オオクニヌシの神使
女三人でしばらく飲み、酔い潰れたつららさんとイエティ二頭を診療所の休憩室に案内したところで晩酌はお開きとなりました。
二頭が立派な抱き枕となってくれるので、寝具なんて必要ないことでしょう。もふもふの毛皮に少しばかり嫉妬した私は水瓶を用意するだけで部屋を後にしました。
私も寝床に――とはいきません。向かう先は台所です。
そこで何をするかといえば、夜食作りです。
冷蔵庫で保存していたご飯に刻んだ大葉とゴマを混ぜ、塩で味を調えます。それを握った後はみりんでペースト状にした味噌を塗り、焦げ目がつくまでじっくりと焼いて完成。
香ばしい匂いを立ち昇らせる焼きおにぎりは計四つ。
無論、私のお夜食というわけではありません。それを持って向かうのは二階です。
「縁側から明かりが見えていたんですよね。こんな遅くまで勉強なんて、二人とも頑張り屋さんなんですから」
もう少しくらい羽を伸ばしてもいいくらいでしょうに。
そんなことを思いつつも、まっすぐに努力する背中は応援せずにはいられません。
斑さんはウカノミタマ様のもとに還ってしまったお母さんの代わりに祖母の仕事を継ぐため。そしてもう一人の従業員、玉兎くんもまた目指すところがあるのです。
まずは彼のもとに足を運びます。
「玉兎くん、入ってもいいですか?」
「ん。ああ、小夜? もしかして夜食でも持ってきてくれた? ちょうど腹が減っていたんだよ!」
ドアをノックするとすぐに少年が顔を覗かせました。
無邪気に目を輝かせて焼きおにぎりを受け取る風貌は部活上がりの中学生のようです。あちちとおにぎりをお手玉しながらも慌てるようにかぶりついていました。
そんな彼の勉強机には、祖母が集めている医療系の本や雑誌が積まれています。
「もしかして、明日のためにお勉強ですか?」
「ふぉうふぉう。んぐっ。俺たちってばやっぱり人間と違って物覚えが悪くて。相手は神様だし、変なことをするとオオクニヌシ様に恥をかかせちゃうよ」
「玉兎くんの見た目は人そっくりなのに違いなんてあるものなんですね」
斑さんのお母さんが神使を務めていたウカノミタマ様は、あやかしを助けるこの診療所の発起人。
その運営を助けるべく薬を扱える神使を遣わしてくれたのがオオクニヌシ様で、この二人が診療所の主な後援者となっているのだとか。
指についた味噌を舐め取った玉兎くんはもう一つのおにぎりに手を伸ばします。
「あやかしは想像が形になった生き物だからなあ。俺たち神使は固定観念が少ないから割とマシだけど、それでも自分から変わろうと思って変われるもんじゃないんだよ。ま、だからこそ努力して変われば偉大になれるなんて言われているわけだけど」
「神様業界も大変なんですね」
「んんー、まあね。ほら、学問の神様の知名度とかさ、アマテラス様とかスサノオ様とかに比べてオオクニヌシ様って陰にいる感じだから目立たなくって。家来を育ててご利益を広めないと信仰が減るんだよ」
「なんだかこう、企業経営やタレント業みたいに思えてきちゃいますね」
「あはは。似てる似てる!」
フランクに答えてくれる彼はまだまだ神の使いという威厳には遠そうです。
そうして談笑している時、私はふと気づきました。
彼の名前はあの『玉兎』なのです。
竹取物語に関わる不死の秘薬も、元はといえば月の兎――玉兎が作ったという話ではなかったでしょうか。
「玉兎くんに一つ質問をしてもいいですか?」
「ん、なになに?」
小動物のようにおにぎりを頬に貯めて咀嚼していた彼は一気に飲み下して向き合ってくれます。
胡坐を掻いた体勢で、ひょこひょこと左右に揺れて。本当に無邪気な少年的な様子からは想像できませんが、これでも祖母より年長だそうです。きっと専門分野の知識は深いことでしょう。
「玉兎という名前ですし、竹取物語に出てくる不死の秘薬にも詳しいかと思いまして」
「ああ、小夜が『富士の不死』の調査で黄泉返り的な噂を聞いているって話ね」
「はい。何かわかることはありませんか?」
問いかけてみると、彼は腕を組んで唸ります。
「ないなぁ。そもそも俺の玉兎って名前も、神様への献身のために火に身投げした兎にちなんでつけられただけだし。そんくらい努力して徳を積んで、立派になれってお達しね。ほら、人が善行を積み続けると英雄とか聖人認定されるのと同じ。そういう箔がつくと俺たちの力は増すんだよ」
大元は仏教に繋がりがあるとされる月の兎の逸話には聞き覚えがあります。
玉兎くんの言葉通り、神様は尽くしてくれたウサギを褒めたたえ、その献身を後世に伝えるためにも月に昇らせたというお話でした。
そんな由来があるから仏教圏では月の模様をウサギと捉えることが多く、中国では彼らが不老不死の薬の素を杵で打っていると見ているのだとか。
くん付けでは呼ぶものの、私は彼の言葉を正座で謹聴します。
「なるほど。見知った話ではないってことですね」
「そうだけど、不老不死の薬じゃ人は黄泉返らないし、黄泉返りなんてそれこそ誰しもが聞き覚えのある逸話とか神話レベルの話だし。地方の噂なんて、木っ端妖怪にできることが精々だと思うけどなぁ」
「そうですよね。双子の兄弟が亡くなって、残された方が墓参りに来たって第三者には黄泉がえりに見えかねないですもんね」
「そーそー。頭の片隅に置いてもいいけど、大体は杞憂だよ。変身とか幻術はあやかしにとって一般的な芸だしね。死人が黄泉返ったテーマの作品でも参考にする?」
玉兎くんはそう言って小棚に並べられた映画を物色します。
彼はこういう映画が趣味らしく、アカデミー賞受賞作品やB級映画などの購入をお願いされたことが何度かありました。
「はいどうぞ。今は特定の能力で戦うヒーローものも多いし、これも参考になるんじゃないかなぁ」
「ありがとうございます。ここで働けるようにしっかりと正体を見極めてきますね」
「うん、頑張って。小夜がいると美船先生の機嫌もいいし、斑もやる気が出ているからね。もちろん俺も仕事が楽になるし、嬉しいよ!」
「玉兎くんは本当に褒め上手ですね」
「事実は事実だってば」
お世辞ではないと拗ねたような振りで主張してくれます。
さて、焼きおにぎりが冷めてはもったいないです。話は早めに切り上げ、斑さんの部屋へと足を向けます。
「おっと、小夜。もう一つ!」
「はい? おかわりまでは用意していませんけど」
「そうじゃないよ。味噌が香ばしくて凄く好みな味だった。また作って!」
「じゃあまた頑張っている時に差し入れしますね」
にひりと無邪気に笑い、率直にこういう言葉を出せるのは本当に美徳です。こうしてもらえるなら求められずとも差し入れてしまいますね。
斑さんの部屋はその隣に位置しています。
こんこんとノックをしてみても返事はありません。
ドア下から光が漏れていることからしてきちんとした形で就寝した線はないでしょう。過去を振り返ると、どういう状況か読めました。
私は極力音を立てないようにドアノブを回し、忍び足で部屋に入ります。
やはり斑さんは机で居眠りをしていました。




