2-2 予想外の歓迎
◇
(これからどうしよう……)
揺れのほとんどない馬車の中、マリエルは膝の上の鞄に額を押し付けた。
鞄の中身はなけなしの着替えと生活用品。
必要最低限の物だけ持たされ、なかば強引に宮廷術士寮から追い出された。
行き先はカインハルト・グランベルクの屋敷。
恋衝対策の一環として、今日から彼の元で暮らさなければならない。
(私、本当に結婚するの? それで恋衝が治まる? いきなり押しかけるとか迷惑じゃない? なにより、あの方とどうやって接したらいいの……)
際限なく悩みが湧きあがり、心の底にどんよりと溜まっていく。
そんな胸中に呼応するかのように、はらはらと白い花びらが降ってきた。
「……もうっ!」
マリエルは顔をしかめ、宙に舞う花びらをつかむ。
爆発よりは遥かにましだが、これではうっかり考え事もできない。下手をすればちょっとした騒ぎになる。
(ここ何年も暴発なんてしなかったのに。急にあんなこと言われたから……)
表彰式での爆発告白を思い出しそうになり、マリエルは頬をぴしゃりと叩いた。
花びらが座席に積もっている。
「……もうやだ」
マリエルが唇をとがらせて花びらをかき集めていると、馬車の速度が緩やかになった。蹄の音が止まり、御者の声がかかる。
「グラスベルク邸に到着いたしました」
ドアが開かれ、マリエルは小さく息を呑む。
目の前に広がるのは、思っていたよりも無骨な屋敷だった。
貴族邸宅というより、もはや砦だ。石造りの外壁は装飾がいっさいない。
玄関脇の低木が唯一の彩りで、釣鐘状の白い花がひっそりと咲いている。
マリエルが恐る恐る真鍮製のドアノッカーに手を伸ばすと、指先が触れる前に玄関扉が開いた。思わず鞄を取り落とす。
「ようこそお越しくださいました!」
満面の笑みでマリエルを出迎えたのは、短髪の少年だった。明るく軽やかな声が玄関ホールに響き渡る。
「わ、ちっちゃ! かわいー! あー、でも意外かも。てっきり美人系が来るのかと……カイン様ってそういう趣味だったんすかねー?」
短髪の少年は物珍しそうにマリエルを眺め、手を動かして自分と身長を比べた。
(そ、そういう趣味?)
意味を測りかねて固まるマリエルの前に、
「誤解を招くような言い方するな、ラマ」
顎髭をたくわえた壮年の男性がやってきた。
呆れたようなため息をつき、短髪の少年――ラマの頭を軽くはたく。
「躾がなってなくて悪いね。まずは中へどうぞ、白花の君」
壮年の男性はマリエルのカバンを拾い、芝居がかった仕草で家の中に誘う。
髪色こそ違うが、目元などカインハルトと雰囲気が似ている。
「白花……?」
「いささか安直な呼び名でしたか? 貴女がいる所には白い花が舞う、と伺っていたので」
壮年の男性はマリエルの髪についていた白い花びらを取り、柔らかく微笑んでみせた。
(なんか、女の人に慣れてそう……)
軽薄な気配を感じ取り、マリエルは半歩後退る。
「フリント様、軽口はお控えください。あなた様流の挨拶だと重々承知しておりますが、相手は未来の奥方様です」
今度は白髪の老婦人が現れた。
穏やかな口調とは裏腹に、壮年の男性――フリントの耳を容赦なく引っ張って下がらせる。
「重ね重ね申し訳ありません、マリエルお嬢様。気の利かない男たちばかりで」
老婦人は優雅な所作で頭を垂れた。
「わたくしは家政婦のシャーリーと申します。なんでも気兼ねなくお申し付けくださいませ」
「は、はい」
マリエルも慌てて会釈を返す。
「あの、突然押しかける形になってすみません。それに、結婚するかどうかはまだ――」
「すでに旦那様が何か不手際を?」
シャーリーの目が鋭く吊り上がった。
「いえ! そういうわけでは……!」
マリエルは焦って両手を振る。
こんなにも歓迎されるとは思ってもみなかった。家中の人々に過度な期待をさせては申し訳ない。
妄想で先走るシャーリーに困っていると、奥の方から軋んだ音が聞こえた。ゆっくりと扉が開くのが見える。
「――来たのか」
冷ややかな低音に、マリエルの胸がどきりと痛む。
シャーリーたち三人はすぐさま礼の形を取った。
カインハルトが扉から一歩踏み出すと、彼専用の絨毯のように青い花が咲き乱れる。
「カインハルト様……」
幻想的な光景とカインハルトの整った容貌とが相まって、違う世界の住人であることを感じずにはいられなかった。




