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おとなりさんの診療所  作者: 蒼空チョコ
第三章 鉄鎖の化け物

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物は使いよう

 午後になれば岸本さんの検査結果は出るそうです。ならばそれまでに話をつけ、すっきりと奇跡を見届けたいものです。

 ケリをつけるためにも三人で病院を出ると、そこは嘘のように静まり返っていました。

 場はすでに整いきっているようです。

 あちらもその気。私と斑さんも羽織と面を身に着け、覚悟はしています。

 こつこつと固い靴音を静寂に響かせ、一人の人間がやってきました。神主や平安時代の服装のような装束に、口元を布で覆い隠した人物です。

 ひらひらとした服装で体形が隠れる上、目元しか確認できないのでほとんど情報が読み取れません。辛うじてわかるのは、大人の男性というだけです。

「小夜ちゃん、観察しても無駄だよ。相手を認識できなくなる術が掛けられているみたいだ」

 斑さんも目を細めていましたが、それをやめた様子です。

 彼にも打つ手なしということは私では何の役にも立たないでしょう。素直に会話できるか試みるのみです。

「先程、追いかけてきた魔祓い師さんですね。失礼しました。私たちはあやかし診療所の者です。彼の治療と、たっての願いがあって病院まで来ました。今は彼の大切な人が検査中ですが、きっともう騒ぎを起こすことはないと思います」

 はいそうですかと終わってくれればいいのですが、それは希望的観測でしょう。

 魔祓い師は懐から呪符を取り出して広げ、斑さんもそれに応じて呪符を手に取っています。足元のセンリや懐のぬえちゃんといい、ピリピリと張りつめていっているのがよくわかりました。

「あやかしが過ぎたれば世の平穏を乱す。望みを叶えんと暴れる者には罰を下さねば規律は保てない。だが、診療所もまた安寧のためには必要な組織だ。傷つけたくはない。そこを退くべきだ」

