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おとなりさんの診療所  作者: 蒼空チョコ
第二章 青竜と歯石除去

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神使たちの歯石除去

 歯石を削り、グラインダーのような特製の研磨機と研磨剤で磨けば歯石除去の作業は終わりです。

 占めて三十分ほどの作業だったでしょうか。青龍様の体が大きいだけに、犬猫に比べると長くかかってしまいました。

「はい、おおきに。観音さんも口が爽やかになったって喜んではるわ。あやかし診療所さんはええ子らを抱えて、流石やねえ」

「もったいないお言葉です」

「あとは狛犬の子らをよろしゅう。私らはここまでだけど礼はたぁんと弾むさかい、楽しみにしとき」

 これで予定の第一段階は終了です。

 あとは道士さんと合流して、本物の動物病院のように狛犬の歯石除去をするという予定でした。

 けれども夜叉神様はここで何故か私にじっと視線を向けてきます。

「えっと……。私に何かありますか?」

「さっき言った通り、お礼の上乗せやよ。私は縁の神様やし、大事な孫娘に悪いものがつかないか見て欲しいと頼まれたんよ」

「そういうわけだよ。またとない機会だ。見てもらっておきな」

 そんな配慮までされているとは初耳です。

 診療所で働くための課題はありますが、祖母もそれを無事に済ませられるか常々心配してくれていたのは感じていました。

 そこへ神頼みまで交えてくるとは予想外の配慮です。

 ふわりと飛ぶように私の前に近寄った夜叉神様はその目で見つめてきます。

 ほう。ほう。ほう? と。

 体の底まで見透かされるような視線に耐えていると、夜叉神様はしきりに頷きます。

「こりゃあまた、ぎょうさんな縁に結びつかれてはる。うん。ひとまず気になるのは、この鎖みたいな縁やわ」

 センリを始めとして、幽霊の類が見えやすい私の目でも見えない何かでもあるのでしょうか。

 夜叉神様は摘み上げる仕草を見せます。

「鎖、ですか?」

「せやねえ。そんなにあんたさんを縛りつけているわけではないんやけど、全く触れないわけでもない。するりと抜けられるかも知らんし、ともすればあんたが傷つくこともあるかもしれん縁。切ってもええんやけど、どないする?」

 両の指先で引っ張るような仕草です。

 悪縁、良縁がどれほどの強度なのかはわかりませんが、この神様からすれば紙テープのようにぷつりと切ってもおかしくないように思えました。

 薄笑いで、私を試すかのような顔つきです。

(いえ、実際そうかもしれないですね)

