いつだって変わらない
「かまえ」
ハトにもたれて縋る。
事務所の仮眠室。ハトが自分の居場所にしているベッドに潜り込む。
ハトの手の中にあるのは木製の小鳥。
俺がじゃれついたから慌ててナイフを高い位置にしまいこむ。
「かわいいな」
削り面はまだ荒いけど、きっと完成したらすごいだろう。
「あと、やすりがけとか艶出し?」
必要な作業は知らないけど、そんな感じかと思う。
「手が止まったから、おわり。機会があれば火にくべる」
「え。俺がかまえって言ったからか? だったら他に行く」
そうじゃないと撫でられる。
でも邪魔する気はなかった。
「完成したの見たいな」
困ったように見てくる。
でかい図体して不安そうにされてもおかしいだけだ。
「それともこれで完成?」
それはないと思うんだ。ナイフはまだ動いていたから。
それとも手をとめてしまえば、それで終わりなのだろうか?
「しっかたないなー。今度、木材とヤスリ仕入れてくるから、完成させたの作って見せてよ。んと、色はどっちでもいいけどさ。色も欲しいんなら絵の具も買ってくるし」
紙やすりだよな。きっと。
しなくていいと撫でられて反論する。
「俺が見たいの。ハトは作ればいいの。お返しにハトの好きなクッキー焼いてやるからさ」
ハトはクッキーやパンケーキが好きだ。凝ったものよりシンプルなもの。
アルコールは苦手でスパイシーな辛さも苦手。味覚は子供舌ぽい。ハンバーググラタンとかは喜んで三人前は食べてしまう。舌を火傷したとかで苦手だとか主張してくるけどね。
「あと、あっつあつのリゾット。シーフードのヤツ」
笑って見上げれば苦笑される。生意気だろ。
「タコとイカは」
「入れない。約束」
ハトの確認は食品アレルギーとかじゃなく、ただの食わず嫌い。
知ってるけど、まぁいいかと約束する。
「あ。ズルい。俺にもー」
「ケイは野菜嫌い直せよなー」
寄っかかってきたのは仮眠室住みの一人のケイ。細い体型と170くらいの身長。四十代の偏食家だ。
「形状がわからなければ玉ねぎ以外は食えるぞ〜」
得意げに言う姿に呆れる。この歳になると好き嫌いは譲れないらしい。
「玉ねぎ、きのこ大量投入してやる!」
戯れる何気ない時間。
夜は、ハトがそばに居てくれる。
心音を聞きながら意識を落とす。
今、家には帰りたくないんだ。誰にも会いたくないんだ。
吐く息が冷たい気がした。
「冷えるから、帰ろうか」
ケイが提案する。
ケイ?
冷える?
「寒い?」
パチンと意識が爆ぜる。
霧が晴れる?
ぼんやりと横にいて覗き込んでくるケイを見返す。寝てたと思う。それで……?
「おやすみ。こわいことはこの町にはないよ」
場所は事務所があるビルで、あまり使われていない非常階段の方。
ふっと身体を支えていた力が抜けて足がもつれる。抱きとめてくる腕に身体が硬直する。動けない。拘束感が脈を早める。息苦しい。酸素が足りない。
口に差し込まれた手を噛みかけて、恐怖で力が抜ける。
わかってる。知ってる。拘束は解けない。納得なんかしたくない。納得なんかしていない。
ケイが撫でてくれる。耳に届く言葉は意味が遠いただの音。
「なにもしないから」
上から降ってくるのはハトの声。拘束してたのはハト。
「部屋に戻ろうな」
噛まなくて良かったと思う。
ハトの手は、指は、カワイイ物を創り出す手だ。キズつけちゃいけない。
「ハト」
「なんだ」
「鳥でなくてもいいからさ。なんか造って」
「鳥でなくてもいいのか?」
聞かれてまだ口元にあった指をペロリと舐める。
ああ。なんでもいいんだと言いかけて、少し想いを馳せる。欲しいもの。
「やっぱり、鳥がいいなぁ」
すとんとベッドに座らされて、欠伸を咬み殺す。
「ハトも鳥が好きだろ?」
「ああ」
もぞりとハトがベッドに入って位置を決める。手元には削り屑を入れるためのゴミ袋。
要望が受け入れられた満足感がある。
邪魔にならずに見てられる位置に行こうと俺もベッドにもぐりこむ。
「千秋」
ケイの声に振り返る。
「のんどけ」
渡される白い錠剤。口に放り込み水で流し込む。
効果は三十分後くらいから。抜けてくるのは三日目以降。最近常用してるから抜けるタイミングはない。
「ハト。俺が見る前に燃やしたら、怒るからな」
「燃やさない」
ハトの約束の言葉にホッとする。
シャッとナイフが木の塊に触れる音と削りクズがビニール袋に落ちていく音が響く。
それはとても気持ちよくて意識が溶けたのに気がつけなかった。
目隠しで、見知らぬ相手に触れられる。
体の自由は何一つきかない。
淡々と流れ作業に近い。
それなのに、身体が感覚が逆らう。
熱を持って触れられることを望む焦れ感。
悔しい。
触れられてただ反応し、離されて切ない声をあげ、笑われる。
くやしい。
次第に嫌悪の反応ができなくなる。
屈辱。
ただ、身体が歌う快楽にだけ沈んでいたくなる。外なんか見たくなくなる。
思考を失うただの悪夢の世界。
どうして、理解できたんだろう。
触ってきた手の中で何が違うんだろう。
アイツの手だとわかった。
否定したい。
アイツに抱きとめられて触れられる。
同じだろう?
