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おとなりさんの診療所  作者: 蒼空チョコ
第三章 鉄鎖の化け物

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プーカと副腎皮質機能亢進症

 ――そうして、対応開始から三十分ほど経過しました。

 体が大きいだけに祖母と斑さんはプーカの上半身と下半身で止血と縫合作業を分担。血圧や呼吸も安定し、後は麻酔が覚めるのを待つばかりとなりました。

「小夜の歓迎会が流れてしまったね。目が覚めるまでひっそりと再開するとしようか」

「おばあちゃん、そのバイタリティはどこから湧いてくるんですか……」

「慣れだよ」

 あやかし街から続く緊張の連続です。

 私としてはとてもではないですが、そこまで精神力がもちません。

 急な空気の変化もあって、つららさんとミケさんは借りてきた猫みたいになっているのですが、そちらの方がまだ共感できます。

 これは単なる経験の差でしょうか?

 確かにそれもあるのかもしれませんが、斑さんや玉兎くんもどっぷりと息を吐いています。一つ認めてもらったとはいえ、やはりあやかしが一目置く祖母という存在は大きなものです。

 それを改めて実感していたところ、プーカが目覚めました。

「ここは、どこだ……!?」

 処置の終盤から麻酔量を減らして覚醒を促したとはいえ、驚くほど早い復帰です。

 麻酔のせいでまだ頭が働かない上、体も不自由なので不安が膨れ上がるのでしょう。体を大きく揺らし、どうにか起きようとしていました。

 それを認めた祖母は斑さんに目を向けます。

「手術台から落ちて精密機器を壊されたらたまらないからね。斑、縛っておやり」

「わかりました。軽くいきます」

 斑さんが呪符を構えるとプーカの体を光輪が戒めました。

 それによって動きが減ったところで祖母は近づいていきます。

「ここはあやかし診療所だ。あんたは噂通りに騒いで魔祓い師に痛めつけられた。これに懲りたらもう少し大人しくすべきだよ」

「俺が、やられ……? ――っ!?」

 説明されてようやく思考回路が繋がったのでしょう。

 ぼやけていたプーカの目は我を取り戻し、見開かれました。

「放せ、今すぐ! ここで終わっちゃいけない。まだだ……まだプーカの名で噂が立たないと――!」

 状況が繋がったのでしょうか。

 途端にプーカは力の限り暴れ始めます。縫合した傷が裂けるのも構わないほどの動きなので斑さんも抑えるのに必死な様子です。

 がたんがたんと手術台が揺れ、拘束は今にも振りほどかれそうになっています。

 しかし祖母は腕を組んだまま冷静に向き合っていました。

「おやめよ。縫った傷が開くし、そんな状態でまた暴れられるわけがないだろう?」

「裂けようが、千切れようが、どうでもいい! また失くす前に、今度こそどうにかしなきゃいけないんだ!」

 このプーカがそれほどに騒ぎ立てる理由とは一体何でしょうか?

 私に思いつくのは一つです。それを確かめるためにも、この会話に割って入ります。

「プーカさん、暴れないでください。もしかして、岸本さんに何かあったんですか?」

 彼について調べ、私が接触を控えた理由もここにあります。

 この妖精は酷い扱いをすればそれだけ苛烈に仕返しをしますが、大切にしてくれる人間には黄金の盃や幾多の幸せを返すあやかしなのです。

 岸本さんやその旦那さんから大切にされていたのは思い出話や、牧場から出戻りした話でわかりました。

 このプーカが騒ぎを起こしたのは逸話の通り、幸運を運ぶため。重病を患い、余命が定かでない岸本さんに恩返しをするため――そう解釈するのが適当です。

「放してくれ。騒ぎを起こさないと、恵が死んでしまう……!」

 暴れながら漏れる言葉にやはり答えがありました。

 ならばこの次はどうするべきでしょうか。

 方針に迷っていると、祖母はカルテを手にして口を開きます。

「話は聞いているよ。プーカ。あんたは心不全の飼い主を助ける奇跡をもたらすために騒ぎを起こしていた。そうだね?」

「そんなことはどうでもいい! 早く解――」

「どうでもよくないんだよ。鏡のように恩も仇も返す妖精として、何もできないのは身を裂かれるように辛いのはわかる。でもね、そのままじゃ今までと同じ。どれだけやっても無駄骨だ。返す幸運の程度にもよるけれど、ガンが消え失せたりっていう奇跡は生命の神秘もある分、意外と起こりやすい部類なんだよ。なのにあんたは全国ニュースになってもまだ目的を達成できていない。そうなる理由があるからだ。成功させる術を教えるから、大人しく受け答えしな」

 無駄とわかっていても動かずにはいられない。そんな時もあるでしょう。プーカはまさにその状態でした。

 けれどもそれだけ真剣だからこそ、打開できると言われて無視できるはずがありません。祖母の言葉で水を打ったように静まり返りました。

 あっという間に手綱を握ってしまうのは年季の賜物です。

「まず、あんたは岸本恵って飼い主の負担を減らすため、旦那に化けて手伝っていたら『富士の不死』という勘違い事件が起きた。その後、器物破損事件を起こしたのはあやかしとして名を上げて、その分、高まった力で主人に幸運を返して心不全を改善しようとしたため。そうだね?」

