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おとなりさんの診療所  作者: 蒼空チョコ
第三章 鉄鎖の化け物

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課題のクリア

 岸本さんの家から帰路についた私は判明したことを祖母に報告するため、そのままの足で庭に向かいました。

 すると、庭に続く戸の南京錠が解かれていることに気付きます。

「あれ、鍵が開いてる。お兄ちゃんが書斎にでもいるんでしょうか?」

 両親は病院で働いている最中ですし、思い当たる人物は兄くらいです。

 しかし、ほんの一時間少々前に私と話して寝付いたばかりなので非常に妙なことです。もしや隠れて何かをしているのでしょうか。

 ひっそりと覗き、様子を確かめてみるとしましょう。

「信。今日は休みだったのに小夜ちゃんについていってあげなかったのか?」

 意外なことに聞こえてきたのは斑さんの声でした。

 どうやら縁側にでも座って話し込んでいるようです。こんな場面に踏み込む気にはなれず、私はつい陰に隠れて聞き耳を立ててしまいました。

「そりゃあ急患明けだったし、俺がついていってボディガードが務まるわけでもないしな。あと、この前の喫茶店に行って確かめたいこともあったんだ」

「方向は同じじゃないか」

「現場は違うんだから両立は無理だ。少しは休ませろ」

 まあ、兄はこういう人です。

 世の中には妹がかわいくて仕方がないという人もいるそうですが、適度に放任という感じでしょうか。

 ああだこうだと物を言われるのは面倒くさいので、助かる距離感でもあります。

「俺のことを言うのはいいが、斑だって同行してないだろう?」

「それは……そうだね。美船先生なら心配はないだろうけど、下手に協力して小夜ちゃんの評価が変わるのは不本意だ」

「そう。俺もばあさんがどういう考えで行動していたのか知りたくてな――」

 さて、どうするとしましょうか。

 兄も斑さんも私のことを気にかけてくれていたのは確かなようです。

 プーカのことがわかったからといって、会話の最中に横切るのは躊躇われてきました。

「一時間くらい時間を潰してきましょうか」

 私に秘密の配慮なら、知らないふりをした方がいい気もします。

 そういえば兄が喫茶店について口にしていて思い出しましたが、昼食もまだではないですか。それを終えてからでも遅くはないと私は踵を返します。

 

