1-6 突然の結婚強要
◇
「お、遅くなってしまい大変申し訳ありません! えぇと、宮廷医療班治療術士マリエル・フェンリース、参上いたしました!」
魔術紋様が刻まれた樫の扉の前で、マリエルは大声を張り上げた。
付き添ってくれたタリアの姿はすでにない。
執務室前に着くなり、「じゃ、頑張ってねぇ」とひらりと手を振り、軽やかに立ち去ってしまった。
「入りたまえ」
扉の向こう側からしわがれた声が聞こえてくる。
「失礼いたします」
マリエルは一礼してから重い扉を押し開く。
部屋の奥にある執務机で、一人の初老の男性が書類とにらみ合っていた。他に人はいない。
「ふむ。君がフェンリース嬢か」
初老の男性――魔術長官は視線をマリエルへと移した。
「まさか私の代で二人も発症者が現れるとはな」
眉間を揉み、大きく肩を落とす。
「あの、呼び出された理由をお伺いしてもよろしいでしょうか」
マリエルは恐る恐る尋ねた。
呼び出しの理由自体はわかっている。
恋衝だ。
具体的にどの程度まで知られてしまっているのかを確かめたい。
「ああ、単刀直入に言おう。フェンリース嬢、君には、第二騎士団遊撃隊隊長カインハルト・グラスベルクと結婚してもらう」
「…………けっ……はぁっ!?」
想像していた回答の遥か斜めをぶつけられ、マリエルは不躾な返事しかできなかった。
(ケッコンって……結婚!?)
マリエルの頭の中で教会の鐘の音が盛大に鳴り響く。
色々な意味でくらくらしていると、
「第二騎士団遊撃隊隊長カインハルト・グラスベルク、参上しました」
扉の向こう側から声が響いた。
「おお、ちょうど良いところに来た。早く入りたまえ」
魔術長官は喜色を浮かべる。
「被害状況の確認に手間取り、遅参したことをお詫び申しあげます」
入室したカインハルトは、魔術長官に向かって深く頭を下げた。
「型通りの挨拶はいい。騎士カインハルト、隣にいるマリエル・フェンリース嬢と結婚したまえ」
「…………けっ……はぁっ!?」
数分前のマリエルとまったく同じ反応をしたカインハルトは、錆びた人形のような動きで自分の隣にいる人物に目を向ける。
マリエルはなんとか微笑みを作り、会釈をした。
「……長官。これが現実であることを確かめるために、机の角に頭をぶつけさせていただいてもよろしいですか?」
カインハルトは挙手し、極めて真剣な表情と声で提案する。
「君は頭がおかしいのか?」
魔術長官は眉をひそめ、率直すぎる言葉をぶつけた。
「いえ、正常だと自負しております。ですが、自分の頭がおかしくなったのかどうかを確認したく」
「……勝手にしたまえ」
「ありがとうございます」
魔術長官のいぶかしげな視線をものともせず、カインハルトは机に手を置いた。上体を反らし、机の角目がけて勢い良く頭を叩きつける。
「きゃああっ!? 何してるんですか!」
マリエルが抱きついて止めたが遅かった。
「……痛い。現実か、これは」
カインハルトの額は割れ、だらだらと血が流れ落ちている。
(ひええ、なにこの人……)
マリエルはあまりのことに泣きたくなった。表彰式の時の印象と天と地ほどに違う。
「勝手にしろと言ったが本当にやる奴がおるか!」
魔術長官は執務机に拳を叩きつけた。その衝撃で、机の上の書類の束が雪崩を起こす。
「あの、治療するので、少ししゃがんでいただけますか……?」
マリエルはカインハルトの服の裾を引っ張った。
負傷した経緯はともかく、怪我人は見過ごせない。
カインハルトは小さくうなずき、言われるままに腰を落とした。マリエルと目線を合わせる。
(そんなに見られるとやりにくいなぁ)
眼鏡というフィルターなしに見るカインハルトの顔は、心臓に悪いほど整っていた。見た目だけで恋に落ちてしまう人の気持ちがわかる。
マリエルは唇を噛みしめ、できるだけ意識を患部に集中させた。
ハンカチで血を押さえ、右手をかざす。淡いオレンジ色の治癒光が灯り、数枚の白い花びらが散った。
(やだっ、また恋衝!?)
マリエルの焦りに反し、治癒の光はまたたく間に額の傷を消し去った。出血のわりに傷が浅かったこともあるが、傷が癒えるスピードがいつもより速い。
(……いつも良い効果があるだけなら、良かったのに)
マリエルは自分の手のひらに視線を落とした。
「ありがとう。手間をかけた」
カインハルトは頭を下げ、改めてマリエルを見つめた。
告白された時のことが頭によぎり、マリエルはまばたきが多くなってしまう。
あの告白の意図がなんだったのか尋ねたいが、いま蒸し返すと魔術長官に結婚を押し進められてしまいそうで聞けない。
「あなたは、マリエル・フェンリースという名なのか」
感慨深そうにカインハルトが呟く。
その瞬間、室内にさぁっと清涼な風が吹き込んだ。
ぽぽぽっという軽妙な音と共に、二人の周囲にいくつもの青い花が発生した。
風を受け、花がふわりと舞い上がる。
舞う花からは、袖に入っていた青い花びらと同じ爽やかで甘い匂いがした。




