春休み 千秋
うろなの外で
茹でた野菜を彩ごとに潰しつつ、思うことはなんでこんな事をしてるんだろうということ。
ほぼ二十時間かけてついた目的地。
駆け足のように襲いかかってきたわけのわからない状況。
茹で潰した野菜に基本的な味付けを施しつつ固めて小分けにしていく。
伸びてきた手を軽く叩き落とす。
「チッ」
舌打ちが苛立たしいと睨めば、ひょこひょことソファーに退避し、だれてみせる。
「ジーク、コレはギブソンの分なんだけど?」
「量を多めに作るぐらいいいだろうが」
吐き捨てるように言い、携帯に手を伸ばす。
「ジークの分は準備されるんだろ? 俺の作った分じゃなくてそっちを食えよ」
「ギブソンの分だけのつもりか!?」
携帯を握って体を起こし、こっちを睨みつけてくるジーク。
「当たり前だろう? なんで他の分もつくんなきゃダメなんだよ」
「……ケチくせぇ」
ムカつく。
「でも、ホントに料理覚えたんだな」
今日の分のボランティアが終わって戻ってきたらしい青年が感心したように呟く。
「レックス」
「うん。意外だと思ってさ」
レックスとジークは少し年上。
「意外、か?」
「うん。好きなこと以外着手しないだろ?」
「んー。上手に出来なくて悔しかったんだよ。簡単だって思ったのにうまくいかなくてさ」
「ぁあ。そういうのってあるよな。うまくカーブをキレるはずだったのにバイクから振り落とされた日はショックだったぜ」
しみじみとヘマを告白するジーク。
『ジーク……』
呆れの声が俺とレックスからもれる。
「ま。悔しくて続けたんだよ。そしたら、慣れたんだよ。技術だしね」
話を戻しつつ、たまごを割って混ぜる。
作るのは柔らかいオムレツ。
トマトや人参の赤。葉物野菜の緑。ジャガイモの白。たまごの黄色。
しっかりと歯ごたえがあったり、濃すぎる味の物はあまり食べることが出来なくなったギブソンのためのオムレツ。
少し塩を入れただけでほぼ、素材の味だ。
ボウルの中に余ったたまごが少しあったから、マヨネーズを足してもうひとつ作る。
「ほら。味の保証はしないけどな」
◇
「チアキ。美味しくないって言うつもりだったのに言えないだろ」
スピーカー越しの声。ガラス越しの姿。
「ギブソン。なにを言ってんだ?」
腹が立つ発言すんじゃねぇ。
「いっぱい文句つけて、ウザかったって覚えて欲しかったんだよ」
……。
言葉が出なくなる。
レックスに『ギブソンに残された時間が少ないから会っていってやってくれ』と言われた時の俺の心境も考えて欲しい。やんわりと期待しない笑顔で『覚えていて欲しい』なんて言ってほしくない。
「チアキは料理作っているの楽しい?」
「……別に。かな? 楽しいから作ってるんじゃないし、どっちかって言うと惰性かな?」
聞かれて応える。それでギブソンが満足するのならと思って。
「そっかぁ。せっかく好きなことを否定したりして覚えておいてもらおうと思ってるのにそれも出来ないのかぁ」
……。
「忘れたりなんかしないさ。ちゃんと覚えておく」
「作るのは好きじゃないの?」
「……好き、なのはさ、作ることじゃなくてさ、その時に見せてもらえる表情が好きだったんだよね。その時は上手に作れることが嬉しかったんだよね」
「悔しいな」
「ん?」
「だってさ。俺が美味しいって思ってもチアキは嬉しくないんだろう?」
なんで、気がつくんだろう。
「……。そう、だよ」
でも、今はちゃんと美味しい出来と自信を持って言えない物しか出せないのが、悔しい。
見せてくれる笑顔が切ない気分になる。
「作るの楽しくない?」
「もう、見れないんだよ。彼女は動かない場所にいるんだ」
その表情を見て嬉しく感じられる相手は、……いないんだ。
「寂しい? つらい?」
「わかんない。唐突だったんだ。何が起こったのか、全然わかんなかった」
こつんと硝子に額をつける。
むこうからの影が見える。
「ねぇ、明日も期待していい?」
読んでるんだか読んでないんだかわからない発言。
「えー。めんどいんだけど?」
「うん。いっぱい嫌な思いして、覚えておいて。忘れないで。寂しいからさ」
ああ。どうしてそんなヒドイことを言うんだろう?
「忘れないけどさ、いろいろありすぎて印象薄いよ」
せめて、悔しいから突き放す。
「薄い、の?」
がっかりした声。
「薄いよ。フローリアやアリアが印象強すぎ」
なぁ、ここはどんな場所で彼女たちは、ギブソン達の立ち位置はなんなんだよと聞きたいのにこわくて聞けない。
ジークもレックスもギブソンも子供のころよくつるんで遊んだ相手。
どうしていなくなるっていうんだろう?