 ――そうして時間を潰した後、私はまほろばのあやかし診療所に向かいました。

 眼前に広がる稲原と、そこに立つミシャグジ様はいつも通り。

 一つ違うのは、化け狸の刑部が待っていたことです。

 どうやら送迎をしてくれるらしいですが、もちろんタダではありません。前脚をひょいひょいと上げて、招き猫みたいにおやつを催促されています。

 ちなみに、用意が足りなくてこのオーダーを無視すると足をかじられた覚えがあるので私は学びました。

 けれどもちょっと待てです。なにせここは神様の御前。飲食は禁止です。

「こんにちは、ミシャグジ様。お供え物を置いていきますね」

 移動の要となっている石碑の前に置くのは茹で卵です。気付くなり舌をチロチロする回数が増えるのでこれも好物なのでしょう。

 足元で刑部がてしてしと叩いて催促してくるので、少し早めにこの場を離れます。

 歩けばそれについてくる木霊に、たまにすれ違うまほろばのあやかし。祖母からの課題を達成した今、これが私の出勤風景と確定したわけです。

 満ち足りた気分で診療所への石階段を登り、裏口に向かいました。

「おばあちゃん、どこにいますか?」

「縁側だよ」

 ひとまず声を上げてみると、応答がありました。

 早足で先に行く刑部に遅れて私も縁側に向かいます。

 昼食を早めに済ませていたのか、そこでは斑さんや玉兎くんと一緒にお茶をしているところでした。

「今日は休みだろう。何かあったのかい?」

「『富士の不死』と『鉄鎖の化け物』の正体を見極めてきました」

「おや。案外、早かったものだね」

「そうですね。私も一つずつ解決するものだと思っていたんですけど――」

 いくつかの通称を持つ噂というのはありますが、このように複数の噂の原因を辿れば一頭に行きつくというのは珍しいものです。

 ともあれ、私は岸本さんとプーカに関する話を伝えました。

 玉兎くんは素直に驚いて称賛する顔でしたし、斑さんはようやく安堵という顔をしています。先程兄と話していた通り、それなりに心配をかけていたのだから無理もありません。

 そして肝心の祖母は意外なことに報告を淡々と受け止めるだけでした。

「あの、おばあちゃん。何かいけなかったですか?」

「いいや、順調なのはいいことだよ。ただし、私は正体を見極めて何らかの手段で解決するようにと言ったんだ。まだ終わりじゃない」

「ああ、なるほど。雷獣の時は正体を見極めた後、保護していましたしね」

 以後、診療所に居つくようになったわけですが、それもまた一種の解決です。

 ではプーカの場合はといえば正体が判明しただけでした。となると、次の対応を考えなければいけないのかと、私は頭を悩めます。

 けれども祖母は急かしたりはしませんでした。

「小夜。例えば急いて乱暴に正体を暴いたら、その揺り返しがある。そのプーカについて何かをしろとは言わないけれどね、事態が落ち着くまでは終わったものと思っちゃいけない。私が出した課題はそういう意味合いだよ」

 言われてみて腑に落ちました。

 私たちは自分の身を守ったり、患者を治療したりするために相手の正体を知る必要があります。けれど、全てがすっきりと終わるわけではないでしょう。

 物事には続きがあります。

 我が家に『動物の霊が出る』という噂の終わりを見届けぬまま日常を過ごしていたら、大きなしっぺ返しを食らった祖母だからこその教訓なのかもしれません。

 今回のように相手の正体を暴くだけ暴いてうやむやになってしまった時も、何らかの注意が必要となるでしょう。

 私はふむと考えます。

「なるほど。事件の犯人に刺される的な事態ですね」

「……まあ、意味が伝わっているならどういう解釈でも構わないさ」

 祖母は複雑そうな面持ちですがとりあえず頷いてくれます。

 今回は話が穏便に進みました。

 けれども、もし乱暴に追い立てられて逃げ帰るしかなかったとしたら、その時は夜道に気を付けなければいけなくなっていたかもしれません。

 正体を暴かれること自体が昨今のあやかし弱体化にも繋がっているので、毛嫌いする者もいる。祖母の忠告もその辺りに関係するのでしょう。

 私はそう解釈して、最後まで注意を怠らぬよう肝に銘じました。

「おめでとう、小夜! これで大手を振るって働けるわけだ。美船先生も斑も喜んじゃうねえ。もちろん、俺もだけど!」

 玉兎くんはぴょんと縁側から跳ね、私の両手をすくってきます。

 シンプルに褒めてくれるこういう展開こそ求めてやまなかったものです。

 彼はそのまま、「美船先生、観念しろー!」とヤジのようなものを飛ばしながら祖母に目を向けました。

 能力を査定する側としては身内贔屓をしないためにも一線を引こうとしてきたでしょう。しかしこうして明らかに指摘されればそのメッキも剥がれます。

「そうだねえ。昔の失敗を繰り返さないようにと家族は遠ざけてきた。それでも孫が追ってきてくれたんだから嬉しくないはずはないよ」 

 そうして呟く表情は、何の事件も起こっていなかった時期に見せたものと同じです。屈託のない笑みとはこういうものを言うのでしょう。

 妖怪の総大将じみた迫力や先々を見通した手配――その全ては過去の失敗があったからこそ生まれたものです。

 私が幼い頃に見たおばあちゃんらしい姿がここにはありました。

 ですが、そんな表情もパッと移り変わります。

「いい雰囲気になったところ悪いけれどね、一つだけ言っておこう。これで何が変わるわけでもないよ。下手に危ないことをするならここに来るなとは言うし、大学もまともに卒業するのが最優先だからね?」

