1-8 処分か婚約か
「……これ以上、城の風通しを良くするのはやめてくれないか」
額に青筋を浮かべた魔術長官は、威圧的に手のひらに杖を打ちつける。高位の魔術言語を呟き、杖の先を壁があった場所へと向けた。
虚空に魔術紋様が浮かびあがる。
一瞬の閃光の後、吹き飛んだ壁が修復された。
「本来であれば、下級貴族以下の恋衝罹患者は隔離をするか記憶消去措置を施すのだが、二人──年齢的にも釣り合いの取れた男女が揃っているなら話は別だ」
下級貴族以下、という言葉にマリエルはどきりとする。
「過去の文献に『恋衝を持つ者同士を『つがい』にすることによって、魔力の奔流は相殺される』との記述がある。ま、真偽はわからんがね。何せ古文書と呼ぶべき昔の史料だ」
魔術長官は執務机に置いてある書類をやや乱暴に叩いた。
「騎士カインハルト。恋衝ゆえに女との接触を避けていたのは知っている。だが貴公のような優秀な男子が子孫を残さないのは国家としても大きな損失だ。もちろん彼女のような下級貴族では釣り合いが取れぬのはわかっている。恋衝が落ち着いた後に側室を迎えるなり、離縁して違う女を娶れば良い」
カインハルトの方を向き、魔術長官は悪びれる様子もなく平然と言い放つ。
(そんな言い方しなくても……)
マリエルはぎゅっと両手を握り込む。
事実だけに何も言い返せなかった。
下級貴族の子女である自分と、上級貴族の令息で騎士団の一部隊を任されているカインハルトでは到底釣り合わない。
「お言葉ですが、俺――私は、そのような不義理を働く気はありません」
刃物のような冷たさと鋭さをはらんだ声が聞こえ、マリエルははっと顔を上げる。
カインハルトの眉間には深い皴が刻まれていた。握った拳が何かを抑え込むようにぶるぶると震えている。
「対処法についても疑念しかありません。ほぼ初対面の二人が結婚したところで、本当に恋衝が収まるのでしょうか。結婚はあくまで書面上の取り決めにすぎないかと」
拳の震えに呼応するように、部屋の中の調度品ががたがたと揺れ始めた。花瓶にヒビが入り、水が勢いよく流れ出る。
「あ、ああ。だからこれから三ヵ月間、君たちには結婚までの準備期間として共に暮らしてもらう。三ヵ月もひとつ屋根の下で暮せば男女の仲などどうにかなる。対外的にも、いきなり結婚するより、婚約期間をはさんだほうが据わりがいい」
魔術長官はたじろぎ、早口でまくし立てた。
(さっきから適当過ぎる……)
あまりの言い草に、マリエルはため息を禁じ得ない。
カインハルトも同じだったらしく、左目を押さえて深く息を吐いた。
「それと、後世のために監視官をつけさせてもらう。数十年に一人、恋衝持ちが現れるかどうかといった確率で、臨床例も極めて少ないのでね」
空気が読めないのか、魔術長官は自分の要求ばかりを押し付けてくる。
「最後にこんなことを言うのもなんだが、もちろん拒否してくれても構わない。その場合、それ相応の処置がある、とだけ言っておこう」
(魔術はすごいけれど、ほんと嫌な人)
もやもやが胸の中に降り積もっていく。
ちらりとカインハルトの方を窺うと、相手もこちらを見ていた。
マリエルの返答を待っているようだった。
それ相応の処置を受けるのは下級貴族だけ、だからだろう。
(私のためにお父様やお母様、セヴが隠し通してくれたのに、みんなの厚意を無駄になんてできない)
「――承知、いたしました」
マリエルは背筋を伸ばし、できるだけ普段通りの声を絞り出す。
決意の表れかのように、マリエルの手の中に淡く光る一輪の白い花が生じた。




