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【書籍化】婚約破棄のその先に~捨てられ令嬢、王子様に溺愛(演技)される~【3巻10/10刊行】  作者: 森川茉里
愚者は踊る

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01

 痛い。痛い痛い痛い。

 全身の骨が、肉が、ばらばらに引きちぎられそうだ。


「う……ぐ……、あ、あ゛あ゛あ゛あ゛!」


 ディアナはフロリカの前で無様に(うずくま)り悲鳴を上げた。


 ここは、フロリカが手配した首都郊外、イーストエンドと呼ばれる地区にある空き家の一室だ。


 フロリカの隣には、フロリカの協力者が攫ってきたエステルに仕える女官、リア・エンブリーが気を失って倒れている。


「もう少しですよ、ディアナ様、頑張って」


 必死に痛みを堪えるディアナを前にしてもフロリカは穏やかな笑みを崩さない。


(この女、頭おかしい)


 罵倒してやりたい。でも痛すぎてそれどころじゃない。


「体を他人のものそっくりに作り替えるには、残念ながら苦痛が伴うものなんです。だって人は一人一人顔だけじゃなくて骨格も臓器の形も違いますから」


 それなら古代遺物(アーティファクト)の腕輪を使う前に説明して欲しかった。


「うああああああ、痛い痛い痛い痛いぃッ!!」


 いっそ気絶できたら楽になれるのに。

 体のあちこちがみしみし、ぎしぎしと音を立てる。


 この苦痛は、フロリカから渡された腕輪をはめ、その腕輪の魔導石にリア・エンブリーの血液を垂らした瞬間から始まった。

 フロリカが言うには、血液を通してリアの身体情報を取り込み、ディアナの全身をリアのものに作り替える為の代償らしい。




 ――一体どれほどの時が経ったのだろう。

 叫び過ぎて声を上げる気力すらなくなり、ディアナは虚ろな眼差しで床に倒れ込み、中空を見つめていた。


 ひゅう、ひゅう、と喉から掠れた呼吸音がする。


「よく頑張りましたね、ディアナ様。ご覧下さい。どこからどう見てもリア・エンブリーになりましたよ」


 フロリカは、ディアナの傍に座り込み、手鏡でディアナの姿を映して見せてくる。

 ディアナは鏡に映った自分の姿に目を見張った。

 確かにリアになっていた。ほくろも、顎にあるにきびさえも再現されている。


 重い体を叱咤し、手を持ち上げて再び驚く。指の形も爪の形も肌の色合いも、全てがこれまでの自分のものとは違う他人のそれになっていた。今更ながらに恐ろしくなって体が震える。


「ほんとに……変わっ……、ゲホッ、ゲホゲホッ!」


 叫び過ぎたせいで喉が焼け付くように熱く、言葉の途中で()せてしまった。すかさずフロリカが水の入ったグラスを差し出してくる。

 ディアナは半身を起こすとグラスを引ったくり、ゴクゴクと飲み干した。

 ただの水なのにものすごく美味しかった。疲れきった体に染み渡る。


 フロリカは、ディアナの左腕に手を伸ばすと、古代遺物(アーティファクト)の腕輪をパチリと外した。


「……取ってしまうの?」

「ええ、もう役目を果たしましたから。宮殿には無許可で魔導具の類は持ち込めませんしね。外しても一週間程度はその姿が維持されますのでご安心下さい」

「そう……」


 骨格や内臓さえも作り変えてしまうと言うだけあって、ディアナの口から出た声も、聞き慣れた自分のものではなくなっていた。


「私はこれからどうすればいいの……?」

「まずはご入浴を。酷い汗です。すっきりしてからこれからの事をお話しましょう」


 フロリカは微笑むと、ディアナに手を差し伸べた。




   ◆ ◆ ◆




 フロリカの協力者は、リアが休暇で外出した所を狙ってさらってきたらしい。


「ディアナお嬢様、今からはリアと呼ばせていただきますね。あなたは外出中に頭を強く打ち、記憶が曖昧になっている、という事にしましょう。宮殿に潜り込んだら、そういう事にしてどうにか乗り切ってください」


「わかったわ」


 フロリカの言葉にディアナは頷いた。

 側仕えの女官が何をするのかは、ユフィルの仕事ぶりを見ているからなんとなく想像がつく。


 ディアナ自身は傷心を癒すため、首都から遠く離れた観光地まで旅行に行ったという事にしてある。


 家族に対する口裏合わせには、侍女であるユフィルを使った。ユフィルはお金さえ与えておけば犬のように忠実になる現金な人物だ。今頃大量に与えたチップを片手に、観光地で楽しく遊んでいる事だろう。


