第97話「懐柔なのじゃ!」
クルト帝国 レティ領 貴族の屋敷 ──
リスタ王国で黒豹商会の交渉が始まった頃、貴族屋敷にある豪華な部屋では中年の貴族風の男性と鋼糸のスロウ、そしてドレスで着飾ったリュウレが昼食の席を共にしていた。彼女の両腕に黒い呪具が取り付けられている以外は外傷などはなく、衣装も貴族の令嬢と言われれば信じてしまいそうなぐらい、繊細な刺繍が施された豪華なものだった。
「別に毒など入っていないさ、気にせず食べるといい」
目の前に置かれた料理に手をつけようとしないリュウレに、貴族風の男性が極めて紳士的に勧める。
毒ではないことを示すため使用されている食器は銀食器、しかもリュウレ用の毒見役までつける徹底ぶりだ。あの日スロウに捕まり屋敷に連れて来られてから二週間ほど経過していたが、その間は特に危害を加えられることもなく、客人としてずっと歓待を受けていた。ただし外に出かけたり外部に連絡したりすることは、制限されているためフェルトに連絡することは出来ない状態だった。
この屋敷に来て初めの食事の際に、スロウから自分と貴族の男は『ザハの牙』の一員だと説明され、リュウレには同志になって欲しいと頼み込まれた。しかし、それに対してリュウレは首を縦に振らなかった。
彼女はスープを少し零すと、テーブルに置かれたナイフを手に取って自分の指を少し切り、そのスープに一滴垂らした。透明なスープが微かに赤く染まる。これはスープにザハの毒が、仕込まれていないかの確認である。もし混じっていれば、かなり独特な臭いが発生するのだ。
リュウレはジーとスープを見つめていたが、特に変化は起きなかった。どうやらスープにはザハの毒は入ってないようだった。
そしてナイフをテーブルには戻さず、ほぼノーモーションで貴族の男目掛けて投擲する。しかしナイフは貴族の男の前でピタリと止まった。スロウの鋼糸によって止められてしまったのだ。
「はははは、まったく毎日懲りないことだ」
貴族の男は軽快に笑い飛ばしながら、そのまま食事を進めている。
このナイフは両手の呪具で魔力も押さえつけられ、能力の一つである暗器が封じられているリュウレの唯一の反撃手段だった。
攻撃を止められたあと、やや虚ろな目でスープを飲み始めるリュウレの姿に、貴族の男はニヤリと笑う。
彼らが優秀な暗殺者であるリュウレを同志に迎えたいと言うのは本心ではあったが、彼らのもう一つの目的は別にあった。
それはターゲットであるフェルトを誘い出すつもりなのである。ある人物からフェルトならば侍女でもあるリュウレの失踪を知れば、必ず自ら動くと助言されていたのだ。彼らの目論見ではリスタ王国やフェザー領では手を出せないフェルトを、領内に引っ張り込んで始末する予定だった。
その計画自体成功したのだが、刺客をいくら放っても全て返り討ちにされてしまっており、あと数時間もすればこの街まで到着するとの報告が昼前に届いていた。
「まったく、どんな化け物を連れておるのやら……」
貴族風の男性は、苦々しい表情を浮かべるとそう呟いた。
◇◇◆◇◇
クルト帝国 レティ領 街道 ──
本日二組目の襲撃者を撃破したフェルトたち一行は、目的の街まであと少しというところまで来ていた。約束の期日は二週間、リスタ王国からの往復で六日は掛かるため、滞在出来ても一週間程度である。
「そろそろ街なんだろう? 着いてからは、どうするんだい?」
「そうですね。まずはフェザー家の者から話を聞こうかと思ってます」
ジンリィからの問いに、伏し目がちに力なく答えるフェルト。道中にあった何度かの襲撃に、肉体的より精神的に負った疲弊は隠せていなかった。そんな彼を心配してかジンリィは優しく声を掛ける。
「まぁ街に着いたら少し休むんだね。そんな状態じゃ見つかるものも見つからないさね」
その言葉にフェルトは黙って頷くだけだった。
「フェルト様、見えてきました!」
