第89話「兄妹なのじゃ!」
リスタ王国 王都 別邸 ──
レグニ領にある森の中の街道での襲撃以来、特に支障なくリスタ王国へ入国できたフェルトたちは、迎え入れの準備が出来ていないという理由で、王都にある別邸に一泊することになった。
もちろん先に手紙にて到着予定は連絡してあったのだが、出発前日に決まったフェザー公の同行までは連絡が来ておらず、彼らが到着した際に東の砦から早馬で連絡のあった王城では大慌てである。
そんな中、リリベットだけは待ちきれなかったのか、護衛のミリヤムを連れて一足早く別邸を訪れていた。
「フェルト、よく来たのじゃ!」
「リリー、久しぶりだね」
リリベットはフェルトの顔を見た途端、飛びつくような勢いで走り出したが、数歩手前で急ブレーキをかけたように立ち止まった。
その視線はフェルトの顔より、遥かに上を見て怯えた表情を浮かべている。その表情に気がついたフェルトが後ろを振り向くと、父であるヨハンが今まで見たこともないような笑顔を浮かべて立っていた。
「おぉ、この子がヘレンの娘か!」
そう言いながら初めて見た姪の姿に喜びながら、迎え入れるように両手を広げたヨハンに、リリベットはビクッと震えてから数歩後ずさると、ミリヤムの後に隠れてしまった。
「父上、リリーが怯えていますから、少し大人しくしててください」
「う……うむ?」
フェルトの言葉にリリベットは目をパチクリさせながら、彼の顔とヨハンの顔を見比べながら呟いた。
「ち……父上!?」
フェザー公ことヨハン・フォン・フェザーは、どちらかと言えば線が細く童顔のフェルトと違い、ガッシリとした巨漢であり正直似ていない。風格と相まってかなり威圧感があるため、リリベットが怯えるのも無理はなかった。
「ごめんよ、リリー。紹介するよ……こちらは僕の父で、ヨハン・フォン・フェザー。君の母上の兄でもあるね」
それを聞いたリリベットはミリヤムの後から出てくると一歩前に出て、若干顔は引きつり気味だが美しい所作で一礼する。
「初めまして、伯父上殿。わたしがリリベット・リスタなのじゃ」
「これはご丁寧に……女王陛下。私がフェルトの父でヨハン・フォン・フェザーと申します」
お互い貴族同士であり、礼儀正しく接すれば自然と儀礼をもって対応してしまう。
「まぁ、堅苦しい挨拶は良いだろう。私と君は親戚の間柄なのだし、君は私の娘になる予定なのだからね。しかし、本当に妹に良く似ているな」
母に似ていると言われて、思わずニコリと笑うリリベット。その笑顔に思い出の中の妹の笑顔と重ねたのか、ヨハンは目頭を押さえていた。
リリベットは後ろを振り向きミリヤムから二通の封書を受け取って、そのままフェルトに手渡す。
「これは?」
「うむ、一通はお主の任命書なのじゃ。本当は任命式典を開いてあげたかったのじゃが、ヘンシュの奴が『大臣でも式典を行わぬこともあるのに、補佐官で行ってはバランスが』などと申すのじゃ」
リリベットは不服そうに頬を膨らませていたが、今回の件では典礼大臣の言が正しいので、せめてとの思いで自身で任命書を届けに来たのだった。
「謹んで拝命いたします、女王陛下」
フェルトはクスッと笑ってから一歩下がり一礼すると、リリベットも満足そうに頷いた。そして姿勢を正すと、もう一通の封書を見ながら首を傾げる。
「それで、こちらはなんだい?」
「そちらは明日の晩餐会の招待状なのじゃ」
フェルトとヨハンの歓迎のために、王城にて準備を進めている晩餐会への招待状である。
「母様も会いたがっておるのじゃが、残念ながら晩餐会には参加できぬのじゃ。だから晩餐会の前に母様に会って貰えるじゃろうか?」
「もちろんだよ」
フェルトが微笑みながら返事をすると、リリベットも釣られて微笑むのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 先王妃寝室 ──
翌日、フェルトとヨハンはヘレンの寝室に訪れていた。リリベットが同行しようしたところ、晩餐会の仕度があるからとマリーに捕まり、代わりに宰相が同行している。
寝室に入るといつもと違いドレスを着たヘレンが、マーガレットに支えられながら立っていた。
「ヘレン!」
「……兄様、お久しぶりですね」