 さっきの玉兎くんだってそうでした。

 それに鎖みたいな縁と称しているのが引っかかります。

 私が調査しようとしている『鉄鎖の化け物』と関係ないとは思えません。

 昨日、祖母は言いました。

 『あやかしは人に依存している。だから化かすし、かどわかす』と。

 夜叉神様にどういう思惑があるのかはわかりませんが、これから関わろうという縁を切られたら困ります。

「その申し出はありがたいんですけど、それを自分の力で安全に解明するのがあやかし診療所で働く条件になっているんです。だから切らないでもらえた方が嬉しいです」

「ふふふ。流石は祝部の孫。勇ましいとこはようく似てはるわ。気張って歩いて転ばんとええね」

 彼女は愉快そうに笑います。

 けれど彼女は一転。さも悩んだ様子で眉をハの字に寄せました。

 それがよほどのものとでも言いたいのか、ぐるぐると宙を回転しながら唸っています。

「しかしなぁ、何もせんのは神の名折れ。手土産でも渡そか」

 幅広の袖に手を突っ込み、あれでもないこれでもないと手探りをしています。

 途中、独鈷やハンドベルのような金色の仏具が出てくることもあったのですが、丁重にお断りしておきました。

 斑さんや玉兎くんの表情の変化を尺度とすると、物騒な代物に思えたからです。

 はい。私でさえ見覚えのある神様の道具なんてきっと相当な品でしょう。

 私はあやかし診療所で働きたいだけ。アーサー王みたく聖剣を引き抜く度胸なんてありません。

「えぇ……。流石にこう、無欲もよくあらへんよ?」

 あれもこれも断っていくと、なんだか金の斧と銀の斧の女神様を相手にしている気分になってきました。

 ここまで来ると彼女も冗談抜きで頭を悩ませ始めた様子です。

「封を解いたら、その人が欲する縁を結んでくれる紐。これなら大したこともないし、ええやろう?」

「わかりました。じゃあそれを頂きます」

 全て断るのは気が引けますし、この辺りが落としどころでしょう。

 夜叉神様がくれたのは傍目には普通に見える組紐です。

 三つに折って小さくまとめられているのを、印字された紙が留めていました。

「では、私たちはこれにて」

 祖母が代表して挨拶した後、私たちはその場を離れました。

 夜叉神様はひらひらと手を振ってくれて、とても友好的です。青龍様も穏やかに見つめて見送ってくれました。

 緊張の舞台はこれにて終了です。

 為し遂げた玉兎くんなんて、口から魂を放出していました。

 ここで労いの言葉でもかけてあげたいところですが、ここはまだまだ神聖な場所。階段前で待ってくれていた道士も非常に厳かな様子なので私語はできません。

 その案内に続いて静かに移動します。

 来た道を戻り、境内の入り口付近の配置された事務所――大講堂の一角が目的地です。そこを間借りしてこれから狛犬たちの歯石除去が始まります。

「美船先生、では僕たちは外で作業をしてきます」

「ああ、任せたよ」

 斑さんと玉兎くんは青龍様に使った器具を持って外に移動しました。

 今日はこの寺院の狛犬の治療中心なのですが、そこに便乗して処置してもらおうという神使やあやかしもいるのです。

 特に体が大きくては入れないあやかしもいるので、一部作業は外の特設会場でやることになっています。

「小夜、ここからは一人の作業だよ。ちゃんとできるね?」

「はい、もちろんです」

「超音波スケーラーを使うときの注意点は?」

「同じ歯に何秒も当て続けると超音波で発生した熱で歯の神経を傷めてしまうこともあることですね。青龍様の大きな歯とは勝手が違います」

「そうだね。まあ、言葉も通じる相手だし、それさえ注意すれば問題は起こらないよ。麻酔管理もないし、普通の動物相手よりよっぽど楽な話さ」

 動物病院業界での苦労が思い出されたのか、祖母はため息を吐きます。

「人と動物とあやかし。治療の基準が全く違いそうな話ですね」

「玉ねぎやキシリトールみたいに毒になる食べ物に関しちゃ違うけどね、同じ生き物なんだからそこまでの差はないよ。歯や心臓、関節なんて良い例で、人間基準の治療ができるならそれに越したことはない。ただ、人間レベルでやろうとすると飼い主の財布がもたないから妥協が入っているだけでね」

「心臓が悪くなったら薬を飲んだり、人工関節を付けたりって話ですか?」

 岸本さんを思い出して口にすると、祖母は頷きます。

 薬や酸素吸入の装置など、確かにそれなしでは延命が難しいでしょう。

 けれども動物の場合は費用的に難しいからと妥協を求められるのも容易に想像できました。

「歯が歯石で覆い尽くされた歯肉から膿が出ているとか、その影響で全身が怠くなっているとかね。もっと悪化して上顎の骨が融けて、鼻や頬まで貫通したりとか、とんでもない状態のがいるものでねえ」

 今まで一度も動物病院に連れてきたことがない犬だと、そんなパターンもあるのだとか。

 確かに人ではほぼありえない事態でしょう。

「それでも最低限の費用で、できるだけの処置希望なんてのもあるんだよ。……まあ、人の残飯を食べさせて、野外で飼うからフィラリアにもかかって若いうちに死んだ時代に比べれば進歩はしているよ。小夜、聞いているかい?」

「あ、ごめんなさい。別のことを考えていました」

「ただのぼやきみたいなことだから構いやしないよ。それで、何を考えていたんだい?」

「『富士の不死』に関する調査で会った岸本さんと馬のことです。岸本さん自身が心臓病を患っているようですし、馬の世話もお金がかかるものなので……」

 心臓やお金については今まさに話題にしていたところです。

 祖母は納得した様子でした。

「同情するのはわかるけど、抱え込める限界はあるものだよ。今回、夜叉神様にもらった組紐についても過信して頼るのはおよし」

「困った時、助けてくれるものとの縁を結んでくれるとか言っていましたよね。それこそクモの糸みたいに頼り過ぎたら切れるって意味ですか?」

 なにせ見かけは紐です。いくら神様にもらったとはいえ、そんなに大それたことができるようには見えません。

 祖母もそういう点を忠告したいのでしょうか。

「いいや。相手は悪縁と良縁を司る神様だからね、口にした通り望む縁は繋いでくれるんだろうさ。例えば小夜が大学で暴漢に襲われたとして、紐に頼ればきっと助けてくれる人が現れるよ。でも、何かの噂を追って深夜に曰く付きの場所を歩いているようなときだったら、知り合いが居合わせるなんて線はなくなるだろうね」

「じゃあ、あれですね。神様が現れて助けてくれる的なお話!」

 冗談めかして呟いてみるとどうでしょう。

 意外なことに祖母は頷きました。

「まさにそういうことだと思うよ。ほら、困っていた人を神様が助けて、その素晴らしさに感銘を受けて改宗する話なんていくらでもある。助けてくれる存在に結び合わせてくれるとして、助ける対価がどうなるかまでは言っていなかった。相手が神様で気に入られたからこそ、手の上で転がされることには気を付けないといけないよ」