「わかりました。私たちも荒事は避けたいので、仲裁役だけ呼びたいと思います」

 予期した通り、話が通る状況ではありませんでした。

 ええ、そもそも話をしてくれるのなら、あやかしを傷めつけずに忠告をしてくれることでしょう。厳しい対立こそがあやかしと魔祓い師の規律の保ち方なのです。

 診療所が堅持する応召義務――助けてくれと言われれば誰でも治療するのもまた規律。大切さは理解できるからこそ、これらに異を唱える気はありません。

 それを考慮した上での対応を考えればいいだけです。

 私がプーカに視線を向けると同時、動きがありました。

 紫電をまとう呪符がいくつも投げられ、周囲から様々な形の式神が飛び掛かり、式神の群れが周囲を渦巻きます。

 今こそ手渡した道具の使い時です。

 それぞれが身構える中、プーカは手にした組紐の封を解きました。

「――おや。おや、おや、おや? これはこれは、なるほど。久方ぶりに血沸く最中に引っ張り込まれたわ」

 くふ、と妖艶な笑みが零れたその瞬間、私たちを囲んでいた式神は塵に還りました。荒れていた空気も嘘のように凪ぎます。

 何があったのかは、誰にもわかりません。

 ただわかるのは、金色に輝く独鈷を口元に添え、笑みを浮かべる夜叉神様が目の前に現れたということだけです。

「それにしても、ええの? 祝部のお嬢ちゃん、神は対価を求めるよ?」

 そこにいるだけで周囲にびりびりと圧力を感じさせる夜叉神様は、封を解いた主を求めて振り返ります。

 戦闘の最中に視線を逸らすなんてあるまじきことですが、そんなことも余裕という強者の振る舞いでしょう。

 一般人としてはそんな圧力は辛いので、私は極力遠方に距離を取って眺めていました。

「えぇ?」

 夜叉神様は人の身から馬の姿に戻るプーカを目撃し、次に病院の植え込み辺りまで避難した私に視線を移します。

 眉をハの字に寄せた彼女は、ぺちりと自分の額を打ちました。

「いけずやわぁ。確かにね、おいたも好きにさし、困り果ててすがってきたら丸め込んでやろうかなと仕組みはしたんやけど……。物は使いようやね。あぁ、賢い賢い……」

 ぐぬぬと悔しそうに顔を歪めていた彼女は観念してプーカに目を向けました。

 神様は人の願いを安易に叶える存在ではありません。ですが、こうして自ら渡した品で縁を結ばれては応えずにはいられないでしょう。

 物は使いよう。まさにその通りです。

「お馬さん。あんた、あの子と縁があった鎖の子やね。何がお望み?」

「俺が世話になった飼い主を、死ぬまで見届けたい」

 夜叉神様に向けて深く頭を垂れていたプーカは願いを口にしました。

 それを耳にした夜叉神様は先日、私にやったように深く見つめます。そして彼女の登場を境に同じく頭を垂れて動かなくなった魔祓い師も見据え、目を細めました。

「好き勝手騒いで、最後は神頼み? えらいお利口やねえ、お馬さん。朝はちゃぁんと食べて来はった? そういう不埒なお願いはね、高うつくんやけど、計算できとるかな」

 私や玉兎くんへの態度と違い、突き放すように冷たい声なのは気が乗らないが故なのでしょう。

 彼女は宙に浮いたまま、そっぽを向こうとしています。

 けれどもそれを前にしてもプーカは揺るぎませんでした。

「どんな対価でも構わない。この三十年、生きてこられたのは恵たちのおかげだ。見送るためならなんだってする」

「ふーん」

 言葉を聞き届けた夜叉神様は、頭を垂れたままのプーカを見やりました。

 そうして目に留めるだけの価値があると認めてくれた証拠なのでしょう。

 私は一押しするためにも、その場に近づきます。

「夜叉神様、私がしばらくお寺のお手伝いをするとかだったんでしょうか。ご期待に沿えなくてすみません。でも私がこのプーカさんを推す理由もあるので聞いてくれませんか?」

 夜叉神様は恨みがましそうに、じとーっと視線を向けてきます。

 幽霊の類が見えるのは神職に必要とされる才能だそうですし、センリも神様の力で守護霊になった特別な存在です。私は小間使いとして便利になりそうなので贔屓してくれたのでしょう。

 けれども、それと同じくプーカは夜叉神様にとって助力になり得る存在だという確信もありました。

「イギリスの馬の妖精、プーカは敬えばそれに応えてくれる子です。そして、そういう逸話が根付いている地域だと、毎年十一月一日に姿を現して予言や警告を与えてくれるそうなんです」

「はいはい。それこそ縁を司る神様にぴったりのお馬さんやねえ。そこまで正論を引き当てて言われるとねえ、返す言葉もあらへんよ」

 夜叉神様はどっぷりと息を吐くと、地面に降りてプーカの前に立ちました。

「ちょうど乗り物を欲しがっていた神さんがいてね。お前が望むんなら神馬として召し上げよう。そして望み通り最期まで主を見届けて、魂を正しき所に送っておあげ。ただし、その後にどれだけご奉公が要るかまでは知らへんからね?」

 夜叉神様はプーカの頭に手を置き、確認を取るように呟きます。

 それにプーカが応じた瞬間、彼の首に下がっていた鎖は消え失せてしめ縄に変わりました。

 私の記憶が正しければ、ミシャグジ様が身に着けているのと似通っています。要するに、神様に認められた証とでも言えましょうか。

 一仕事終えた夜叉神様は踵を返して魔祓い師に目を向けました。

「そういうことになってしまってね、この子はうちで面倒を見るわ。迷惑をかけた分、融通を利かすさかい、堪忍してくれへん?」

「……御意に」

 魔祓い師自身、能力のために神様の力を借りていたり、大多数のあやかしを治めるのに神様の威光を用いたりしているものです。

 こうと言われれば否はありませんでした。

 答えた魔祓い師の身には式神が巻き付き、それが散ると共に姿まで消え失せてしまいます。

 こうして、『富士の不死』と『鉄鎖の化け物』の案件も終わりを迎えたようです。

 緊張の糸が途切れてきた頃、不意に病院の方に目をやった夜叉神様はプーカをぺしりと叩きました。

「あんたが望む結果、出たようやね。聞き届けたら最初のお仕事。うちを寺まで乗せて帰ること」

 流石は縁を司る神様です。検査の結果もお見通しでした。

 私の一押しなんてあくまでおまけ。プーカがどれだけひたむきな想いでやってきたのかを見通して、認めてくれたのかもしれません。

 病院の前らしく人の気配が戻ってきたので私は面と羽織を脱ぎます。

 すると私の肩に斑さんがとんと手を置いてきました。

「小夜ちゃん、一件落着だね。お疲れ様……」

「最後までありがとうございま……って、あわわわ!? 斑さん、凄く顔色が悪いんですけど!?」

「こっちでこれだけ大立ち回りをすると流石にね……」

 式神を散らしたり、私の身を守ってくれたり。確かにあれこれと力を使わせてしまいました。

 私に身を預けてどんどん足の力が失せていくのですが、成人男性を抱えるのは流石に堪えます。自家用車までは距離がありますし、どうしたものかと私は視線をさまよわせるのでした。


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