にとって最良の父と母でした」
だから、私が目指すべき理想の両親は永遠の理想。
「だから、私は仕えるべき方を守りきれる力を持った存在になりたい。私が主として見守るべき方はとても不器用で、かわいらしい方なのです」
だからそのための技術を学ぶことは苦ではなくて目的に繋がるからこそ学べることが嬉しかった。
「マリージアさん」
「はい」
「かっこいいと思う。だから、うん。自分のさ、好きを考えてみる」
「そうですね。ものになってもならなくても無駄はないと思いますよ」
自分がやりたくて取った行動はしみこむものだから。
「また、会えるかな?」
陽の落ちかける夕闇の中、彼の表情は見えない。
「ええ。現在帰国予定はありませんから」
ミリセント様がリューイ様のそばで過される機会を捨てるとは思えませんもの。




