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おとなりさんの診療所  作者: 蒼空チョコ
第二章 青竜と歯石除去

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20/41

愛想なしの兄

 そうこうして病院の所用を済ませた私と斑さんはまほろばから我が家に移動します。

 庭から車庫に移ると、後部座席を限界まで倒して寝ている兄、芹崎信の姿が見えてきました。

 歳は斑さんと同じ二十八歳で、私の八歳上。下手に身内なだけに私の扱いは雑なもので、ソファーでうたたね寝をしていると新聞紙や足で起こしてくるぶっきらぼうな兄です。

 きっと、幼馴染として育った斑さんに愛想を全て吸収されたのでしょう。彼とは対照的で、兄らしい兄です。

 ただし、繊細さや接客力が試される病院勤務をこなしているとおり、やろうと思いさえすれば細々としたことにも配慮できる人ではあります。

 今回も何かを用意してくれたらしく、運転席のヘッドレストにはビニール袋が下がっていました。

「お兄ちゃん、お待たせ」

「寝て待っていたから問題ない。俺は放っておいていいから運転は頼んだ。あと、それはお駄賃だ」

 体を起こした兄はビニール袋を指差します。

 やはり予想的中ですね。

 さりげなく斑さんを助手席に座らせる位置取りといい、無償労働させないところといい、雑な態度さえなければもっと人物評価がよくなりそうなものです。

 それはともかく、車に乗り込んだ私は早速中身を確かめさせてもらいました。

「おっと……!? これ、薬のハンドブックじゃないですか。あのお高いやつ!」

「新版が出たから払い下げってだけだ。気にしないで使ったらいい」

「うん、ありがたく使わせてもらいます。へっくし!」

「すまん。病院で使ったまま拭き忘れた」

「いえいえ、このくらいは大したこともないので」

 ペットを診る度に手を洗うとはいえ、病院の隅には動物の毛が吹き溜まっていたりもする空間です。そこで使い古した本ともなればアレルゲンもついているのでしょう。

 他の動物の臭いがつくのをセンリが嫌がると、あの子が密接に関わっている私の身にはアレルギーとして表れるわけです。

 その証拠に、いつの間にか膝の上に現れたセンリは不機嫌そうに本を睨んでいました。

 ともすれば爪を立てそうな気配ですが、そればかりはいけません。薄めの辞典じみていますが、各動物の薬用量や副作用を端的にまとめた約二万円の専門書なのです。

 私はセンリの熱い視線を浴びながら本をビニールに戻します。

 一方、斑さんが座る助手席のヘッドレストにも何かがかけてありました。

「信、これは僕宛てかな?」

「あっちじゃロクな眠気覚ましがないだろ。必要ないなら持って帰ってストックでもしとけばいい」

「まさに欲しいところだったんだ。助かる」

 袋の中身は栄養ドリンクやコーヒー、ガムなどだったようです。

 ――と、こんな様を見ればわかります。

 完璧な立ち回りだけど少し儚げな斑さんと、粗野に見えてそれをフォローする兄。これで顔もいいとなると、学生時代の二人は注目の的だったのが容易に想像できました。

 祖母と斑さんがまほろばに行ったのが十三年前。

 当時は亡くなった斑さんのお母さんに代わって祖母が身請けしていましたし、斑さん自身もあやかしなのであちらへ移るのは当然の選択だったと思います。

 しかし、そうした理由から高校以降はあちらで過ごすこととなったのは、私にとって不幸中の幸いだったのかもしれません。

「ところで、小夜の調子はどうなんだ?」

「えっと、はい? くしゃみはしましたけど健康そのものですよ?」

「ばあさん関連の話だよ。気を付けてはいるんだろうけど、あやかしは普通の相手じゃないからな。お前からあまり話を聞けていないから親父やお袋も心配しているぞ」

「……。言われてみればあまり顔を見ていない気がしますね」

 な? と兄が肩を竦めるのはもっともです。

 ご飯に関しても半数はまほろばで祖母たちと取りますし、病院が終わった後の急患対応で両親が食卓から離れることもあります。そうでなくとも私が大学の勉強やレポートで部屋にこもりきりというパターンもありました。

 面と向かってのお喋りとなると、一週間はなかったかもしれません。

 私はハンドルを握りつつ、失敗を反省して答えます。

「おばあちゃんからの課題は順調ですよ。今日は次に取り掛かる『富士の不死』の情報収集をしようと思っています。ちょうど二人を送り届ける施設近くでの話で、亡くなった旦那さんが黄泉返ったなどとおばあさんが言って回ったそうなので確かめるんです」

「その話、情報を追えば黄泉返った爺さんと会うこともあるんじゃないのか?」

「ないこともないかもしれません。ですがそこはまあ、よく準備して事に当たります」

 虎穴に入らずんば虎子を得ず。

 ですが、周辺住民に巣穴の位置を聞いたり、トラを鎮静剤入りの餌や吹き矢で無力化してから入るくらいの準備はして当たる所存です。

 雷獣の保護がまさにそうだったところは兄も知るところでした。

「お前の場合、計画と実行に傾倒しすぎて引き際を考えてなさそうな節がある」

「準備に準備を重ねたとして、安全に解決できれば心配はないじゃないですか」

「それ自体はな。でも適度なところでやめることも覚えなきゃ、首が回らなくなることもある。それに綿密に安全確保して扱う大動物相手だって、不意の事故はつきものだぞ」

「むっ」

 大抵の物事は入念な準備をすれば、解決まで導く自信があります。ですが、その準備にかかる手間や確実性にまでケチをつけられると流石に言い返せません。

 じとりとした目をバックミラー越しに向けられたかと思うと、その標的は斑さんに移りました。

「お前は多少の面倒だと押し通して、結果論で語ることもある。斑。こいつがどういう様子だったのか、この後で話を聞かせてもらうぞ?」

「そうだね。その点については誠実に答えさせてもらうよ」

「お兄ちゃん。そういう話は後日、本人を前にする方が公平だと思うんですけど!」

「いいや。言葉巧みに先延ばしにされると大抵は証人が消されるもんだ。よく映画であるだろ?」

 この兄が想定する妹は麻薬カルテルか何かを牛耳っているのでしょう。

 いくら祖母が極道じみた威厳を持つとはいえ、そんなことはありません。せいぜい、過去のやり過ぎた例について口止めを図るくらいです。

 兄のダメ出しも一考の価値ありだとは思いますが、あまりにも執拗なので尋問された気分でした。

 講習会の施設駐車場に到着した時には、ようやく解放された気分さえします。

 疲れたこともあり、二人の見送りは座席に深くもたれながらとなりました。

「講習会は昼までということでしたよね?」

「予定ではな。どうせ質疑応答で遅れるから一時間程度後でもいいさ。終わったら飯にでも行こう」

「はい。適当に合わせるので二人は存分に勉強してきてください」

「小夜ちゃん、悪いね。頑張ってくるよ」

「寝不足なんですし、無理はしないでくださいね」

 大学の授業みたいなものでも、社会に出てからこうして学びに行くと一万円前後にもなると聞きます。元を取るためにも、しっかりと学び取ってくることでしょう。

 さて、あちらはともかく自分の問題です。

 なにせこちらは将来の職がかかった課題。祖母が心変わりをしないよう、迅速に結果を出す必要があります。

「……だからって多少の無茶とかはしないように気を付けますけど」

 もしや先程の口煩さはこう思わせるためだったのでしょうか。

 私は負けた気分で重い息を吐き出すのでした。

 


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