屋敷に響く笑い声(後)
「こういう夜って、黄昏れるならテラスとかじゃないんですか」
かちゃりと目の前に紅茶を置かれ、ローゼリアは顔を上げた。
予想通りの、いつもの不機嫌そうな顔がにやりと笑う。
わかっていて聞いてるんだよなあ、とローゼリアもにこりと笑った。
笑顔が見えないのは承知である。
「高い所が好きなのは煙となんとかって言うでしょう」
「へえ、じゃあお嬢さん高いとこ好きな筈ですけどねえ」
「どういう意味よ」
磨り潰すぞこの野郎、と睨めばトレーヴェンはくっくと笑いながら向かいに腰を下ろした。
「べつに、高い所が怖いからこの四阿でぼんやりしてたわけじゃないわ。この薔薇園が気に入っているから、月明かりで眺めたかっただけでしてよ。」
植物を扱う魔法を得意とするローゼリアにとって、薔薇園の管理は訓練の一種だ。
植物や土に触れ特製や構造を理解する場でもあり、反対に手を触れずに魔法で手入れをすることで操作を磨く場でもある。
特に手入れが大変な薔薇は、ローゼリアにとって良き相棒でもあり師匠だ。手塩にかけて育てた薔薇園を、ローゼリアは大切にしている。
「じゃあ薔薇を眺めた後は空中散歩でもいかがですか。お嬢さんの仰る通り、今日は良い月だ。」
「……遠慮しておくわ。薔薇園にいたい気分なの。」
だから別に高い所に行くのが嫌だってわけじゃない。断じて。
ローゼリアが取り澄ました顔でカップを持ち上げると、トレーヴェンはくっくと肩を揺らして笑った。
「かわいいなあ」
「ぶっ」
紅茶をふいた。
「ちょっと、レディがなんですか。きったねえなあ。」
あ、これ聞き間違いだわ、びっくりした。
ゲホゲホとローゼリアが咽ると、すいと口元をハンカチで拭われる。
いつでもピシッとのアイロンをかけられた真っ白のハンカチを当ててくるトレーヴェンは、意地悪そうに笑っているのに。真っ黒の骨の身に触れる指先は、繊細で優しい。
嫌な奴だ、とローゼリアはハンカチを受け取った。
「…諦めはつきました?」
「え?」
唐突な問いに、ローゼリアはトレーヴェンを眺める。
長い足を組み、背もたれに手をかけたトレーヴェンは首を傾げた。
嫌味なほどに美しい相貌に、さらりと銀糸が揺れる。
「貴女にとっての家族は、貴女を化け物と罵るものだ。なのに、あの王子様はあの男と同じ顔で、貴方に信愛を囁く。…さて、諦めて信じる気にはなりました?」
嫌な言い方だ、とローゼリアは小さく笑う。
心配してくれているの?と聞いてやろうかと思ったが、少し迷ってローゼリアは結局、違う言葉を口に乗せた。
「…トレーヴェンは、信じたほうが良いと思う?」
トレーヴェンは、へえ、と器用に片方の眉を上げた。
「お嬢さんが俺に相談すんの、珍しいね。」
「…そうかしら」
「あんたはいつも、一人で決めて一人で行こうとするからね。」
そうだろうか。
ローゼリアは首を傾げて、トレーヴェンを見詰めた。
月の光の下にいるトレーヴェンは、月夜の精のように無駄に美しい。きらきらと光を乗せる銀糸をどこか不思議に思いながら、ローゼリアは問いかけた。
「…迷惑かしら?」
「わかんないかなあ。俺はね、お嬢さんに相談されて嬉しいんですよ。」
「…嬉しいの…?」
トレーヴェンは、口の端をにやりと上げる。
歌うように声は言った。
「あんたは、誰かに相談するなんて無駄だと思ってるからね。自分で解決すべきだと思ってるし、誰かに相談したところで決めるのは自分だから、だったら相談するなんて初めから無駄だと思ってる。そもそも、自分の内を誰かに見せて、だれかに”迷惑”をかけること、得意じゃないでしょう」
「俺に相談するってことはさ」とトレーヴェンは、テーブルに肘をついた。
そこに、綺麗な顔を乗せローゼリアを見上げる。
深い海を思わせるブルーが、楽し気に細められた。
「俺に迷惑をかけたいと、俺ならあんたを助けられると、思ったんだろ?」
か、とあるはずもない体温が一気に上がった気がして、ローゼリアはハンカチを握りしめた。
違う、と否定しようとしてできない事に、言葉が出ない。
そんなつもりじゃなかった。
