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お客様は神様です!  作者: 宵宮祀花
◆壱夜 暗がりで待つ
7/12

しあわせはふたりで二倍

 桜寮の食堂は中庭が見渡せる壁一面の大きな窓が特徴で、春にはその名前の通り、桜が一斉に咲き誇る様を一望できる。内装は浴室同様に淡いピンク色を用いており、清潔感と可愛らしさが同居した作りになっている。

 食事は日替わりで、入学式や卒業式など特別な行事があるときには少しだけメニューが豪華になる他、誕生日の生徒には小さなケーキがつくなどの楽しみもある。

 アレルギーに関しては入寮前の書類で職員に通達されており、更に増えた場合は医師の診断書を提出する決まりとなっている。入寮して初めての夜にはパエリアが振る舞われ、夏休み前の最終日にはフルーツ寒天がついた。


「ここでトレーを取って、カウンターでごはんをもらうの。メニューは毎朝傍の掲示板に張り出されるんだよ」

「見たことがない食べ物ばかりだわ。今日は雪乃が食べるのを見ていてもいいかしら」

「えっ、うん、それは構わないけど……ほんとに食べなくて大丈夫?」

「ええ、お昼に頂いたから、十分なの」


 たったあれだけの昼食で十分という、雪乃にとっては幽霊騒ぎより信じられない言葉が飛び出してきて、思わず氷雨の顔を見つめてしまった。


「なにかおかしなことを言ったかしら?」

「ううん、そんなことは……小食なんだね」


 不思議そうな氷雨に取り繕いながら、説明したとおりにトレーを手にしてカウンターへ顔を出した。先ほどから食堂中に食欲をそそる良い香りが充満しており、その出所である厨房内からは白い湯気が上がっている。


「こんばんは、古谷野さん」

「あら、雪乃ちゃん」


 雪乃の声に振り向いたのは、恰幅のいい中年女性調理師の、古谷野洋子だ。エプロンと三角巾をつけた姿は、学校案内のときに出会った家政科部の顧問教師を思い起こさせる。古谷野もまた市内の生まれで、四人いる子供のうち三人は既に自立しており、残る一人は県外の高校に通っているという。


「可愛い子つれてるじゃないの。その子が転入生?」

「はい。氷雨ちゃんっていいます」

「初めまして。千護氷雨です」

「綺麗な子だね。雪乃ちゃんはいつものだろ? 氷雨ちゃんはいいのかい?」

「はい。学校で食べてしまったので、また今度お世話になります」

「あいよ」


 調理師の女性はふたりに笑顔で答えると調理台に向かった。米は大きな炊飯器で炊いてあり、焼き魚は魚焼きグリルで軽く温めるだけで食べられる状態になっている。あとは、熱を通した状態で大量に保存されている鳥肉を、玉ねぎと卵に絡めるだけ。大勢の生徒が押し寄せることもある食堂では、全てをその場で作るわけにはいかないため、いくつかは作り置きで賄われている。

 それでも雪乃にとっては十分過ぎるほど美味しいので、ここでの食事は寮生活の少ない楽しみの一つだった。


「はい、お待たせ」

「ありがとう」


 焼き魚定食に親子丼を添えた、明らかに二人前の夕食を手に、あいている席へ向かう。周りも最早見慣れた光景なので、誰もわざわざ雪乃を目で追ったりしない。


「雪乃はたくさん食べるのね」

「うん。よく言われる。運動部の量だよねって」


 手を合わせて頂きますと声に出してから、定食についている味噌汁を啜る。葱と若布と庄内麩が入っており、全ての具材に出汁が良く染みている。焼き魚は鰺の半身で、程よい塩味が白米の甘さと引き立てあって、思わず次々に箸が進んだ。うっかり茶碗の中を空にしたところで、親子丼に手を付ける。やわらかな歯応えの鳥肉と良く火が通った玉ねぎに半熟の卵が絡み、照明の下できらきらと輝いて見える。木匙で掬って口に入れれば出汁の味が卵と共にとろけて広がり、噛みしめるごとに食材の風味と混じり合って幸福感を増幅させていった。

