10/12 前田さんちで
ちょっとばたばた
息を吐く。
こんな状況がものすごく嫌だ。
気にしないでいいと労わられれば労われるほど困惑が強まる。
何で此処まで不調なのかが理解できない。
時計が見えて慌てる。
もう七時を回っていた。
やたらと時間がたつのが早い。
これ以上ここにいてはいけないと何かが警鐘を鳴らしている気がする。
賀川さんやおっちゃんを見て『いやだ』と感じる。
それがなんなのかわからなくて気持ち悪い。
耳鳴りが止まない。
朝、健とミホとどんな話をしたんだっけ?
耳鳴りで二人の声が聞こえなかった。
鎮が呼んでた。
「千秋さん?」
すとんと耳鳴りが治まる。
「雪姫さん」
雪姫さんの心配そうな表情。
「もう、遅いのでそろそろお暇しないと」
雪姫さんの側は安心する。耳鳴りが治まる。
それなのに安心する状況を『間違っている。ここにいてはいけない』と言う声が聞こえる。
「休ませてもらって随分、落ち着いたと思うし。ありがとう」
雪姫さんの表情がより心配そうなものに変わってゆく。
何か、間違えたんだろうか?
「千秋さんは、どうして笑うんですか?」
その言葉を聴いた瞬間、冷たいものがぞわりと広がる。
「どうして……?」
「心配を周りにかけないためじゃないですよね?」
まっすぐに切り開くような言葉。
「……あ」
もしそうだというなら食事がまともにできない時点で失敗してる。
もどした後、喉を通ったのはかろうじて水だけだ。
「苦しいのに、笑っているのはとても辛いです」
雪姫さんが心配してくれてるのがわかる。
鎮の声も聞こえた。
心細そうに聞こえた呼びかけ。
きっと芹香ものあも心配してる。
「雪姫さん」
潤んだ真紅の瞳はまっすぐに僕を射抜く。
「ありがとう」
本当にそう思った。
ここにいてはいけないんだと。
「おじゃましますぅ~」
そう、心を定めたと思った時に、聞き覚えのある声が聞こえた。
「ちょっと! 泥だらけじゃないの! 兄弟揃ってなんなの!?」
葉子さんの声が聞こえる。
え?
◆
しくったなぁ。
まさかこのうろなで迷うとは。
朝も暗い時間から新聞配って強制マッピングもしたって言うのにここどこだ?
うろなの西、一本外れるとロクに街灯もなく、民家もぽつぽつ。その上でそれなりに距離がある。
つまり、これといった目印がないのだ。
普段から住んでる人間にとっては当たり前の土地。「此処の道を折れればおらがウチ」かもしれないが、その「此処の道」と「そこの道」の区別がつかない。
「えー。角度が違うんだよ」と言われてもわからない。目印から何本目の道を行けば民家並びから外れないというようにしか判断のつけようがないのだ。
その上、刈り取りの終わった畑で晴れていれば見通しがいいはずだがあいにくの雨。
とにかく区別がつかない。
普段ならなんとなくこっちに行けば目的地な気分でわかったりするのだが今日はなんだかわからない感じだ。
うろな工務店のおっちゃんの家がこっちにあって千秋がそこにいるらしいと聞いて迎えに行くと飛び出して、充電中だった連絡手段は自宅。とっさに掴んだ財布には小銭。帰りは歩きかな?
ぁあ!
弟妹の馬鹿にした表情が思い浮かぶぅうう。
って言うか雨やまねぇかなぁ。
えーっと川を目指すか公道を目指すか。
「ということがあって、周囲を見回してたら足元がお留守で、側溝に滑りかけて転びました」
工務店のお兄さん達の着替えを借りた鎮が神妙に状況説明をおっちゃんにする。
出ようとしたのをくじかれた感じだ。
迎えに来たと言うわりにこっちを見ようとはしない。
「二人とも今日は泊まっていけ」
おっちゃんのそんな声が聞こえる。
「ありがとうございます」
俺が何か口にする前に鎮が答える。
むかつく。
「飛び出したって言ったが、止められたのか?」
「……工務店にいるなら大丈夫だから放っておけって言われた」
ものすごくおじさんらしい。
息を吐く鎮。
「今、千秋には俺が側にいないほうがいいのかもしれない。でも言わなきゃいけないことがあったから」
嫌な感じがしてイラつく。
距離をとるくせに必要だって言ったり、いないほうがいいって言ったり言動が揺らぐ鎮にイラつく。
鎮が体ごと俺に向き合う形をとる。
まっすぐに視線が合わされる。
「ミホちゃん、後に残るような傷はないって」
「ミホ……?」
だって、あれはミホが悪い。
「あれは千秋が悪い」
「え?」
「どうして千秋はそういう行動に出たんだ?」
どうして?
なに?
なにが?
まっすぐ視線は外されない。
どうして?
『ダメだよぅ』
『千秋君』『焼死体で発見された……』
『心配を周りにかけないためじゃないですよね?』
いやだ
何も聞こえない。
『ん~しあわせにゃ~』『千秋君』
「千秋」
うるさい。
「うるさい。黙れよ」
何で鎮にうるさく言われる?
鎮なのに。鎮のクセに。
どうしたら黙る?
『いやだ』と思うのはそれが抑止力だとわかるから。
前田家借りてます。




