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おとなりさんの診療所  作者: 蒼空チョコ
第三章 鉄鎖の化け物

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身を投じる覚悟

 雷光がいい感じに目くらましになった上、宙に浮いていた式神に落ちて焼き払えたらしく追撃らしい追撃はありません。

 病院の正面玄関に辿り着くと私はセンリから降り、プーカは人の姿に化け直します。

「ここには人の気配があるんですね。普通の日常です」

 少しばかり驚き気味に病院内を眺め回します。

 先程までの争いに気付いた様子もなく、看護婦さんが受付で問診表をやり取りしたり、入院患者が車椅子で移動していたり、バスが病院前に到着したりしていました。

 斑さんも後方をじっと睨んでいましたが、こちらに視線を戻します。

「ひとまず見逃されたみたいだね。今のうちに行こう」

 呼びかけに頷きを返していると、プーカはずかずかと受付に歩を進めていきます。

「どのようなご用件でしょうか?」

「昨日、救急車で搬送された岸本恵の面会に。集中治療室から、一般病棟へ移動したと聞いている」

「あ、はい。ご家族……旦那様たちですね。少々お待ちください」

 旦那という言葉にプーカは口を噤んで反応しようとしませんでしたが、後ろにいた私たちも含めて年齢構成がよかったようですぐに応じてくれました。

 病院の五階、エレベーターで上がってすぐの四人部屋にいると耳にすると私たちはすぐに移動します。

 昨日、診療所に運び込まれてからずっと居ても立ってもいられない様子でした。

 プーカはエレベーターのドアが僅かでも開くと身を滑り込ませるようにして、早足で目的の病室に向かいます。

「小夜ちゃん。僕たちはしばらく控えていよう」

「お邪魔になっちゃいますもんね」

 カーテンで仕切られた四人部屋とはいえ、傍にいれば下手に気を遣わせるでしょう。

 私も一歩を踏むか迷っていたところです。斑さんに手を引かれるまま、入り口の脇に留まりました。

 こちらからは辛うじて見えますが、傾斜のかかったベッドに体を預けている岸本さんからは見えにくいはず。見守るにはいい位置でした。

 プーカが近づくと、岸本さんはハッと息を詰まらせ――驚きもすぐに融解して、穏やかな表情で迎えました。

「お見舞いに来てくれたのかい?」

「……すまない。俺のせいで、すまない……」

 プーカはベッド際でがくりと膝をつくと、深く俯きました。それは見舞いというより懺悔の光景です。

 心不全なので安静にすべきところが、日常の馬の世話で負荷をかけていたのです。一緒にいたいけれど、それは岸本さんの負担にもなる。プーカとしては辛い日々だったのかもしれません。

 目の前で下を向いたままのプーカに岸本さんは手を差し伸べ、頭を撫でました。

「何を言っているんだろうね。私が目の前で倒れたから救急車を呼んで助けてくれたっていうのに。ありがとうと返すべきなくらいだと思っているよ」

 どうしたことでしょう。この物言いはまるで素性を知っているかのようです。

 プーカを目にした時から柔らかな表情で受け入れているのが不思議でした。けれども今のセリフで大まかなところが察せられます。

 きっと岸本さんは三十年も共にいるうちに、馬ではなくあやかしであるとは気づいたのでしょう。亡き旦那さんの姿に驚きはしたものの、前にしているのはプーカだとわかっている様子です。

「違う。もっと前から……。俺は、俺は……大切にされたのに、恩を返せなかった……。あの時も助けられなかった……」

「それは違う。あの人が死んだのは自分でバイク事故を起こしたからだよ」

 岸本さんの家に行った時、馬術の品々や写真に混じって置かれていたヘルメットは大きく破損していました。

 やはりそれは旦那さんのものだったようです。

 岸本さんは泣き子をあやすように撫でながら語ります。

「あの人はね、本当にやりたい放題する人だった。あんな人通りも悪い家を馬術倶楽部にしたり、バイクまで趣味にしていたり、借金も考えないでまさに太く短くって感じでね。この歳まで何事もなくいたら、愛想を尽かせていたと思う。それが自分にかけていた保険金で全部を帳消しにして、ぽっくり逝ってしまったんだよ。お前が悔やむことはない。自業自得なんだよ」