 雪乃が食事を進めるあいだ、氷雨は本当にただ正面で見ているだけだった。声をかけるわけでも、なにかほしがるわけでもなく、雪乃が視線を気にしない程度に食事や窓の外に時折視線を逃がしながら、それでも言葉通りに雪乃を見つめ続けた。


「はー美味しかった。ごちそうさま!」


 手を合わせて食後の挨拶をした雪乃の前には、米粒一つ残っていない綺麗な食器たちが並んでいた。


「見ていて思ったのだけど、やっぱり私には多い気がするわ」

「うーん、そうだね。お昼のあれだけで足りるなら、一人前はちょっと多いかも」


 雪乃が見た限りだと、氷雨が口にしたものはいなり寿司三個と、小さなペットボトルのお茶一つだけだ。この様子では朝食も取っていないか、軽いものだけだろう。

 ここの夕食は、特別なことがない限り定食か丼ものから選ぶ形になっている。女子寮ということでそこまで大盛りではないにせよ、氷雨にとってはだいぶ多く感じる量だ。


「あ、じゃあわたしが大盛り頼んで氷雨ちゃんに少しわけてあげれば解決じゃない?」

「いいの……?」

「うん、わたしはいつもこのあと購買でデザート買って帰るくらいだし」

「それは凄いわね……」


 珍しく少しだけ驚いた様子で呟く氷雨に、雪乃は照れ笑いを浮かべて言った。


「子供の頃、あんまり食べられなかった反動かも」


 その言葉は、事情を知らない者が聞けば単にいまと違い大量に与えられても食べられる分量が少なかっただけの話に聞こえるが、氷雨にはいまの言葉に癒えない傷跡が見えた。氷雨の元を訊ねていた頃の雪乃も、折れそうな手足をしていたのを覚えている。


「……それなら、今日も購買に寄っていくの?」

「そうしよっかな」


 氷雨に答えると、トレーを持って立ち上がった。食器を返却口に返してカウンター前を通るとき、奥へ向けて声をかける。


「古谷野さん、今日も美味しかった。いつもありがとう」

「お粗末様。ゆっくりお休み」

「はーい、お休みなさい」


 数十分ぶりに自由になった手で氷雨の手を取ると、雪乃は購買を目指して歩き出した。氷雨もやんわり握り返しながら、隣を歩く。廊下には部活帰りと思しき生徒が大浴場へと流れていく様子が見えたり、食後の一団がお菓子を手に談話室へ向かう姿が見える。

 食堂に併設された購買には、日用品から軽食、雑誌まで様々な商品が並んでいる。街のコンビニには及ばないが新商品も入荷されるため、シーズンの変わり目などには混雑することもある。九月は芋や栗、南瓜などを使ったお菓子が多く並ぶようになり、雪乃も棚に張られた期間限定の文字を中心に目で追っていた。

 手を繋いだまま棚のあいだをゆっくり歩きつつ、商品を物色していく。暫く眺めてから一つの洋生菓子を手に取ると、氷雨に声をかけた。


「これにする」

「秋色プリンパフェ……? 何だか色んなものが詰まっているのね」

「うん。秋限定だし、気になってたんだ」


 商品をレジに通すと、透明なプラスチックのスプーンが二つ、袋に入れられた。左手にそれを提げ、右手は氷雨と繋いで店をあとにした。

 雪乃が買ったプリンパフェは、一個約五百円と少々高めのデザートで、値段に恥じない内容量を誇っている。ゆえにレジ係の女性は、スプーンを二つ付けたのだった。

 カップの中には、固めのプリンと生クリームとスポンジといった基本の洋菓子の他に、紫芋クリームや甘く煮た栗や甘藷など、秋らしいものがたくさん詰まっている。高校生のお小遣いには高く感じるが、それを差し引いても一度食べてみたかったものだ。


「いただきまーす」


 部屋に戻ると早速蓋を開け、プリンを一口。クリームや甘露煮と共に食べることを想定されたプリンは甘さが控えめに作られており、カスタードの甘さの奥からバニラの香りがほのかに漂ってくる。


