1-7 色惚《いろぼ》け病
「こんな所で発情するな、騎士カインハルト。むつみ合うのは結構だが、二人の時にやってくれ」
書類を拾い終わった魔術長官は、仕切り直すように大きく手を打ち鳴らした。
「互いに憎からず思っているようだな。であれば話が早い。結婚するのになんの問題もないだろう」
「待ってください! まったく状況がわからないのですが……」
マリエルは声を上げてから、はっと口元を押さえる。
魔術部門のトップに対し、一介の治療術士ごときが出過ぎたことをしてしまった。上の者の命に異を唱えるなどあってはならないことだ。
「長官、僭越ながら申しあげます。彼女に恋衝について説明をしてはどうでしょうか。恋衝は多くの者にとってなじみのない事柄。巻き込まれた彼女には知る権利があるはずです」
見かねたのか、カインハルトが助け舟を出してくれた。
「……うむ。それもそうか」
魔術長官は顎を撫で、小さくうなずく。
「騎士カインハルトはすでに知っていると思うが、先の表彰式での爆発や、その青い花は『恋衝』という異能によるものだ」
「恋衝……」
マリエルは怪しまれないようにおうむ返しにした。
「恋衝とは、『恋愛に起因する感情の揺らぎによって起こる魔力暴発』とされている。一般的な魔術との見分け方はわかりやすく、発動時に必ず、花や花弁をともなう」
魔術長官は眼球だけを動かし、床に散らばった花を見る。
「古くは『色惚け病』などと揶揄されていた。しかしその名称に反し、恋衝がもたらす事態は極めて深刻だ」
説明しながら、魔術長官は視線を花からマリエルへと移した。
マリエルは努めて真剣に耳を傾ける。
「なにせ、何が発動するかわからない。突如爆発が起こったり、天変地異に見舞われたり――かと思えば、何もない空間に四季折々の花が咲いたり、砂糖水の雨が降ったりと、個々人や状況、感情などで効果が異なる」
魔術長官が語る内容は、すでにマリエルが知っているのとほとんど変わりなかった。
だが、決してそのことを知られてはならない。
「恋衝が発症すると、男ならば左目に、女人であれば右目に花の印が浮かぶ」
カインハルトはマリエルと向かい合い、左目を隠していた自身の前髪をかきあげる。
銀の瞳の中には、コスモスに似た八枚の花びらの模様があった。
(やっぱり。あの時、見間違いじゃなかった)
カインハルトに告白された時に、わずかに彼の左目が見えた。まさかとは思ったが――。
「俺のような者にあっても格好がつかないが、君の花は可愛らしいな」
カインハルトがわずかに身を屈め、マリエルの右目を覗き込んだ。口元には柔らかな微笑みが浮かんでいる。
「っ……!」
距離の近さにマリエルは息が止まった。
カインハルトの銀の瞳に、自分の顔が映っている。
(色々まずい、かも……)
普段は特殊な目薬と、度の入っていない分厚い眼鏡で花の印を隠している。調剤室で湯気に当たった時に目薬が薄まってしまったのかもしれない。
だが、本当にまずいのはそんなことではなかった。
顔が熱い。
耳の奥でどくどくと脈打つ音が聞こえる。
抑えようと意識すればするほど熱で頭がぼんやりし、音がうるさくなる。
目の前が霞がかったように白くなり――
ドガァンッ!
爆音がとどろいた。
「……あ」
聞き覚えのある爆音に、マリエルはさっと血の気が引くのを感じる。
魔術紋様の施された執務室の壁が一瞬にして消し飛んでいた。
外から吹き込む風に流され、白と青の花びらが書類と共に宙に踊っている。