ただ、ルッソに困ったら誰かに相談すればいいのだと言われて、ふと、口をついただけで、そこに深い理由など、
―――――なかったのだろうか。
本当に、少しも、なんの理由も無かったのだろうか。トレーヴェンを選んだわけではないと、言えるだろうか。
ローゼリアは、泣きそうな思いでトレーヴェンと目を合わせる。
涙は出ない。
何せ骨だけだ。表情すらない。
けれどトレーヴェンは、白い手袋に覆われた指先でするりとローゼリアの目元を撫でた。
「泣くなよ」
「…泣いてないわよ」
ていうか泣けないしと睨めば、そう?とトレーヴェンの指は、ローゼリアの頬を撫で、顔に落ちてきたベールを肩にかけた。
長い腕が己に伸ばされているのを、荒れ狂う感情を押さえローゼリアは見詰める。
「……お兄様を、信じて良いと思う…?」
「さあ」
違う感情が荒れ狂うように渦巻いた。
よし殴ろう、とローゼリアが拳を握ると、トレーヴェンは相変わらず眉間に皺を入れたまま、にやりと笑った。
「お嬢さんは信じたいって思ってるし、とっくに信じっちゃってるんじゃないですか」
「う」
トレーヴェンはからからと笑って、パチン、と指を鳴らした。
暖かい湯気を昇らせるティーセットが増える。
中央にはクッキーもおまけされた。
ローゼリアが顔を上げると、トレーヴェンが立ち上がる。長い銀髪がさらさらと揺れた。
「安心しなよ。あんたには俺がいる。」
とんだ自信過剰な台詞だ。
いつだって意地悪で、性格が破綻しまくっている常識外れの傍若無人野郎なのに。
トレーヴェンにそうして、皮肉気に微笑まれると、じゃあいいか、なんてローゼリアは思ってしまうのだ。
信じる、なんて簡単じゃない。
玉座だ陰謀だなんてものが絡めば猶更だ。
ローゼリアはそれを良く知っている。
トレーヴェンの言う通り、ローゼリアの”家族”は誰一人ローゼリアを受け入れなかった。もうこれ以上、”家族”にがっかりさせられるのは、嫌なのに。
なのに、どれだけ傷ついても、何が起こっても、トレーヴェンがいるならじゃあ、いいか、なんて。思ってしまうのだ。
はあ、とローゼリアは深くため息をついた。
「あんたといると、わたくし頭が悪くなった気がするわ」
「とんだ言いがかりだなおい」
少なくとも、彼をお兄ちゃんなどと、こっぱずかしい呼び名で呼ぶことは決めてしまったのだから、腹をくくろう。
ローゼリアは、近づいてきた足音に顔を向けた。
暖かなオレンジ色が、猫のように細められる。
「邪魔したかな。」
「いいえ。」
どうぞ、とローゼリアが向かいの席を指すと、アーネストは静かに座った。
「ローズとトレーヴェン殿は本当に仲が良いんだな?」
ちらりと、アーネストは意味ありげにトレーヴェンを見上げる。
トレーヴェンは小さく笑った。
なんか嫌な感じの笑顔だった。
「…態度に出すくらいなら声も出せよ」
「直答を許されておりませんでしたので。」
こいつ凄ぇな、とローゼリアはトレーヴェンを見上げた。
王族に対して、或いは貴族に対して、許しも無く発言をする事は確かに不敬ではあるが、ではこの態度のどこが不敬ではないのだろう。
アーネストが怒らない、或いは怒れない事をわかった上でやっているのだろうから本当に性格が悪い。
アーネストは、ひくりと顔をひきつらせた。
「トレーヴェン殿、いや、トレーヴェン。いつまで俺はお前に試されるんだ?腹をわろうじゃねぇか。」
「おや、私のような執事ごときが、仮にもこの国の第一王子を試す、などと。そのような身の程知らずな事致しましょうか。」
「わかった、わかったから!ローズが不利になるような事はしないし無理強いもしない!誠心誠意、兄として正しい振る舞いをすると誓うからやめろ!いちいち話しづらいだろ!!」
アーネストが両手を上げて言うと、トレーヴェンは「おや」とわざとらしく笑った。
珍しく眉間の皺が無い、いかにも胡散臭い笑顔で。
「そのようなつもありませんでしたが…そう仰っていただけるなら何よりです。どうぞ、俺が国一つ滅ぼせるくらいには力がある事を、ゆめゆめお忘れなく。」
これ脅しだよな?
