僕なんかの部屋にいる和水さん⑨
「……まえにも教えた」
「え、えぇえ!?」
その返答は、僕には到底信じられるものではなかった。
初めて和水さんが掃除を手伝ってくれたあの日。
僕が和水さんと初めて直接話しをしたあの日から、僕はクラスの中では多分一番和水さんと会話をしているという自信がある。
ただそれでも、和水さんがお花好きな理由なんて聞いたことはないはずだった。
和水さんのお花好きを知れたのは、僕がストーカーのように和水さんをつけたからで、それから今日まで花の話題になんてなったことはない。
この僕が! 和水さんの情報を忘れるなんてあるはずもない。
喩えこの場でいきなり和水さんがスリーサイズを早口で言ったとしても、瞬時に脳に数字を焼き付ける自信はある。
女の子の、まして和水さんの情報だ。
そんな重要な情報は死ぬまで忘れずに覚えているはず。
一度聞いて忘れるなんて、童貞の風上にも置けないような事をこの僕がするはずはないのだ。それだけは自信を持って言える。
のだが、意識が朦朧としている時は話が別だ。
喩えば和水さんのオッパイに夢中な時とか、あるいは和水さんのお尻に夢中な時とか。
和水さんの太ももをチラ見している時も追加で、あとは和水さんのスカートを覗けそうな時もかな。
それと、今日みたいにボールが当たってフラフラだった時もだ。
流石にそんな状態の時に聞いていたとしたら、覚えていられないかもしれない。
「あの、ホントに教えてもらったことありましたっけ?」
「ふふ、ホントだよ。もしかして忘れちゃったの?」
「え、いやぁそんな、ただちょっと自信がないだけで、記憶が曖昧なだけで、一瞬だけ度忘れしてるだけっていうかですね……あの、ヒントをください」
「ヒントって花がすきな理由の?」
「いえ、いつ頃教えてくれたのかを聞ければ絶対にすぐ思い出しますから! もうホントすぐに思い出しますよ! 僕の誇りにかけて! いや忘れてはないですけどね。で、いつ頃聞きましたっけ? 掃除を手伝ってくれた時ですか? いや、ポスター張りしたとか? それとも資料作成を手伝ってくれた時でしたか?」
僕は童貞の威信にかけて、絶対に思い出すつもりだった。
貴重な女の子との会話。それを忘れてしまっているだなんて、僕の正義が許さない。
喩え和水さんに見惚れていた時だとしても、必死に脳みそを掻きまわせば思い出せるはずだ。
「そこまで自身があるならヒントあげてもいいけど、もし思い出せなかったらどうする?」
「え、まさかのペナルティーありですか?」
「まぁそこまで身構えるような事じゃなくていいけど、ん~、何でも一つ言う事を聞くとか?」
「ヒントを聞いても思い出せなければ、和水さんの言う事を一つ聞けばいいんですね? それくらい問題ないですよ。絶対に思い出しますから」
僕には自信があった。美少女案件をこの僕が思い出せないわけがない。
これくらい、分の悪い賭けでもなんでもない。
僕は真剣な面持ちで、和水さんからのヒントを待った。
「おっけ~じゃあヒントね……掃除を手伝ってあげた時よりも、前」
「…………え?」
たぶん、五秒くらいは本当に時が止まっていたと思う。
和水さんのヒントは、僕にとってそれほどの衝撃で、それ以上に信じられるものではなかった。
「え、え? ちょ、ちょっと待ってください和水さん! 掃除ってあの、あの時のですか? 僕が一人で教室の掃除をしてたあの時」
「そうだけど、それ以外で手伝った事ないでしょ」
「それはそうなんですけど、え? だってあの時って、僕たちが初めて会話した時のはずじゃ?」
僕の記憶ではそのはずなのだ。
確かに一年の時から和水さんの噂は聞いていたけれど、実際に顔を合わせたのは二年で同じクラスになってから。
そして初めて会話をしたのが、和水さんが掃除を手伝ってくれたあの時のはずだ。
まさか一年の時に和水さんとは知らずに話す機会でもあったのだろうか。
いや、喩えそうだとしても和水さん程の美少女との接触を僕が忘れるはずはない。
どれだけ考えても、掃除の時以前に高校生活で和水さんと会話をした事なんて思い出せはしなかった。
戸惑う僕とは対照的に和水さんは笑顔だ。
まるで悪戯が成功した子供のように心底楽しそうに肩を揺らして笑っている。
その笑い方は何時もの不敵な笑みとは違っていて、僕はこんな風に笑う和水さんを初めて見たはずなのに、何故か懐かしさを感じていた。
「くくっ、アハハハ! ぜんっぜん分からなそうじゃん!」
「い、いやそんな事は! ていうか和水さん笑いすぎですよ! まさか嘘ついてるわけじゃないですよね!?」
「ぷふっ……アッハハハ! 嘘なんてついてないって! アハハ! 僕の誇りにかけて! とか言ってたのに、ブフッ、ぜんっぜんダメじゃん!」
「いやキャラ違いませんか和水さん! 一旦落ち着いてください和水さん!」
それから、しばらくはお腹を抱えて笑う和水さんをなだめるので必死だった。
楽しそうに笑う和水さんを見ていると、なんだか僕も異様に楽しくなってきて、さっき感じた既視感のようなものも、すぐに忘れてしまっていた。
「あぁ~笑った。お腹痛いわ」
「和水さんって本気で笑うとあんな感じなんですね。それよりホントに嘘ついてないんですか?」
「ホントだって。まぁ、思い出せたらまた教えてあげてもいいけど」
「あの、和水さん。それってあまり意味がないのではないでしょうか?」
「ふふっ、じゃあ自分でちゃんと思い出して。それと、ちゃんと何でも言う事を一回聞く義務があるから、忘れないでよ」
そう言って笑う和水さん。
いつもの不敵な笑みではなく、心から安らいでいるようなその笑みに、ただただ見惚れた僕は流されるままに頷いていた。
それから、賑やかで楽しい食事が終わった後、僕は和水さんと二人で食器を洗ったり後片付けをした。
二人でキッチンに立ち、作業を分担して行っていると、なんだか初めての共同作業的な感じがして、僕が一人で興奮していたのは内緒だ。
全ての食器を片付け、少しゆっくりとした時間が過ぎる中、僕はほんの少しの寂しさを感じていた。
もう時間的にも外は暗くなっている。
流石に和水さんも帰らないといけないだろう。
初めは和水さんを部屋に入れる事を戸惑っていたというのに、いざ和水さんが帰るとなると名残惜しさを感じずにはいられない。
なんなら一家に一台、ではないけれど、我が家に住んでくれたって構わないのだが、そういうわけにもいかないだろう。
そんな事を考えている間にも、和水さんが立ちあがってしまう。
いよいよその時がきたのだ。
和水さんがいなくなれば、この部屋も元の薄汚い部屋に戻ってしまう。
先ほどまでの賑やかな会話もなくなり、テレビか動画の音しか聞こえない普段の部屋に戻る。
けれど、それこそがこの部屋の本当の姿だ。
多くを望んで和水さんを困らせる程僕は子供じゃない。
駄々をこねて和水さんを引き留めるなんて以ての外、むしろジェントルマンとして和水さんを家の近くまで送ってあげるべきだろう。
と、そんなふうに寂しさを誤魔化していた僕に、立ち上がった和水さんは予想害すぎるお言葉を発したのだった。
「じゃ、そろそろ一緒にお風呂入ろっか」
「………………はぃ?」




