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お客様は神様です!  作者: 宵宮祀花
◆壱夜 暗がりで待つ
11/12

恩人の恩人は恩人?

 坂道の終点に門があり、門柱には風蘭学園高等部と書かれている。つまり、この坂から先が学園の敷地で、坂を下りきって漸く下界に降り立ったことになるのだ。

 氷雨の案内を受けながら、手を繋いで町を歩く。繁華街に入ると酒場やカラオケなどの夜に賑わう店が軒を連ねていて、土曜とはいえ午前中であるいまは然程賑わっていない。ゲームセンターや漫画本を多く取り扱う書店が並ぶ通りまで来ると、中高生の姿が増えてくる。だが風蘭高校生の姿はあまり見られず、他校の生徒が大半を占めていた。


「わたし、こっちのほうに来るのは初めてかも……」


 どこか落ち着かない様子で雪乃が言うと、氷雨は繋いだ手を軽く引き寄せ、腕を絡めて寄り添った。


「大丈夫、私がついているわ」

「うん……ありがとう」


 ふたりで一つの傘に入ってくっついたままで繁華街を進んで行くと、やがて雑居ビルが並ぶ通りに差し掛かった。様々な店から漏れ聞こえるBGMが遠ざかり、景色が暗灰色に染まってきたところで、氷雨は一つのビルの前で足を止めた。


「ここよ。このビル丸ごと、所長が所有しているの」

「えっ、これを……? 凄いね……」


 感心しきりで呟きながら、雪乃は日傘を傾けて目の前のビルを見上げた。頂上は遠く、地上部分は五階建てになっていて、表に見えている階段は地下にも続いている。案内板の類は見当たらず、窓に探偵事務所の名前が張り出されているわけでもない。

 それと知らなければ来ることが出来ないこの場所に、氷雨の育ての親がいる。


「いまなら三階にいるわ。行きましょう」

「う、うん……」


 日傘を閉じて手を繋ぎ、エントランスを超えて奥の階段を上っていく。三階に着くと、前方に、小さな磨りガラスの窓がついた茶色い木製の扉が見えた。外には何の案内も出ていなかったが、この扉には『零仙探偵事務所』と文字が書かれている。


「零仙探偵事務所……これ、所長さんのお名前?」

「ええ、そうよ。零仙鏡花……鏡に花で、きょうかと読むの」

「へえ、綺麗なお名前のひとだね」


 雪乃が素直に感じたままを口にすると、氷雨は自分が褒められたかのように微笑んだ。

 扉に手をかけ、奥に「ただいま」と声をかけながら氷雨が引き開ける。その後ろをやや緊張しながら雪乃が続いて入ると、支えを失った扉が背後でゆっくり閉じた。


「お父様、雪乃を連れて参りましたわ」


 緊張で顔を上げられずにいる雪乃の斜め前で、氷雨が室内にいる誰かに声をかけた。

 視界の端に、優美な紅い着物の裾が見える。つま先は白足袋。紅い鼻緒に金刺繍。黒の巻きは艶を帯びており、整った形の足先を美しく引き立てている。


「よく来たな。なにもないところだが、まあ、好きに寛いで行き給え」


 聞こえてきた声の意外な低さにそろりと顔を上げると、花魁めいた着物に身を包んだ、艶美な男性がそこにいた。襟元を大きく抜いて裾も嫌らしく見えない程度にはだけている上、頭頂部で結われた長い黒髪がさらりと肩にかかっていて、全体的に気怠げに見える。だというのに全くだらしなく感じないどころか洗練されて見え、雪乃は暫く呆けたままでぼんやり見つめてしまった。


「どうしたの、雪乃?」

「っ! えっ、あ……ご、ごめんなさい、ぼうっとして……」


 氷雨に声をかけられて漸く我に返った雪乃は、慌ててぺこりと頭を下げた。


「初めまして。氷雨ちゃんにはいつもお世話になってます。百々梅雪乃です」

「ああ、知っているとも」


 ゆったりと肘置きに凭れる格好で長椅子に座る鏡花が、ふたりに正面の来客用ソファを薦める。並んで腰掛けたところで、鏡花は鷹揚に話し始めた。


「愛娘の想い人だからな。会わせてやるために、俺も色々と手を回させてもらった」


 ふたりして言葉の意味がわからず、きょとんとして首を傾げる。そのよく似た仕草に、鏡花はくつくつと喉を鳴らして笑った。


「お前さん、元いた孤児院に大量の寄付とパンフの差し入れがあっただろ」

「はい。就職先を探していたところに、進学のお誘いが来て……入る高校まで指定されていたのには驚きましたけど……」


 施設長兼神主の榊曰く。

 明け方、玄関前になにやら重いものを置く音がして目が覚めた。悪戯をされては困ると様子を見に行くと段ボール箱が置かれていて、その上に手紙が一枚張り付けられていた。見れば雪乃を指名した上で、来年の四月からこの高校へ入学させるようにということと、入学に必要なものは全てこの中に入っているとの旨が書かれていて、怖々と開けてみれば中には目眩がしそうなほどの札束とパンフレット、そしてなぜか雪乃のサイズぴったりの風蘭高校の制服が入っていたらしい。

 慌てて辺りを見回すも明け方の薄暗がりでは遠くまで見渡せず、また、遠ざかっていく足音もしなかったため、狐にでも騙されていて朝になったら葉っぱに変わっているのではないかとすら思ったそうだ。


