03
飲み物を扱う露店で、アークレインはコーヒーを、エステルはホットチョコレートを注文した。
飲み終わるまで座って休憩した後、お互いに相談した結果、二人は露店を見て回る事にした。
「射的がある。アスター、ちょっとやってみない? 射撃の心得があるんだよね?」
「魔導銃とおもちゃの銃じゃ勝手が違いますよ」
そう答えつつも射的の景品を覗き込んだエステルは、目玉景品らしい熊のぬいぐるみに目を止めた。
「あれ、ルーディードールじゃないですか?」
ルーディードールというのは、ルーディー商会という有名なドールメーカーが作ったぬいぐるみの事である。
数多くある的の中心に設置されたそのぬいぐるみは、王冠とロイヤルブルーのマントを身につけていて、とても可愛らしかった。
「お目が高いね、お嬢さん。そいつはサーシェス陛下の在位二十周年を記念して作られた二百体限定の貴重なルーディードールだよ」
どこか胡散臭いヒゲ面の店主が話しかけてきた。アークレインは興味深そうにぬいぐるみを覗き込む。
「へえ、プレミアものだね」
「どうだい兄ちゃん、挑戦するかい?」
「僕はあんまり射撃は得意じゃないんだ」
軽く肩を竦めるアークレインを後目に、エステルは挑戦料の銀貨を店主に差し出した。
「アスター、やってみるの?」
「はい。折角なので」
エステルは店主からおもちゃの銃を受け取った。コルクを撃ち出す銃は、魔導銃に比べるとちゃちで軽い。
「直接こいつに弾を当てられたら困るんでね。こいつを代わりに倒してくれるかい?」
店主はぬいぐるみを下げて、代わりとなる箱型の的を置いた。
「倒せばいいのね?」
「ああ。五発以内に倒せたらこいつはお嬢さんのもんだ」
店主が頷くのを確認し、エステルは銃を構えた。
一発目は大きく外れた。
(もうちょっと右かな)
照準を調整し、二発目。今度は左に逸れた。
「頑張れ嬢ちゃん。後三発あるぞ」
店主はニヤニヤしている。エステルは無視して三発目を撃った。
箱に当たった。しかし当たりどころが悪かったのか、箱はびくともしない。
「あー、惜しい!」
四発目。
今度は確実に的の中央に当てたのに、箱が動く気配すらなく、エステルは眉をひそめた。
「残念だったなぁ。でもまだ一発残ってるぜ」
「そうだね。アスター、次はきっと当たるよ」
アークレインがエステルの肩にポンと手を置いた。
何か細工があるのかもしれない。店主のニヤニヤ笑いに不信感が湧くが、こんな子供騙しのゲームに難癖を付けるのも大人気ない。
エステルは再び銃を構えると、よく狙いをつけて引き金を引いた。
その次の瞬間だった。
突然つむじ風が吹いて辺りのものをなぎ倒した。
射的の露店も例外ではなく、棚の上の景品がバタバタと倒れる。周囲の人から大きな悲鳴が上がる。
ふらついたエステルの体を、アークレインが支えてくれた。
「おかしいね。他のは倒れたのに、どうしてルーディードールの的だけは倒れないんだろう」
(まさかイカサマ?)