フェルトやジンリィより少し先行していたオズワルトが、振り向きながらフェルトに向かって叫ぶ。どうやら目的の街が見えてきたようだった。項垂れていたフェルトも顔を上げ、目的地の街を見つめると気力を少し取り戻したのか
「リュウレが心配だ。急ごう!」
と言って、街に向かって馬を駆けさせるのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 食堂 ──
黒豹のベルカは交渉のために城下に数日は滞在することになり、本日はリリベットの招きに応じて王城の食堂での会食に参加していた。食堂にはリリベット、ヘルミナ、ベルカの他に給仕三名、護衛の近衛隊員が二名控えていた。
「ふむ……つまりお主はグレート・スカル号に護衛を頼みたいと言うことじゃろうか?」
食事をしながらの会話で、リリベットはベルカが要望してきた話を確認するように尋ね返すと彼は頷いた。
「えぇ通常のルートでは、やはり連邦とこの国は遠すぎます。ノクト海を横断できる貴国の船に随伴する形で、我らの商船団を運んでいただければ物的にも時間的にも有効かと思いますが?」
見た目は獣でも彼も商人であり、王侯貴族に対する礼儀は弁えているため口調は穏やかなものだった。連邦の商人というとファムをイメージしてしまう二人だったが、彼の印象はかなりイメージを良いものに変えるものだった。
「ふむ……どうじゃろうな?」
リリベットは少し考えてから、意見を聞こうとヘルミナの方を向く。
「そうですね。ひとまずはオルグ会長に聞いてみないといけないかと思います」
「ふむ、そうじゃな。ヘルミナよ、よろしく手配するのじゃ」
「はっ、わかりました」
ヘルミナに今後の処理を再び頼むと、再びベルカの方を向いたリリベットは子供のように目を輝かせながら
「ところで、連邦ではやはりお主のような者は多いのじゃろうか?」
と尋ねた。最初は質問の意図がわからなかったため、キョトンとした顔をしたベルカだったが、すぐに自身の顔について聞かれていることに気が付いた。
「……あぁ、この顔でございますか? やはり珍しいのでしょうね、この大陸の皆さんは同じようなことを聞いてきますよ」
ベルカは顎を擦っている。表情からはわからないが、どうやら笑っているらしく肩が上下していた。
「そうですね。我らは獣人と呼ばれる種族ですが、全体では三割程度でございましょうか……私は豹族ですが、その他にも犬族、猫族、獣王族など、多種多様な種族がおります」
「ほうほう?」
リリベットは興味深く頷きながら、ベルカの話を聞いている。
「獣人は身体能力に優れている者が多いので、傭兵や兵士になる者が多いですね。私のような商人は少ないのですよ」
ベルカの言うとおり、獣人は兵士など戦闘を生業にする人々が多い。ただし、その強さは陸戦に限られ海戦は苦手なため、強力な軍隊を所有していても他の大陸に討って出るようなことはないのだ。
「お主は、なぜ商人になったのじゃ?」
「私ですか? 特別な理由があれば格好が付くのですが、両親が商人だった……それだけですよ」
あまり面白い話ができずに少しバツの悪そうなベルカに、リリベットはニッコリと微笑む。
「ふむ、それならばわたしと同じじゃな! わたしも父が国王じゃったから女王をやっておるのじゃ」
その言葉にベルカは、豹の顔でもわかるほど驚いた表情を浮かべるのだった。その結果だいぶ打ち解けた雰囲気になり、有意義な会食が終了したのだった。
◆◆◆◆◆
『昼夜を問わぬ襲撃』
ザハの牙による襲撃は昼夜を問わず、一人~五人程度の数が散発的に訪れていた。幸い刺客の質が悪く、野盗に毛が生えた程度の実力であり、フェルトやオズワルトでも難なく撃退ができた。
しかし生き残りから話を聞こうとすると、やはり自決してしまい。何の情報も引き出せぬまま、目的地まで辿りついてしまったのだった。