「これをお使い下さい」


 フロリカが小さなガラス瓶を差し出してきた。


「無味無臭の致死毒が入っています」

「……隙を狙ってこれをあの女に盛ればいいのね」

「ええ、首尾よく事が終わったらなるべく早く宮殿の外に出てください」

「そんな余裕があるのかしら?」

「毒が効き始めるまで早ければ二十分、遅ければ三時間程度かかります、なるべく急がれた方がいいでしょう」

「……わかったわ」


 ディアナは小瓶を受け取り、ぎゅっと握りしめた。そして自分の中に渦巻く殺意を改めて自覚する。


 エステル・フローゼスが憎い。憎い憎い憎い。


 不思議とこの民家にも、フロリカが占いの時に焚くお香の香りがした。




   ◆ ◆ ◆




「あーあ、かわいそーなお嬢様。あんたなんかに引っかかるなんて」


 そんな声が奥の部屋から聞こえてきたのは、女官、リア・エンブリーに姿を変えたディアナが、宮殿に向かう為に民家から出て行った後だった。


 奥の部屋から姿を現したのは、ロマ族の少女である。

 歳の頃は十二、三歳という所だろうか。成長したらかなりの美女に成長するであろう、整った目鼻立ちの持ち主だ。


「引っかかる方が(わり)ぃんだよ、アイラ。そもそも俺の暗示は単純馬鹿相手じゃないと効かない」


 フロリカが本来の口調で答えると、アイラと呼ばれた少女は顔をしかめた。


「ねえイオン、気持ち悪いからその化粧さっさと取りなよ」

「ひっでぇなぁ。ま、気持ち悪いのは確かだけどな。女はよく毎日毎日こんなモン顔に塗ったくるよな」


 フロリカ――もといイオンは、鬱陶しくて仕方なかったかつらとショールをはずし、服の袖口で乱暴に口紅をぬぐった。

 するとそれだけで女性的な雰囲気はなくなり、イオン本来の精悍な容貌が現れる。


「それにしても大それた事したわね。王子様の婚約者の暗殺計画なんて。バレたらあんた、間違いなく縛り首だよ?」

「俺はあのお嬢様の願望を叶えてあげただけ。お前に言われなくてもほとぼりが冷めるまでは身を隠すさ」


 イオンは目を細めて笑うと、アイラの頭をがしがしと撫でた。


「もう! 髪がぐしゃぐしゃになったじゃない。イオンの馬鹿」


 アイラはするりとイオンの手から逃れると蹴りを入れた。しかし腹の立つ事に簡単に避けられてしまう。


「あのお嬢様、上手くやれんのかしら」

「まず無理だろうな。頭が悪すぎる」


 イオンの言葉にアイラは目を見張った。


「ちょっと、それってやばいんじゃないの?」

「占い師フロリカは今日で廃業。本職に戻るしたぶん大丈夫だろ」


 イオンの本職は旅の軽業(かるわざ)師だ。そして、秘密結社《世界の車輪(ロータエ・ムンディ)》の工作員でもある。


 イオンは暗示をかけるための小道具である香炉の火を吹き消すと、ディアナから回収した古代遺物(アーティファクト)の腕輪を指に引っ掛けてくるりと回した。


 『変身(メタモルフォーゼ)の腕輪』。これはそう呼ばれる古代遺物(アーティファクト)である。


 効果が強力なだけに、相応のマナを持っていないと使いこなせないという代物だ。

 ポートリエ男爵家は成金ではあるが、没落した領主貴族を二代に渡って婚姻という形で取り込んでいる家柄だ。あのディアナもそこそこのマナを持っていたらしい。


(世界の秩序を更新せん、なんてね……)


 心の中で呟いたのは《世界の車輪(ロータエ・ムンディ)》の理念だ。


 《世界の車輪(ロータエ・ムンディ)》は、ロマを含む複数の少数民族によって結成された秘密結社である。


 結社の最終的な目標は、現行の王侯貴族を頂点とした秩序の破壊、そして少数民族が迫害される事のない平等な世界の構築である。


 結社の構成員の中でもインテリを気取っている連中は、やれ民主主義がどうの、革命がどうのと小難しい事を言い合って論争しているが、イオンにそんなご大層な思想はない。単純に貴族が大嫌いで、上流階級の連中を陥れて嗤ってやりたい、それだけだ。


 だからイオンにとって、暗殺の成否はどうでもよかった。

 ディアナ・ポートリエという道化師を中心に、王侯貴族が無様に踊る姿が見たい。


 もし暗殺が成功すれば、宮殿は混乱するだろうし、失敗したとしても、『変身(メタモルフォーゼ)の腕輪』を持つ敵の存在は、第一王子にとっては脅威になる。混乱する様子を想像するだけで楽しくなってくる。


 占い師という職業は、馬鹿な貴族を探すのにちょうどよかった。ほとぼりが冷めたら、また変装し名前を変え首都に舞い戻るつもりだ。




 そんな愉快犯のような彼に、結社が与えたコードネームは、《トリックスター》だった。

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