手紙
過去から今へ向けて
「好きだよ」
「え?」
「だから、君が好きなんだ」
「うん。大好きだよ!」
「違う。友達じゃなくて、君を一人の女性として好きなんだ」
どぉおんと大きな音が響き渡る。
夜空に打ち上げられる花火の音。それだけが記憶に残る。君の表情は思い出せない。
ただ、僕の初恋は終わった。
◇◇
あの夏の日から五年が過ぎていた。
「あれは一世一代の告白だったなぁ」
「えー誰かに告白したことあるんだ?」
もぞりと布団の中から手が伸びてくる。
「そりゃあな。俺にだって分不相応な失恋ぐらい経験してるさ」
手はゆっくり首に絡みつき、ぬうっと黒い頭が出てくる。
布団の中でくしゃった髪ふるふると二、三度頭を振っただけでもつれもなくさらりと流れてゆく。
「じゃあ、あたしに告白してみる?」
「なんでだよ。お前はただの女友達だろ?」
首を傾げると腰まで伸ばした髪がさらりと動く。
「えー。もうじきクリスマスだよ? 恋人ごっこしようよー」
じっと見つめると紅色の唇が甘えるようにすぼめられる。
「ねぇ」
ぞくりと背中を走るものを押さえる。
「ないない。明日、俺は仕事だぞ? お前はどうすんだ?」
「うーん。おけいこないしなー。ここのお勝手荒らしとくぅー」
「荒らすな」
「チューしよ?」
「もう気分じゃねぇよ」
首に絡みついた腕を無理に外して布団から抜け出す。
「つれなーい。いいけどー」
黒いまっすぐな髪。
その黒いまっすぐな髪は夏の夜の彼女を思い出す。
もう、彼女の顔さえ覚えていない。
あの時の言葉と同じように。
「好きだなんていわねぇよ」
「わかったわよー。繰り返さなくったっていいじゃない。これでも傷つくんだぞぉ」
正面なんか向かない。
「約束なんかできない」
「わかったってば、いい加減にしてよ」
いいや、向けない。
「だから、結婚しないか?」
「いい加減に……え?」
次の瞬間衝撃を感じた。
「ばかぁ!」
腰のあたりと足に感じる彼女の髪が揺れて触れる感触。
◇◆
そして幾度かの時が巡る。
吐く息が白くなる。
彼女の残した子供たちが空を見上げてはしゃいでいる。
このぐらいでは雪は降らないが、夢を破るのもつまらない。
「千寿、ちゃんと千晶をみておくんだぞ」
「わかってるよ。父さん」
「みとくー」
「こら、お前がみられてるんだよ! 大人しくしろ」
さらりと揺れる黒髪。
甲高くはしゃぐ少女の声。
「椿、一年ぶりだな。最近は忙しくてろくに来てやれなくてすまないな」
(千晶ももう十一になるし、千寿も来年から大学で町を出る)
「君が逝ってしまってもう、四年だ。もしかしたらそろそろ再婚するかもしれない。約束どおり、約束はしなかったから不満はないな?」
当然、墓石が答えることはなく。
ただ秋から冬へと移りゆく風が枯葉をひらりと躍らせていた。
◆◇
さらりとした髪が揺れる。
「何を考えてるんだ!」
「父さん、落ち着いて! 千晶も謝って」
「だってちょっと髪の色を明るくしただけじゃない! これぐらい普通なんだからね!」
ふすまの向こうで子供が泣き出した声が聞こえた。
「咲枝、千遥を連れて少し席をはずしてくれ」
「旅行だって行くし、これからだって好きにするわ! ちゃんと自分で働いてるんですからね!」
「ちょ、千晶!」
「勝手にしろ!」
「父さん!」
椿、君の奔放さをあの子は引いているんだろうか?
それとも俺が頑なになってしまっただけなのだろうか?
「勝手にするわよ」そう言って娘は飛び出した。
◇◆
そんな娘が死んで三年目。
夏の墓参り。
さらりとした黒髪が見えた。
「こんにちは」
黒髪の少年は不思議な枯葉色の眼差しで見つめてきた。
千寿にも千晶にも出なかった椿、君の色がココにある。
「あっちゃーん。常爺、帰るってー。かえろー」
甲高い少女の声。そこにゆれるのはふわりとした栗色で。
「さようなら」
少年は軽く頭を下げて少女の声のした方へと駆けて行く。
「今行くー」
見送って、数歩進んだ先にある椿と千晶の墓に供えられた小さなかわいい花。
「おじーちゃん、お水貰ってきたよー」
千遥が黒髪を揺らして微笑む。
「やっぱおばさんに結婚報告はしないとねー」
「まだ若いだろうに」
「えー。太陽ちゃんには先こされたんだよー。それにしばらくは共働きで子供はあとになると思うしー。ひいおじいちゃんになるのはまだ先だねー」
「あれは早すぎだと思うぞ」
「そーお? 愛だよ愛! あら、かわいいスイートピー。誰かおばあちゃんとおばさんにおすそ分けしてくれたのねー」
愛と歌って笑う千遥は小さな花をいとおしげに見つめる。
「ねぇ、おじいちゃん」
「うん?」
さらりと癖のない黒髪が揺れる。
「私、幸せになるね」
少女を抜け女になっていく孫の姿を眩しく感じながらただ頷く。
そう、ただ幸せになってくれと望もう。
「まぁ。ダメだったら帰ってくるからお家に入れてね?」
あははと軽やかに笑う。
つい、墓をみる。
椿、君の性格は間違いなく孫に引き継がれている。
心配だ。そう、確かに心配はやまない。
「いつでも帰ってきなさい」
◆◆
「ひいじいちゃーん、千佳うろな高校受けるんだよー。受かるように塾通いー。応援してねー」
「ひいじいー。千佳おねーちゃん、まないたー?」
妹の千歳が囃し立てる。
つい胸に視線をやれば睨まれる。
「せ、成長期だからっ!」
「そうだな」
「ひいじいちゃんのばかーーー」
なきながら部屋を飛び出す千佳を見送る千歳はご機嫌だ。
「ひいじいはうろなの町に戻らないのー? うろな中のほうが生徒数も多いから友達とかもできると思うのになー。千佳おねーちゃんだけうろなの学校行くなんてずるいー」
ひとつ息を吐く。
「ショッピングモールが近いからだろう?」
ぺろりと千歳が舌を出す。
「だって映画館とかもあるんだよ! 都会だよ。とーかーい!」
ひ孫たちは墓参りにしか行かないうろなに妙に焦がれる。
しかし、椿と千晶の思い出の多い町は辛く、あそこにいれば千遥まで先に逝かれるような気がして逃げ出したようなものだった。
「ひいじいちゃんはもう、移動に耐えれるほど若くないなー。環境の変化は辛い歳でな」
「えーうっそー。まだ若いってー」
「あ、おかーさん」
「武藤千晶さん宛ての手紙なんだけど、どうしようか?」
ひらひらと揺れる白い封筒。
無意識に伸ばされたその手に白い封筒が下りてくる。
そこに刻まれているものがどこか恐ろしく思うのは歳のせいにしておこう。
青空太陽さん話題でお借りしました。