ローゼリアを裏切るような真似をしたり、無理矢理クーデターに参加させるようなら、国一つ滅ぼせるほどの力をもって報復しちゃうぞ☆っていう圧力だよな。
ローゼリアの「トレーヴェン助けて」には玉座云々の前に、文字通り国の存亡がかかっているのかもしれない。
ローゼリアはぞっとした。
トレーヴェンがどこまでローゼリアの為に動くのかは、それはローゼリアの知るところではないが、トレーヴェンが暴れるための大義名分を本当は探している事ならローゼリアは知っている。
公になってはならい存在だからこそ、暴れたいと内心うずうずしてやがるのだ。
思う存分暴れたい、というストレスはわからんでもないので、ローゼリアはそっと見ない事にした。
「…ローズ、お前の執事めちゃくちゃじゃないか…?」
「まあ…でなけりゃ、わたくしと一緒にこんな小さな町に来なかったでしょうね。」
アーネストは、ぱちりと目を見開き、くすりと笑った。
「なるほど」
「変わり者で、めちゃくちゃで、ろくでもないから、面白がってわたくしと一緒にいるんですよ、こいつ」
「失礼な。優しくて慈悲深くて思慮深いから、心を込めてお嬢さんのお世話をしているんですよ」
「それ誰の話」
「なるほど、俺以外に心当たりがおありなら、明日の朝食はその誰かさんにお願いしては?俺はのんびり散歩でもしましょうかね。」
「優しくて慈悲深くて思慮深いのでトレーヴェンは間違っていません。」
高速で身を翻したローゼリアに、トレーヴェン「よろしい」と意地悪く笑った。
悔しい事この上ない。
くそう、とローゼリアが睨むと、アーネストは声を上げて笑った。
「いいコンビじゃないか!」
ひいひいと腹を抱えて笑うアーネストを前に、ローゼリアは複雑な気持ちでカップを持ち上げた。
いいコンビ、と言われて嬉しくないわけではないが、性悪執事とセット扱いはなんとも言えない気持ちになる。
紅茶が美味しいのが今日も悔しい。
「ローズ、トレーヴェン。そう身構えないでくれ。」
アーネストは、笑みを浮かべたまま目尻を押さえた。
よく笑う人だな、とローゼリアはカップをソーサーに戻す。
「祭りの話をしにきたんじゃなくて、ローズの話が聞きたくて来たんだ。」
「わたくし?」
ローゼリアがこてん、と首を傾げると、アーネストは足を組んだ。
言動も行動もわりと荒い。なのに、妙な品がある。
少しトレーヴェンと似ているな、とローゼリアは膝の上で両手を組んだ。
「わたくしの話というと…」
「いや、だから難しい話じゃないんだ。ただ、俺達は兄弟つっても今日初めて会うだろ?なんていうのかな…。お前との溝を埋めたいというか…昔話をしたくて。」
「昔話」
そう、とアーネストは笑った。
「ローズの小さい時の話とか。」
「小さい時…ですか」
さてとローゼリアは考える。
自慢ではないが、ローゼリアは一応、父親である国王陛下と接した記憶などほとんどない。有意義な話などできるだろうか、と思案したことに気付いたのだろう。アーネストは笑った。
「重ねて言うが、城やクソ親父の情報が欲しいとかじゃねえぞ。純粋に、妹の事を知りたいだけだ。」
「…楽しい話ではありませんよ?」
「ならお前が話したい話だけしてくれりゃいいよ。」
にこ、と邪気なく笑われ、ローゼリアはそうですか、と曖昧に頷いた。
こっそり見上げたトレーヴェンは、どうでも良さそうに堂々と欠伸をしている。
せめて隠れてやれ、とローゼリアはため息をついた。
「では、わたくしがまだ人の身であった頃からお話ししましょうか。」
それはまだ、ローゼリアが幸せが何かを、知らなかった頃の話だ。
次回、過去編始まります。




