2-5 マニアックな趣味?
(な、何か気に障ることでも言っちゃった?)
カインハルトの視線に耐えきれず、マリエルは目を伏せた。
声も視線も冷たいのに、頬に触れる指だけは心地良く温かい。
「そ、そうですよね! 恋衝さえ制御できれば、私は必要ないですもんね」
マリエルはなんとか笑顔を作ることはできたが、明るくしようとするあまり声が裏返ってしまった。
(ちょっと、怖い……)
気まずさから、足が勝手に後退る。
数歩下がったところで膝裏に何かが当たった。
ベッドの縁だ――そう気付いた時には身体が後ろに傾いていた。
「マリエル殿!」
カインハルトが手を伸ばし、マリエルの腕をつかむ。
マリエルの身体を引き戻そうとした瞬間、カインハルトの足が滑った。踏まれて変色した青い花びらが飛び散り、もろともベッドに倒れ込む。
「……怪我はないか?」
互いの息がかかるほど近くに、心配そうに眉根を寄せたカインハルトの顔があった。
柔らかい羽毛布団がクッションになったおかげで痛みはほとんどない。
それよりも、心臓の方が重傷だった。
無理やり空気を入れられたかのように張り詰め、どくどくとうるさいほど脈打っている。
「大丈夫だけど、大丈夫じゃない、です……」
マリエルは顔の前で手のひらを交差させた。
「――っ! すまない! 決して無理強いをしようというわけでは……!」
慌てたカインハルトのせいでベッドのスプリングがぎしぎしと軋む。
「さっき速やかに番になるとか離縁とか言ってたじゃないですか!」
マリエルは非難じみた言い方をしてしまう。
「あれは……いっそ嫌われた方が――」
――コンコン。
カインハルトの言葉を遮るように上品なノックが響いた。
扉が開く。
「カインハルト様、マリエルお嬢様。お茶の用意ができました」
ゆったりとお辞儀をしたシャーリーと目が合う。
「……返事も待たずに開けてしまい申し訳ございません。ごゆっくりどうぞ」
何事もなかったかのようにシャーリーは音もなく扉を閉める。
「誤解だ!!」
カインハルトの全力の否定に反応し、周囲に風が巻き起こった。青い花びらを孕んだ風は、レースの天蓋を激しくはためかせる。
「か、カインハルト様、また……」
マリエルが魔力暴発の予兆に呆然としていると、カインハルトは素早くマリエルを抱きかかえた。
ベッドの下に滑り込む。
ひと息つく間もなく、まばゆい光とともに風が一気に押し寄せてきた。
視界が真っ白に染まり、爆音が鼓膜を揺さぶる。
こんな状況なのに、花の甘い香りがするのが少し可笑しかった。
「すまない……」
カインハルトは強くマリエルを抱きしめた。
力強く温かい腕は安心感があり、無条件に身体を預けたくなる。
「あの時と同じですね、表彰式の」
マリエルは笑みをこぼす。
不謹慎かもしれないが、カインハルトの行動が嬉しい。あの時も、カインハルトはこうやって迷いなく庇ってくれた。
「カインハルト様だけのせいじゃありません。制御できるように、一緒に頑張りましょう」
マリエルはにっこりと笑い、カインハルトの顔を見上げる。
カインハルトの髪が乱れ、花の印がある左目があらわになっていた。
その瞳は、マリエルにはどんな花よりも美しく見えた。自分やカインハルトを生きづらくした元凶なのに。
「……ああ」
カインハルトは不明瞭な声で返事をする。
一見不服そうな表情だったが、耳だけ真っ赤に染まっていた。
(もしかして、ただの口下手な照れ屋さん?)
カインハルトの性格がようやく垣間見え、マリエルは微笑ましくなる。
「どうかしたか」
「いいえ。前髪を上げてた方が格好良いな、って思っただけです」
マリエルは手を伸ばし、カインハルトの髪に触れた。しなやかな紺色の髪は指通りが気持ち良い。
「もう、隠す理由もないのかもしれないな」
カインハルトの口角がほんの少しだけ持ちあがった。重ねるようにして、マリエルの手ごと前髪を押さえる。
「実を言うと、見づらくて仕方なかった」
おどけた風に言うカインハルトが妙に可愛らしく、マリエルは笑ってしまうのを抑えきれなかった。
ほどなくして――
「――大丈夫ですか坊ちゃん!」
扉を蹴破る音とフリントの声が聞こえてきた。
「……わざわざこんな所でいちゃつくなんて、独創的なご趣味ですね」
マリエルとカインハルトが出るよりも早く、フリントがベッド下を覗き込む。
「どんな趣味だ!」
カインハルトは飛び出す勢いでベッド下から出るとフリントに詰め寄った。
「まぁまぁ。しかしまた、派手にやりましたねえ。城の大広間と比べれば補修費用はタダみたいなもんですが」
フリントはカインハルトをなだめ、視線を誘導するように腕を広げた。
先ほどの爆発によって、カインハルトの部屋はもはや居室とは呼べない状態になっていた。
壁や天井には大小様々な穴が開き、床には砕け散った窓ガラスとドレッサーの鏡が散乱している。
ベッドの天蓋は数本の支柱しか残っておらず、柔らかな布団は羽毛の山に変わり果てていた。
「すみません……」
マリエルは肩を縮こめ、深く頭を下げた。
「悪いのは俺だ。まるで制御できていない」
カインハルトは顔をゆがめ、床に落ちた青い花びらを踏み潰す。
「やめましょう。根拠のない自責はなんの得にもなりません」
重い雰囲気を払拭するように大きく手を打ち鳴らしたのはフリントだった。
「確かに坊ちゃんも悪いですが、お節介が行き過ぎたシャーリーや茶化した私たちも悪い。白花の君は……何年も微動だにしなかった坊ちゃんの心を動かしたのが罪、かな」
フリントは軽薄だが魅力的な笑みを浮かべ、マリエルに向かってウインクをしてみせる。
「フリント……」
眉を吊り上げたカインハルトがマリエルとフリントの間に入った。
「そう眉間に皴を寄せないでくださいよ。兄さんそっくりで嫌になる」
フリントは肩をすくめ、カインハルトの眉間を指でつつく。
(なんだかんだ仲が良さそう。雰囲気もちょっと似てるし、やっぱり親戚とかなのかな)
二人の気兼ねないやりとりは、まるで年の離れた兄弟のようだった。
「そんなことより、私がここに来たのはお二人の安否確認だけじゃありません。マリエル嬢に治療してもらいたい人がいるからなんです」
フリントはカインハルトの肩越しにマリエルを見た。
「おそらく恋衝がらみで派遣された官吏だと思うんですが気を失っていて。今は一階の客間で休んでもらってます」
「魔術長官が言っていた監視官だろうか……」
カインハルトは顎に手を当て考え込む。
「かもしれません。それより今は、その方の怪我の具合が気になります」
「ああ。治療を頼めるか、マリエル殿」
真剣な眼差しで頼まれ、マリエルはどきっとしてしまった。
カインハルトに他意はないはずなのに、銀の瞳に見つめられると感情が揺れてしまう。
(……今は浮かれてる場合じゃない)
マリエルはきゅっと唇を引き結び、急いで部屋から出た。