「あ、はい。そこは気を付けます……」

「単位を落としていないだろうね?」

「…………専門教科は落としてないです」

 思い出に浸ってしんみりしていたところ、祖母はしれっと元の顔に戻っていました。

 約十五年もこちらで生活してきたのです。それはもう体に染み込んでいるのでしょう。学業を疎かにしているつもりはありませんが、祖母の口上には粛々と従います。

 すると、どうでしょう。

 興奮が抜けた私を祖母はにまにまと見つめていました。

 おのれ。もしかするとこれは質の悪い冗談交じりだったのかもしれません。

「それはともかく、折角だからお祝いくらいはしておこうか。斑、ここにはロクなものがないから、あやかし街の夕市で小夜に好きな物を買っておやり」

 なんとなしに放たれた祖母の言葉に、斑さんはぴくりと反応します。

「美船先生、いくら課題をクリアしたと言ってもいきなり夕市は――」

「あやかしがたくさん集まるね。けれどそれは逆に味方も多いってことだよ。別に危険地帯ってわけでもないんだ。あんたがついていれば心配はないだろう? 過保護はおよし」

「……わかりました」

 斑さんが折れると、祖母はその手に財布を預けました。

 あやかしは基本的に夜行性が多いため、夕市こそ一番活発になります。

 昼なんてただのさびれた集落ですが、夜は人も建物も増えてネオン街のように輝くのだとか、尾ひれがついたような噂だけは耳にしてきました。

 稲原からこの診療所までを歩くくらいだった私としては未知の領域です。そんな場所に連れて行ってもらえるとは、童心に帰って目が輝いてしまいました。

 本当に連れて行ってもらえるんですよね? と確認するように、私は斑さんの袖を引きに行きます。

「大丈夫、連れて行くよ。ただし、準備はしよう。あそこは人肉まで売っているからね。小夜ちゃんの匂いにつられてかじられたら大変だ」

「ひえっ」

 刑部と雷獣を保護しに行った時には冗談めかして言ったのですが、いざそれが起こりそうな場所があると思うと引け腰になってしまいます。

 あれやこれやと斑さんが気を揉んで考え込んでいると、玉兎くんが思い出したように呟きました。

「あ、そっか。富士の樹海とか冬富士での滑落から人肉が直送されちゃうもんね。それ目当てに来るあやかしも多いんだっけ?」

「そういうことだよ。ただし売り買いを目的に来ているあやかしだから、犯罪紛いのことを好んでするわけじゃないんだけどね」

 斑さん自身もどの程度危ないのか測りかねた様子で眉を寄せています。

 あやかしにとって人肉とはどれくらい価値があるものなのでしょう?

 人肉がどうしても食べたくてやってきた人食い妖怪にかじられる――そんな事故くらいはあってもおかしくないように思えてきました。

「人肉ってそんなに美味しいものなんですか……?」

「んー。人食い妖怪以外にとっては、人が犬とか馬とかクジラとかを食べたくなるようなもんだよ。別に必要じゃないけど、なんとなく食べたい気もする程度。まあ、人が飼っている動物を食べようなんて普通は思わないように、大概は平気じゃないかな?」

 それこそ肉付きや品質なら牛や豚の方がよほどいいはず。そう思って口にしたのですが、玉兎くんの言葉で議論の底が見えました。

 なるほど。そういうことなら理解できないとは言えません。

 ただし、人食い妖怪以外は前口上があった点は要注意です。

 やっぱり考え直した方がいいのでしょうか。そんな気持ちで斑さんに視線をやります。

「連れて行くといった以上、約束は守るよ。ひとまず小夜ちゃんには試着してほしいものがある。ついてきてくれるかな?」

「試着、ですか?」

 はて。まほろば特有のドレスコードみたいなものでもあるのでしょうか。

 そんな風習までは聞いた覚えがありません。

「実際に見てもらった方が早いよ」

 説明を求める視線を向けても、このような返答です。

 私は斑さんに手を引かれるままに彼の部屋に向かうのでした。

 


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