「はぁ……甘いものってしあわせ……氷雨ちゃんも一口食べない?」


 折角スプーンを二つもらったからと氷雨にも薦めると、氷雨は目を丸くしてスプーンを見つめた。


「いいの?」

「うん、食べられそうならどうぞ。どれでもいいよ」

「ありがとう。それじゃあ、頂くわ」


 雪乃の仕草を真似て、ぎこちない手つきで袋を破り、小さなスプーンを取り出す。細い持ち手を掴むとどこか緊張した面持ちでプリンに差し込み、一口分掬って口に運んだ。

 昼休みのときは考え事をしていて気付かなかったが、氷雨は人間の高校生ならとっくに慣れているはずの日常動作を、親の真似をして物事を覚えようとしている年の子のようなぎこちない仕草で行う。風呂のときも、横目で雪乃が洗う様子を見つめてから、どうにかこうにか真似をしていた。


「どう……?」

「とても甘いのね。初めて食べたわ」

「お稲荷さんとは違った甘さだよね」

「ええ。気に入ったわ。人里にはこういうものもあるのね」


 ふわりと微笑む氷雨のやわらかな瞳に射抜かれ、雪乃の心臓が音を立てて跳ねた。頬が熱を帯びそうになるのを誤魔化そうと、スプーンを何度も口に運ぶ。種類の違う甘さが、舌の上を忙しなく駆け抜けていくのを遠くで感じながら食べ進めていると、氷雨の視線がじっとプリンに注がれているのに気付いた。


「……氷雨ちゃん、もう一口食べる?」

「えっ、ああ……ごめんなさい。催促したかったわけじゃないの」


 氷雨はプリンから雪乃へ視線を移すと、ただ……と恥ずかしそうに続けた。


「私、いままで人の食べ物って食べたことがなくて……お昼に食べたものも、ここへくる前、所長に人間の体で過ごすなら少しは食べたほうがいいからって薦められただけなの」

「そうだったんだ……それなら、少しずつ色んなものを食べてみるのもいいかもね」


 そう言って、雪乃はプリンのカップを差し出した。半分以上食べたあとだが、まだ形は残っている。クリームや小さな紫芋もあり、食を試すには丁度良い大きさだ。


「食べかけで悪いけど、一つ食べきるのは多いだろうし、お試しってことで気になるのを食べてみたら?」

「いいの? さっきももらったのに」

「うん。そうだ。購買とかで気になったのがあったら買うといいよ。食べきれなかったらわたしが食べるから、安心して」


 雪乃が冗談めかして言うと、氷雨はクスリと笑ってからクリームを掬った。


「ありがとう。心強いわ」


 真っ白なクリームが氷雨の唇の奥へと運ばれていく。チラリと覗いた舌先が白く濡れていて、雪乃は思わず目を逸らした。


「………………」


 スプーンを咥えたまま暫し葛藤したのち、そっと横目で氷雨を見やれば、不思議そうな表情から徐々にとろけるような笑みへと変わっていく様子が見えた。どうやらクリームの味もお気に召したらしい。


「それ、気に入った?」

「ええ。私、この白くてとろける食べ物が好きだわ」

「生クリームだね。コンビニのも美味しいけど、ケーキ屋さんのはもっと美味しいよ」

「そう……それはいつか雪乃と食べてみたいわ」


 うっとりと微笑む氷雨に、雪乃も笑みを返して頷く。


「長期休暇終わったばかりだから、次はいつ町に降りられるかわからないけど……いつか一緒にお気に入りのケーキ屋さんに行こうね」

「ふふ、楽しみにしているわ」


 もう一口と薦めたところ、いつか行くケーキの店を楽しみにするからと断られたため、残りは雪乃が綺麗に完食した。


「ごちそうさま! 美味しいものってふたりで分けるともっと美味しいね」

「ええ、本当に。雪乃と一緒だといっそうしあわせだわ」


 眩しい笑顔で言う氷雨に照れながら、雪乃も同意して頷いた。

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