「そうだっ。だが、恵はとうとう倒れたから救急車で運ばれたんだ。こっちだって調べた。あの病気は徐々に悪くなる一方で、人には治せないんだろう!?」

「その通り。老いて弱ったが故に出る病気は対症療法くらいしかないよ」

 私が見ていた時でさえ、岸本さんは苦しそうに胸を押さえてうずくまっていたことがありました。いつ倒れてもおかしくはない状態だったのでしょう。

 それを聞いた祖母は斑さんに目を向けます。

「じゃあまずはあんたの不安を払拭しよう。その岸本さんの状態を確認できればひとまず落ち着けるね? 斑、忍ばせていた式神を確認しな」

「えっ!?」

 なんでそんなものがあるのでしょう。

 私が驚きを見せると、斑さんは気まずそうな顔をしました。

 祖母は平然とした顔で腰に手を当てている辺り、そうしろと指示を出していたように思えます。

「何を驚くんだい。孫が確実に関わるあの岸本家には、敷地に入っただけで睨んでくるあやかしもいるとわかっているんだよ? 空封筒でも送って、そこに忍ばせた式神で様子見くらいするもんさ。毎日、隙を見てその岸本さんの服の縫い付けラベルにくっつくように言っておいたんだよ」

「申し訳ない……。でも、今はそれが良い方向に働いているから勘弁してほしい」

 雷獣の保護にも刑部を連れて行かせた祖母です。裏がないとは思いませんでしたが、何をしていたかまでは読めませんでした。

 私が言葉を失っていると、斑さんは懐から人型の式神を取り出して集中します。

 ほんの数分もしないうちに彼は口を開きました。

「術中ではないですね。集中治療室にいるようで、倒れた原因について思い当たることがあるか聴取を受けているところです」

「倒れはしたけど、状態が末期ってわけでもないようだね。……ふむ」

 岸本さんに命の危険があればプーカも抑えは利かないでしょう。

 そうした意味でもどれくらい猶予がありそうなのかは治療方針に大きく影響を与えることです。

 頭の中で組み立てが終わったのか、祖母はプーカのカルテを叩きました。

「状況はわかった。次にあんたの状態だ。寝ている間に検査をさせてもらったけど、尿の比重が軽かったり――とそんな補足の検査はともかく、あんたの副腎は片側が大きくなっているのをエコーで確認した。持病があるとわかったってことだね」

 祖母はそう言ってカルテに貼り付けられたエコー画像の写真を指差します。

「高齢の馬では副腎皮質機能亢進症っていう病気が多くてね、疑ってみたらそれに近い病気が判明した。いくら噂が広まってもあやかしとしての力が溜まらない原因はそこにある」

 手が空いたら尿比重を調べたり、エコーをかけたりするとは祖母も言っていました。

 祖母は最初からこの症状を疑ってかかっていたようです。

「そもそもは脳の下垂体からこの副腎へ。副腎で作ったホルモンが全身に作用して様々な機能を調節しているんだけどね、年を取った馬では下垂体が働きすぎて副腎までホルモンを作りすぎることがある。それで体重減少、筋肉の萎縮、蹄の病気や感染症が増えたりするって流れがあるんだよ」

「そんなもの、あやかしとは無縁じゃ……」

「相性が悪いんだよ。確かにあやかしの回復能力は動物の比じゃない。だけどね、娑婆で暮らしたりして老い衰えれば多くの病気になりえる。そして体の悪いところを手当たり次第に治すことに力を使ってしまうから、底が抜けた桶のように力も溜まらない。そういう理屈だ」

 あやかしも病気と無縁な生き物ではありません。

 歯石のように長生きすればどうしようもなく溜まって症状が現れるものもあるし、ガンのように臓器などの一部が増殖する病気は、持ち前の回復能力でも異常と気付けなくて進行してしまうことがあります。

 それこそ若者はガンになりにくいけれど、場合によってはなる話と同じ。生物である以上、そんな欠点もあると祖母は以前語っていました。

 何十年とあやかしの診療に向き合ってきたからこそ、その言葉には説得力があります。

「前置きが長くなったね。ただしあんたの場合は馬では珍しいことに、副腎にできたガンが原因のようだとわかった。本来ならもっと精査する必要があるけれどね、これを取れば力を発揮できるかもしれない。幸い、岸本さんはすぐに悪化する状況でもなさそうだ。折角起こした騒ぎの効力も考えるなら、今のうちに根本治療をしてから身の振り方を考えてもいいんじゃないのかい?」

 本当なら精査して手術の必要性を確認するべきでしょうが、時間を置けばそれだけ噂は霧散し、また危険を冒して騒ぎを起こす必要が出てきます。

 そんな患者の事情も組む必要があるのは、あやかし診療所ならではでしょう。

 対するプーカの答えはどうでしょうか。

 自分が危険を冒せば家族を助けられるかもしれない。数年も生きないはずの命を、長らえさせられるかもしれない。そんな選択肢です。

 手術の成功率はどうあれ、私がプーカならきっと悩みません。

「――た、頼む。恵を助けられるかもしれないなら、なんだって構わない」

 予想した通り、その答えは即答でした。


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