「……施設長さんも、高卒と学歴なしでは働き口を探す苦労も違うだろうからって言ってくれて、あの寄付のお陰でこうしていられるんです」

「そりゃあなにより。で、だ。お前さんが無事入学したら次はこっちの準備だ」


 そう言って、鏡花は雪乃から氷雨へと視線を移す。雪乃もつられて氷雨を見るが、当の本人は依然不思議そうにしている。


「このお嬢はずっと獣の姿でいたもんだから、人間の仕草が覚束なくてな。それを教えるために半年ほどかかっちまった。ひと月もありゃあ十分だと思ったんだがなあ……これは俺の怠慢だな」


 苦笑しつつ扇を取り出してひらりと扇ぐ。扇には梅の花と白い狐が描かれていて、扇が舞う度に狐が梅の園を踊っているように見える。ずっと話の要領を掴めずにいた氷雨が、ふとなにか思い至った表情になった。


「まさか、私と会わせるために、お父様が雪乃をあの高校へ入れたのですか」

「えっ」


 雪乃が驚いて鏡花を見ると、鏡花はにやりと笑って扇を閉じた。


「ああ、そうだとも。可愛い娘には相応しい舞台を。恩人には報いを。その結果さ」

「そんな……零仙さんはわたしの居場所を知っていたんですよね? それなら……」

「孤児院まで、直接会いに行かせればいいって?」


 鏡花の言葉に雪乃が頷く。鏡花は「それでもいいんだが」と前置いてから、目を細めて雪乃を見据えた。


「お前さんのその体質。それを抑えるためには氷雨が傍にいるのが一番いい。だからって俺の娘まで孤児院に世話させるわけにはいかねえ。だから舞台を高校に移したのさ」

「わたしの……」


 無意識のうちに手が宙を彷徨う。氷雨の手に指先が触れた瞬間、きゅっと握り締めた。氷雨に触れていれば、雪乃は死者の魂に触れなくて済む。体を失い、未来を失ったものの嘆きをぶつけられなくて済む。そしてなにより、あってはならないものを見聞きして人に白い目で見られなくて済む。


「あの……お話を聞いていると、何だか色々わたしのために動いてくださっているような気がして……」


 鏡花の話を聞いていると、何だかとても護られていると感じる。彼の言う通り、確かに氷雨のためでもあるとは思う。だがそれ以上に、聞いているだけでも雪乃のための行動が多い気がして、恐縮してしまう。


「でもわたし、そこまでして頂くようなこと、していないですよね……?」

「とんでもない」


 細めた紅い目に射抜かれ、雪乃は思わず息を飲んだ。美貌の主が挑発的な笑みを作るとただそれだけで心臓を止めることすら出来そうで、生きた心地がしない。

 現実味のないこの空間で、繋いだ手の感触だけが雪乃の意識をこの場に留めていた。


「お前さんは、俺の眷属を救った。そのつもりがなくとも、娘の命を救われたんだ。それ相応の恩返しをするのが筋ってもんだろ」


 命を救った。そう言葉にされて、改めて過日の約束を思い出す。幼さゆえに深い考えもなく交わした、たった一度きりの指切り。人間同士だったならきっと、お互い忘れたまま大人になって、別の人と交際したり結婚したりすることもあっただろう。けれど、氷雨は違う。廃れていたとはいえ社の主だ。人とは異なる世界に生きる存在。神様と交わした、将来の約束なのだ。それはつまり、人生ごと神に捧げると誓ったも同然なのではないかと今更ながらに思った。


「わたしは……あのときは、そこまで考えていませんでした。初めて出来たお友達ともう二度と会えなくなると思ったら寂しくて、それだけで……」


 年若いことを、浅慮であることを言い訳に約束を反故にするのは簡単だ。そうして命を一つ……もしかしたら二つ散らせた人を知っている。

 雪乃が隣を見ると、視線に気付いた氷雨も隣を向いて雪乃を真っ直ぐに見つめた。眉を下げて、どこか寂しそうに微笑むその姿に胸が痛んだ。


「……でも、あのときといまは違うよ、氷雨ちゃん。わたしはもう、言葉の意味もろくに知らない子供じゃない。小さい頃の約束だからって、なかったことにはしない。それに、あのとき救われたのは氷雨ちゃんだけじゃないんだよ。わたしだって救われてた」


 大きな瞳が更に大きく見開かれ、目尻から大粒の涙が転がるように落ちた。

 暴力をふるうことも大声で恫喝することもしない人間が、ただ傍にいることがどれほど救いになったことか。あのときは自分の身を守るだけで精一杯で、大人の事情に流されることしか出来ずにいたけれど、いまは違う。まだ庇護下にある年齢ではあるが、気持ちを言葉にする術を知っている。

 雪乃は涙に濡れる氷雨の頬を両手で包み、優しく微笑んで見せた。


「氷雨ちゃんのお父さんが会わせてくれたお陰で、わたしはあのとき手を繋いでくれてた子にお礼を言うことが出来るの。これがどれだけうれしいか……」


 言葉もないほど感極まった氷雨に抱きつかれ、雪乃はしゃくり上げる細い体を抱きしめ返しながら、どうにか鏡花のほうを向いた。


「零仙さん、改めてありがとうございます。わたしと氷雨ちゃんを助けてくれて……」

「いやなに、俺は娘の願いを叶えてやっただけさ」


 そう答える鏡花の声は優しく、氷雨を見つめる目は慈愛に満ちた親のもので、啜り泣く氷雨を宥めながら、雪乃は少し氷雨を羨ましく思った。

 孤児院の兄弟たちのことは好きだし、施設長も良い人だ。寄付の手紙に従わず運営費に回すことだって出来たのに、全額雪乃のために使ってくれた。決して不満があるわけではないのに羨んでしまう自分が浅ましく感じて、雪乃は氷雨を撫でながら、どこか上の空で考え込んでいた。

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