世界は暗く闇の中。
もがいてもなにも届かない。
誰に触れられても身体は欲する。
止められない。
熱を刺激を求めてしまう。
熱を欲して従う。
みっともない。
他をみれない。考えられない。
欲しい。満たされたい。
どこにも逃げられない。
僕が僕でいられない。
それとも、オマエが言うようにコレが僕の本質?
僕は、玩具?
そのために飼われてる?
「オマエは俺の玩具であればいい」
そう……なの?
いやだ。
いやだ。
僕は僕だ。
現状も過去も変えられない。
僕に力はない。
それでもいやなんだ。
どうやったら変えられるのか、そんなことわからない。
それでも理不尽だと思う。
変わらないと思うけれど、そのままがいやだと嘆いているだけもいやだ。
頭がぐらぐらする。
部屋は薄暗い。
「起きたか?」
伸びてきた手を払う。
アイツが笑う。
「欲しい」
「欲求不満か? 大胆だな」
「力が欲しいんだよ!」
手に入らないものを望む。
抱き寄せられて抵抗できない。
見上げれば、ただ笑ってるアイツがいる。
「何がオカシイんだよ!」
触れられて脳の奥が痺れる。
腕が下がる。
アツい。
「吠えれるんだな。よく言うよな。弱い犬ほどよく吠えるって」
「うるせぇ……っん」
声を抑えられない。
身体が逆らう。弱い自分が許せない。
「忘れるのもいいな。オマエは俺の玩具だから。他の手を忘れてしまえばいい」
ダメだ。
おこったこと。過ぎた事実は決して変わらない。
「……意味ねぇんだよ。忘れても変わらない。おこったことは変わらない。加えられた変化は変わらない。だから、忘れていいものじゃないんだ」
「……辛いだろう?」
ツラい?
「痛いよ。コレは痛いことだと思う。なぁ……僕だけが特別じゃないんだ」
他にもこの痛みを知る人間はいるんだ。
痛みは過去で変えられないことなんだから今を、これからを見ろといってきた僕がそれを認めちゃいけないんだ。
痛みで自分の不幸だけを舐める生き方なんかしたくない。
「少しだけ痛いだけだ。ツラいわけじゃない。だって、こんなことで在り方を変えたくなんかないんだ」
自分からアイツに口付ける。
今はまだ、今を『良かった』なんて思えない。そこまでおめでたくもなれない。
「なぁ。利用するんならさ、利用しても、いいよね」
僕は、僕は、まだオマエをどこかで信じてるのかなぁ?
頼りになる憧れのお兄ちゃんだった。なんでもできるヒーローの一人だった。正しいだけじゃなく、ずるい事も、叱られるようなことも平気でやりきる。子供心にかっこいいと憧れた。
「利用?」
「そう、利用」
「情報をよこせか?」
違う。笑える。
ああ。本当にそれが欲しかった。
知る事は力を得ることのひとつだから。理解したかったんだ。知らずに傷つける道は選びたくなかったから。
「家が欲しい。誰にも干渉されない家が欲しいんだ」
「報酬は?」
「ねーよ。これはただ俺が欲しいモノ。それぐらいの甲斐性財力くらいあるんだろう?」
グイッと身体を触れられる。
アレは夢だったんだろうか?
ああ。ばかばかしい。
夢にしたいのはただの無意味な願望だ。
知っている。
逃げても無意味だ。自分からは逃げようがない。
生きてる。先を変えれるかもしれないし、変えられないかも知れない。
そう。
ほら。今までと何が違うんだろう。
変わらない。
ただ、見えた世界が増えただけ。
「おはよう。ハト。朝飯リクエストある?」
だから、ちゃんと振る舞える。
でも、もうしばらくは誰にも会いたくないんだ。
特に兄妹には。
そこまで、強くは振る舞えない。
「ベーコンを添えたホットケーキ」
ハトのかわいいリクエストに笑う。
「了解。サラダも添えるから食えよ?」
笑える。普通に振る舞える。
きっと、もう少し時間を過ごせば、普通に兄妹に顔を合わせても平気でいられる。




