手遅れ
うろなの外で
職場に実家からかかってきた緊急電話。
古い母親はメールを扱えない。
慌てる口調は支離滅裂。
すぐ帰るからと宥めた。
別件、自宅から受信されたメールに書かれていたのは、昏睡中だった弟の意識が戻ったということ。
コレで母が慌てていた理由がわかった。
車の事故が原因で意識不明の昏睡を続けていた弟を溺愛している母としては狂喜乱舞だろう。
例えその寸前に婚約を破棄したり、よくわからない行動をとっていたとしても。
「相談があるんだよ」
弟の言葉。
「後でな」
返した言葉にあいつは機嫌良く頷いた。
甘やかされた弟。
十数年ぶりにその「後でな」が叶う。
「動けるようになったら、彼女のお父さんにご挨拶に行きたいんだ」
彼女?
なにを言ってるんだ?
「兄さん、どのくらい寝てたのかな? きっと心配してると思うんだ。彼女から連絡はなかった?」
蕩ける迷いのない幸せそうな笑顔。
「彼女と出会えたのはきっと、運命だと思えるんだ。一緒に過ごしたのは少しだけど、愛してるんだ。きっと、父さんたちのような素敵な家族になれるよね」
うっとりと夢見るように口にする言葉。
疲れたと眠りに落ちる弟。
電話があったのは十数年前、事故の後。
弟に近づくな。と追い払った電話の女。
今、弟が望んでるのは、その相手。
医師は告げる。
先は長くないと。
両親は弟に彼女を会わせたがった。
自分が謝罪すれば、来てくれるというのならばいいと彼女を探した。
この頃には弟の方が乗り気じゃなくなっていた。死にいく自分が彼女を悲しませてしまうと。
目が覚めて、話せる時間。彼女と子供と苦労しても共にいられる家庭を作っていきたかったと呟く。
だから、一目でも、最後の時をそばに寄り添ってくれるならどんな条件も受け入れるつもりで捜した。
会いに訪ねたその日は納骨の前日。
亡くなるその日まで独り身で居たと言う。
機嫌の悪い父親。そっと対応してくれたのは弟の想い人の兄。そのそばで泣く少女は愛らしい。
その夜に弟が息を引き取ったと連絡が入った。
いろんな意味で間に合わなかった。
弟の葬儀、諸々の後、もう一度訪ねた。
その日は彼女の父親だけだった。
「何処に住んどるかは知らん。アレが産んだ子がおる」
変わらぬ不機嫌で聞き取りにくい言葉で告げられる情報。
礼を言って辞した後、中断させていた調査を続けさせた。
そんな最中、亡き弟の友人の弟が事件を起こした。
唾棄すべき事件を起こしたのだから、責任を取らせるべきだが、両親が体裁を気にしているらしい。
唆した少女が悪いのだと。
少女の証言で殺人罪をかぶることになったのだと。
この時、少女の年齢を知らなかった。
調書を実際に目にしたのは判決の出た三月後で少女はすでに姿をくらませていた。
その身に子を抱いたまま、弟の遺児の一人は姿を隠してしまった。
数ヶ月後、もう一人の遺児に会う機会があった。
友人の末の息子の友人で一人娘が熱を上げてると友人は笑う。
「色目は違うが時折仕草や何かが似てるように錯覚するのさ。君の母上にね」
友人はそう言って、懐かしげに少年を見つめる。
そっと、遠回しに便宜をはかってほしいと頼み込み、ついでにDNA鑑定依頼。渋い顔をされたが無理を頼んだ。
答えもまた渋い顔で告げられる。
「どう言うコトだ」と。
苦笑がこぼれそうになる。
「おそらく、弟の子供なんだ。そうだとは思っていたが、確認できてよかったよ」
「……無断で正式なものではない鑑定だ」
「わかってる」
甥は生き生きと妹の喪失を知らず過ごしていた。
気に入らなげに舌打ちする友人。
それは自分の娘に対する舌打ち。
子を愛しつつもその行動に苦味を覚える性質な友人。
少年の表情が強張った苦いものに変わる。
ぐるり取り巻く不協和音。
どこまでいっても手遅れで。
手を差し伸べるコトができない。
「じーさん、なに黄昏てんの?」
青い目が見上げてくる。
「手遅れが多いなと思ってね」
「じゃあ、これから、気をつければいーじゃん」
「リューイ!」
「あ。りょーいだ。じゃーね。じーさん」
弟の孫を見送りつつ、家族になれるだろうかと考える。
手遅れが重ねられた。
手を差し伸べて、受け取ってもらえるのかがわからない。
笑顔で手を振ってくれている。振り返しつつ思うのは、笑顔が消えてしまうのではないかと言う懸念。
笑い声が響く。
子供達がはしゃぐ。
老人たちが煽りたしなめる。
「アーサー」
笑う青年はそう呼ばれる。
少年から青年に成長した彼。
愛情を一枚の薄紙越しに流す。
家族として触れ合いたい。それは手遅れではないんだろうか?