微笑みながら店主に尋ねるアークレインに、エステルは目を見開いた。
「何か細工でもあるって言いてぇのか?」
髭の店主はアークレインを睨みつけた。
「僕は疑問を口に出しただけですよ」
店主にそう答えると、アークレインはエステルの手からおもちゃの銃を取り上げて店に返した。
「アスター、残念だったね、五発撃ち切ってしまったからもう行こう」
再びアークレインに手を引かれ、エステルは素直に露店を離れた。
「おい、ちょっと待てよ兄ちゃん!」
呼び止める店主のだみ声が聞こえてくるが、アークレインは構わず、露店から足早に離れる。エステルはその背中を追いかけながら問いかけた。
「異能を使いましたよね?」
風が吹く直前、アークレインからマナの揺らぎを感じた。それだけではない。あの突風にはマナが含まれていた。
「どうしてわかったの?」
「レンが念動力をお持ちだという事は有名ですし、あの風にはマナが含まれていましたから」
「君の異能はそういう事もわかるんだ」
アークレインはふわりと笑うと、風で乱れたエステルの前髪に手を伸ばして整えた。
「あの露店はずるい事をしていたからね。ちょっとした意趣返しだよ。あのルーディードール、もしかして凄く欲しかった?」
「いいえ」
こんな露店には似つかわしくない高級品だったから興味を惹かれただけだ。可愛いぬいぐるみだったが、ものすごく欲しかった訳では無い。
「なんだ。どうしても欲しいなら、同じものが父上の寝室に転がっているから貰ってこようと思ったのに」
「そんな恐れ多い物はいりません」
エステルはふるふると首を振った。
(それにしても少し腹が立ったくらいで異能を使うだなんて……)
意外に子供っぽい所のある人だ。呆れてエステルは肩を竦めた。
その時である。
「エステル……?」
声をかけられて振り返ったエステルは表情を凍りつかせた。
そこにいたのは漆黒の髪に紫の瞳の精悍な容貌の青年――元婚約者のライルだった。
「やっぱりエステルだ。どうしてそんな格好でここに? 変な新聞記事が出たから心配していたんだ。でも俺の立場じゃ直接君に会いに行くことなんてできなくて……」
ライルは真っ直ぐにエステルの方に向かってくる。
どうすればいいのか咄嗟に判断出来ず、硬直するエステルの前にアークレインが進み出た。
「人違いされているようですね、サー。彼女は僕の恋人です。エステルという名前でもありません」
「いや……でも君は……」
「何をなさってるのですか? ライル」
ライルはなおも食い下がろうとしてくるが、更に後方からきつい印象の女性の声が聞こえてきた。
ディアナ・ポートリエだ。美しく着飾った彼女は、険しい眼差しをライルに向けている。
「そちらは? ライルのお知り合い?」
ディアナに尋ねられ、ライルはぐっと唇を噛んだ。
「失礼しました。俺の人違いだったようです」
小さな声でこちらに向かってそう告げると、踵を返してディアナの元へと向かう。
この時期の移動遊園地は、ここが商機とばかりにローザリアのあちこちの地域から、その土地独自の食べ物や名産品を売る露店が集まってくるので、老若男女問わず、様々な階級の人々が集まってくる。
きっとライルとディアナも婚約者同士として休日のお出かけをしていたのだろう。
「アスター、僕達も行こう」
アークレインがエステルの手を掴み、反対方向へと導いてくれる。
「侮れないね、彼。変装していた君を見抜くなんて」
小声での呟きが何故か心に刺さった。
◆ ◆ ◆
エステルは、アークレインに促されるままに移動遊園地を出た。あの場所に居続けたら、またライルとディアナに出くわしてしまうかもしれない。
「今更何を君に聞きたいんだか……」
アークレインの呟きにエステルは俯いた。
「心配してくれていたんだと思います。ライルはもう一人の兄のような存在だったので」
「つい強引に割り込んでしまったけど、もしかしてアスターは彼と話したかった?」
尋ねられ、ふるふると首を振る。
「いえ、何を話せばいいのかわかりませんから。レンが前に出てくれて助かりました」
「嫌でもいずれ社交界では顔を合わせる事になるだろうから、どう対応するのかは考えておかないといけないね。アスターはどうしたい?」
アークレインに尋ねられ、エステルは考えた。ややあってから回答を出し、静かに告げる。
「……ライルの事が嫌いで婚約破棄した訳ではないので、彼と少し話をするくらいはいいかなと思います。ディアナ嬢とは正直顔も合わせたくありません」
「わかった。ではディアナ嬢の事は思いっきり見下してやればいいよ。僕も協力してあげる」
「とても心強いです」
アークレインの言葉に、ようやくエステルは強ばった表情を緩めることができた。
「さあ、せっかくのお出かけなんだから最後は楽しい思い出で終わらせよう。近くにおすすめのティールームがあるんだ。この格好だから君がいつも行くような店よりも庶民的な所になるけど」
そう言ってアークレインはエステルを力付けるように優しく微笑んだ。
「私、高級な所にはあまり行きませんよ? だからたぶん大丈夫です」
「よし、じゃあ行こう」
アークレインに手を引かれるまま、エステルは再び歩き始めた。