「でも、恵はずっと泣いていたじゃないか……! 厩舎にいた俺たちの前では笑っていたのに、仏壇やヘルメットの前ではずっと……!」

「……そうだね。いい夢を見させてもらった。急にいなくなったものだから、寂しくなったんだろうね」

 子供は幸せな家庭だと思い込んでいたけれど、いざ大人になって本音を聞いてみると両親が互いにどんな感情を抱いていたかを知って驚く話があります。

 岸本家で馬として生きたプーカにとっても、それと同じものがあったのでしょう。

 けれども、岸本さんの顔を見ればわかります。憎まれ口を叩いたとしても、根幹にあるのは深い愛情でした。

 それがわかるのは、私も同じものを味わっているからです。

 祖母に、兄に、そして斑さんに。その他にもたくさんの愛情に恵まれて生きています。

 もしこの温かさが奇跡に変わるとしたら、どれだけのものが起こるのでしょう?

 単なる気遣いだけでも、結果は変わります。

 感情や願いが力を持つなら、奇跡の一つや二つは起きて然るべきではないでしょうか。

 その後のプーカと岸本さんはまさに親と子のようでした。

 兄は馬を飼うのは子供を養うようなものと言っていましたが、まさにそれだったと思います。

「――岸本さん、午後に結果を出すためにも検査を始めましょう。大丈夫でしょうか?」

 しばらくして、看護師がやってきました。

 ある程度は状況が落ち着いていたので、普通の面会のように見えたことでしょう。

 岸本さんは車椅子に乗せられ、看護師が押して病室から出てきます。

「おや。やっぱり小夜ちゃんがあの子を連れてきてくれたんだね?」

 廊下で待っていた私たちはそこで岸本さんと顔を合わせました。

「岸本さん、電話でのお話と違った結果になってしまってすみません」

 私は頭を下げるものの、彼女の表情は非常に穏やかです。

「いいや、ありがとう。あの子もずっと秘密にしていたようだから、私も知らない振りを続けていたんだよ。でも、こうして打ち明けることができて、胸のつかえが取れたようでね」

 岸本さんは自分の胸に手を当てて語ります。

 それはただの表現どころではないでしょう。彼女の表情だけでなく顔色も鮮やかで、少し目立っていた目の充血も消えている気がします。

 魔法のような特別な輝きがあったわけではありません。ですが、プーカの気持ちは確かに届いていることが感じられました。

 そして彼女は思い出したように、「一つだけ謝りたいことがあるんだ」と口にします。

「小夜ちゃんが探していた『富士の不死』の噂はね、あの子がやっていることを知って少しでも助けになればと流した作り話なんだよ。噂を追っていた小夜ちゃんは謝ってきたけど、私もあの子の世話を頼める人として頼らせてもらったんだ。悪かったねえ」

「いいえ。私も助かりましたし、役に立ったなら幸いです。これからもできることはさせてもらいますから、安心して検査に行ってきてください」

 検査時間を気にして看護師さんがそわそわとしてきたので、私たちの会話もそこで切り上げます。

 プーカも合わせた三人で岸本さんの検査を見送りました。

 その姿が見えなくなってから、プーカは私たちに向き直ってきます。

「ありがとう。これでやるべきことは終えられた。魔祓い師に会ってくる。もう迷惑はかけない」

「待ってください、プーカさん。それであなたがいなくなったりしたら岸本さんはそれこそ悲しみます」

 プーカとしては、看取られるのを待つくらいなら役目を果たしたここで今までの騒ぎを清算したくなったのかもしれません。

 けれども、岸本さんが彼に向けた表情を見ればわかります。

 もし何かがあれば、悲しまないわけがありません。それこそ奇跡が無駄になるくらいの負担になってもおかしくないはずです。

 では、私たちはどうしたらいいのか。

 その答えはもう私の手の中にありました。

「プーカさん。身投げをするような覚悟があるなら、もっといい手段があります。あなたにこそ適任の話です。聞いてもらえますか?」

 その内容を説明するためにも、私は彼の手にそれを預けるのでした。

 


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