 祖母は真剣に釘を刺してきます。

 その様子で理解できました。これこそ『あやかしは人に依存している。だから化かすし、かどわかす』と語った実例なのでしょう。

「……なるほど。そういう流れまでは想像もしていなかったですね。気を付けます」

「まあ、相手は善良な神様だからね。間違っても、こういうところでしばらくご奉公すれば笑って開放してくれるだろうさ」

 じゃあどうしてこの時期、このタイミングにそんな神様のもとに連れてきたのでしょうか。

 私は想像を巡らせながら、狛犬の歯石除去の準備を進める祖母の姿を見ます。

「やっぱりおばあちゃん、心配をしてくれているんですね」

「そりゃあ孫娘をそう何度も危ない目に遭わせたくないからね。けれど安全だからって鳥かごに入れっぱなしもあんまりじゃないか。だからこそだよ」

「ふふ。何かこう、大切にされている実感ってものはくすぐったいですね」

「確かに面と向かって言うもんじゃないねえ」

 少しばかり気恥ずかしさでもあるのでしょうか。

 祖母は私にわざと背を向けがちになって作業をしています。

「おばあちゃん、私もですよ。私もおばあちゃんを大切にしたくて頑張るので、見ていてください」

「何を言っているんだか。あんたの場合、他にもたくさんあるだろう?」

「そっちもそうですね。普段は触れ合えない動物との関わりや恋路とか、この際だから楽しめるものは全部ひっくるめて頂きます。全部が手放しがたいからこそ、周到になるってものです」

「我が孫ながら貪欲なものだよ」

 と、話しているうちに準備が整い、狛犬もやってきました。

 祖母と頷き合わせてここからは仕事モードです。

 春の健康診断並みに列を成すほどやってきたら恐ろしいですが、狛犬は一つの寺院で十頭もいません。一緒に処置をする神使を合わせても一人五頭も処置すれば終わりでしょう。

 犬と獅子の中間のような狛犬が私の前にお座りします。

「はーい、あーんしてください。痛かったら前脚を上げてくださいね」

 小さな椅子を借りて狛犬の側面に座って早速作業開始です。

 歯を削るドリルほどではありませんが、超音波スケーラーもまた押し当てればキュイイイと甲高い音が上がります。

 すると、早速ですね。

 しばらく耳をパタパタさせて耐えていた狛犬は、窮状を訴えるように私の膝にお手をしてきました。

 大型の猫科動物らしい分厚い手が、ぽふぽふと膝をタップしてくるわけです。マスクをしていなければにやけ顔が漏れていたことでしょう。

 ともあれ、これは歯髄などにダメージがいってないかの確認なので中断はしません。

 その控えめな主張には、「もうちょっとで終わりますからねー」と返答しておきます。

(そういえば、センリが出てこないですね?)

 イエティの肉球や毛皮を堪能していた時なんて即座に反応したくらいです。ユキヒョウはダメで獅子はいいなんて理屈は通らないでしょう。

 ふと足元の陰に目を向けると、状況がよくわかりました。

 私の影からこちらを覗く双眸があります。時々、様子を探るように顔を出しますが、スケーリングの音が上がると消えてしまいました。

 これはあれですね。掃除機をかけた時の反応です。

 もしかすると狛犬への嫉妬よりも同情の方が勝っているかもしれません。

 さて、一頭につき二十分ほどの時間をかけ、二時間もすれば作業が終わりました。

「斑たちはまだ終わってないようだね。手伝いに行こうか。小夜、力仕事になるよ?」

「え。青龍様や狛犬さんたちとやることは変わらないですよね?」

「いいや。外は歯の生え方の様式が違うのも並んでくるからね。ほら、草食獣は歯が伸び続けるだろう? 固い草をたくさん咀嚼すれば形が整うけど、柔らかいものを食べていると摩耗不足で歯が尖ってくるんだよ。それをヤスリで削る作業が主だね」

「わぁ、それは体力勝負ですね……」

 言われて納得しました。

 そうして尖った歯が頬や舌をこすって口内炎になってしまうそうです。

 通常の動物病院でも同じように伸びすぎたウサギの歯をペンチみたいなもので切って調節してあげることがあるそうです。

 しかし、人間や大動物サイズともなればそうはいきません。治療風景を思い浮かべ、力仕事という表現に納得します。

 外に出てみると、テントと折り畳み椅子などで設置された特設会場に斑さんと玉兎くんの姿がありました。

 二人ともすでに疲労困憊という様子で椅子にもたれかかっています。

「おや、もう終わっていたか」

 祖母が呟くと、声を耳にした玉兎くんが亡者のように起き上がりました。

「せんせぇーっ、あんなに並ばれると腕がぷるぷるなんだけど!?」

「だから手伝いに来たのに終わらせるのが早かったね。流石の男手だよ」

 どれだけきつかったのか見せたいのでしょう。玉兎くんが上げた両腕はかわいそうなくらいに震えています。

「よくやってくれたよ。今日はもう診療はないからゆっくり休むといい。あとはそうだね、折角ここまで来たんだ。ソバでも食べて帰ろうじゃないか」

「あっ、それはいいですね!」

 現代でも老舗ソバ屋が多く残ると聞きますし、このあやかしの世界でも有名どころはあるのでしょう。伝統的な味が楽しめるかも――そんなことを思っていたところ、無言の圧力を感じました。

 見れば、玉兎くんはぷるぷると震える両腕をかざしたまま、こちらを見つめています。

「箸を持てなかった時はあーんをしてあげますね……?」

 物言いたげだった彼は深くは語りません。

 ただ一度、こくんと頷くのでした。


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