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おとなりさんの診療所  作者: 蒼空チョコ
第三章 鉄鎖の化け物

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お馬さんの正体

 青龍様や狛犬の歯石除去から一週間が経過しました。

 春休み中でも資料探しで大学に通い、残る時間はあやかし診療所で過ごす私も私も日曜日くらいはお休みです。

「センリ。そろそろ起きましょうか」

 ぶろろろとまさにエンジンのように喉を鳴らす守護霊様に呼びかけます。

 私が寝るときはいつもこの子が一緒です。

 センリ自体が離れようとはしませんし、ふかふかで柔らかいこの子は大きさまでもが自由自在。私としても快眠のためになくてはならない身にされてしまいました。

 意中の人を射止めるために胃袋を掴む話がありますが、同じく三大欲求の一つを押さえるなんてこの子も大したものです。

 うにょーんと伸びをするセンリがそのまま滑り込むように影に消えたところで私はリビングに向かいました。

「……おう、おはよう」

「おは……いや、お疲れさまって返した方がよさそうですね、お兄ちゃん」

「ああ、つかれた」

 まさに死んだ顔です。

 遭遇したのは、ふらふらとした足取りで冷蔵庫に辿り着き、適当なものを口に放り込んで咀嚼している兄でした。

 現在は朝九時。

 きっと、朝方に来た急患をキリのいいところまで処置して通常勤務のスタッフに引き渡してきたのでしょう。

 ちなみに、父と母も出勤しているはずです。

 父、兄と採用した獣医師がもう二人いるので芹崎動物病院は土日関わらず、毎日稼働しています。あやかし診療所で体験した通り、入院患者の処置も考えると、むしろ常に人がいる運営状況こそ効率がいいのでしょう。

「今日もどこかに出かけるのか?」

「おばあちゃんの課題を早く終わらせたいですし、『富士の不死』関係で岸本さんのところか、『鉄鎖の化け物』に関して出没情報でも洗おうかなと」

「ああ、鎖の方なら俺も聞き覚えがある。『開かずの風穴』以来、週に数回は出ているらしいな。熊疑惑があるからって猟友会にコメントを求めたニュースも見たし、割と噂が大きくなっているだろ」

「手がかりがあるのはいいんですけど、そこが不自然なんですよね。怪我を治すとか、力をつけるとかにしても普通ならもうとっくに満足して潜伏しちゃうはずなんです。今までを踏み台に大きな事件を起こすなんてこともなく、器物破損を繰り返す。これじゃあ退治してくれって言っているようなものですよ」

「理屈に合わない、か」

 疲れ気味なのに兄は一緒に考えてくれています。

 これから本来の休日らしく寝るところだと思いますが、付き合ってくれるところには素直に感謝です。

 おや。何やらコーヒー豆とミルを手に取りました。

「あ。お兄ちゃん、私にも一杯ください」

「そこは自分がやるって言ってくれ」

「普段、ご飯を作ってあげているでしょうって貸し借りを持ち出していいですか?」

「はいはい、わかったよ」

 こんなことを言い出さなくてもやってくれたとは思いますが、こういう小憎らしいやりとりができるのも家族の楽しさなので私は割と好きです。

 ひとまずは笑顔で返しておくとして、今度好物でも作って恩返しするとしましょう。

「まあ、活発なものに近寄るのも危機管理的にどうかと思うので、ネットや雑誌での情報収集ですね。ただ、そんなものはいつでもできるので岸本さんのところに行って黄泉返りについて調べたいところなんですけど……」

「何かあったのか?」

「ここのところ二度ほど電話が繋がらないんですよね。それもコールに出ないんじゃなく、途中で切られてしまうんです」

 タイミングが悪かったのかと日にちと時間も変えてみたのですが、結果は同じでした。

 私も毎日大学に行くわけではないですし、診療所のお手伝いもあるので予定を聞く電話も頻繁にはかけません。

 そうして最後の訪問から二週間くらい経ってしまいました。

「老人の一人住まいなら何十年も使い回している黒電話ってパターンもあるんじゃないのか? 急ぎの電話があったから着信を切るしかなかった。しかも古い電話だから履歴が残らなくて折り返しができなかったとか」

「一度くらいならあるかもですが、繰り返しは妙ですよね」

「それは確かに」

 コーヒーカップを持ってきてくれた兄はテーブルにつき、パンを食べ始めます。

 咀嚼で会話が途切れたところで私は再度確認の意味も込め、岸本さんに電話をかけてみました。

 コールが一度、二度。そして、三度が鳴っている途中でぶつりと切れました。

「……やっぱりまたですね」

 ひとまず携帯電話を置いた私はふむと唸ります。

 コールが鳴り続けるのなら、それこそ体調不良で倒れたなどの緊急事態でしょう。

 しかし、電話に出ないで切るというのは不可思議です。前回は円満に別れたのですから、拒否されているというのもあまりピンときません。

 さて、冷静に考えてみましょう。

 岸本さんの体調不良に、そこで飼育されている馬のあやかしに『富士の不死』、騒ぎを繰り返す『鉄鎖の化け物』。

 私を取り巻く環境で起こっているこの事態は偶然の産物でしょうか。

 顎を揉んだ私は自室に戻ります。

 いつもより少し厳重に護身グッズを用意して身支度を整え、夜叉神様からもらった組紐を手に取りました。

 下手をすると私を傷つけかねない鎖との縁――折角もらったのですから保険に持ち歩かない手はありません。

 リビングに戻ってみると、兄は食器を片付けているところでした。

「出かけるのか?」

「はい。やっぱり気になるので岸本さんのお宅に行ってみようかなと」

 答えてみると、兄は眉をひそめます。

「小夜。お前はその岸本さんの安否確認に行くんだよな?」

「はい、そうです」

「じゃあなんで銀行強盗をしそうな荷物を引っ張っているんだ」

「念のためです、念のため」

 この答えがどうも納得いかないのか、兄は洗い物の手を止めて考え顔になります。

 しかし徹夜が祟って思考は全く捗らない様子でした。

「ほら、だってあのお宅には馬のあやかしがいます。岸本さんとの関係は良好だったので、何か妙なことをするならあのお馬さんじゃないですか」

「……そうだな。そうだったか」

「お兄ちゃん、早く寝た方がいいですよ」

 ちょうど洗い物は済んだようです。兄は頭をとんとんと叩き、自室に引き上げようとしていました。

「あ、その前に一つ聞かせてください。馬の弱点ってどこですか?」

「いや、待て。お前は安否確認に行って、どうして馬と戦おうとするんだ」

「会話の成り行き次第ではわからないと思って」

 ご飯を食べ、体はもう休息モードに入ったらしく兄はうつらうつらとしています。

 私が言うことも理屈が通っているのか、そうでないのか判別できていないようですしょう。ここはわかりやすく伝えます。

「私も嫁入り前の娘なので怪我なんて御免ですし、そもそも下手をすればおばあちゃんは認めてくれないじゃないですか。実のところ、神様のおかげであのお馬さんの正体にも目星がつきましたし、安全第一で行動しますよ」

「……わかった。ちょっと待て。馬の本を引っ張り出してくる」

 ポンコツと化した兄は足取りまでふらふらとおぼつきません。半分支えるようについていき、私は馬についての話を聞くのでした。

 


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