「あのね。チアキ、帰ってきてくれて嬉しいんだ。会えて嬉しかった。でも、少し、こわいんだ。このまま会わずにいればこわいなんて気がつかなかったかもしれないけど、いつ、終わるかわからない、今がこわいんだ」
言葉なんか続けられない。
メールのやり取りはしていてもそんなことは教えてもらえなかった。
ここは花、美丘花と、その母親が死んだ病院。
こんな空気知らない。こんな展開想定外だった。
ただ、美丘母娘がどう死んだのかをちゃんと確かめようと思っただけだった。
予定外だった。子供のころ遊んだ相手が入院してたり、バイトしてたりするのは。
死ぬのがこわいと泣く友人を慰めようにもガラス越しに慰めるすべはない。
かつてここで鎮は何を見ていたんだろうと思う。
◇
三月二十五日。
終業式が終わって俺は一度、帰って着替えてすぐに出かけた。
それでも乗り継ぎを合わせてほぼ二十時間。たどり着いたのはどこか隔離された静かな場所。
「お兄ちゃん。ご病気?」
建物に入ってすぐ声を掛けられた。
「違うよ」
「じゃあ、おみまい?」
「ちょっと、違うかな?」
クリームがかった茶色のストレートヘアを少女はさらさらと揺らす。
ここは『末期医療専門病院』同研究所も併設し、末期患者が安らかな最後を迎えられる準備と新治療法の研究を行っている。
美丘母娘の最後の地でもあり、職場だった場所。
「君はどこか悪いの?」
「アリアは元気よ?」
「じゃあ、おみまい?」
「ううん。アリアはここに住んでいるの。ここの子よ?」
「チアキ!」
「レックスか」
「レックスお兄ちゃんのお友達ー?」
アリアは嬉しそうに笑い、レックスに飛びついてベタベタとハグしている。
「そうだよ。アリア。ダディが呼んでいたよ?」
「はーい。ありがとう。レックスお兄ちゃん」
「可愛い子だね」
「ああ。そうだろう? エルザもアリアもここで生まれたんだ。ちょっと、事情があって施設の外のことはまだ知らないんだよ。ゆっくり勉強して外の学校に通わせてあげられるといいんだけどね」
「エルザ?」
「アリアの、あの子の姉だよ」
「ふぅん」
説明されても興味はなかった。
「ギブソンが発病しててさ、入院してるんだ。ガラス越しだけど、会えるから、会ってやってくれないか?」
「え?」
「やっぱさ、ガキの頃に仲の良かった奴がいなくなるってキツイよ」
ガラス越し、マイクとスピーカーでの会話。
ギブソンが嬉しそうで良かったと涙を滲ませて笑うレックス。
顔色は悪かったがにこにこと再会を喜んでくれた。
両方とも庭のお茶会で仲良くなった。
「ぅん? シーか?」
聞きなれぬ男の声に振り向くと年配の白衣の男。
「ああ。チアキの方か。大きくなったな。ここで最後に会った時は、こんなにちまっこかったのにな」
示すサイズは片手抱き。
会ったのは赤ん坊時分?
知るか。
「にーちゃん元気かー?」
「鎮なら元気ですよ」
間が空いた。
「……へぇー。元気なんだ。そう、それは何よりだ。うん。いい事だね」
気に入らなかった。まるで、元気だという返事を信じられないかのように扱われる理由はないはずだった。
彼が行った後、レックスに聞く「あれ、誰」と。
「ドクターロイン。エルザとアリアの父親でギブソンの父親だよ」
ぞんざいな言い方に苦笑しつつも教えてくれる。
「鎮のこと、知ってたみたいだ」
「そりゃ、シーはここによくいたからじゃないか?」
なんで?
不思議そうな表情を出していたのか、レックスが年上らしい笑いを作る。
「小さい子が慰問で『元気になってね』ってやるアレ、シーはよくやってたんだよ。あー、知らなかったんだ?」
「ああ」
「ま、シーはチアキと違って大人しかったからだな。愛想よくて周りにかわいがられてたからなー」
「そうかもね」
どうせ俺は可愛くないさ。
「ったく、拗ねるなよ。ガキだなー」
「いいよ。そんなことより、花はどうしたの?」
知らない鎮。そんなのは知らない。
「はなー? ハナの墓参りしに来たのか?」
レックスの視線が窓の向こうを彷徨う。
「それはどっちでもいい。どう死んだのかって思ってさ」
どっちでもいいのかよと苦笑される。
「まぁ、あれは時間の問題だったんだよ」
「時間の問題?」
「ああ。健全な組織の大半を妹に移して、妹の生存に掛けた時点でハナの死は決定していたというところかな?」
移す? 移植か?
「……な、なんだよ。それ」
何でソレを平然と言うんだ?
「いや、どっちも死ぬけれど、どちらかでも生き残る道があるならばそれを選択し、その時に生存率が高い方と若い方を優先するのは残された時間を考えれば当然だろ? 劣化や転移で使えなくなったら元も子もないしさ」
それでも、何か、おかしくないか?
何でそこまで冷静に淡々と言えるんだ?
「それにさ、愛菜の中で花は生きてるし、人の記憶の中にも生きてるだろ? チアキだって、ハナを覚えている」
それでも不愉快だった。
「あのね。問題はないのよ」
え?
「花?」
後ろからの声に驚いて振り返った先にいたのは、そこに立っているのは黒髪が美しい白衣の少女だった。
「フローリア・フェリテ。『花』は死んだわ」
え?
「会えて嬉しいわ。千秋。ハジメマシテ」
「……ふざけるなっ!」
「ダメね。千秋、ここは病院だわ。騒いではダメ。最期を穏やかに幸せに過す人達の邪魔をしてはいけないわ。ねぇ、レックスもそう思うわよね」
「あ、ああ」
少し、気まずげにレックスが視線を揺らす。
病室から出てきたアリアを促して、何処かへ連れて行った。無邪気な笑顔で手を振る少女。
くすくすと『花』としか思えない少女が笑う。
「こっちへどうぞ。病棟で大声は困るのよ?」