弱々しいが微笑むヘレンに、ヨハンはゆっくり歩み寄り優しく抱きしめる。ヘレンが十六で嫁いでから会っていなかったので、二十数年ぶりの兄妹の再会である。
「兄様……痛いです」
「あぁ、すまない……」
ヨハンが離れると、その場でふらついたヘレンをマーガレットが支えてベッド脇に座らせる。ヘレンは澄ました顔に整えながら、ヨハンを懐かしそうな瞳で見つめる。
「兄様は相変わらずのようですね。領地を放っておいて、こんなところまで来るだなんて……」
「はははは、お前も変わりないようでなによりだ」
ヘレンは昔のように美しいままだったが、やはり体力が落ちてきているのか痩せてみえた。ヘレンはフェルトの方を見て微笑む。
「フェルトもよく来てくれました。これからもリリーをよろしくお願いしますね」
「はい、お任せください」
その後、晩餐会の準備が整うまで歓談していた三人だったが、準備が完了したと知らせを受けたヨハンとフェルトが食堂へ向かおうと背を向けたところで、ヘレンはフェルトを呼びとめた。
フェルトはキョトンとした顔で振り向き、ヘレンがいるベッドの脇まで戻ってきた。
「貴方にお願いがあったのです」
「はい、なんでしょうか? 叔母上」
フェルトは首を傾けながら、ヘレンの言葉を待つ。
「もうすぐリリーの誕生日でしょ? 毎年、私から成長を記念して服を贈っているのだけど、今年からは貴方にその役を任せたいの」
「えぇ、それは構いませんが……?」
「よろしくね。きっとリリーも喜ぶわ」
急なヘレンの願いだったが、彼女の何か真摯な想いを感じたフェルトは力強く頷くのだった。
その後、部屋を後にするフェルトの背中を見送ったヘレンは一人呟く。
「私は、あと何回あの子の誕生を祝えるかわからないから……」
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 食堂 ──
ヘレンとの謁見が終ったフェルト、ヨハン、宰相のフィンは、メイドに案内されて食堂に通されていた。食堂では外務大臣ヨクン・クレマンと、真紅のドレスに身を包んだリリベットが待っていた。完璧に化粧の施された彼女は、身長やスタイルなどで幼さは残るものの一人前のレディに見える。
「お招きにあずかり感謝致します。女王陛下」
「よく来てくれたのじゃ、フェザー公」
ヨハンが優雅に一礼すると、リリベットは軽く手を上げて答えた。フェルトやヨクン大臣による挨拶も行われ、全員が席に着くとリリベットが軽く右手を上げた。その合図で給仕たちが食事を運び込み始める。
歓談しながらの食事はリスタ様式の海鮮が主体の料理が饗され、コック長のコルラードが腕によりをかけたものだった。これにはヨハンも満足した様子で頷く。
「我が領にも海はあるが屋敷からは距離があってな。これほど美味い海鮮を食べたのは久しぶりだ」
「うむ、気に入ってくれたようで良かったのじゃ」
フェザー公爵領はクルト帝国最大の所領を誇り、リスタ王国の国土の数十倍の領地がある。ムラクトル大陸の東方の海にも面しているが、その広大さから公爵の屋敷からは海とだいぶ離れているのだ。
「それで伯父上殿は、しばらく滞在されるのじゃろうか?」
「いや、明日には発つ予定だ。本当は生誕祭までは居たかったが、領地をあまり空けておくのもな」
もう少し滞在すると思っていたリリベットは少し驚いた表情をする。
「それは随分と急なのじゃ」
「お前たちの結婚式には必ず顔を出すさ、はははは」
結婚という言葉に一瞬フェルトの方を向き、目が合うと少し顔を赤くして俯いてしまった。その様子にヨハンは
「ははは、可愛らしいな。私も娘が欲しかったよ、息子どもは可愛げがないからな」
と笑うと、フェルトもクスッと笑うのだった。
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『この世界の伝達手段』
手紙や荷物の伝達は基本人伝である。つまり人に託して徒歩や馬、それに船などで運搬するのだ。
短い文であれば伝書鳩なども用いられる。ただしガルド山脈のような高い山は越えられず、リスタ王国から帝都への最速伝令は精霊種や竜種に騎乗して運ぶしかない。
また短い距離であれば、リスタ王国にあるような魔導宝珠による通信手段もあるが、事前に設備の敷設が必要であり費用も非常に高額である。




