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【書籍化】婚約破棄のその先に~捨てられ令嬢、王子様に溺愛(演技)される~【3巻10/10刊行】  作者: 森川茉里
一夜明けて

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02

 一度体を重ねた事で、エステルとアークレインの距離は確実に縮まった。ベッドに入るなり腕の中に抱き込まれる。


 また今夜もするのだろうか。緊張に身を硬くすると、宥めるように髪を梳かれた。


「そんなに警戒しなくていいよ。今日は何もしない。寒いから引っ付いただけ」


 その言葉にほっとすると、ため息をつかれた。


「昨日は血が出てたしまだ体が辛いんじゃないの? そんな状態の女の子を求めるほど酷い男と思われてたら心外だ」

「アーク様が優しいのは知ってます。でも若い男性はそういう事が、その……お好きですよね……?」

「健全な男として否定はしないけど、痛みが完全に引くまではさすがにしないよ。可愛らしく反応するエステルに意地悪するのは楽しいけど、痛みを与えるのは趣味じゃないんだ」

「意地悪もしないで下さい……」

「努力する」


 絶対嘘だ。しないと言いきらないあたりはまだ良心的なのかもしれない。


 エステルは諦めてアークレインに身を委ねた。


 細身に見えて筋肉がしっかりとついているからか、アークレインは体温が高い。引っ付いていると温石がいらないくらい温かかった。


「君とシリウス殿は相変わらず仲がいいね。昼間は羨ましくなったよ」

「この世にたった二人の兄妹で……あ……」


 エステルははっと口を押さえた。

 シリウスとエステルがこの世にたった二人の兄妹なのと同じで、アークレインとリーディスも腹違いとは言え兄弟だ。

 シリウスとの関係はエステルにとっては誇らしいものだが、それをアークレインに告げるのは無神経に思えた。


「気にしなくていい。王族と領主貴族では育つ環境が違う。そもそも私とリーディスは母親が違うし年齢だって離れている。それにあいつはシリウス殿と違って性格にも問題がある」

「兄は人格者ではありませんよ? がさつだし適当ですし……」

「堅実に領地を治めて家族を大切にしている。十分立派な人だよ」


 身内を褒められるとなんだかむずむずした。


「そういえば、兄はまだライルの事は知らないみたいですね」

「今のところ上手く口止めできてるみたいだね。ただ時間の問題だと思う。ライル・ウィンティアとディアナ・ポートリエの婚約が白紙に戻った」

「えっ……」


 エステルはその知らせに息を呑んだ。


「ポートリエ男爵は相当な額の手切れ金をウィンティア伯爵家に支払ったそうだ。阿片中毒者を娘婿には迎えたくないという気持ちはわかるけど、何と言っていいのか……」


 エステルも同感だった。

 お金の力でエステルからライルを奪ったくせに、お金の力で捨てるだなんて。


 阿片に手を出したライルに全面的な非があるとは思うが、そもそも彼がそうなったのは、ポートリエ男爵が強引に婚約者の挿げ替えを行ったせいではないか。


 ディアナは今、恋した相手がこんな事になって、悲しんでいるのだろうか。それとも怒っているのだろうか。

 エステルはディアナと直接接した事がないから推測するしかないが、なんとなく後者のような気がした。


 結婚式の招待状を送ってきた事もだが、王立歌劇場ロイヤル・オペラハウスで見てしまった憎悪の視線と負の感情は普通じゃなかった。


「エステル、君は彼に会いたい?」


 唐突に質問され、エステルは硬直した。どう答えるのが正解なのだろう。咄嗟に答えを出せず躊躇うと、アークレインは苦笑いした。


「私の機嫌を窺うんじゃなくて、エステル自身の気持ちで決めていい。……と言ったところで、君は私の感情を読み取ろうとしてしまうだろうから本音は伝えておく。正直、私としては会ってもらいたくはない」


 アークレインは一度言葉を切った。


「今の彼は阿片の離脱症状で苦しんでいる。激しい苦痛と幻覚の症状が出ているようでかなり暴れるから、檻の付いた病室の中で拘束されているそうだ。そんな状態の元婚約者に会わせたいとは到底思えない。君が変に同情するかもしれないと思うと不愉快になるし、心を痛める姿も見たくない」


 アークレインの吐露した心情はもっともなものだ。今のエステルはアークレインの婚約者なのだから、会わないという選択をするのがきっと正しい。


「……そんな風に思っていらっしゃるのに、どうしてライルに会いたいかとお聞きになるんですか?」


「もう一人の兄のような存在だったんだろう? もしエステルに今の彼を見る覚悟があって、会いたいと願うのならそれを止めてはいけないと思っただけだ」


(凄く嫌そう)


 でも、エステルの気持ちを尊重しようとしてくれる姿勢は嬉しかった。


 エステルは両目を閉じて深呼吸をする。そして、アークレインをじっと見つめると、きっぱりと告げた。


「会いません。ライル・ウィンティアは私にとっては過去の人です。今後関わるつもりはありませんし、関わってはいけないと思います」


 今のエステルはアークレインの婚約者なのだから。

 元婚約者と会って、もしそれがマスコミに嗅ぎつけらたらこの方の足を引っ張ってしまう。


「わかった。今後彼が君を煩わせることがないようこちらでも相応の対応をする」

「……何をなさるんですか?」

「危害を加えるという意味じゃない。麻薬中毒者のための療養所(サナトリウム)を紹介するだけだ。パラマ島にいい施設がある」


 エステルの警戒心を感じたのか、アークレインは弁解するように教えてくれた。


 王子妃教育の中で詰め込まれた地理の知識を引っ張り出す。

 パラマ島は大ローザリア島の南西にある小さな島だ。地理的にはアークレインと小旅行に向かったキルデアから近いので、きっと冬でも温暖で過ごしやすい所だろう。


「船便が一日に一回しか出ない離島だから、麻薬には絶対手を出せない環境なんだ。王家が後援して監査体制もしっかりしているから、精神病院にありがちな虐待や非人道的な扱いもないと保証する」


「ライルにそこまでして下さるのは私のためですか?」


「そうだ。《覚醒者》であるエステルにはそれだけの価値がある」


 《覚醒者》としてのエステルの『価値』。


 エステルを抱き寄せる腕はこんなにも優しいのに。

 彼にとってのエステルは、やはり駒やカードと同じような扱いなのだ。

 それでも側にあるこの温もりが愛おしい。

 エステルは、アークレインの筋肉質な胸に頬を寄せ、目を(つむ)った。

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